第17話 夜の屋敷4

「……三歳?」

 拍動する心臓を気取られないかと心配しながら、わざとムスッとした声を出した。


「ハイデンベルグの者には、不思議な目をもつ者がいると父上から聞いていた。マリアはいくつの年から、『見えない者』が見えてた?」

 尋ねられ、私はきょとんと眼を見開いた。


「……気づいたら、見えてたかな」


 いつから、と言われても、自覚はない。

 気づいたら、『果てたもの』と『この世のもの』は、同列に見えていた。


 ある程度の年齢になると、侍女や乳母から、「『果てたもの』の話を他人にしてはいけない」と言われたから、「ああ、そうなのか」と公の場では言わなくなっただけで。

 実家の屋敷では、普通に家族と会話をしていた。


「わたしも、物心ついたころには見えていてね」

 ハロルドは悲し気にまつげを伏せた。


「随分と父には疎まれた」

「疎まれた!?」


 思わず素っ頓狂な声が出る。

 ハイデンベルグの人間には、時折こういった娘が生まれるらしく、父や祖父は、「おやおや。お前は『眼』を持つ者か」、「スーザンおばさん以来だな」と懐かし気に言うぐらいで。


 そう。

 どちらかというと、長兄の左利きの方が、「いったい誰に似たんだ」と嫌がられたほどだ。


「先のお母様は、女児しか授からず、のち添えとして入った母は、初めて父上の『男児』を生んだんだ」

 びっくりしすぎて口をぽかんと開けていたら、ハロルドがくすり、と笑った。ゆったりと腕を伸ばし、私の顎を指でくすぐる。


「父は、だから母に期待してね。もっと男児を、と」

「もっと、男児を……」


 産め、ということか……?

 え、じゃ、男児で……。しかも長子のハロルドはどうなるの。


 唖然としている私の前で、ハロルドが枕に顔をうずめるようにしてうなずく。


 ……頭が、混乱しそうだ。


 ハロルドは三歳のころからこの屋敷にいる。

 ハロルドのお母さんは、辺境伯の息子を初めて生んだ。

 辺境伯は、ハロルドのお母さんに「もっと男児を産め」という。


「……父はたぶん、わたし以外の男子を後継ぎにしたかったのだろう」

 ぽつり、とハロルドは呟いた。


 だから。

 三歳の子を母親から引き離し、別宅にとどめ置いた、ということなのだろうか。


「このスザンカの城は、マリアが言う通り、辺境伯の親類縁者の騎士が当番制で滞在し、守りを固めていた」

 ハロルドはぎしり、と寝台をきしませ、身じろぎをする。薄闇のベール越しに、彼は柔和に微笑んで見せた。


「彼らはスザンカに滞在すると同時に、わたしの世話をさせられていた。……まぁ」

 ハロルドは、くすりと笑う。


「実質は、今の使用人たちがわたしの世話をしてくれたのだがね」


「……それで……。男児は生まれたの?」

 私の声はかすれている。ハロルドはそんな私の頭を撫でながら、あいまいに笑った。


「生まれたと言えば、生まれたし……。生まれなかったと言えば、生まれなかった子もいる」

「……どういうこと……」


「クリスタ姉さま以外の姉は、母が男児を産むことを望んでいなかった」

 ハロルドは私の髪を掬い取り、指にからむさまを眺めてつぶやく。


「母は、流産を繰り返したし、産んだ子はすぐに死んだ。そのことに義姉たちが関連している、とは口が裂けても言えないがね」


 私は、ハロルドに髪を弄ばれたまま、言葉が出ない。

 頭に浮かぶのは、あの、死期が色濃く出た顔色をしたハロルドのお母様の顔だ。


『この子をよろしく』

 そう言って頭を下げる泣き顔だ。


「わたしは、幸か不幸か、三歳でこのスザンカに放り込まれて、『他人』といつも暮らしていたから、なかなか命を狙う機会がなかったのかもしれない。それに」

 くすり、とハロルドは悪戯っぽく笑う。


「わたしの使用人たちが、それを許さなかったしね」


 ひどく酷薄な笑いを浮かべたところを見ると、「なにか」あったのかもしれない。

 でもそれは、チャールズやリー、ロジャーやサラたちに撃退されてきたのだろう。


「母は、何度も子を身ごもったものの、流産を繰り返したせいで、あの状態だ」

 ハロルドの声は平坦で、力も熱も感じなかった。薄闇の中、ぼんやりと見える青い瞳には、諦めに似たやわらかな光が宿っている。


「母がいなくなったら、わたしのことを案じてくれる者は誰もいなくなるかな」

 自嘲気味にハロルドは笑った。


「私がいるじゃない」


 思わず声を荒げたのは。

 ハロルドの悲し気な顔を見た衝撃からなのか。


 それとも。

 妻に、と連れてこられた自分が無視された怒りからなのか。


 なんだかそのふたつが心の中でないまぜになったまま、私はハロルドを間近で睨みつける。


「リーもサラも、マークやロジャー、チャールズもいるのに。何ふざけたこと言ってんのよっ」

 意外に近い彼の肩を小突き、それから勢いよく彼に背を向ける。ぐい、とシーツにくるまって膝を抱えると、口をとがらせてハロルドに言葉を放った。


「ご実家ではどうだか知らないけど。スザンカではハロルドはみんなに大事にされてるでしょ。そんなこともわかんないの?」


「……それは」

 ハロルドが身じろぎしたのか、寝台がぎしり、と軋む。びくりと私は体を震わせて目を閉じ、ぎゅっと丸まる。


「マリアも、わたしを大事にしてくれてる、ってこと?」


 改めて問われる。

 なんだか返事をするのが癪で黙っていたら。


 さらに、ぎしり、と寝台が鳴った。


「マリア?」

 目を閉じていても、声や耳朶に触れる呼気のせいで、彼がすぐそばにいるのがわかる。


「うるさいなぁ、もう!」

 なんだかどきどきしながら、私は枕に顔をうずめた。


「眠たいのっ」

 そう言い切ると、くすり、とハロルドが笑う。彼の声の余韻がうなじを撫で、私はやっぱりむやみに心拍数を上げて、きつく目を閉じた。


「じゃあ、おやすみ」

 そう言った後、少しだけ離れたところで寝台が軋んだ。その適切な距離感に息をつき、肩のこわばりを解いた時だ。


「ねぇ、マリア」

 名前を呼ばれた。


「なに」

「後ろから抱きしめていい?」


「だめ」

「じゃあさ、手をつなごうよ」


「いや」

「だったら、こっち向いて」


「却下」

「……わたしたち、夫婦だよね」


「形式としてはね」

 ばっさりと切って捨てると、ハロルドは朗らかに笑う。


「こんな風に、誰かとおしゃべりしながら寝るなんて初めてだよ」


 ……こいつ、本当にへこたれないなぁ……。


 そんなことを思いながら。

 そして、たわいない彼の話を聞きながら。

 私は次第に、とろりとした眠りに落ちて行った。

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