第10話 凶運




 ええ、そうです。

 屏風びょうぶが倒れたとき、その向こうにいたのは。

 白いネグリジェをきて、髪を振り乱して、玄関の照明がいきなり切れたことに取り乱して、悲鳴をあげたのは、

 起きだしてた母だったんです。



 まあ、屏風の話からしたほうがいいですかね。

 屏風ね、父が頼んだトラックに積んで、お寺へ向かったんですけど。

 その途中で、かるく事故っちゃったんですね。

 これも言いましたっけ。うちの家、古い屋敷やしき町にあるんですよね。

 そう言うと聞こえはいいですけど、道は狭いし、入り組んでるし、トラックがすいすい通れる場所じゃなくて。

 ようやく抜け出たとたん、目の前に、自転車の子供が飛び出してきましてね。

 急ブレーキ踏んで、子供はかすりもせずに、そのまま走り去ったらしいんですけど。

 ホント運が悪い話ですよねぇ。荷台から落ちたんですよ。例の屏風が。


 ロープで荷台に固定はしてあったんですけど……梱包こんぽうの仕方が悪かったんですかね。するっ、と滑り出たんですね。中身が。

 んで、近くの塀にぶつかって。むき出しのままで。

 傷がついちゃったんですね。


 まあ、ケータイで連絡したら、お寺さんのほうは、それでも構わない、ってことだったらしいんですけど。

 あとで父の言うには、なんというか、その、トラックの前に飛び出しててきた子供ね。

 年恰好かっこうが、だいたい8歳くらいで。

 父もね、思い出しちゃったんですね。三年前の事件のこと。

 これはちゃんと修繕してから、お寺へおおさめしないと。

 そのくらいしなきゃ、また悪いことがあるかも知れない、と、そう考えた。


 それで急遽きゅうきょ表具ひょうぐ屋さんに持ってくことになったんです。

 この表具屋さんってのが、うちの家とはけっこう長い付き合いのお店でしてね。

 息子さんは、父とは小学校・中学校の、ほら、学友、だったらしくて。

 そのお父さん、お店のご主人とも、小さいころからの顔見知りだった。

 そんなわけで、表具屋さん、いやな顔ひとつせずに引き受けてくださって。

 営業時間すぎても修理つづけてくれて、まあ、傷もそんな大したもんじゃなかったから、一気にやっちゃった、ってのもあったらしいですけど。


 で、修理が済んだのが夜の九時すぎ。

 表具屋さん、電話くれたんですよ。父に。修理おわったって。

 父はもう寝るところだったんですけど、無理いって修理おねがいした屏風だ、あちらに置いとくのも悪い、どうせなるべく早くお寺へ納めたいし、表具屋さんは家から歩いてでもいけるくらい近い。

 で、身支度して、お店まで取りに行ったわけですね、屏風。


 ―― なんと言うか。巡りあわせが悪い、って言うんですかね、これ。

 表具屋さんの親切と、話を急いだ父、それがぜんぶ裏目にでたんですよね。


 勝手知ったるなじみのお店、父は歩いてあちらへ行って、あちらがなんか、布に包んでくれた屏風を受け取って、そのままかついで家まで帰ってきた。

 普段なら寝てる時間でしたからねえ。頭もそろそろ回ってなかったんでしょう。

 万が一にでもまた傷つきでもしたら困る。もう一度、しっかり包みなおそう、って。

 んで、屏風の包みをほどいて、玄関にそのまま立てて。

 立てたところでね、外出してきたし、季節だけに寒かったし、疲れたし、眠いし、で。

 一旦、シャワーでも浴びよう、とその場を離れて。

 で、シャワーで体あっためて、ちょっと休むか、って居間のソファーに腰かけて。

 そのまま寝入っちゃったんですねえ。シャワーと暖房とですっかり眠くなって。




 そんなわけで、あの屏風が夜中に家へ帰ってきて。玄関先に立って、照明を浴びて光ってたってわけです。

 ――それだけだったんですけどねえ。


 なんにも知らない母が夜中に目を覚まして、熱にうなされながらトイレへ向かう。

 んで、玄関先で屏風に出くわす。父がお寺に納めたはずの屏風が。

 それが帰ってきたのに出くわして……たぶん、その、パニック、ってやつになったんでしょうね。

 気持ちはよくわかりますよ。だって、私もまったく同じだったわけですし。


 母が玄関先におりてあたふたしてるところへ、おり悪く私がやってくる。で、おなじく屏風に出くわしてパニックになる。

 さらにおり悪く、照明が不調になって消える。さらにパニックに拍車がかかって。

 で、私が、廊下のかざだなからひっつかんで投げた壺が母にぶつかって。

 倒れた拍子に、打ちどころが悪い、ってやつですね。


 私が投げた壺が、直接、母の頭にぶつかった、ってのはなかった、それだけは、まあ、救いではあるんですけど。

 巡り合わせの悪いのがいくつもいくつも重なった中の、不幸中の幸い、なんでしょうけど……ねえ。




 母が救急車で運ばれてくのを茫然と眺めてる横で、あの屏風だけが、いやに綺麗に床に倒れてました。



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