第6話 2日前、そして前夜
結局あの店でアルモスは、アラムの金縒りと言われていた細くて美しい鎖を買う事にした。
アラム金は、黄金の中にやや薄紅色が混ざった色合いをしている。それが、例の女性の髪色に似ていたそうだ。しかし有り
だからアルモスは明日の夜、つまり聖霊降臨祭の前夜、足りなかった残りの6テスと5ペントを支払いに行く約束をし、店主はそれまでに綺麗に包んで飾り付けをしておくとの事だった。
一方サリードは、残念ながらアイリ石を購入する事は断念した。もっと高価だったからだ。
翌日、仕事終わりに店に支払いに行くと言ったアルモスと別れ、サリードは自宅に急いだ。
今日は常勤で上りが早い。もしかしたら、それを知るミカエラが、また家に来て居るのではないか。そんな気がするのだ。
夕暮れの雨がしとしと降る中、革靴を跳ね返る雨水で濡らしながら、小走りで街を駆ける。
いつもの通りから一つ狭い脇道に入ると、遠目に自宅の明かりがついていることに気づく。
やはりそうだ。
サリードはまっすぐ自宅を目指すと、庭先の木戸をすり抜け、玄関の開き戸を開けた。
「ミカ?居るのか?」
奥から足音がすると、フレアスカートを翻しながらすぐに笑顔のミカエラが現れた。優しい黄色の上衣を着た彼女の顔が綻ぶ。
「サリード!お帰りなさい!あ、鍵を勝手に開けてごめんなさい…また遊びに来たの、今日は早いって言っていたから…」
「うちに来るまでの間、何もなかったか?」
ミカエラは、すぐに頷いた。
「大丈夫よ!それより、サリード、身体が濡れてるわ。お風呂入る?」
「いや、大丈夫だ。服を脱いで着替えるよ」
サリードは濡れて頰に張り付いた前髪をかき上げ、袖についた雨粒を出来るだけ手で振り落とした。
「あ、今日はね、お土産もあるのよ」
「そうか、いつもありがとう」
玄関先で短剣と剣帯を外し、壁にかける。
「いま、暖かいお茶を入れようかと思っていて。サリードも飲まない?」
「あぁ、頂くよ」
いつもの流れで、革長靴の紐を解いて脱ぐ。
そのまま、先にミカエラが入っていった居間に入ると、お茶の香ばしい香りが部屋に漂っていた。
「そのお茶、買ってきたのか?」
後ろ姿の彼女が、お湯の沸いた鍋を手にして振り向いた。
「いいえ!友達がくれたの」
どうやら茶畑を持つ友人が新作の混合茶をお土産にくれたらしい。非常に香ばしい香りに思わず鼻で部屋の空気を嗅ぐ。
風呂場で服を脱ぎ、着替えて席につくと、ミカエラは自慢げに彼女の話をしながら、湯気が立ち昇る茶色いお茶を差し出してくれた。
一口飲むと、雨に当たり少し冷えた身体にじんわりと暖かさが広がる。
「お茶もなんだけど、もう一つ、お土産があるの」
そう言い、くるりと後ろを向くと、鞄の前にしゃがみ込む。
「これ!」
立ち上がると、彼女は大事そうに取り出した小さな小包を差し出した。
「どうぞ」
「…開けても?」
「えぇ、開けてみて」
手に取ると、重さは余り無い。
灰色の布で覆われており、赤い飾り紐で口を結んである。裏返すと、布の表面に小さな刺繍があるのに気付いた。
なんだろうとじっと見ると、それが紋章だと分かる。
「…盾に、鷹?」
「ちがうわ、大鷲よ」
「…へぇ」
両翼を広げた白い鷲。その下に八方に光を放つ光星。
サリードは、はたと気づいた。これは教会の紋章である。
なぜこんなものをと疑問に思いながらも、赤い結び紐を解く。
「…これは」
布袋から掌に転がり出てきたのは、意外にも耳飾りだった。
耳の穴に通すための小さな棒状の金具の先に、小指よりやや小ぶりの薄い楕円形に整形された、銀製の飾り。そこには鷲の紋章が浮かし彫りされている。さらにその下は、金具から下がる飾り房。房は細身で、銀と金の2色で作られている。
全て金属製だ。
「…これ、どうしたんだ」
巷で見たことがない意匠が施された物で、驚いてしまった。
「…まさか、買ったのか?かなり高そうに見えるが」
ミカエラは気まずそうに目を逸らす。
「いえ、半分は作ったわ」
「そうか…。これは君が彫ったのか…」
「それ、初めてやってみたの。今までは石や貝の彫りしかしてなかったけど、鉱物もやってみたくて」
「…よくできてる。びっくりしたよ」
サリードは真剣な眼差しで彫られた紋章を見つめ、そっと撫でた。
「…飾り房は買ったんだけど…、実は、紋章の飾りより、そっちが特別なのよ」
「…?」
ミカエラは椅子を引いて隣の席に着くと、サリードの掌に乗る耳飾りに触れた。
「この房はね、教会で販売されてる房で、ゲムマ金と純銀を使ってある物だったんだけど、買った後、特別に祈願して頂いたの」
「…祈願?」
「えぇ。…知ってる?飾り房って、ただ装飾品に使われるだけじゃなくて、厄を退ける、悪い物を払うお守りの意味もあるの」
「…詳しいんだな」
「だから、聖霊士の方に祈願して頂いたら、より一層強いお守りになると思って」
「…そうか」
サリードはミカエラらしいなと思い、頷いた。
「私、実は大聖霊士のヨアン様と親交があるの」
大聖霊士とは、国教の最高指導者に次ぐ権威を持つ存在で、信徒にとって雲の上の様な人だ。庶民が早々お目にかかれる相手ではない。
「…どうして?」
「ほら、うちは商家でしょう?教会の備品の修理や美術品の点検、たまに何か買って頂くこともあるけれど、そんな事を昔から請け負っていて…それで、ヨアン様とは時々顔を合わせる事があるのよ。…まあ、年に数回だけれど」
ミカエラは、一瞬はにかむと揺れる視線でサリードを見つめた。
「サリードは、いつも危険な仕事をしているから。何か身につけられるお守りがあればって、ずっと考えてたの…。だから、特別にヨアン様に祈願のお願いしちゃった」
サリードは、ミカエラの言葉を素直に喜んだ。
別に加護があるとか効果が得られるという気持ちは無くても、純粋に自分を心配し、思いやってくれる優しさが嬉しかった。
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