第27話 どこにも行かない2

◇◇◇◇


「おはよう」


 目を覚ますと、美しい青の瞳があった。


 ハロルドだ。

 先に目を覚ましていたらしい。


 朝日が薄氷のような輝きで室内に差し込んでいる。

 しまった。カーテンを閉めずに寝たんだ。だから、リーが起こしに来るより先に、ハロルドは明度で目を覚ましたのだろう。


 羽枕に肘をつき、私を見ていた。


 もう、やだなぁ、と片手で顔を覆う。

 人の寝顔を盗み見るとはなんというやつだ。


「……おあよ」

 寝ころんだ姿勢のまま、顔を背けた。「おはよう」というつもりが、寝起きのせいで発音すらままならない。


 途端に、「う」という返事が聞こえたので、笑うつもりなのだろうかと眉根を寄せてハロルドをにらむと。


 視線の先で、彼は羽枕に顔をうずめている。


「……ハロルド?」

 どうしたんだろう、といぶかしむと、うつぶせで羽枕に顔を押し付けたまま、ばたばたと足をゆすらせ始める。


「かわいい……っ。なんてかわいいんだ……っ。くそ、抱きたいっ。キスしたいっ。服を脱がしたいっ。いかがわしい行為をしたいっ」


「……ハロルド。心の声、駄々洩れだから」


「わたしはなんの罰をうけているのかっ。愛する人とベッドを共にしながら、なにもできぬとは……。おお、神よ! なんとわたしは哀れなのか……」


「いや、罪深い、の間違いでしょ」

「……マリア」


「却下」

「ちょっとでいいんだ」


「なにがっ! なにがちょっとなのっ」


 私はあわてて飛び起きる。

 身の危険を感じた。

 起き抜けだというのに、こんなに素早く動けるのか、というぐらいの勢いで寝台から飛び降りようとしたのに、あっさりと腰を抱き留められて、また引き戻される。


「ねぇ、マリア」


 あっという間に寝台に押し倒された。

 腕をシーツに縫い留められ、嫣然と笑う。


「もうちょっと、距離をお互い詰めようじゃないか」

「リー!!」


「お互い、服越しではなく」

「起床の準備を――――っ」


「肌と肌を合わせたら、もっとわかりあえるんじゃないかな……」

「チャールズ!! 旦那様が、騎士とは思えぬ行為をしてるっ!」

 怒鳴った瞬間、勢いよく扉が開いた。


「それはだめでござる、旦那様!」


 武骨な金属音を鳴らしてチャールズが寝室に侵入してきた。夜間は役立たずだったが、今はなかなかの働きじゃないの。


 リーなら絶対に許可なく寝室に入らないが、さすが、チャールズ。まったく、意に介さない。


 むしろ、そこは騎士としての品格を問いたくなるが、まぁ、いいだろう。


 さすがのハロルドも驚いたらしく、私から腕を離すから、その隙に、と寝台から飛び降りる。


「旦那様。女子おなごというのはガラス細工よりも砂糖菓子よりももろいもの。手荒に扱ってはいかんでござる」


「……まさか、チャールズに説教されるとはね」

 ハロルドは寝台に、べたりとうつぶせに倒れこみ、深く息を吐いた。


「まずは、たわいのないおしゃべりなどを通して、己は危ない存在ではない、ということを証明していくでござる」


 チャールズはそんなハロルドにもっともらしく言い始めた。ハロルドはぴくりとも動かない。


「で。気を許したころ合いを見図り、一気に、がばああああ、っと」


「襲ってるじゃないっ」

 驚いていうと、チャールズが心外だとばかりに目を見開く。


「恋愛は緩急が大事でござる。戦と同じ!」

「急すぎるわよ!」


 ばちり、とチャールズの肩当を殴る。がちゃん、と派手な音がしたが、本人は全く動じていない。


「その、『急』のところだったんだよ、チャールズ。もう」

 ハロルドが首だけねじってチャールズをにらむ。「あいや、これは」とチャールズは自分の額をぱちり、とたたいた。


「まぁ、仕方ない。今日のところはここまでにしよう」

 ハロルドは苦笑いを浮かべて、ようやく上半身を起こし、寝台に腰掛ける。


「チャールズ。昨晩の様子を聞いたかい?」

「仔細もれなく」

 チャールズは表情を改めてうなずいた。


「リー殿はいまだ牢番をしてござる。よって、拙者が旦那様のお着替えを申し付かった。サリエリはもう帰館しておるでござる」


「衛兵は?」

 ハロルドは立ち上がり、一度ぐい、と天井に向かって両手を突き出す。伸びをしたその姿勢のまま、チャールズを見る。


「サリエリの言では、あと一時間ばかりで到着とのこと。旦那様もご準備をお早く」

「ん」

 ハロルドが応じるのを見ると、チャールズは一度深く礼をし、それから寝室を出る。そのあとをハロルドがついて行ったのだが。


「マリア」

 不意に数歩戻り、私の前に立つ。


「なに」

 じろりとにらみつけると、顎に指をかけられた。

 そのまま顔をあげさせられ、ちゅ、と右頬にキスされる。


「今度一緒に眠るときは、お互いもっと距離を縮めよう」

「そうね」

 私もにっこりと笑う。


「何年先になるかしら。楽しみね」

 私の答えにハロルドは愉快そうに肩をゆすらせた。


「その年月をわたしは最短距離に詰めようじゃないか」

 ハロルドは私の顎に指をかけたまま、顔を近づけてくる。


「だから、ちゃんと心の準備をしておいて」

 端正な笑みを見つめ返し、私は不敵に笑う。


「ハロルドこそ。私に拒否されてへこまないようにね」

「君は何を話してもかわいいなぁ」

 ハロルドはうっとりとそんなことを言い、それから扉に向かって歩いていく。


「今日、賊を連れて衛兵と街に行く。遅くなるから、先に寝ておいて」


 そんなハロルドの言葉に、私はぞんざいな返事をする。


 いや、返事をしたかどうかも覚えていない。


 そのときは、いつもの会話だと思った。


 ハロルドがむず痒い台詞を吐き、私が、またいつものことかと、うんざりする。

 そんなスザンカでの毎日と変わらないと思っていたのだ。


 この後。

 ハロルドがスザンカに戻ってこない。


 そんなことがわかっていたら。

 私はなんと答えていただろう。


 ずっと。

 そんなことが胸の奥に、魚の小骨のようにひっかかっていた。


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