第9話 やってくる男2

◇◇◇◇


「……デービッドさまって、そんなに女癖が……。その?」


 マークが作ってくれたサンドイッチを、ひとつずつ油紙に包みながら、私はちらりと皿を見やる。


 サラは、ちょうど、テーブルの上の籠に盛られたリンゴやオレンジを見繕っているところだった。


「悪いよう。悪いどころじゃないよう」

 サラは眉根を寄せて口を尖らせた。


「見てくれが悪くないからさぁ。遊び人なんだよ。結婚したら落ち着くかな、って思ったのに、ぜんぜん」

 その顔のまま、テーブルに手をついて、私の方に身を乗り出した。


「不倫だって、分かって遊ぶ女がいることも問題ありだけど……。あの御仁の場合、相手が拒否しても手を出すんだよ」


「同意なしに襲うの!?」

 大声を出した拍子に、動きまで止まった。油紙に包んだサンドイッチを持ったまま、目の前のサラを見る。


「さいてーでしょー? もう、考えられない。しかも、うちの村の女の子だよ?」


 サラはてきぱきとバスケットの中にサンドイッチや果物を納めながら、鼻の頭に皺を寄せる。


「なんかの視察に来てたらしいよ。牧羊を見て回ってたらしくて、そこで目を付けたんだって」


「村の娘に?」

 私が尋ねると、サラはうなずいた。


「それまでは、街の女の子に手を出してたらしいけど、クリスタ様の目が届くようになってね。それで、街の外に目を向けたんじゃない?」


 顔を上げ、私を見つめたまま「死ねばいいのに」と物騒なことを言うから、思わず周囲を見回す。厨房にはいま、私とサラしかいない。ちょっとほっとした。こんなの聞かれたら、サラの首が飛ぶ。


「でも、視察でしょ? 昼には帰ったんじゃないの?」

 どうやって、娘に手を出したのよ。


「どうもね。金を握らせて村人の誰かから聞き出したらしいよ。その娘の家を」


 サラの言葉に、私はため息をつく。

 お金など意味はない。


……辺境伯に連なるものに、逆らえるものか。


 正直なところ、そこだ。


 ついさっき、業者のアーノルドも言っていたが、「権力を持つ者」は、その力の意味を自覚すべきだ。父も、そして兄も。そのことは十分理解していた。


 力は、ふるうためにある。

 強いものと戦うためにある。

 奪われたモノを取り返すために。

 愛する者を守るために、力とは使うのだ。


 ただただ。

 その力を弱者に向け、なぶるのを、愚か者という。


「で。夜になって、その家に押し入って……」

 サラは天井を見上げ、肩をすくめて見せた。察せよ、というところだろう。


「……一人暮らしだったの?」


「おじいちゃんおばあちゃんと住んでたんだよ。両親は数年前に流行った咳風邪で死んじゃってさ。大人なんていなわけ。そんな状況でだよ。大柄な男達が押し入ってきて、抵抗できる? よぼよぼのじいちゃんばあちゃんがさ」


 サラの目にはだんだん剣呑な光が宿り始め、ちらり、と口の端から牙の先端が零れでた。


「あの女の子。結婚話も出てたんだよね。牧羊している男の子でさ。お似合いだったのに。だいたいさ」

 サラは最早牙むき出しで私に言う。


「嫌がる女の子相手に、そんなことして、興奮するなんて変態じゃね? 相手が泣き叫んでるのに、押さえつけてできる? 萎えるわー。できないわー」


 サラは、ひとしきり「がうがう」と唸り、私も全くの同意見であるから、反論もせずに聞いていたのだけど。


「そのことで、辺境伯からお咎めを?」


 私は、形が崩れないように、そっとサンドイッチを並べながら尋ねた。生ハムやスライストマト、キュウリを挟んだものだ。きれいな色合いとパンに塗られたオリーブオイルの良いにおいに、普段なら心が沸き立つが。


 襲われた娘さんのことを考えると、心の中は陰鬱で、重い。


「誰から聞いたの? 辺境伯様からお咎めを受けたって」

 サラは不思議そうに私に尋ねる。「業者のアーノルド」。私は答え、バスケットの空いたところに、瓶詰のピクルスを詰めた。


「そうなんだよ。結構、怒ってくれてさ、辺境伯様」

 サラは、大きな持ち手のついた網籠に果物を詰めながら、口をとがらせて見せた。


「お目付け役の護衛騎士二名は放逐。……まぁ、こいつらの目を盗んで外出してたらしいけどね。で。デービッド様は半年の蟄居と、愛馬取り上げ。お給金も二か月停止。だけどねぇ」


 盛った果物の上から、愛らしい刺繍のついたふきんを被せ、サラは「おしまい」とばかりに、腰に両手を当てた。


「そんなことしたって、娘さんは帰ってこないしさ」


「帰ってこない?」

 私はバスケットの蓋を閉じ、目を瞬かせた。


 村を、出たのだろうか。確かに、こんな噂のたったところではこの先、生きづらいだろう。辺境伯の口利きでどこかの貴族の使用人にでもなった、とか。


「ちがうよう。死んじゃったの」

 眉尻を下げて言うサラを、私は呆然と見つめた。


「死んだ」

 思わず繰り返す。


「こんな小さな村だもん。噂はあっという間に知れ渡るしさ。本人も、ほら、結婚のこともあって……。いや、男の子は気にするな、って言ったみたいだけど、そんなの、ねぇ?」

 促され、私は曖昧に頷く。


「で。どうも、自殺かなぁ、と思うような状況で亡くなってたみたいだけど」

 サラは、ワイン瓶に手慣れた様子で紐を結びながら、ふう、と息を吐いた。


「身内や、村の人たちは、教会に事故だった、って言ったみたいだけど……。お坊さん、お葬式を拒否してね。うちの旦那様も結構きつく言ってくれたんだよ。お坊さんたちに。これは事故だ、埋葬と葬儀を、って。だけど、駄目だって」


「ああ……。自死は罪だものね……」


 教会に拒否された遺体は、普通、森や僻地に放置される。そして、供養などされず、地獄に行くと言われているのだ。

 神が定めた「寿命」を自ら放棄した罪のために。


「だから、お嬢様は絶対にデービッド様の前に出ちゃダメだからね」

 そう締めくくると、サラは紐でつないだワインを肩にかけ、それから両手にバスケットを持った。


「馬房まで持つわよ」

 声をかけるが、軽快に笑って首を振られる。……まぁ。基本、男の子、だもんね。私より力はあるか。

 苦笑して、サラを見送ろうとしたときだ。


「……待って。なんか、音が聞こえる」


 サラは動きを止め、そんなことを言いだした。

 形の良い顎をツンと上げ、空気を嗅ぐようなしぐさをしたかと思うと、ぴこん、とホワイトブリムの脇から、狼耳を立てた。


「玄関だ……。なんか、たくさんの匂いと足音が……」

 サラは持っていたバスケットやワインを調理台に乱雑に置くと、スカートの裾を翻して走り出ていく。


「待って、どうしたの!?」


「お嬢様はじっとしてて!」


 そんなことを言われたが……。

 ひとりで残るのもなんだか不安だし、ここはついていきたい。


 ぷるぷると首を横に振って、その後を追う。戸惑ったように私と玄関の方を交互に見た結果、結局手をつないでくれた。


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