第11話 向こう




 ――すこし話をし過ぎましたかねぇ。

 ええ、あとはもうざっくりと流しましょうか。



 あの屏風びょうぶは処分しました。

 いえ、お寺におさめたとかじゃなくってね。

 病院から帰ってくるやいなや、父がみ抜いて、叩き割って、もうぐちゃぐちゃにつぶして、ゴミに出した。

 普段は気味悪いくらい穏やかなひとだったんですけどね。あのときの姿はもう、ほんとぞっとしましたよ。

 ええ、あの晩に負けないくらい。


 それがなにか、悪かったんですかね。

 それから父の仕事はだんだんうまいこと行かなくなって。


 母はほんとに打ちどころが悪くて、もとから体調くずしてたのもあったのかな、一時期はかなり危なかったんですけど。

 夏くらいには持ち直して、元の生活に戻れました。

 ――まあ、それも五年だけの話でしたけど。


 ほら、最初、あの屏風のせいで死んだ子と同じなんですよ。

 なにかがのぞいてる。物陰から覗いてる。ドアの向こうで、カーテンの向こうで、じぃっと、こっちをうかがってる。

 すっかり、物陰への恐怖、それに取りかれて。

 波はありましたけど、ひどい時には倒れてまた病院に、なんてこと。何度かありました。

 で、五年後の春先にまた、ひどい倒れ方して……その時はもう駄目でした。


 父もますますうまく行かなくなって。酒もえらく飲むようになったし、借金もつくってて。

 それに父も、段々とですけど、母と同じく、物陰をずいぶん怖がるようになっちゃって。

 余計にね。仕事でもつきあいでも、家の中でもいろいろ問題を起こすようになって。

 私が大学進学やめて就職活動に切り替えて、なんとか採用にすべりこんだ、その冬に倒れました。

 玄関先で倒れてましたよ。

 母の後を追って病院にかつぎ込まれて、半年後には本当に母の後を追っていっちゃった。




 まあ、借金は、親戚の人が助けてくれたりして、なんとかなりました。

 家は手放しましたけどね。まあ、仕方ないでしょう。

 それで、職場にも近い、このアパートへ転がり込んだわけなんですね。


 おわかりかと思いますけど、この部屋、妙に暗いでしょ。

 というか、なんか影が濃いんです。ちょっとした物陰に、くろぐろとした影がたまってて。

 怖くなかったかって? 私は?

 物影が?


 ははははは。

 ははははははは、そりゃ。

 もちろん怖かったですよ。


 母と、父と、あの親戚の子たちと、たぶん祖父とも同じですよ。

 物陰がある、ってだけで、なにか恐ろしい、なにか悪いものがそこから覗いてる、って気がおさまらない。

 すっかりそんな感じになっちゃってました。

 だからもう、この部屋に住んでた頃は、もう家じゅうを照明で照らしてですね。

 一日中ぜんぶ照明つけっぱなしなのはもちろん。戸棚の中とかにまで小型の照明つけて、ベランダにもライトを付けました。


 でもね、当然ながら。

 それ、ずいぶんとお金がかかるんだなぁ。


 預金通帳が増えない、目減りすらしてる、そんなことに神経まですり減らしてたある晩のこと。

 あれ夏でしたね。知らないかなあ。この町全体が大停電になったんですよ。

 物陰を怖がってた人間が、物陰どころか、真っ暗闇の中へ投げ込まれたわけです。


 でもですよ。意外でした。

 そんな怖くない。

 考えてみたら、真っ暗な中なら、物陰もなにもないわけですよね。

 どこもかしこも暗いし、物の陰、なんて見えやしない。

 意外に安らいだ気になって、おもわず床に寝そべりました。



 で、ふと気が付いたんです。

 闇の中に、なにかが立ってる。

 なにか大きな、人間ひとりくらいすっぽり隠せるくらいのものが、闇の中に立ってるんです。

 近づいてみましたよ。

 和紙と木のにおい。古い道具に独特の、重厚、っていうかな、そんな気配。

 金色にほんのり光る姿が、闇の中にうかぶ気すらしました。


 あの屏風でした。


 あの屏風が、父が潰してほうむり去ったはずのあの屏風が、家族も親戚も恐怖へ、そして死へ追いやったあの屏風が、そこに立ってる。


 何でなんでしょうね。それまでさんざん感じて来たはずの恐怖を、そのときは感じなかったんです。

 それどころか、屏風に近づいてった。

 この向こうを見たい。

 この向こうにあるものを覗いてみたい。

 それまでの恐怖とはまったく反対のものに突き動かされて、屏風に寄っていったんですよ。

 で、屏風の向こうを覗きこみました。

 そこには――。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る