放浪理容師、異世界をいく

工事帽

放浪理容師、異世界をいく

 廊下の窓ガラスから差し込む光は柔らかい。

 外は夏で、強い日差しが降り注いでいるはずだけど、曇ったガラスを通すと光はずっと柔らかくなる。

 外を見るには適さない曇ったガラスが役に立つ、少ない機会だと思う。

 透き通ったガラスは貴族であっても簡単には手に入らないらしい。お父様の部屋だけは透き通ったガラスが使われている。窓を通して外の景色が見るのは、特別な人間なのだと分かって、少しだけ優越感に浸れる。


「髪にツヤがでる魔法だそうよ」

「そんな魔法があるなんて」

「それは、私たちでもかけてもらえるのかしら」


 メイドたちの話が聞こえる。

 メイド長がいれば大人しいけれど、メイド長の居ない場所での一般メイドなんてこんなものだ。無駄話ばかりで手が動いてもいない。

 でも、いいでしょう。その髪にツヤが出る魔法について詳しく話しなさい。内容によっては見逃してあげてもいいわ。


「なんですって!」


 思わず声を荒げてしまった。

 あの髪にツヤが出る魔法の遣い手のことだ。


 髪を肩よりも長く伸ばしているのは、貴族の、力ある者の特権だ。

 実際、屋敷に勤めているメイドで肩まで届くほど伸ばしている者はいない。働くには邪魔で、手入れは手間だからだ。

 腰まで延びた髪を見る。

 私こそが髪にツヤの出る魔法を受ける価値がある人間だ。

 それなのに、傲慢にも、その者は屋敷に出向くのを拒否したという。

 メイドを偵察に向かわせたら、僅かな金銭で髪を整えたというのに、その主人である私の呼び出しは断ったというのだ。


「何様のつもりかしら」

「それが、あの者は異世界人を名乗っておりまして」

「馬鹿馬鹿しいわ。勇者気取りだなんて」


 それは昔からある英雄譚の一つだ。異世界より現れた勇者が世界を救う。

 もちろん、そんなはずはない。そんな事実はない。

 世界を救ったなんて物語は、物語でしかない。


「ですが、見慣れない服を着ていましたし、整える髪型も不思議なものが多く、あながち……」


 使いに出した下男が言うには、真っ直ぐだった髪が波打ったり、色が変わったり、果ては髪の長さまで自在に変える魔法を使うのだという。その不思議さに惹かれた一人が、その技をどこで学んだのかと聞いたところ、自分は異世界生まれだからと答えたというのだ。


 くだらない。そんなものはただのハッタリだろう。

 この街にだって髪を整える者たちは何人もいる。旅の途中だというその者が、仕事を得るために珍しい服と髪型で注目を集めようとしているに過ぎない。


「でも、面白そうね」


 そうやってハッタリであっても目立ったことで、私の耳にも入ったのだ。


「私自ら出向いてあげるわ」


 そして無礼を働くようなら、その罪の代償に屋敷に捕らえ、髪にツヤを出す魔法の秘密を聞き出せばいい。



 街の広場の一角。人だかりの中心にいたのは、貧相な男だった。

 控え目に言って瘦せぎす、正直に言えば骸骨だ。ヒョロリとしたその体は、護衛を務める騎士たちの半分の厚みもない。素手で殴られただけで、簡単に吹き飛ぶだろう軽い体。

 確かに服装は珍しいものだった。だが、首からぶら下げている布は意味が分からない。まるで奴隷の鎖のようではないか。

 そんな身形で勇者を名乗るのだから、不遜も甚だしい。


 だが、この男は魔法だけでなく、刃物を使って髪を整える技術にも長けているらしい。

 求める者には魔法も使って髪を整えるそうだが、散髪だけでも見違えるようだとは、偵察にいったメイドの言葉だ。確かにメイドの髪型は、珍しくもないのに、妙に彼女に似合ってた。


 ザッ、ザッ、ザッ。


 護衛と共に進めば人垣が割れる。

 まるで予め決められていたかのように、平民たちが散っていく。

 椅子に座り、髪を切られていた女性も例外ではない。


「私の髪に触れる栄誉をあげるわ」


 そう言って腰まで伸びた長い髪を見せつければ、怪訝な顔をしていた男の顔に驚きが浮かぶ。


「……ご要望は?」


 骸骨のような要望をした黒髪の男の声は、意外にも綺麗な、透き通った声だった。骨が軋むような声がすると思ったのに。


「私の髪をもっと綺麗になさい。誰一人寄せ付けないほどに」

「承知しました」


 椅子に座るように促される。


「では、私の故郷でも、特別な、わずかな女性しか身につけることが出来なかった髪型に致しましょう」

「変な髪型じゃないでしょうね」

「もちろんです。この髪型には特別な名前がついておりまして『ペガサス昇天盛り』といいます。これならば、誰一人寄せ付けることはないでしょう」

「わかったわ。でも、変な髪型だったら覚悟しなさい」


 男が髪をいていく。

 私の長い髪へよどみない動きで櫛を通していく。

 長い髪は貴族の、力ある者の特権だ。それに戸惑わないということは、貴族の髪を扱ったことがあるのだろう。


 ひと梳きごとに、髪に魔力が満ちていくのを感じる。

 その魔力は、髪に流れる私の魔力と反発することもなく、馴染んでいく。

 これが髪にツヤを出す魔法だろうか。

 髪の先端に刃物が入る。魔力が満ちている今だからこそ分かる。傷ついた毛先が切り落とされていく。

 知覚が広がる。髪の毛の一本一本にまで意志が宿ったかのようだ。髪に触れている男の手が気恥ずかしい。


「では、仕上げと参りましょう」


 男の声と共に、髪は舞い上がり渦を巻くように天を指す。

 髪に満ちた魔力が迸り、そして何かが生まれた。


「?????」


 逆立ったまま、生きているかのように動く髪に戸惑う。

 見れば護衛の騎士たちも距離をとっている。


「いかがでしょうか」


 差し出された鏡には、髪の毛がいくつかの束になっているのが見える。

 そしてその先には、ヘビ。

 髪の束は途中からヘビに変わる。何匹ものヘビは、かま首をもたげるようにして揺れている。


「…………」


 認識が追いつかない。

 なぜ私の髪がヘビになっているのか。私の自慢の髪が……。


「……光沢のある鱗の美しさ。そして近づくものを自動的に迎撃します。その牙には毒もありますので、誰一人寄せ付けることもありません」

「私の、髪が……」

「ご満足頂けたでしょうか」

「ふざけんじゃないわよ! 髪が、私の髪を! 元に戻しなさいよ!」


 貧相な男はさも意外な言葉を聞いたかのように、数度、まばたきを繰り返す。


「この無礼者をひっ捕らえなさい!」


 声を上げれば、離れていた騎士たちが剣に手を掛ける。


「それはそれは残念です」


 そして、貧相な男が手を振ったとたん、私の頭が軽くなる。


 ボトボトッ。


 一瞬遅れて、ヘビの頭が降ってくる。


「ギャーーー!」


 そしてヘビから降り注ぐ血が、私の視界を真っ赤に染めた。



 目が覚めたのは私の寝室だった。

 後で聞いたところによると、あの骸骨のような男は、血だまりの中から出て来た真っ白な馬に乗って飛び去ったという。


「白い翼で飛んでいってしまったそうよ」

「まあ、神の遣いだったのかしら」

「お嬢様の髪もあれほど美しくなるのですもの」


 目覚めたときは、髪は元にもどっていた。いや、サラサラとした髪は光沢を得て、見違えるように美しくなっていた。

 だが、私はあの骸骨男を許すつもりはない。人の髪を弄び、血の雨を降らせるなんてもってのほかだ。どこまでも追いかけて償わせなければならない。

 そう。一生この屋敷に閉じ込めて、私の髪の手入れをさせるのだ。

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