あなたにサカナ

節トキ

私のことを知らないであろうあなたへ


 突然のお手紙、失礼します。

 怪しい者ではありません。差出人の名前を書かなかったのは、名乗ってもきっとわからないだろうと思ったからです。


 私はあなたの会社の近くにある『仲砂なかさ』という定食屋で、数ヶ月前まで働いておりました。長い髪を一つ縛りにしていた女、といっても覚えていないでしょう。あなたと会話をしたのも一度きりでしたから。

 それでもこうしてお手紙をお出ししたのは、あなたに伝えたいことがあったからです。見も知らぬ女にこんなことを言われても困るだけだとは理解しています。けれど、どうしても伝えたかったのです。


 平日のランチタイムにやって来るあなたを、ずっと見ていました。初めて見た時から、あなたのことが好きでした。


 といっても、あなたの外見に惹かれたのではありません。あなたはいつも、焼き魚定食を注文していましたよね。それを食べるあなたの姿に、釘付けとなってしまったのです。

 美しい箸運びで魚を切り開き、優しく肉を掘り出し、余すところなく身を口にする……私は、そんなあなたに恋をしました。


 だからといって、あなたと結ばれたいだなんて身の程知らずな感情を抱いたことはありません。けれどあなたのことを知りたい、もっとあなたを感じたいという欲求はありました。それでも私にできたことといったら、あなたが残した魚の骨を持ち帰ってむしゃぶりつくだとか、あなたの家を調べて忍び込んだりだとか、そのくらいです。


 お魚、本当にとてもお好きなんですね。冷蔵庫にも、常に買い置きがありました。そのお魚に私はキスをしたり舐め回したり、血や涙や汗といった体液を絞り出して塗りたくったりしました。また時にはあなたの名前を呼びながら、あなたの買ったお魚を使って口に出すのも憚られるような恥ずかしいことをしたりもしました。本当にごめんなさい。けれどそれをあなたが食べて、あなたの中に自分の成分が取り込まれる想像をすると、どうにも止まらなかったのです。


 しかし幸せだったのは最初の内だけでした。次第に物足りなくなってしまったのです。私はあなたにお箸で体を裂かれたかった。内臓を抉り出され、肉を千切られ、綺麗に食べ尽くして骨だけにしてほしかった。あなたが美味しそうに食べていたお魚になりたい、それが私の唯一の望みでした。


 私事になりますが、私には家族というものがありません。まだ赤ん坊の頃に捨てられていたところを拾われたそうで、施設で育ちました。内気な質なものですから施設ではもちろん、施設を出ても恋人どころか友人すら作ることができず、この年までずっと一人ぼっちで過ごしてきました。


 お魚になりたいなどと考えるようになったのは、それもあったのだと思います。初めて見た時にあなたが食べていたお魚、あれは回遊魚の一種らしいですね。生まれて初めて水族館に行って見てきましたが、皆と群れになって泳ぐ姿は壮観でした。私もあの魚達のように誰かと共にありたかった。人も魚と同じく、社会という輪の中で群れとなるもの。なのに自分はその輪に入れなかったのだと痛感し、涙が出ました。


 でもこんな私にも、たった一つの希望が生まれたのです。


 あなたには些細なことだったでしょうが、「お魚がお好きなんですか?」と声をかけるのは、私にとって人生最大の勇気が必要でした。あなたがはにかんだ笑顔で「はい、大好きなんです」と答えてくれた時は、そのまま死んでしまいそうになるほどの感激を覚えました。


 私はその言葉を何度も何度も脳内で反芻し、己の記憶をすり替えて、あなたからの愛の告白だと思い込もうとしました。あなたに愛されているのは魚ではなく自分だと、錯覚できれば楽だったでしょう。けれど、できませんでした。こんな自分をあなたが愛してくれるはずがない。群れから外れた私など、目に留めてもらえるわけもない。


 そこで思い付いたのです。

 私も魚になればいいのだと。生まれ変わって、魚になればあなたに愛されるかもしれないと。


 そのために、私は死ぬことを決意しました。人としての人生には何の未練もなかったので葛藤も躊躇いも全く感じず、むしろ心が明るく湧き立ちました。


 即座に実行したかったのですが、しかし自殺すると魂がこの世に繋ぎ止められると聞き思い留まりました。それでは困ります。魚に生まれ変わらなくては意味がありませんから。


 それからすぐに私は仕事を辞め、自分を殺してくれる人を探しました。あなたに会えなくなるのは辛かったけれど、生まれ変わればまた会えるのだからそれまでの辛抱だと自分に言い聞かせ、寝る間も惜しんであちこちを当たりました。そして、やっと見付けたのです。


 口止めをされているので多くは言えません。私も詳しい素性は知らないのですが、その人物は本物の殺人の動画を撮影しているそうで、裏では有名な存在らしいです。スナッフムービーといって、特殊な性癖の人達に人気なのだとか。

 その人に依頼したところ、快く引き受けてくださいました。また私の希望通り、お魚のように細かく解体していただけるそうです。あなたのお家には切り身のお魚もありましたから、せっかくなら捌かれる練習をしておきたくて。


 私の死体は、海に流してくれるようお願いしてあります。山に埋められでもしたら、お魚に生まれ変わっても泳げずあなたに会いに行けませんものね。


 この手紙を書き終えたら、撮影に向かいます。これが、私が人として綴る最後の文字、最後の言葉です。


 もう文字も言葉もいりません。いつか必ずお魚となってあなたと再び巡り会い、あなたに愛され、あなたに食べられ、あなたと一体となり、あなたの内側から愛を囁ける時が来るのですから。


 どうか大好きなお魚を毎日食べて、私がやって来るのを待っていてください。私もあなたに再会できる日を、心から楽しみにしております。




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