第12話 辺境地1

◇◇◇◇


「もう下がっていいわ。ありがとう」

 サラがカップに紅茶をサーブし終えたのを確認し、声をかける。


 ちらり、と灰緑色の瞳が私をとらえ、それからにっこりとほほ笑んだ。


 本当に今日はお疲れ。


 サラの手をつかんでお礼を言いたい気分だ。


 その後。

 馬車を呼びに行った騎士たちは、夜になっても戻ってこなかった……。


 予定がつかなかったのか、それとも途中でなにかがあったのか。


 スザンカでは知りようがない。


 ゲストルームのベッドで眠っているデービッドさまはともかく。

 騎士たちには馬車が来るまで、お茶や簡単な菓子を提供しながらも、このまま、戻ってこなかった場合、どうなるのと、心の中ではどきどきしていた。


 そうなったら、最悪、『宿泊する』ということも考えねばならない。


 この人数が、だ。

 刻一刻と夜闇に山城が飲まれ始めるころ、私はマークと夕食の打ち合わせを行い、サラとリーに混じって、ゲストルームを一気に整える。


 なんとか『宿泊してもよい』状況が整ったころには、日は完全に落ち、スザンカに夜がやってきた。


 もう、こうなったら彼らは「泊まる」しかない。


 遊戯室でカードに興じていたハロルドに、準備万端だと耳打ちすると、彼は宿泊することを勧め、騎士たちはしきりに恐縮したものの、うなずかざるを得なかった。


 そして。

『だいぶん落ち着いた』

 というデービッド様とともに、さっき夕食が終了したところだ。


 急ごしらえとは思えないほどのマークの料理には私自身驚いたし、サラの完璧な給仕にも感動を覚えたぐらいだ。


 見えないことをいいことに、陰でリーやチャールズがフォローしていたものの、サラの立ち居振る舞いや、手際は見事だと言わざるを得ない。


 これだけできるのであれば。普段はさぼってたとしかおもえない……。


 私の視線の湿気に気づいたのか、サラは「失礼します」と礼をすると、あっさりと食堂から出て行ってしまった。


 私は、するり、と視線を巡らせる。


 食堂の東端にはチャールズが佩刀で控えており、目が合うと小さく頷かれた。彼はここで待機してくれるらしい。


 西端をみやる。こちらには、リーがトーションを腕にかけて端然といる。彼もここに残ってくれるようだ。


 まぁ、みんなには見えないんだけど。

 なんかあれば、助けてくれるでしょう

 そう思っていた矢先。


「マリア殿は」

 突然名前を呼ばれ、私はまばたきをして声の主を見た。


 私の向かいに座るデービッド様だ。

 こちらは紅茶ではなく、スコッチを飲んでいるらしい。丸みを帯びたグラスに入った琥珀色の液体を揺すり、私を見ている。


「ハイデンベルグ伯爵領からいらっしゃったのだろう?」


「そう、ですね」

 うなずくと、騎士たちから「良い領ですな」、「肥沃な土地をお持ちとか」「絹が有名ですね」と声を掛けられる。


 こちらも、食事中のワインのせいもあるのだろう。食事前に漂わせていた「申し訳なさ」は、今は酒のせいもあり、「人懐っこさ」にとって代わっていた。


 三人ともハロルドと年が近い。メインが出るころには、ずいぶん砕けた調子で冗談を言い合い、デービッド様なんかよりも会話が盛り上がっていた。私にも気を使ってくれているのだろう。幾度か話題を振ってくれていたので、この時も、父や兄から教えられた特産物や名所を伝えようと口を開いたのだが。


 室内に響いた軽い笑い声に口を閉じる。


「絹よりなにより、あそこは王都、王城に近い」

 デービッド様だった。


「ええ。まぁ……」

 私は戸惑いながらも、穏やかにうなずく。


 ハイデンベルグの祖先は、その名からもわかるように、亡命貴族だ。


 だが、国王への忠誠と武勇において伯爵位を賜り、そして王都の防衛の要でもある旧シェルビー領を頂戴したのだ。


「そのような華やかなところから嫁がれたのであれば、こんな田舎は退屈ではないか?」

 とろんとした視線を向けられ、そんなことを問われる。


「おれは、暇だ。こんなところ、とっとと逃げ出したい。結婚なんてするんじゃなかった」


 発言内容に、ぎょっとする。辺境伯の耳にでも入ったら、さらに不興を買うんじゃなかろうか。


 ちらりと室内に視線を走らせると、騎士たちもさすがに顔の色を失っている。


「今、王都ではマルゴット家を中心とした貴族たちが、外国を相手取って貿易で財を成している。知っているか?」


 軽くゆすった彼のグラスの中で、琥珀色の液体がたぷりと揺れる。


 室内の空気をまったく理解していないのだろうか。どこか悦に入った顔で彼は私に語り掛ける。


「辺鄙な土地にしがみついて領地を守るだなんて、時代錯誤なんだよ。まったく馬鹿らしい。もっと世の中の流れを読んで……」


「……王都の動きのことはよくわかりませんが」

 とにかく、何か発言せねば、と口を開く。


「人には……。特に、貴族にはそれぞれ、与えられた使命というものがございます」

 先を促すようにデービッド様が首を傾げるから、軽く咳払いをして続けた。


「辺鄙な土地、と申されますが、グリーンフィールド。特にスザンカは国において最重要地区です。私の父が守るハイデンベルグも、ここに似ておりました」


 王都に近いから華やか、というわけでもなく。

 小さなころから、ハイデンベルグ領は戦略上王都にとって重要な場所、と教えられて育ってきた。そのことを誇りに思いなさい、と。王からその使命を与えられたことに喜びを感じなさい、と。


 この、グリーンフィールド領、スザンカでも同じような心持ちだ。


 デービッド様の言い方では、まるで辺境を馬鹿にしているようだが。


 辺境を任されるほど、グリーンフィールド家は、王家から信頼を得ているのだ。


 隣国が攻め込んできたときは、いち早く動き、絶対にこの場を逃げない。

 王家を裏切らず、勇猛果敢に敵国に一撃を放ち、王都へと危険を知らせる。


 その行動と気概を、陛下も諸侯も知っている。

 だからこそ、辺境を任せられているのだ。


 また、多大な領地を抱えるが故に支払う多額の森林税により、平時より王国を安定させている。


 私がまだ実家にいたころは、この森林税を王太子殿下と陛下が引き下げようとしている、と聞いたことがあった。


 代わりに、マルゴット家のように貿易で財を成し、王家の脅威となりうる新興勢力の力を削ごうとしているのだ、と。


 もし、それが本当に叶うのなら、辺境伯たちは、陛下と王太子殿下に更なる忠誠を誓うことになるだろう。


 また、王太子妃となられるキャベンディッシュ家の令嬢も、大層な才能をお持ちで、王太子殿下の右腕としてその力をふるっておられる、とか。同じ女性であるから、大変興味をひく噂話だ。


 だが、最近は、王城内も一枚岩ではないと聞く。


 ひょっとして、デービッド様はマルゴットのような新興勢力に新たな魅力を感じているのだろうか。


 いろいろと、大変だ。

 私は小さく息を吐き、室内を見回す。


「地形上、どうしても不便さは感じますが、ハイデンベルグが戦に特化した都市であると同じように、このスザンカも、戦になれば最前線の要」

 ちらり、とハロルドを見た。


「私の父と兄が王都を守ると同じように、夫がこの地を守っているということを、誇りに思っております」

 そこまで一息に答えた私を、ハロルドは黙って聞いていた。


 蒼い双眸を少し見開き、そして口をわずかに開いている様子は、驚いているようにも見える。


 いつもなら。

 きっといつもの彼なら。


「なんて素敵なことを言うんだ」「わたしのことをそんな風に思っていたなんて。君の態度は愛情の裏返しだったんだね」的なことを言うと思ったのに。


 彼は、黙ったままだ。


……ん? なんか、私、間違えた……?


 あまりにもハロルドが反応を返さないものだから、思わず不安になる。

 だが、騎士たちは違った。


「そうなのですよ、奥方!」

 一番年若く、一番ワインを飲んでいた騎士が身を乗り出し、ついでに、どおん、とテーブルをたたいた。


「このスザンカはまさに他国との境! 最重要拠点なわけです! そこをね! ハロルド様はね!」


 言ってから、酔いが回ったのか、態勢を崩すように座るから、私はあわてた。転ぶ。そう思って手を伸ばしかけたが、本人的にはなんの問題もないようだ。隣の騎士から、肩をたたかれ、「そのとおり!」と声をかけられている。


「今まで、おひとりで守ってこられたわけだ!! もちろん騎士団は通いで防衛のために回っておりましたが、基本はこの山城でひとりですよ!」


 え。そうだったの。

 私は驚いてハロルドを見る。目が合うと、いつも通り柔和に微笑まれた。


「でも、今は君がいる」

 ハロルドは腕を伸ばし、私の手を取って甲に口づける。


 ……まぁ、私にとってはいつもの感じなのだけど。


 今日はヤジがひどい。


 騎士たちは指笛を吹き、テーブルをたたき、「見せつけてくださいますなぁ、もう!」と大騒ぎだ。


「このスザンカに来てくれたのが貴女のような賢明な女性でよかった」

 とうとう涙ぐみ始めてそんなことを言いだす騎士を見るにつけ、もはや苦笑いだ。


 いったい何目線でハロルドを見ているのだか。その涙ぐむ騎士の肩を抱き、別の騎士が私に言う。


「この山城は本当にいろんな噂があって……。ちょっと怪奇的な、ね。それで使用人は長続きしないし……」


 まぁ、ね。普通の人間は難しいでしょうね。


「ハロルド様は本当に良い御仁なのだが、なかなか縁遠く……」

 三人目の騎士はうんうん、と感慨深くうなずき、それから嬉しそうに笑った。


「それがこのように、働き者で理解のある奥方を迎えられたこと、本当にお喜び申し上げます」


 それが口火となり、騎士たちは口々に私とハロルドを寿いでくれる。


 なんだか。

 それが、こそばゆい。

 結婚のことを公にしてこなかったせいもあるのだが。


「おめでとうございます」とか、「幸多からんことを」などと言われたことはなかった。


 報告をしたハロルドのお母様からは泣かれるし、辺境伯からは「聞いておる」だし、使用人達からは、「早く一緒の寝室を」だし……。


 こんな風に、いろいろお祝いを言われると、ちょっと、照れくさいかも……。


 もごもごと礼を告げながら顔を伏せると、隣から視線を感じる。

 そろり、と目だけ上げると。


 ハロルドと、視線が重なる。

 何か言うのかと思ったら。


「いや、これは……。恥ずかしいね」

 と目尻を赤くして言うモノだから、一気にこっちの頬まで赤くなる。


 その顔が、とてもあどけなくて可愛いものだから、体中が火照った。


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