想いが通じたいま現在
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想いが通じたいま現在
……眠い。 膝から崩れ落ちそうになった。
通勤ラッシュの中、僕はつり革にしがみついて五秒ぴったり、意識を失った。細かく時間がわかったのは、左手でつり革をつかんでいたから。
『次はぁ……』
車内アナウンスのあと、ゆっくりと電車が停車して背広姿の僕たちは開いたドアから吐き出される。そして少しだけすいた車内に再び乗り込むのだ。環状線の要所で降車する人々。それとは別にその先の目的地のために再び乗車する僕やその他、大勢。
胸の内ポケットに手をやる。僕にしか感じられないであろうわずかな膨らみについついにやける。ポケットの中には封筒が入っていた。社長の字で『賞与』と書かれた茶封筒だ。三万円が包まれている。詳しいことははぶくけれど僕は会社のためになることをやりきって、社長から金一封を手渡されたのだ。 会社に泊まること数日間、今日は帰って奥さん孝行をしなさいと社長じきじきの指示をもらっている。いわば天下御免の朝帰りなのだ。
「あ、ごめんなさい」
女の人が小声で僕に謝る。チョンっと彼女の肘が僕に当たったのだ。
「あ、はい」
『はい』もなにもないもんだ。わりとまの抜けた応対をしたなと思ったが、そんな細かいことは気にしちゃあ、いられない。懐には小遣いにして数か月分にあたる賞与という名の軍資金。奥さんに相談したら即刻、貯金になってしまうから隠すか嬉しく悩む。
「……あれ?」
何気なく内ポケットに手をやると膨らみが、無い。膨らみというかぶっちゃけ三万円が、無い。
「えっ?」
内ポケットからスルスルと上から下までさぐってみると、果たして封筒は尻のポケットにあった。取り出せば『賞与』と社長の文字もある。指から伝わる僅かな膨らみもちゃんとある。ダメ押しに中身も確認した。
僕の頭の中で『?』記号があふれ出す。お金を尻のポケットにいれる習慣は、ない。まして、ありがたくももったいない賞与だ。尻のポケットに入れる理由が見当たらない。何故、尻に?
ガタンと、電車が揺れた。大して珍しいことじゃあ、無い。
そして電車が揺れてよろめく先ほどの女性を反射的に受け止めた。
受け止めた相手はさっき肘を当ててきた女性だ。
「あっ、すみません」
言葉とは裏腹に表情に悪びれた様子は、ない。そりゃあそうだ。突然に電車が揺れたのは彼女のせいではないのだから。
「あ、はい」
芸の無い返事を返したもんだと反省しながら、彼女を支えていた両手をやり場に困って腰の辺りに添えてみる。
「……あ」
マルクスは……カール・マルクスは、三度目の賞与失踪をなんと表現するだろうか? 一度目は悲観に暮れ、動揺した。二度目は怪しみに満ちている。ウッカリとかチャッカリではない。確認したものが直後に消えたのだ。いっちゃあ何だが、誰かの意思が働いているとしか思えない。
心の中で、『さて』と一区切る。状況を整理しよう。
一つ目、僕は、通勤ラッシュの中、帰宅のために電車に乗っている。
二つ目、社長から貰った『賞与』がたびたび、消えては現れる。
そんなとこ……か?
「んふっ」
まって、なんで笑った? 目の前の女の人よ、さっきから気になってはいるのだが、なんで僕を見て微笑んでいるのかな?
追記の三つ目、目の前の女性についてだが、結構好みだ。彼女は、出会った頃の奥さんを思い出させる。
「んふ……ごめんなさい。 あなたを笑ったんじゃないのよ?」
女の人は平気でこういう嘘をつく……僕を見て笑ったじゃないですか。
「ん?」
彼女が、僕の胸元をジッと見る。視線が僕の目と胸ポケットを交互に見た。
「えっ……!」
果たして胸ポケットから賞与袋が顔を覗かせていた。
「……個性的なポケットチーフですね」
えーっと、通勤用の背広の胸元を飾る人は見たことないけどね。
「ねぇ、まだ私が誰なのかわからない?」
「えっ……はい?」
彼女が、左手の薬指を見せてきた。
「……え?」
自分でデザインしたものを見間違えるはずがない。薬指に光るもの、それは僕が三次元ソフトでデザインして奥さんに贈った結婚指輪だ。
『え、次は……』
車内アナウンスが乗り継ぎ駅の名を告げた。
「降りるんでしょう?」
「まぁ……はい」
彼女をかばうようにして電車を降りた。連絡通路を歩いて私鉄に向かう。
(僕の奥さんにしては若すぎるんだよ。一体、何者なんだろう?)
突然、彼女は立ち止まるとバッグから携帯を取り出した。
「! ちょっとごめんなさい」
職場結婚の元OL。それが僕の奥さんだ。歳は僕の二つ上。だから目の前の女性が奥さんだと言っても到底、信じられない。だけどあの指輪は奥さんしかもっていないのだ。どんな仕掛けがあるのかぜひ問わねば。
だけど何から質問すれば良いのかまとまりゃしない。
「ねぇ、大丈夫?」
電話を終えた自称、奥さんが僕を心配してくれていた。
「正直、考えを整理したいなと思ってる」
「そうよねぇ。顔に書いてあるもん」
そういいながら、彼女は携帯を僕に差し出した。
「あ、これ僕の……」
このアプリケーションは、今朝デバッグが終了したばかりのわが社の新製品だ。実際、あと二日や三日はかかるだろうと思っていたが、マイペースな部下たちが予想以上のペースと精度でモデリングを終わらせてくれた。僕はそう思っていたが、どうやら彼女が裏で指示を出していたみたいだ。
「……何で君がコレを? っていうかあの賞与は……えっと」
「そうねぇ……」
次に僕に見せてくれたのは、スマホの中で自転する賞与袋だった。
どんな場所にでも立体画像として投影できる僕が企画したスマホのアプリを使えば確かに封筒が現れては消える奇術なんて簡単だ。
僕と彼女が結婚しますと社長に報告すると事あるごとに彼女の復帰を願っていたから立体視できるようなアプリの開発なら当然、彼女の技術を欲しがって巻き込むことは考えられる。
「なるほど、あの封筒は君が作ってたのか。それにしてもその……」
「本物ソックリだった? もっと誉めていいのよ」
元同僚だった奥さんは別格に優秀な人だったので不思議なことは何もない。
ただ、処理速度の遅い僕にはもっと大切な疑問が残っているのだ。
「アナタの企画書読ませてもらったの。遠隔地にいるお年寄りがお墓参りをできないときに役立つって。正直、惚れ直したわ。だからお手伝いしたかったのごめんなさい」
あぁ、どうやらこの人は本当に僕の奥さんらしい。やっぱりすごいな僕の奥さんは日本一というか、僕の中では本当に一番だ。
「ねぇ、怒ってるの? そうなの?」
「え……いや、その……そうじゃないんだ」
「じゃあ、なんなのよう!」
彼女が、僕の奥さんがじれてきた。思ったことを口にしよう。
「なんで君は、出会った頃と変わらずチャーミングなのかなって」
「ホ、ホントにアタシのことがわからなかったの?」
言いたいことは百もある。だけど僕は最後の一つを選んだ。
「……はい」」
五秒、彼女は視線を落として考えていた。
「ホントにアタシがわからなくてよそよそしかったと?」
「うん」
誠意を持って返事を返すと彼女はプッとお笑いになった。
「ばかねぇ……あーでもアナタらしいかも」
ごめんなさいが帳消しになった予感がする。
「ねぇ、ご飯食べて帰る? 軍資金ならまかせていいのよ?」
奥さんはバックの中から茶封筒を取り出した。モデリングの資料ってワケではないだろう。社長の文字がハッキリと見えた。
「いや、君の手料理がいい。それを楽しみに僕は帰る途中だったのさ。何でもいいんだ……だめかな?」
僕の奥さん、春美は顔を赤くして小声でいった。
「ミッちゃんの……馬鹿」
僕たちは、手をつないで家路に着いた。
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