第7話 スザンカの住人達5

 ぎい、と。

 見計らったように扉が内側に開いた。


「ありがとうございます、お嬢様」

 リーが淡々と声をかけ、近づいてきた。私は彼にワゴンを譲り、自席に向かう。


「お疲れ様、マリア」

 長机の上座に座っているハロルドが優美に微笑む。その背後には、相変わらず甲冑姿のチャールズがいて、私に向かって礼をした。私は会釈をするにとどめ、ハロルドの向かいの席で足を止める。

 チャールズは甲冑の音を鳴らしながら私に近づき、そして椅子を引いてくれた。


「ありがとう」

 そう言って席に座り、ふぅ、と自分の前のカトラリーを眺めた。

 全て完璧に磨かれ、ハロルドと全く同じ並び。リーの手腕に、今朝も惚れ惚れとする。


「今日のご予定でござるが」

 チャールズがおもむろにハロルドに話しかけた。


 その脇で、静かにリーがコンソメスープを、スープチューリンからサーブしている。重いだろうに、その動きに無駄はなく、スープレードルも震えはしない。


「デービッドさまとその配下の騎士が数名、視察にいらっしゃるそうでござる。朝食を召し上がった後、すぐにご準備を」


 チャールズの言葉に、私は慌てた。


「待って。義兄デービッドさまは、午前中にいらっしゃるの?」

 思わず身を乗り出したけれど、私にサーブしていたリーに当たることは無くって、少しほっとする。さすが、リー。


「お仕事のあと、午後にはこちらに立ち寄るのかしら」

 ハロルドの姉であるクリスタさまのご伴侶、デービットさまの邸宅は街中にある。


 というか。

 ハロルド以外は、みんな、街中に住んでいるのだ。


 街の城塞側か、中央か、の差はあるが、辺境伯も、その先妻の子である3人の娘達も。


 皆。

 辺境になど住んでいない。


 はっきり言えば。

 ハロルドだけが、この辺境スザンカの山城に置き去りにされている。


 午前中に、デービッド様がこのスザンカに来て、数時間滞在した後、街に戻るとすると、到着は夕刻になるだろう。


 ただ。

 昼まで滞在する、となると街に戻るのは深夜だ。


「何か、準備をしているほうがいいの?」


 宿泊の準備をする、とか、アフタヌーンティーの用意をするとか。

 めまぐるしく頭の中で算段をする。それはリーも同じなのだろう。首が無いから顔は分からないが、ハロルドの言葉に耳を傾けている気配があった。


「サンドイッチかなにかを用意して、渡しておけば良いんじゃ無いかな」


 ハロルドは優雅な仕草で銀スプーンを動かし、コンソメスープを飲む。味を確かめ、柔和に微笑んでから、チャールズを見上げた。


「昼には帰るだろう?」

「宿泊など、クリスタ様がお許しになるはずがござらぬ」


 うんざりした口調でチャールズが言うのを、ハロルドは笑って聞いている。その様子を見る限りでは、クリスタさまは夫を束縛する感じなのだろうか。


「デービッド様は、それはそれは女性遍歴が華やかでございまして……」


 私のそばから去り際、そっとリーが私に囁く。なるほど、と私は苦笑いだ。それでは、『一泊』など、奥方が許すまい。

 私が琥珀色の澄んだスープにスプーンを差し入れたとき、扉が静かに開く音がした。


「失礼しまぁす」

 可愛らしい声が聞こえたと思ったら、サラだ。


 まだ湯気の上がっているプレートを両手に持ち、素晴らしい手際でハロルドと私の前に差し出す。

 内容は、ベーコンにスクランブルエッグ。焼いたトマトに、煮豆が添えられていた。

 とにかく、ベーコンが美味しそう。


「じゃあ、軽食を用意しておけば良い? 屋敷で召し上がるかしら」

 スープを飲みきってそう尋ねると、ハロルドは顔をしかめた。


「義兄上に君を会わせるのは怖いから、マークに言ってサンドイッチをバスケットに入れてもらおう。それを、サラに届けてもらえばいい」


「確かに。マリアお嬢さまをデービッド様に近づけるなど……」


 彼の背後でチャールズが甲冑の目部分を片手で覆って首を横に振っている。呆れると同時に、ほんの少し安堵する。この屋敷に人を招く、となるとわたし一人が仕切るのはちょっと心許ない。


「マリアは?」

 ハロルドがふと、首を傾げて私を見遣る。いつの間にかリーがバケットを皿に盛ったらしい。彼は一口大に千切り、口に放りこんだ。

 私が厨房にいたころ、まだ焼き上がっていなかったパンだ。

 サラも、両手にプレートを持っていたが、バケット籠は持っていなかった。一体、いつリーは厨房に戻り、そしてハロルドに給仕したのだろう。

 そんなことを考えていたら、「マリア?」と名前を呼ばれる。私は慌てて頷いた。


「今日は外商が来る日だから……。いつも通り食材の搬入と、それからサラに頼まれている床用ワックスと……」

 私は指を折りながら、数え上げていく。


 ……ただ、そうやって喋ってるだけなのだけど。


 ハロルドの目が怖い。


 なんかこう、うっとりして、時折、うんうん、と意味なく頷いたりするもんだから、途中から早口になって締めくくる。


「いやあ、マリアお嬢様もこの数月ですっかり、スザンカの女主人にふさわしくなられましたなぁ」

 チャールズがそんなことを言う。


「なりたくてなったわけじゃない」

 睨み付けた。ついでに、ベーコンにフォークを突き刺す。


「これでもう、ほら。後は、一緒の寝室におさまれば、ね」

 サラが、うくく、とくすぐったくなる笑い声を立てるから、そちらも睨んで黙らせた。ナイフで切りわけたベーコンを口に放り込み、咀嚼すると、その味と風味が苛立った私の神経をちょっとだけ穏やかにする。


「旦那様の何がお気に召さないのか」

 ほう、と溜息をついたのはリーだ。その隣で、うんうんとサラは首を縦に振り、チャールズは金属音を立てて腕を組んだ。


「顔も、家柄も良く、武芸にも優れ、まだお若い。こんな殿方は社交界でもそうはおりませぬぞ」


「性格が合わないのよ、性格がっ」

 私は目を見開く。


「容姿よりなにより、そこが重要でしょうがっ」

 だけど、同意する者は誰も居ない。


「「「いやあ……」」」 

 三人同時にそう否定し、それから口々に言う。


「武芸達者かどうか。これが大事にござる」

「一番は、見た目だよう」

「家柄は重要でございます」


 ……きっと、ここにアナがいたら、私に共感してくれるはずなのに。


 ふて腐れて、「食べる」に徹しようとした私の耳に、軽やかな笑い声が聞こえてきた。声に目を向けると、ハロルドだ。


 朝食は全て平らげたらしい。

 ティーカップを両手で包み、くすりと笑った。


「マリアは恥ずかしがり屋だなぁ」

 今度はそんなことを言いだした。


「わたしたちは、初めて顔を合わせた時から互いに恋に落ちているというのに」


 ほんっとに、なんでこんなに「誤解」「曲解」「勘違い」ができるのか。

 私はあっけにとられた。ベーコンを咀嚼するのも忘れて、茫然と、ハロルドを見る。


「ふたりっきりじゃないから、そんな心にもないことを言うんだね」


 いや、「心にあること」を思いっきり、口にしてますけど。


「口にしなくても、君の心なら手に取るようにわかるよ」


 わかってない。まったくわかってない。


「君はわたしに恋している」


 蒼い双眸がまっすぐに私に向けられて。

 形の良い口唇が弓なりにかたどられ。


 カップから手が離れ、私の手をぎゅっと握る。


 細く、器用そうな指は、だけど女性的というよりも男性的で。

 その力強さと、ぬくもりに。

 ふと、視線を彼の手に向ける。


 その薬指には、銀色の指輪がはめられている。

 私ははめていないし、ドレッサーの引き出しに放り込んだままになっているが。


 その指輪は、私との結婚指輪。


「あのね、ハロルド」

 私は顔を上げ、ごくん、と口の中の食べ物を飲み込んだ。「なに」。ハロルドが完璧な笑みを浮かべた。


「勘違い」


 はっきりとその顔に言う。


「ん?」


 小首をかしげてハロルドが目を瞬かせた。

 聞こえないのだろうか。


「勘違い」


 ちょっと、大きめに再び発した。

 きょときょと、と。

 ハロルドが長いまつげを動かす。


「私はあなたのことを……」

「好きなんだね」

 語尾を食われた。


 あ、と思う間に、「わたしもだよ」、「かわいい小鳥ちゃん」、「いいんだよ。わたしは本当の君を覚えている」、「誰も見たことのない君をね」、「本当に照れ屋なんだから」。


 そこまでを一気に言い切り、それからまた、婦女子がうっとりしそうな笑みを口端に浮かべて、うるんだ瞳で私を見つめる。


「君が、わたしを愛していることは、わたしだけが知っていればいい」


 いや、あんただけが、私のことをわかってないんだって!!


 絶望に、うっかりめまいを起こしかけた拍子に、視界に使用人たちの表情が目に入る。


 チャールズは力づけるようにハロルドにうなずきかけているし。

 サラは引きつった笑みを浮かべている。

 リーは、顔がないからよくわからなかった……。


「ということで」

 ハロルドは勝手にそう締めると、硬直している私に優しく告げた。


「かわいいわたしの小鳥ちゃん。わたしはわたしの仕事に取り掛かるとしよう」


 そういうと、きれいなしぐさで立ち上がる。


 ついでに腰を折り、私の頬にキスをするが、振り払う気も起こらない。

 彼からは、バターの香りもベーコンの香りもしない。不思議だけど、こんな時でも彼の呼気や体からは、柑橘系の香りがした。


「行ってきます。君はゆっくり召し上がれ」

 ハロルドはそう言って私の頭を撫で、チャーリーを伴って食堂から出て行った。


「……お嬢様」

 サラが私のカップに、温かい紅茶を注いでくれながら声をかける。


「なに」

 つい、ぶっきらぼうな声が出る。サラは気の毒そうにそんな私をみつめた。


「旦那様は、お嬢様のことが好きなんだよう」

「それだけはわかる。でもね」

「わかるよ。うん、わかる」

 サラはため息をついて、ハロルドが出て行った扉を眺める。


「愛が、重いんだよね……」

「勘違いがひどい、のよ」

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