第23話 襲来3

「……庭に、なにかあるの?」

 私は誰ともなくそう言い、足音を忍ばせて近づこうとしたのだが、「おやめください」とリーに鋭く制止された。


「サリエリ。賊の人数はわかりますか?」

 リーはサラに声を投げかけながら、自分は食堂の南端に向かった。


「気配は、十人……、いや、十二人かな」

 サラは立てた狼耳を、細かく震わせながらカーテンの閉められた窓の方を凝視していた。


「そのうち、罠にかかったのは?」


 リーの声に、何かが開く音が重なる。

 反射的に瞳を動かすと、物置を開けたようだ。普段は予備の椅子やクッション、季節に合わない調度品を入れているところなのだが。


 リーがそこから取り出したのは、ステッキと、フード付きの外套だった。


「ロジャーの足音がするから、確認に行ってるみたいなんだけど……」


 サラはただただ、鋭くカーテンを眺めている。

 私には、あの轟音以降、なにも聞こえないのだけど、サラの耳は確かに音を拾っているらしい。


 いつもの愛らしい表情は鳴りをひそめ、彼の横顔は随分と凛々しい。ぴんと跳ね上がった眉はこんなに男らしかったかな、と驚くほどだ。


「罠にかかって動けないのは、三人」

 サラが慎重に言葉を発した。「気配はするけど、動けてない」。サラは付け加え、リーは鼻を鳴らした。


「落とし穴に落ちたのでしょう。回収は後でかまいません。ほかの九人はどうしました」


「ロジャーが探してる……。ってか」

 サラは苦笑いを漏らした。


「逃げるでしょ、この状況なら。盗みに入った場所が悪かったよ」


「……泥棒、ってこと?」

 私はおそるおそるサラに尋ねた。盗みに入る、ということは、侵入者は「泥棒」なのだろうか。あるいは「山賊」とか。サラは肩を竦め、人差し指で顎を掻く。なぜか狼耳がひこひこと揺れた。


「年に数回はあるよ。ほら、一応貴族が住んでるわけじゃない? 金目のものがあると思うんだろうね。今日みたいに、旦那様が夜遅くまで外出している、ってわかってるときなんかを狙ってくるんだけど」


「ああ……」


 合点がいった。そうだ。ハロルドは領民数人に声をかけて一緒に森を捜索しているから。


 そりゃあ、今がねらい目なわけだよね。


「だけどほら。うちは、ロジャーが庭に罠をいっぱいしかけてるから」

 えっへん、とばかりにサラが胸を張るが、私は唖然とするしかない。


「聞いてないわよ、そんな話」

「あれ、そうだっけ」

 サラは不思議そうに首をぱたん、と右に傾けた。


「なんかほら、周知の事実だったから……。伝えてなかったかな」


 ごめんごめん、とぞんざいに続けるけど、あんな爆音を響かせる罠があるというのに、伝え忘れるとは、うっかりでは済まない殺人行為だ。


「なんか、いつもあるものを伝えるのって難しいね」

「わたくしはてっきり、サリエリがもう、お伝えしているものだとばかり」

 サラはリーと一緒になって言い合っている。


「他になにか、私に伝え忘れてることはないの?」

 ふたりにむかってそういうと、サラは長い人差し指を顎にあて、宙を眺めたものの、「わかんない」と可愛らしく答えた。


「あのねぇ」

 私が彼を睨みつけたとき。


「待ってっ」

 サラは真ん丸に目を見開き、ぴん、と背中を伸ばした。


「足音が、屋敷に近づいてる!」


「屋敷に?」

 リーは右手にステッキを掴んでいぶかし気な声を漏らす。


「逃げなかったのですか」


 リーの言い分はもっともだ。

 あんな罠が仕掛けてある屋敷だ。ほかに何があるのか知れたものではない。実際、私は知らないわけだし。

 金目の物以前に、自分の命が惜しかろうに。

 私なら、絶対に逃げる。


「サリエリ」


 リーは、ばさり、と外套を羽織り、フードを被る。

 そうすると、すっぽりと顎まで覆われるから、ちゃんと「頭部」が出来た。


 ……おお。頭はないけど、形自体はあるんだ。その後、手ごたえを確かめるように、数度ステッキを振ると、低い声でサラに命じる。


「あなたはここで、お嬢様をお守りしなさい」

 うなずくサラを見て私は慌てる。


「待って。賊が入ってくるのね? 私だってなんか役に立つかも」

 咄嗟に、なにか武器になるもの、と思って、テーブルの上のティースプーンをひっつかんだものの、サラとリーに声を揃えて言われる。


「「足手まとい」」

 ……なにも、はっきり言わなくったって……。


「賊の魂胆はわかりませんが」

 リーがため息交じりに言った後、彼の語尾は庭から聞こえる「ぎゃあ」という悲鳴が混じった。


「ひとり、撃沈」

 ぴくぴくと狼耳を動かしてサラは告げる。


「ロジャーの罠をかいくぐってまで、屋敷に来ようとしている、ということは」

 リーは、体ごと私に向き直った。


「ひょっとしたら、狙いはお嬢様かもしれません。襲撃し、強奪するつもりかも」


「私を!?」

 思わず自分を指さして目を丸くする。


「なんのために!」

 素っ頓狂な声を上げたのだけど、サラもリーに同調した。


「あり得るかも。だって、この屋敷をよく知らない人はさ、旦那様がいないってことは、この屋敷には、美少女メイドと、女主人しかいない、っておもうだろうし」


 ぬけぬけと、「美少女」と自分のことを言い放ったわね。


「わたくしは今から厨房に行き、マークに事の次第を伝えます」

 リーは扉に向かって歩き出しながら、私とサラに言う。


「マークには一階の守備を。わたくしは、二階の守りを固めましょう。お嬢様はここで待機を。サリエリ」

 リーはステッキを持っていない方の手で、サラを指さす。


「遠吠えで、チャールズに連絡を。旦那様に至急戻っていただくのです」


「了解」


 敬礼をとったサラに、どうやらリーは頷いたようだ。たぶん。顔が見えないけど。

 コツコツと規則正しい足音を立てて、扉から出て行った。

 ぱたり、と扉が閉まる寸前、天井あたりから、何か物音がした。


 ……うそ。本当に、侵入者……?

 おっかなびっくり首をくすめる。


「じゃあ、ちょっとお嬢は耳を塞いでてね」

 天井を眺めていたら、サラがそんなことを言う。


「え。なに?」

 思わず問い返すと、視線の先で、大きく息を吸い込んでいるのが見えた。一瞬瞳が交錯すると、いたずらっぽく微笑まれる。咄嗟に、私は両耳を塞いだ。


 途端に。

 ものすごい音量の遠吠えが彼の喉から迸る。


 上げた顎から。反らした喉から。


 ガラスが震えるほどの、イヌ科の遠吠えが、強弱をつけて長く吐き出される。


 耳を押さえていても、鼓膜が圧迫されるような感じがするし、頬がぴりぴりと痛い。


 ただただ、唖然と見つめる私の目の前で、最後は歌うように遠吠えを締めくくった。

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