二章 お父様、こちらは日々大変です……
第21話 襲来1
◇◇◇◇
ふたりの騎士たちが消えた、その日の晩のことだ。
「ってかさ。旦那様の何が気に入らないの? お嬢は」
紅茶を注いだサラは、ついでだ、とばかりの口調で私に尋ねた。
「なんの話よ」
私はいぶかし気にサラを見上げる。
彼は陶磁の紅茶ポットを銀のワゴンに戻すと、ふぅ、と息を吐いて見せる。ずいぶんと演技がかったしぐさだが、愛らしい格好にその動きはとてもよく似合っていた。
なんだかんだいって、かわいいのだ、彼は。
「昨日の晩、一緒のベッドで寝たんでしょ? なんでなんにもないのさ」
サラは口をとがらせて不服そうだ。「なんで、って」。私は口ごもる。カップを口元に寄せていると、サラは盛大にため息をついて、視線を私から外した。
「そう思うでしょう、リーも」
声をかけたのは、少し離れたところで控えていたリーだった。
さっき私の食器を一度厨房に下げ、戻ってきたところらしい。つつましく控えるさまは、ときどき存在を忘れるぐらい静かだ。
「まぁ……。そうでございますね」
淡々とリーがそう答えるから、サラが息巻く。
「可哀そうだよ、旦那様っ。鼻先に肉をぶら下げられて、『マテ』って言われている気分だよ」
「旦那様を犬に例えるんじゃありません」
ぴしゃりとリーがサラをしかりつけ、サラはそれこそ「きゃん」と言わんばかりの顔をした。
「お嬢は、旦那様のことが嫌いなの?」
リーには顔がないというのに、その視線から逃れるようにサラは体を縮め、私に尋ねる。私はその彼に、しかめっ面を作ってやった。
「婚約者から引き離されて、こんな辺鄙な場所に連れてこられた相手のことを好きになれると思う?」
「いや、でも婚約者ってさ、あれでしょ。子爵のことでしょ」
「サリエリ」
ぴしり、とここでもリーの指導が入った。
サラはとういと、とうとう狼耳が頭から飛び出して、ぴたりと伏せてしまっている。その様子が、ちょっとかわいくって、ふふ、と笑いが漏れたものの、サラの視線を感じて、不機嫌そうな顔をわざと作った。
「私はあの晩、子爵からの求婚を待ってたわけよ。あのテラスで。それがあんな……」
もはや強奪だったと思う、あれは。
私は心に沸き立つ忌々しさを、紅茶とともに飲み干した。オレンジピールが入っているのか、口の中が存外さっぱりした。
「お嬢は子爵のことを好きだったの? ほら、恋愛の末、結婚ってわけじゃないんでしょ? 貴族だもんねぇ」
サラは私に身を近づけ、それから声を潜めて尋ねる。
どうやらリーの気配を気にしているらしい。
飛び出してしまった狼耳は収納されず、時折リーのほうに向かって立ち上がり、ぴくぴくと動いている。便利だなぁ。
「そりゃ、親同士が決めた結婚だけど。……それでも、子爵のことは好きだったわよ」
カップをソーサーに戻すと、喜色満面で、「好きだった、だよね」とサラに言われる。
「過去形でしょ? じゃあ、もう忘れた?」
「忘れた、って、そんな……」
私はあきれてサラを見上げる。
夜の七時を過ぎて灯が入れられた照明を受け、深緑色のサラの瞳は興味津々に輝いている。
「あんな子爵のことなんてもう覚えてないでしょ?」
あんな、って。
私は呆れてサラを見やる。会ったことないでしょ、子爵に。
「旦那様だけみてたら、絶対惚れるはずだよう」
「言われなくても、毎日見せられてますけど」
「じゃあ、もうそろそろ惚れたんじゃない?」
「残念ながら、まだ惚れないわね」
「……お嬢、趣味悪いんじゃない?」
「な……っ」
かちんときて立ち上がろうとしたとき、「じゃあさ」と、鼻先に人差し指をサラが突き立てるから、私は動けない。
「その元婚約者のどこが好きだったの?」
「どこって」
私は、ふん、と鼻先で笑って顎を上げる。
それこそ、聞いて惚れるなよ、サラ。
子爵はね、あんな変態男と違って素晴らしい男なんだから。
「私より四つ年上なんだけど、笑うとえくぼができるのよ。そこがかわいくって……」
ふーん、とサラは胡散臭げだ。
「いつも時間通りに迎えに来てくれてね。ここ、重要よっ。向こうが迎えに来るんだからねっ。私なんて、いっつも、あの変態男を起こしに行くんだからっ」
「一緒に住んでるんだから、『迎えに行く』って状況を作りにくいんだから仕方ないじゃない」
サラはパタパタと狼耳を左右に動かす。「それはノーカウント」とか勝手に決める。
ならば、と私は言いつのった。
「なにより私のことを一番に考えてくれるし、誕生日には毎年、年の数だけ薔薇を贈ってくれるし」
「旦那様なんて、毎日毎日、あまあまな言葉を告げてくれるじゃん。なかなかないよ、あれ」
「あまあまって……。なんか違うじゃない、あれ」
「なにがどう違うのさ」
サラは首をかしげる。
「じゃあ、その子爵は言った? 旦那様のようなことを、お嬢にさ」
そう言われ。
「とうぜ……」
当然よ、と言いかけてふと。
……黙る。
「ほらぁ」
サラが勝ち誇ったかのように言うから、焦った。
「待って!」
思わず声を荒げる。
おかしい。
そんなことあるはずがない。
子爵は私に言ったはずだ。
なんか、こう。
ハロルドが言うようなことを。
『わたしのかわいい小鳥』
いや、これはハロルドだ。
『今日もかわいいね』、『照れてるんだね。わかってるよ。君の気持は』、『君が屋敷に来てから、毎日心華やぐね。わたしの妻になってくれてありがとう』、『その顔も、笑顔も。どれも素敵だ』
…………待って、これ全部ハロルド。
落ち着け。落ち着け私。
子爵になんて言われたっけ。
『こんにちは』、『ご機嫌はいかがですか』、『また、お会いできる日を楽しみにしています』
…………これ、全部挨拶よね……。
深呼吸。深呼吸しよう。いま、焦ってるだけだから、私。
言ったはずだ。
子爵はなんかこう……。
でなければ、子爵に心奪われ……。
「お嬢ってね。本当に、子爵に惚れてた?」
サラが、ひこひこと狼耳をゆすらせて私に尋ねて。
私は。
あたりまえじゃない、と。
言えずにぽかんと口を半開きにしてサラを見上げた。
「と、う、ぜ……、ん、でしょう」
なんとか絞り出した言葉に、サラは眉根を寄せた。
「なんでそんなぎこちないんだよ」
「と、とにかくっ」
私は、腹立ちまぎれに、どんとテーブルをたたいた。
「子爵は、言葉にはなさらなかったけど、私のことをそれはそれは深く愛してくれててたのっ」
「本当にぃ?」
いぶかし気に言われて、むっと私は口をとがらせる。
「なによ」
おもわず、言い返す。
「いい加減になさい。サリエリ」
ぴしり、と空気を鞭打つようにリーが言葉を放ち、サラだけではなく私も反射的に背を伸ばした。
「分をわきまえなさい。お嬢様に対して失礼でしょう」
リーの言葉は私も口をはさめないほどの威圧感をにじませていて、サラはひどくしょげていた。
なんとかなだめてやりたいのだけど、リーが発する空気感がそれを許さない。
リーは体ごと私に向き直り、それから軽く腰を折った。
「わたくしの指導が行き届かず、申し訳ありません」
「そんな……。いいのよ」
取り繕うとした私の言葉さえリーはさえぎる勢いで、言葉を継いだ。
「今夜はハロルド様のご帰館も遅い、とのこと。お嬢様、さきにお湯を使われて、寝室に行かれては?」
淡々とそう言われ、私はうなずかざるを得ない。
「そう、ね」
うなずいて、ちらりとすぐそばのサラに視線を走らせる。可哀そうに、こちらはうつむいて、狼耳もぺったんこだ。
「……ハロルド、まだ森にいるのかしら」
私がこの食堂を出て行ったら、サラがひどく叱られるかも、と思うと、なんとなくグズグズと会話を引き延ばそうと思ってしまう。
私は再びカップに手を伸ばし、リーに尋ねた。
「森、というより国境所付近でありましょう」
リーは平たんな声で答える。
「街道には、騎士の目撃情報はなかったものねぇ」
私はため息交じりにつぶやき、カップに唇を寄せる。ふわり、と紅茶に交じって柑橘の香りが頬を撫で、ふと、ハロルドを思い出す。
彼は今、消えた二人の騎士を探しているのだ。
そう。
デービッド様の体調不良を伝えるために屋敷を出て行った年配の騎士と、年若い騎士は。
昨晩から結局、消えたままだ。
クリスタ様の屋敷に到着しなかった、と聞き、ハロルドはすぐに自ら馬を駆って街へ続く道をたどったのだ。
その間、私とサラとでデービッド様と騎士たちを起こして状況を伝えた。
騎士たちは驚くとともに、ハロルドを手伝うと申し出てくれた。
準備が整い次第、彼らは「街への近道」という、ハロルドとは別の山道の捜索にあたってくれたのだ。
このころは、それでもまだ、「どこかから見つかるだろう」と誰もが思っていた。
運悪く馬が足を怪我した、とか。
騎士のどちらかが体調不良になり、森で一晩夜を明かした、とか。
そんなところを、ハロルドか騎士たちが見つけて、苦笑いしながらも、「いやあ、無事でよかった」とスザンカの屋敷に連れ帰ることを私たちは想像していた。
だから私はマークに「なにか消化の良いものを」と伝え、リーとサラには、引き続きゲストルームの準備を整えさせた。
ところが、だ。
ハロルドも。
そして、騎士たちも。
先行した二人の騎士を見つけられずに帰館したのだ。
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