第8話
「…本当?良かった。少しでも愛着がわいてくれることを祈るわ」
「ミカ、俺は耳に穴を開けていない。今から開けるのを手伝ってくれないか」
「えぇ、そのつもりよ」
嬉しそうに微笑むミカエラを見て、サリードはさっと立ち上がると台所に向かう。
棚に並べられた薬品の中から消毒用の粉を手に取り、水で溶かす。手拭い布と作った消毒水を入れた碗を持ってすぐに戻る。
この国では、耳などに穴を開けたり皮膚に墨を入れるといった体を傷つける行為は、恋人同士、主に婚姻した夫婦がやる事だ。
なぜなら、神聖な行為として認知されているからだ。一生跡が残る為、それがお洒落のためであっても、特に未婚の男女がむやみやたらにすることではなかった。
ミカエラも当然それを知っているから、今日、穴を開ける器具を持っている。
サリードは片方ずつ、耳たぶに消毒水を擦り込んだ。続いて、清潔な手拭い布で拭う。
ふと、気になった事を尋ねてみる。
「…君も開けるつもりなのか?」
彼女はどうするつもりなのだろうかと、サリードの脳裏に過ったのだ。
「サリードがよければ、私もすぐにそうしたい…とは、思って…る」
「……」
一瞬、彼女の言葉に息が詰まる。
「……君は、やめた方がいい」
「…どうして」
どうしてと言われても、困ってしまう。
ミカエラの大切な身体に傷がついたと知れば、彼らは黙ってはいないだろう。サリードは彼女の父親に何を言われるか分からない。おそらく、殴られるくらいでは済まないだろう。通りで肩を並べて買い物をしただけで、呼び出され、人目に付くことは控えるようにと散々注意されたのだ。サリードにとっては、耳に穴があろうが、腕に墨が入っていようが大した問題ではない。意味もない。しかし、ミカエラ達の価値観は違う。特に未婚の女性が大っぴらに耳飾りや墨入れをすれば、悪評が立つことは避けられないのだろう。男とは違うのだ。
「君の、ご両親が悲しむからだよ」
「…そんなこと、別にどうだって」
「よくはない、ミカエラ」
「……」
黙り込んだ彼女の表情がみるみる暗くなっていく。
しかしサリードとて、これ以上彼女の両親に嫌われたくはない。譲歩は出来ない。
誠実に接してはいるが、ただでさえ自分は彼らからしたら不真面目で、娘を誑かすろくでもない貧乏人に映っているだろう。それこそ、ミカエラと付き合うことで玉の輿にでも乗ろうとしている男娼であるかの様に。
サリードは2人の間に不穏な空気を感じ、会話の方向転換をする事にした。
とにかくくだらないことで争いたくはない。
まずは、さあやってくれと手拭い布を渡す。
ミカエラは諦めた様に頷いて、机に用意したばかりのバネ付きの穿孔器を手にすると、内側についた太針を確認した。
「…じゃあ、いくわね」
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