第3話 3日前

 ***




「おい、…いよいよ祭りが近づいてきたなぁ!」


 皿の上で手を止めたサリードは、声の主に向かって顎を上げた。

 古びた机に身を乗り出して下品な笑い声を上げる男とすぐに目が合う。


「お前は今年も初日の夜、仕事すんのか?」

「あぁ」


 サリードがそれがどうしたんだと首を竦めたのを見ると、男は運ばれて来たばかりの短い足付き酒杯を給仕から受け取り、一口飲んで勢いよく机に押し付けた。

 拍子に、杯の中のぶどう酒が勢いよく浮き上がり、机を濡らす。

 「お前は仕事仕事って、趣味かよ…」

 ぶつぶつ毒付きながら絡む男に仕方なく淡白な受け答えを投げる。

 「そういうわけじゃない」



 ―――2人は仕事を終えて今日の配属先から程近い大衆酒場に来ていた。

 雑然とした広い空間は多くの男客で混み合い、汗臭さと酒臭さがひしめき合っている。


 この向かいに座る彼も麦酒を5杯飲んだ後、まだ足りないとぶどう酒を3杯も飲んでいる。大分酔いが回っているのだろう。


 「もうそのくらいにしたらどうなんだ」

 「はっ…しけた奴だな」

 この様子だと、まともに歩いて帰れるうちに酒をやめさせねばならなくなりそうだとサリードは考えていた。

 しかしそんな思いやりなどお構いなしに、男は赤らんだ目元で顔を覗き込んでくる。

 「おいおい、酒が進んでねぇぞ!…飲んでいいんだぞ?待ちに待った降臨祭まであと3日だからな!景気付けだ!景気付け!」

 豪快に笑いながら、手にしたぶどう酒を今度はごくごくと飲み始めた。

 2人の目の前に並ぶ沢山の皿の中身は、半分以上無くなっていたが、もう手をつけるどころか、酒で一杯の相方の腹には、少しも入らないだろう。

 サリードもそれなりに飲みはするが、食事中にあまり酒は飲まない。食後に静かな所でゆっくり飲むのが好きで、いつもそうしている。

 それに、食事も外食は殆どしない。誘われれば行くが、必要以上に自分に金を使うのも嫌だった。もちろん、こうして奢られたとはいえ、無作法に好きなだけ人の金で酒や料理を頼んで飲み食いするのは、矜恃に反する。彼だって、サリードと同じ貧しい平民なのだ。

 「おい!サリード」

 「あっ」

 男の腕がサリードの杯を避けるような動きをした為、不安定な杯の足は揺れ、倒れそうになる。

 

 支える間もなく、カタカタと揺れていた酒杯は縁から酒を溢れさせ、またしても机を濡らす。ついでに隣の2人連れの机にもかかった。

 「あぁ…すみません」

 申し訳ないと隣の2人連れに頭を下げたが、どちらも酒でできあがって議論を交わしており、こちらを見ていない。

 おそらく彼らだけではなく、薄暗い酒場の片隅で周囲の喧騒に紛れていた、しがない警備隊員など気にする人など誰もいない。

 サリードはそばを忙しく動く給仕係が通り過ぎるのを横目でちらりと見やると、さっさと帰って眠りたい気分を我慢しながら、目の前の同僚の顔の中で1番特徴的な鷲鼻を眺めて、気分を紛らわした。


 「…おい、サリード!聞いてんのか?」

 聞いているのかいないのかと騒ぐこの男はサリードの2歳上でアルモスという男である。

 頻繁に2人1組の警備を組む間柄であり、こうして無愛想なサリードに飽きもせず度々飲みに誘うのだ。

 大雑把でとにかく粗雑な男だったが、気兼ねをしなくて良い分、やりやすい相手である。

 彼の多少の鬱陶しさは、目を瞑らねばならないのだろう。


 「…聞いてますよ。降臨祭でしょう?」

 呆れたようなサリードの声に、トントンとささくれた指で机を叩く動きが止み、顔が上がる。


 にやついた表情をするやいなや、今度はみるみる顔が曇っていった。


 「そうだ。あぁ。今年こそは、今回こそは…失敗できん」

 

 この展開はもう聞かなくても分かる。


 「…はい?またですか?」


 冷たい声色に、男の眉間に皺が寄った。

 「お前なぁ、…恋人がいるからって調子乗るなよ!」

 「乗ってませんよ」

 「はっ…どうだかわからん!…俺は降臨祭であの女をモノにするためにどんな贈り物が良いかお前に相談しようと思ってたのに!…また、とはなんだ!またとはッ!」

 「…やっぱりそんな事か。ったく、何回目だよ…」

 「回数は関係ねぇ!」


 嗚呼、と呻きながら頭を掻き毟る光景に、唖然とする。女の気持ちはわからないが、この男がいままで意中の人を誰一人射止めることが出来なかった事は、よく理解できる気がした。

 「で、…今度はどんな女なんです?」

 この向かいで頭を抱えながら呻く男。

 アルモスは、毎度容姿端麗な女ばかりを選んでは振られてを繰り返す、憐れな独身者だった。

 「聞いてくれ…今回は本気なんだ」

 「…はぁ。今までの人は違ったんですか?」

 白々しく視線を向け、思わず手に掴んだ串をひたりと眉間に突きつけた。

 「いや!つまり、今回は特に本気って意味だ!」

 「…なるほど」

 言葉を吟味して言ったとして、控えめに言って、アルモスは下衆だった。

 「アルモスさん。あんたは、多少可愛いげがあって豊満な胸を持ってる女なら、誰でもいいんでしょ?」

 「…なんだと?」

 「だって、毎度そうじゃないか。今回もそうだろ?多分。…俺は知ってますよ、アルモスさんが」

 「っおい、やめろ!ここは誰が聞いてるかわからんのだぞ!俺の外聞が悪くなる!」

 急に小声になり、辺りをちらちら見回している。



 「今日は、おまえに相談がある」

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