第32話 女主人と使用人たち2

「旦那様がそのような怪しげなことをするわけがないでしょう」


 ぴしゃりとリーが言い放ち、私は息を吐く。

 息を吐くまで。

 自分が呼吸をしていないことに気づかなかった。


「そうだよ、もう。マークは馬鹿なんだから」


「うるせえよ。ってか、食いすぎだぞ、お前」

 マークは凄んで見せ、それからビスケットの籠をサラの前から取り上げた。サラは惜しそうな顔をしたけれど、すぐに夕闇を映した瞳を私に向ける。


「あの文書。盗賊たちの匂いがしたよ」


「……え?」

 思わず私はつぶやく。サラはそんな私に大きくうなずくと、膝の上に散ったクッキーの欠片を勢いよく払った。


「騎士から文書を取り上げた時さ、匂ってみたんだ。そしたら、あの盗賊たちの匂いがした。だからさ。あの文書を仕組んだのって、あいつらじゃない?」


「屋敷に侵入したときに、旦那様の寝室に放り込んだ、と?」

 リーがいぶかしそうに尋ねる。


「そうじゃない? 二階にいたのはリーでしょう? 見なかったの?」


 逆に尋ね返され、リーは「ううむ」とうなる。

 腕を組み、それから顎を摘まんで見せたのだが……。

 これが器用に、本当につまんでいるように見える。


「わたくしが到着したとき、すでに賊が二階廊下に侵入しておりましたから……。何をしていたか、ということまでは……」


「あの……。旦那様の寝室から、その怪しげな文書が?」

 恐る恐るというふうに、ロジャーが手を上げて発言する。私は眉根を寄せたものの、慌ててうなずいた。そうだ。ロジャーはずっと庭にいるから、細かい話がわかっていないのだ。


「そうなの。騎士たちが勝手に屋敷をさっき捜索してね。ハロルドの寝室から怪しげな文書が出てきたのよね」


「旦那様の寝室で思い出したのですが……」


「「「なになになになに」」」


 私とサラ、マークが声をそろえてロジャーに顔を向けた。

 その勢いに飲まれたロジャーだったが、しわしわの指で頬をかきながら、ぼつぼつと話し始める。


「デービッド様が、夜中に向かおうとしておったのです」


「デービッド様……?」

 オウム返しに口にする。昨日のことじゃないか。ロジャーは何度も首を縦に振り、続けた。


「わしはあの晩、いつも通り、庭におったのですが……。廊下を影がよぎりまして……。なんだろう、と思ったんです。目を凝らしたら、デービッド様でした」

 ロジャーはそこで顔をしかめる。


「向かう先は、お嬢様の寝室であるように、わしには思えて……。こりゃ、てえへんだ、と焦ったんですが、旦那様の気配がお嬢様の寝室にありやしたから、まぁ、大丈夫だろうと様子を伺っておりました」


「……まぁ、あんまりそれはそれで安心じゃないんだけどね」

 思わずそう言ったが、ロジャーは不思議そうに瞬きをするだけだ。


「そうしやしたら、案の定。デービッド様は千鳥足で、お嬢様の寝室に行かれて……」


 そう、あの日。

 話し相手になってくれ、とか言ってやってきたが、ハロルドが扉越しに追い返した。


「ええ。そのあと、今度は旦那様の寝室に行かれたのです」


「え? 自分の部屋に戻ったんじゃないの?」

 私はきょとんとロジャーを見る。ロジャーはうなずいた。


「旦那様の寝室に行こうとされたのです」


「酔ってたもんなぁ」

 サラが顔をしかめる。


 まぁ、確かに、と応じながら、ふと思い出す。


 そうだ。

 しつこく、足音だけは聞こえたのだ。


 扉をたたいてみたり、何かを投げつけたり。

 様子を伺うのも怖いぐらいで……。


「ですが、すぐに、おつきの騎士に声をかけられて……。それで自分の寝室に行ったようでやした」


「旦那様の寝室を使おうだなんて、厚かましいやつめ」

 サラは、ぷんすか怒っているけれど。


「……ちょっと待って。まさか、と思うけど」

 私のつぶやきに、リーが深くうなずく。


「酔ったせいではなく、旦那様の寝室に行くことが目的だったのでは?」


 そうだ。

 そう考えれば、結構納得がいくのではないか?


 あの男。

 私の寝室で声をかけてきたのは、「ちゃんと寝ているかどうか」を確認したかったのではないのか。そして、ハロルドが自分の寝室ではなく、一緒にいることを確認した。


 しめた、と。

 あの男は廊下で脅すだけ脅して、私たちを寝室に足止めしておいて。


 そして。

 ハロルドの寝室に向かった。


「え。どゆこと?」

 サラが目を瞬かせる。その隣で、マークがうなった。


「そもそも、この屋敷に来たのは、病気でもなんでもなく、隙を狙って、旦那の寝室かプライベートルームにでも文書を仕込みたかった、ってことか?」

 私とリーがそろって頷く。


「でも、仕込めなかった。女癖のことがあって、騎士が四六時中見張ってたから」

 私の言葉を、「でもさ、でもさ」とサラが割って入る。


「実際は、盗賊があの文書を仕組んだんだよ? だって、匂いが残ってたもん」


「だから」

 リーが淡々と告げた。


「デービッド様と盗賊は通じておるのでしょう。デービッド様が文書を仕込めなかったので、今度は盗賊に依頼した。屋敷を襲撃したどさくさにまぎれ、文書を入れさせたのでは? で、頃合いをみつけて、逃げる者は逃げ、捕まったものは、取り調べの時に言うことになっていたのでしょう。『ハロルド様と仲たがいした。これは腹いせだ』と」


「は!? じゃあ、あの盗賊たちは、もともと捕まるつもりでこの屋敷に来たってこと?」


「そう……なのか……な」

 マークが誰にともなく言う。


 はっきりと、「そうだ」と私も言いたいのだが。

 今のところ、仮定の話でしかない。


 だいたい。

 そうなると、デービッド様がなぜそんなことをするのか、ということになる。


「デービッド様は、隣国の品の横流しをしてたのでは?」

 感情のない声で言い放つのはリーだ。


「そう……、なの?」

 これまた自信なさげにサラが問う。


 うん、と言いたいけど。

 これもまた、推察の域を出ない。


 だけど。

 彼は不満を持っていた。


 王都にあこがれのようなものを持っていた。


 自分ならうまくやれる、と確信を抱いていた。


 なんとなく。

 なんとなく誰も発言できなくて。


 夜の闇のような沈黙が庭に降りる。

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