地獄坂

真和志 真地

ハプニング


 子供であれば誰もが跳び跳ねて喜ぶ日曜日。

 自宅を出てからルンルンと心を弾ませながら出歩く少年―――市原和樹。小学五年生。

 今日は親友の家で、新しく販売された対戦系のゲームソフトをする話になっている。

 頭の中はゲームのことでいっぱい。どんな感じのゲームなのかすごく楽しみにしていた。


 そんな感じでいつも通っている急坂の通学路、地獄坂に差し掛かる。

 地獄坂の由来はよくわからないが、傾斜が30度近くある上に坂の距離も500メートル前後と、小学生や年寄りにとってはなかなか応える坂だ。

 そんな坂を下りながら残すところ数十メートルになったとき、ブニュ……と嫌な感覚が足を襲った。


 うわっ……

 何か踏んじゃったよ。

 これ、絶対アレだよな。今履いてる物は歩きやすさを考えてサンダルにしている。

 仮に足に物が付いていたのだとしたら……

 うへぇ……洗わなきゃダメじゃん。

 そんな考えを巡らせながら、踏んでしまった足元を恐る恐ると確認してみる。


「―――っ!?」


 和樹が踏んだもの、本人がもその目を疑い思わず息を飲んでしまうような物体。

 そして、考えていたものを遥かに上回るもの……

 和樹が踏んでいたものは、固形物ではなく動物―――猛毒を持つ蛇、マムシだった。


「うわあああぁぁぁ~っ!」


 事態を把握した和樹はたまらず悲鳴を上げながら逃走。

 マムシを踏んでしまった感覚とその光景が頭の中に強く焼き付いてしまい、ひたすら悲鳴を上げながら友人宅まで走った。


 “栗田”と書かれた表札の二階建ての一軒家に到着すると、何度もチャイムを鳴らす和樹。

 普通はそんなことするのは失礼に当たる訳だが、脳内で非常事態宣言が発令中の和樹にとってはそんなの関係なかった。


「だぁーも! うっせぇなっ! 人ん家のチャイムを連打すんな!」


 和樹が連打し続けると、ドアを開けるなりクレームを投げつけてくる男子、栗田貴彦が姿を現した。


「貴彦っ! お、俺、踏んじまった!」

「はぁ? 何を」

「アレだよアレ!」

「アレじゃわかんねぇよ!」

「蛇を踏んじまったんだよ!」


 今にも泣き出しそうな顔の和樹の口から出てきた情報に目を丸くして驚く貴彦。

 慌てて逃げてきた和樹と一緒に騒ぐ事態になった。


「お前マジかよっ!? 噛まれた? 噛まれたのか?」

「わかんねぇ! けど、踏んだ瞬間ブニュ……って感じだった!」

「うぇ……気持ち悪ぃ!」

「俺噛まれたのかな? 踏んだときのパニックで気づいてないだけで噛まれたのかな?」

「わかんねぇ。見た感じでは噛まれた形跡はないぞ」


 貴彦と一緒になって自分自身の足を念入りに確認する和樹。

 変な歯形みたいなのがないか隈無く探した。


「たか君、玄関でなに騒いでるの~?」


 そうやって玄関先で騒いでいると、何事かと貴彦の母親が様子を見に来た。


「あら、かず君いらっしゃい。どうしたの? 泣きそうな顔して足を見てるけど」

「なんか、こっちに来る途中、蛇を踏んじゃったらしいんだ」

「……グスッ」


 貴彦と母親がそんな会話をしていると、不安に耐えきれなくなった和樹がついに泣き出してしまった。

 和樹は、前に学校の図書館で爬虫類の図鑑を見ながら、『マムシって毒があるみたいだけど、人間がでかいんだから強いに決まっている。ボールみたいに蹴ってしまえばよゆーだよ!』と、貴彦と話していたことがある。

 だが、そのマムシを実際に踏んでしまった現実と、気づかないうちに噛まれて毒が体に入ってしまっているという不安が一気に押し寄せ耐えきれなくなってしまった。

 それと同時に、余裕だと思っていたは虫類に不安にさせられている屈辱で負けた気になり、悔しさも滲み出ている。


「その蛇はどこにいたの?」

「和樹の家からだから多分地獄坂だと思う」

「あ~あそこは山道だから確かに出てきそうだね……」


 母親もかつては何度も通ったことのある坂を耳にして納得したようだ。


「よし。とりあえず私が見てあげるから二人とも中に入りなさい?」


 母親の言うことに従い家の中へと入った。

 それから、足を見てもらった結果どこも噛まれてないことがわかった。

 それを知った和樹は心底から安堵し、お礼を言ったあと貴彦とリビングでゲームをして時間を過ごした。


 # # #


 日が傾き始めた午後四時頃。

 友達の家を出て自宅に戻る小学四年生の少女―――中村まなが通学路で使っている地獄坂付近を歩いていた。

 彼女も午前中から友人の家で遊ぶ約束をしていた。

 行きは用事に出る父親と一緒に車で向かい、帰りは徒歩で自宅に向かっていた。


 今日はすごく楽しかった。

 友達と一緒に簡単にできるスパゲティー料理を作って食べて、ビーズとかでオリジナルのアクセサリーとかを作って、おやつの時間になったら近くにあるケーキ屋さんに行って、それを一緒に食べた。

 私が帰る頃に髪飾りもくれた。すごく嬉しかった。

 これ、大事にしなきゃ。


 そんな余韻に浸りながら地獄坂を登り始めること数十メートル。

 少し離れたところに何かヒモ状のものが道路の端に落ちているのが視界に入ってきた。

 最初は何が落ちているのかわからず、そのまま近づくと―――


「ひっ!?」


 そこには爬虫類のマムシが横たわっていた。

 えっ……? 何でこんなところに蛇がいるの?

 何か動く気配がないけど死んでるのかな……?

 そんなことを思いながらそっと近づくと、微かに動いたように見えてその場から動けなくなってしまった。

 他に帰り道がないわけではない。けど、突然現れた蛇の存在に頭が働かず冷静な判断ができなくなってしまった。

 帰りたい……。でも、蛇が怖い。どうしよう。


「うぅ……グスッ」


 蛇への恐怖と家に帰れない不安でパニックになり、坂の入口付近にしゃがみこんで泣き出してしまった。


「どうした? ケガでもしたのか?」


 顔を伏せて泣いていると後ろから突然声を掛けられた。

 誰だろうと顔を上げ振り返ってみると、男子生徒が立っていた。


「……違う。あそこに蛇がいるの。怖くて通れないよ……」


 彼女からその台詞を聞いた少年は、嫌そうな顔をしながら「……まだあるのかよ」とそう溢した。


「どういうこと?」

「俺もさっきこの坂を下りてる途中で踏んじまったんだよ」

「えぇ!? 大丈夫なの? 痛いところない?」

「俺は大丈夫だった。どこも噛まれてないって友達の親に言われたよ」

「どうしよう。このまま帰れないのかなぁ……」


 不安がる彼女を聞いて何かいい方法ないかと回りを見渡す。

 すると、道路の反対側は問題なく通れることに気がついた。


「反対側は平気そうだからそこから行こう。もし、ちょっとでも動いたら急いで逃げるぞ」

「……わかった。ところで名前なんて言うの? 何年生?」

「俺は市原和樹。五年生だ」

「私は中村まな。四年生」


 気を紛らわせるためにまなの方から話題を振るも長続きしせず直ぐに終わってしまう。

 そんな簡単な自己紹介が終わる頃には蛇の真横にまで近づいていた。


「蛇は死んだフリをすることがあるらしい。ちょっとでも動いたら直ぐに走って逃げるぞ」

「うん! わかった!」


 気がつけば和樹はまなの手をしっかりと握り慎重に歩調を進める。

 まなも和樹の手をしっかり握ってその背中をついて行く。


『―――っ!』


 横たわったままのマムシが一瞬ピクリと動いた気配を感じとり、二人に恐怖が支配し始める。


「やばいっ! 走るぞ!」


 そう叫んだ和樹はまなの手を握ったまま坂の頂上まで全力で走った。


 # # #


「そういえばそんなことがあったねぇ。あの時のかず君すごく頼もしかったよ」


 あれから15年という長い年月が経った。

 あの日からまなは和樹のことを学校で探すようになり、帰りは一緒に帰るようになった。

 中学までは必然的に同じ学校に通っていたが、高校と大学はまなが和樹のことを追いかけるような形で入学し、今はそれぞれ別の就職についている。


「……今思うとよく噛まれなかったよな」


 和樹が踏んだマムシは幸いにも完全に死んでいた。それに踏んでいた場所も頭の部分だった。

 だが、仮にもそのマムシがまだ生きていて、踏んだ場所も別の胴体だったら間違いなく噛まれていただろう。

 そう考えると背筋が寒気が走った。


「あの時はただ怖いって感情でしかなかったけど、今思うと私たちってあの蛇がいなかったら出会ってなかったもんね」

「……そうだな。俺らが今こうしてられるのも、あの蛇のお陰かもな」


 和樹たちがいる場所は結婚式会場。

 高校にまなが入学して少したった頃にまなの方から和樹に告白。和樹がその告白を受け入れて交際がスタート。

 長い交際期間を得てゴールインとなった。

 まなはホワイトウェディングドレスに身を包み、和樹はタキシードでビシッと着こなしていた。


「そう考えると、あの蛇は一種の縁結びの神様だったりして?」

「アレはただのマムシだ。……だが、その考えも悪くないかもな」


 そんな会話をしていると会場のスピーカーから『新郎新婦の入場です』とコールがかかり、目の前にあるドアが開かれた。


「よしっ! 周りに勝ち組リア充のオーラを振り撒きにいくか」

「その捻れた表現止めなよぉ」


 二人は新なる道を共に歩き始めた。

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地獄坂 真和志 真地 @hoobas29

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