第16話 夜の屋敷3

「今日は、国境のあたりを視察に?」

 私は首をねじって彼の指を逃れる。よいしょ、と声をかけて彼に向き合った。


「ん?」

 ハロルドは頭の下に曲げた腕を入れ、私を見返すから、もう一度口を開いた。


「デービッド様と、どのあたりを見て回られたのかな、と思って」

 ああ、とハロルドは小さく声を上げた。


「そう。ほら、隣国との検問所をね」


 スザンカには、隣国ラシア国につながる検問所があるのだ。


 山の頂上というか。

 森を切り開いたところだ。


 互いの検問所を出入りするときは、領主の「通行許可書」が必要だ。

 それを検閲し、職員に、通行理由と滞在日時を申告する。

 自己申告した滞在日時を超えて国にいた場合は不法滞在として罪に問われるし、通行理由以外の内容で国内に入っても逮捕される。


 ……ただ、まぁ。犯罪としては。

 不法滞在や違法目的での入国よりも何よりも。


 その積み荷を狙った山賊が問題だった。

 品物が強奪され、闇で売られるなど、商人や両国にとっての信用問題になる。


「山賊がいるの?」

 私が尋ねると、ハロルドは首を緩く振る。「山賊もいるんだけど……」。ふぅ、とため息をついた。


「書類以上の、積み荷が流通している」

「……ん?」

 私は目を細めて、薄闇の中のハロルドを見る。

 じじ、と焦げたような音は、油灯の芯が燃える音だろう。


「他国から入れる品には関税をかけているだろう? 入国するにも、そもそも入国税がいる」

 ハロルドの言葉に、私はうなずく。


「品によって税は違う。商人たちは自己申告し、検問所で申告通りの品があるかどうか担当職員は確認をして入国を許可しているのだけど」

 うんうん、と私はうなずく。


「どうも、その品以上のものが我が領を通過して、そして王都でさばかれている」

「……ということは、関税を逃れて、ずるして品を入れて……。誰かが儲けてる、ってこと?」


 私が言うと、ハロルドはうなずいた。ずっるーい。

 途端に、ハロルドが笑うから、なんだろうと目を瞬かせる。


「いま、ずるいなぁ、っておもっただろう」

 なんだ、思ったことが顔に出ていたらしい。むすっと頬を膨らませると、指でつつかれるから、また首をねじって彼の指を逃れ出る。


「その、ずるくて悪い大人を探そうとおもって、帳面やら記録やらを調べていたんだけど」

「……デービッド様の具合が悪くなったの?」


 ハロルドは苦笑いする。

 とんだ足手まといだ。


「なんとなく犯人の目星はついているんだけどねぇ」

 つぶやくハロルドに私は目を丸くする。


「え!? そうなの!」

「だけど、証拠がない」

 はは、と軽やかに笑う。いや、もっと真剣にどうにかしなさいよ、とおもいつつ。


「……まぁ、今日はデービッド様の体調不良とかもあったもんねぇ」

 深くため息をついてから、ふと感じたことを尋ねた。


「あの人、どうしてクリスタ様と?」

「王都に住むナバロン伯爵の三男なんだよ。家柄は申し分ないし、学位もいくつか持っておられる。なにより、シザーランド皇国語が堪能でね」


 なるほど。

 なんとなく、辺境伯のことだから、「武芸を買って」と思っていたが、どうやら「頭脳」を買われての縁組だったらしい。


「女性関係が華やかだ、とは聞いていたが、ほら。辺境伯領には目立つ社交界もないから、と高をくくっていたんだが……」

 ハロルドがまつげを伏せる。薄闇の中でもわかるほど、青い瞳には陰りが見えた。


「亡くなった娘さんには気の毒なことを……」

 つぶやいたハロルドにかける言葉はない。私だって同じことを思うからだ。


「クリスタ姉さまがしっかりしているから、彼女に任せれば大丈夫だ、という思い込みもあったんだよ。姉さまにも可哀そうなことをした」

 悲しみを帯びた声に、ああ、そうだ、と初めて気づく。


 クリスタ様だって、傷ついたに違いない。

 夫が領内の娘に手を付け、かつ、その娘が自害したのだ。


「……クリスタ様とは、仲が良いの?」

 私はハロルドに尋ねる。なんとなく、話題を変えたかった。


「私は兄ばかりだけど……。とても仲が良かったの。ハロルドも?」

「クリスタ姉さまとは年が近いからね」

 案の定、いつもの華やいだ笑みを見せた。ふふ、と笑い声を漏らし、私を見る目も穏やかだ。


「一番上の姉と、二番目の姉は怖かったけど……。クリスタ姉さまはよくわたしと遊んでくれたよ。この結婚についても本当に喜んでくれてね。ぜひ、マリアにも会ってほしいな」

 乞われ、私はあいまいにうなずく。


 頭にあったのは、ハロルドのお母様のことだ。

 涙を流して、彼のことをよろしくと頼んだあの、余命いくばくもなさそうなお母様。


「……クリスタ様も、ハロルドのお母様に似ているの?」

「母上に?」

 不思議そうにハロルドは首をかしげる。


「姉たちは全員先のお母様の子だから。似てないな」

「あ。そうだっけ」

 思わず素っ頓狂な声が出る。「そうだよ」とハロルドは柔和に微笑む。


「わたしだけが母上の子で。そして、唯一の直系男子になる」


 直系男子。

 そうだ、と今更ながらに思う。


 辺境伯には、男子がひとり。

 他は、娘婿なのだ。


 だったら、どうして……?


 当初からの疑問。


 それは、何故、ハロルドが「スザンカの山城」にひとり置いておかれているのか、ということだ。


 私だって、そうそう城塞だの辺境に詳しいわけではないが、こんな「山城」は、普通、持ち回りだと聞く。


 城主を決めて、その子が継いでいく、というよりは。

 巡回場所のひとつにして、領内貴族が順繰りに滞在していく形式が多い。


 だが。

 この「スザンカの山城」に、ハロルドはずっといる。


 使用人達はハロルドを「旦那様」と呼び、辺境警固に必要な騎士や検閲所などは、辺境伯直属の役人が街から派遣される。


 普通、こんな『最前線』に、一粒種の直系男子を置きっ放しにするかしら……。


 なんとなく。

 捨て置かれている感が高い、とは最近私が感じていることだ。


「マリア」

 名前を呼ばれ、私は目を瞬かせた。ぼんやりとしていた。「なに?」。私は身じろぎしてハロルドを見る。


「ありがとう」

 目が合うと、礼を言われた。


「……今日のこと?」

 騎士達の接待をしたことだろうか。きょときょとと、再度まばたきを繰り返すと、するりとまた彼の腕が伸びて、私の頬を撫でる。


「わたしのことを、誇りに思っている、って皆の前で言ってくれて」

 ハロルドの手は大きくて温かい。その掌に頬を包まれ、私は彼の言葉を聞く。


 ああ、そうだ。

 あれだ。さっきの夕飯のこと。


 デービッド様が、「都会を恋しく思わないのか」とか言われたとき、私はそう言ったのだ。


「あ、あれは……」

 私は口を開く。ハロルドを見る。


 青い瞳は慈愛に満ちていて。

 嬉しそうに少し潤んでいて。

 口角は優しさが滲んでいて。


「……貴方の言動については、いろいろ変だと思うことは多いけれど」


 私は、なんだか心臓がどきどきして、薄闇だというのに彼の顔がまともに見られない。

 かといって、頬を彼の手で包まれているから、顔を背けることが出来ない。

 結果的に。 

 私は目だけ伏せて、口を尖らせた。


「貴方が、ずっとここを守ってきているのは知ってるもの。それを誰かが侮辱するなんて許せない」


 ぎしり、と。

 寝台が傾いで、私は驚く。


 目を上げた。

 すぐ間近に。

 ハロルドがいる。


 片手で体を支え、私の方に上半身を乗り出してきた。


 あ、と私は薄く口を開く。


 影が、濃くなる。

 薄闇が消える。

 ハロルドが近づく。


 ふ、と。

 檸檬の香りが強くなったと思ったら。


 ハロルドの顔が私に近づき。

 咄嗟に目をつむる。


 その。

 瞼に、口づけを落とされた。


「ありがとう」

 ハロルドに耳元でそう囁かれ、私の体に熱がこもる。


「わたしは、このスザンカに三歳の頃から居る」


 ぎしり、と。

 再び寝台が鳴る。

 どきり、と。

 私の鼓動が一際跳ねた。


 ちか、づいてくる……?


 だけど。

 ハロルドは私から少し距離をおいた場所で体を横たえ、私を眺めている。知らずに、安堵した。体からこわばりが抜けた。

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