第8話 やってくる男1

◇◇◇◇


「では、注文の品を繰り返します」

 太った業者の男。アーノルドは、古びた帳面に目を凝らし、私がさっき告げた商品を繰り返した。


 毎度ながらちょっと感心する。


 というのも、アーノルドが帳面に書き付けているのは、正確には「文字」ではないからだ。


 多分、ちゃんとした教育を受けていないのだろう。彼が使う帳面に書き連ねられているのは、記号だ。それをいくつか組み合わせて、「商品名」としているらしい。


「間違いはないでしょうか」


 脂肪がついて重たそうな瞼を上げ、アーノルドは私に尋ねる。読み上げた商品に間違いはない。私はうなずいた。


「期間はどれぐらいかかるかしら。次の搬入日にすべて間に合う?」

 私の問いに、アーノルドは別の頁をめくる。食材の都合なんかも見ているのだろう。彼はいつも、「項目別」に記帳をする。


「ですね。食材と一緒に持ってこさせてもらいます」

 ぺこりと頭を下げた。


 私はうなずき、さて、とばかりに足元の藤籠をみやる。

 そこには、二週間前に注文した商品と、新聞。

 それから私宛の手紙があった。封蝋を見る限りは、実家からのものだ。


 うれしい! お父様からだ! 早く読みたい。

 手を伸ばしかけた時だ。


「そういえば」

 アーノルドが不意に声を発する。


 私は驚いて腰を伸ばした。珍しいな、と目を見張る。彼から何か私にはなしかけることは、あまりない。


「さっき、旦那様にお会いしたんです」

 むっちりとした腹に巻いたベルトに、帳面を挟み込みながらそう言う。


 旦那様。


「ハロルド?」

 私が尋ねると、他に誰がいるのだ、とばかりにいぶかしそうに眼を細めた。


「今日は騎士たちと国境を警備に回っているらしいから……。その時に会ったの?」


 どうも、「旦那様」=「ハロルド」の図式がうまく頭に入らない。


 その原因は、私自身が彼との結婚を認めていないからに他ならないのだが。


「辺境伯様の騎士を数人、お連れでした」

 アーノルドはそう言った後、少し周囲をうかがうように首を左右に振った。


 え、なになに?


 その、秘密めいたしぐさに、思わず私も周囲をうかがった。


 屋敷の、勝手口だ。

 庭の小道を左に抜ければ、業者や使用人たちが出入りに使う勝手口がある。逆に小道を右に折れれば、今度は馬房だ。ここには、馬丁や馭者がいない。蹄鉄はハロルドが街に行ったときに定期的に変えているようだし、普段の世話はリーとロジャーが行っている。不思議と、動物たちには彼の姿が私と同じように見えているようだ。新参者の私なんかより、馬たちはリーになついている。


 そんな、ほぼ「人」はいない場所なので。

 彼も、安心したようだ。


「失礼しやす」 

 と、ぺこりと頭を下げ、一歩私に近づいた。そして、口元を片手で覆うようにするので、私は、好奇心にちょっと心をわきたてながら耳を近づけた。


「その騎士様たちの中に、デービッド様がいらっしゃいました」


 しわがれ声がそうささやく。

 私は、しばし動きを止めて、彼の言葉を反芻する。


 デービッドさまがいる。


 うん。知ってる。

 朝、聞いた。


「ご存じでやしたか」

 私の反応を見て、明らかにほっとしたように身を離した。


「旦那様のことですから、奥方様のお耳にはいれておられるとは思っておりましたが」


 アーノルドは柔和に目を細める。その表情にも、私は「お?」と少し意外な気持ちだ。あんまり、表情を動かさない男だったからだ。


「デービッドさまよね? ハロルドのお姉さまであるクリスタさまのご夫君の……」


「そうでやす」

 うなずくと、顔をまたこわばらせる。


「細心の注意を。あっしも、このあと立ち寄る村に触れて回る予定ですから」


「ふ、ふれて……?」

 さすがに目を剥いた。なにを?


「この前の『お遊び』を辺境伯様にとがめられてから、スザンカにも近づかなかったんですが……」


 ふぅ、と深い息を吐くと、お尻のポケットにつっこんでいた布製の帽子を引き出した。両手で握るその様は、なんだか鶏の首でも締め上げているようで怖い。


「……『お遊び』をして、辺境伯様に、お叱りを受けたのね?」


 一体どんなお叱りを、とはさすがに聞けず、オウム返しにそう口にすると、アーノルドは深くうなずいた。どうも、当然その内容を私も知っていると思っているらしい。目の奥にうんざりした色を宿して私に言う。


「多分、奥様のうわさを聞きつけてやってきたんでやしょう。まったく」


「……私?」

 自分を指さす。アーノルドはうなずいた。


「奥様は、まだ、伯爵様ご夫妻にしか、お会いになってないんでやしょ?」

 問われて、おずおずとうなずいた。


 まぁ。

 この領に連れてこられたときに、さすがにハロルドのご両親には挨拶をした。


 というか。

『両親を紹介するね』

 と、馬車の中でハロルドには言われていた。


 本人は、あの頭の中お花畑状態で、『母上は喜ばれるだろう』とか、『これで父上の御心も安らかになる』とか、『結婚式をいつにするか、相談しよう』とか言っていたが。


 私は、この機を逃すか、と心に誓っていた。


 窮状を訴えようと思ったのだ。


『無理やり連れてこられた』と、『屋敷に帰してくれ』と。


 だが。

 ……なんというか。

 辺境伯の奥様に、泣かれてしまったのだ……。


『あの子に、こんなきれいなお嬢さんが』と。

『これで私も安堵しました』と。


 ベッドの上で。


 もう、なんというか、言葉を失った、というか。


 だって、医術に詳しくない私でも明らかに「これは……。末期」と思うぐらいの肌色と体の状態だったのだ。


 実際、奥様は上半身を起こすこともかなわず、ただ、はらはらと涙を流すだけで……。


 声なんて、正直、だいぶん耳を寄せないとわからないほどだった。


『だから母上、もう私のことは大丈夫だから。ご自身のことだけに専念なさってください』

 ハロルドはベッドのわきに両膝をついて奥様の耳元でそうささやく。奥様は顔を涙で濡らしたまま、何度もうなずかれて……。


 ああ。

 たぶん、拉致らちるように連れてきたのは、お母さまの状態がよろしくないのもあったのだろうな、とぼんやりと思う。


 そのお母さまは、涙ながらに、私に言うのだ。


『手のかかる息子ですが、どうか、末永くよろしくお願いいたします』

 と。


……これは、詰んだ……。


 引きつった笑顔でうなずくしかない。心の中で、「ぎゃふん」とうめいた。


 さすがに、こんな重病人の前で、「いや、私、間違いで連れてこられています」とは言えない。


 その後、お会いした辺境伯からは、「伯爵からは、くれぐれもよろしくと言いつかっている」と言われ、地団太を踏みたかった。


 お父様、裏切ったわね、と。


 歯を食いしばり、「よろしくお願いします」と言うしかない。ここでは、内心、「ぐふ」とうめいた。もう、致命傷を食らうぐらいに。


 そもそも。

 貴族の婚姻など、親同士の取り決めと家格の問題だ。


 父が「良し」とし、婚姻先が、「諾」というのなら。


 まぁ……。

 私が口をさしはさむことは、本来できないわけで……。


 だが、この特殊すぎる状況には納得できず。


『結婚式もまだだから』

 という理由を前面に押し出して、私は彼の親戚一同や領民たちへのお披露目を完全に「延期」しているのだ。


「あの、人でなしで好色なデービッド様が、こらえきれずにとうとう自分で奥様に会いに来ようとしたのでしょう」


 人でなし、って言った。


 私は愕然とアーノルドを見るが、彼はしれっとした顔で訂正するつもりはないようだ。


「お気を付けください。奥様。この屋敷は堅牢ではありますが……」


 彼は、私の背後を見やる。私もアーノルドの視線をたどって振り返った。

 そこにあるのは、煉瓦や石積みが美しいスザンカの山城だ。私が、二か月前から住んでいる屋敷。


「中にいらっしゃるのは、奥様と旦那様だけ。入り込まれたら、逃げ場はございません」

 背後から響く声は、私の首元を撫でて、それだけでぞわり、と鳥肌だった。


「や、やめてよ」

 振り返り、思わずにらむ。


「いくらなんでも、義弟の妻に手を出すほど常識知らずではないでしょう?」


 言いながらも、頭の中に残っているのは、さっき彼が言った『辺境伯に叱られた』ということと、『今から村中にふれる』ということだ。


「権力ってのはね、奥様」

 男はどんよりとした目で私をねめつけた。


「その常識をじ曲げちまうんですよ。都合よくね」

 彼は、うっそりとため息をつくと、それから手に持っていた帽子を頭にかぶった。


「旦那様は百戦錬磨の方です。デービッド様には負けやしねぇ」

 帽子のつばを両手でぎゅっと下に引っ張り、その陰から私をみつめる。


「決して、旦那様のお傍を離れぬよう」

 そう言って頭を下げる。


 私は。

 幽霊や化け物よりも恐ろしいものがこの領内に来たことを、ようやく知った。

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