第34話 女主人と使用人たち4

「だけど、あのとき、あなたは……。デービッド様が怖くて、姿を消したのね……」


 思わず声が漏れ出た。

 扉越しにデービッド様がやってきた。


 その気配に。

 彼女は怯えて消えたのだ。


「……なんてこと」


 命を失っても。

 それでも、怒りよりも恐怖に支配され、怯えて暮らすなんて……。


 咄嗟に私は駆けだし、彼女に向かって手を伸ばす。


「お、お嬢様!?」

 アリスの姿が見えないリアムとアーノルドが驚いたように声を上げるが、構わず、私は彼女の肩をつかんだ。


「絶対に、許さない」

 泣き顔のまま顔を上げるアリスに、私は断言した。


「あなたの受けた傷と、同等の傷を受けてもらう。処罰してやる」


 身体中から迸るのは、激しい怒りだ。

 山賊や隣国の商人と通じて私服を肥やし、かつ、その罪をハロルドにかぶせるなんて。


 しかも。

 身分も、年も、腕力さえ自分より劣るこんな少女をいたぶり、命を奪うだなんて。


「ハイデンベルグの名にかけて。いいえ」

 私は首を横に振る。涙で潤むアリスの顔をしっかりとみつめた。


「スザンカ領の女主人として、あなたの名誉を回復するわ」

 力強く告げると、アリスの瞳のふちに涙がまた、盛り上がる。


「ねぇ、リアム」

 地面に跪いたまま、戸惑うように瞳を揺らしている彼を見上げた。


「ここにアリスがいる、って言ったら信じてくれる? あなたの側にずっといたんだ、って言ったら」


 凍り付いたように動きを止めたリアムは、だけど私の腕の先を、撫でるようにたどった。


「抱きしめて、あげてくれる?」


 声をかけると、リアムは引き寄せられるように両膝を地面についた。


 私が場所を譲ると、まるで見えているかのように、両腕で彼はアリスを抱える。


 腕の中で。

 アリスが目を閉じる。


 同時に。

 目に溜まった涙が頬を伝った。


 ぶわり、と。

 旋風がリアムの腕の中で起こる。「あ」とリアムが小さく声を上げた。


 一瞬。

 ほんの数秒だけ。

 アリスは彼の前に姿を見せた。


 桃色の唇がほころぶように開き、泣き顔のまま彼女は微笑む。


「あ り が と う」


 声はなかったが。

 彼女の唇は確実にそう伝え、そして。


 姿を消した。


「……お嬢様……。いや、奥方様」

 茫然とアーノルドは私を呼んだが、目を向けると、何度も咳払いして、手に持っていた帽子を古びたベルトに強引に差し込んだ。


「アリスは、村の仲間でやした。リアムの大切な婚約者でやした」

 嗚咽をこらえたのか、彼はそこで下唇を噛んだ。


「来年結婚をし、家を建てて住んで。羊を増やし、子を産んで」


 ああ、と号泣の声を上げたのはリアムだ。

 自分の腕から消えた気配をただただ、凝視し、ぼろぼろと涙を流して、聞く者の胸がつまる泣き声を漏らす。


「この村で、年老いて死ぬはずだった娘でやした。ですが、ただの村娘だ。貴女様や、領主様とは身分も住んでいた世界も違う。それなのに」

 ぐい、と彼は太い拳で自分の目をこすって涙を拭う。


「アリスが死んだとき、領主様は大層お怒りになり、辺境伯様にデービッド様の処分を強く訴えられました。そして、その奥様である貴女は、アリスの名誉を回復してくださる、とおっしゃる」


「ほ、他にもいるんです……」

 掠れた声で、鼻水をすすりながら、リアムは私を見上げた。


「デービッド様の行いを見ていて、証言しよう、というやつらが。もちろん、おれも証言します。辺境伯様の前でも。審問官様の前でも」

 私は視線をアーノルドに向ける。彼は大きく首を縦に振った。


「あっしが請負いやす。いつでも声をかけてくだせえ。人を集めやすから」


「ありがとう」


 おもわず胸が熱くなり、言葉がつぶれた。ありがとう、本当に。何度も言いたいのに、喉がつまってうまく声が出ない。


「今、行方不明になっておられるとか。村長が夜明けと同時に村のみんなと山狩りをする、と言っておりやした。心配いりやせん。すぐに見つかりまさぁ」


「そうです。それに、領主様は誰よりもこの森にお詳しい。きっと何かあり、今は身を隠しておられるのでしょう。大丈夫です」

 涙で濡れた顔のまま、リアムはそれでも私を励ますように笑ってくれた。


「……ありがとう」

 頭を下げる私に、ふたりは驚いたような声を上げた。


「おやめくださいっ」

「領主様に礼を言うのはこっちなんですからっ」

 そんな言葉を聞き、うんうん、と頷いていると。


「な!? 良い旦那だろ!?」

 どん、といきなり背中をマークに叩かれ、げほり、と咳き込んだ。


「これ! お嬢様になにをっ」

 リーが叱り飛ばし、サラが笑って私の頭を撫でた。


「これが人徳ってもんだよ。うちの旦那様は、本当に良い人だ」


 緑色の彼の瞳を見つめ、私は何度も何度も頷く。


 そうだ。

 そんな彼を。

 早くこの屋敷に連れて帰らなければ。


 だって。

 この、スザンカの主は、ハロルドなのだから。

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