ラプラスの悪魔は二度嗤う
いずも
マクスウェルの叛逆
「えー、今日の休みは……清水一人だなー」
先生の声に、教室がざわつき出す。
「今日みたいな日に休むなんて、アイツ運が悪いな」
「ほんとだよな」
給食の時間、もう半分くらい過ぎて食べ終わっている子もちらほら。
そして視線はみな教室前方の配膳台をチラチラ。
そう、そこには。
欠席者のプリンが一つ、余っている!
それもただのプリンではない。
地産地消を推進するということで、地元名産のチーズやバターをふんだんに使った贅沢仕様のプリンなのだ。
高級なお店に置いてあるイメージしかなくて、だけど年に一度だけ給食にデザートとして出される。
具体的な値段はわからないけど、お母さんに「小遣いが一瞬で吹き飛ぶ」と言われて給食以外では一度も食べたことがない。
つまり。
そんな超高級品が。
今。
目の前に。
あるということだ!
さあ、ハイエナ共が狙っている。
自分もその一人。
戦いの鐘が鳴らされる時を今か今かと待ち焦がれている。
「よーし、じゃあこのデザートが欲しいひとー」
先生の声を合図に次々と教室の前に生徒が集まる。
クラスの半分近くがやってきた。
男子がほとんどだけど、中には女子も……ざっと、15、6人。
思ったより多いな。
だけど、負けるわけにはいかない。
絶対に勝たねばならぬ理由がある……!
「うーん。人数が多いな」
いつもなら多くても5人くらいしか前に出てこない。
だけど今日は特別。
うん、仕方ない。
そして、こういう時の先生の行動は――
「じゃあ、隣の人とじゃんけんして、勝った人だけ残ってねー」
よっしゃ!
予想通り。
先生は効率的と言うか、合理主義的というか、ここで「全員でじゃんけん大会だー」とか言っちゃわない大人だ。
ていうか過去にそれをやって全然終わらなかったから、多分やりたがらないだろうなーって予感はしてた。
うん。
そして、予想通りということで。
左から二番目の位置を陣取っていた。
最初の対戦相手は初めから決めていたのだ。
「よーし、お前とか」
吉田くん。
ぽっちゃり体型で「大盛りで」が口癖。
こういう場には基本参加するから、今日も彼が出てくることは想定済みだった。
さらに窓側の席なので大概左端にいることが多い。
だから彼と最初に当たることは難しくない。
「吉田くん、いつも勝てないのに前に出るね」
「うぐっ、それは別にいいだろ。しかも今日のは特別なんだぞ」
そう、彼はデザート争奪戦において、ほぼ勝っていない。
絶望的に運が悪いのだ。
「今日みたいな特別な時だからこそ、絶対に勝てないんじゃない?」
「そんなこと言うなよぉ」
「だって考えてもみなよ。今は16人の中から半分の8人が勝ち残る。だけどその後に8人から4人、4人から2人、さらに最後に勝ち残る必要がある。つまり4回連続で勝つ必要があるわけで、1/16の確率ね。4回連続だよ、4回連続」
「うえぇ、そんな難しい話はしないでくれよ……なんか、そんなこと言われたら自信無くなってきた」
よし、もうひと押し。
「それにさ、今日のシチューも『大盛りで』って頼んでたじゃん。もうお腹いっぱいなんじゃない?」
「確かに、腹八分目かも」
彼が腹を叩くと、良い音が響いて肉が揺れる。
「そんな状態でプリンを2つ食べても苦しいだけじゃない? 1つだけ美味しく食べた方が絶対いいって」
「うう、そう言われるとそんな気がしてきた……。そうだよな、腹いっぱい食べるよりちょっと物足りないくらいの方がまた食べたいって思えて良いもんな」
こいつ、小学生にしてなかなかの美食家気取り。
この若さでその境地に辿り着けるやつがいたのか。
吉田くんは納得したのか、そのまま席に戻っていった。
ふふ。
説き伏せてやったのさ。
---16人→8人---
「これで8人か。まだ多いな。よし、もう一回隣の人とじゃんけんしてー。まだまだトーナメント方式だ」
先生が二度目のゴングを鳴らす。
これも想定内。
運動部の顧問でもある先生はトーナメント戦を好む傾向にある。
それも人数が多ければ多いほど、だ。
想定内と言ったが、だから当然次の手は打ってある。
次の対戦相手も勝ち上がった中から、一番勝てそうな相手を瞬時に選んでそいつの隣に位置取っている。
さて、お次は――
「へへっ、こいつは楽勝だな」
高橋くん。
彼は自信家というか、こういう場面で自分は勝てると根拠のない自信を持っている。
そして、恐ろしいことに何度も勝っている。
ガチで運のいいヤツ、ってクラスに一人はいると思うのだけど、ウチでは彼がそういうタイプ。
じゃあなんでそんなやつに勝負を挑むのかって思うでしょ?
わざわざ勝てる可能性の低い方に勝負を挑むなんてって思うよね。
違うんだよなぁ。
むしろ逆。
確実に勝てるから、早めに潰しておくべき相手なのだ。
「良いのかなー高橋くん、ここで勝っちゃって」
他の人に聞こえないくらいの小声で話しかける。
「ん、どういうことだ」
「今日のお昼から社会だけど、高橋くん宿題忘れたって言ってたよね」
「おおっ!? なんでそれをっ」
休み時間に「やっべ、宿題忘れちゃったよ。ああくそ、誰か見せてくれないかな」って呟いてたのを聞き逃さなかったのさ。
「見せてあげてもいいよ、ただし」
「……勝ちを譲れ、ってか」
「せいかーい」
ふふ、悩んでる悩んでる。
なんせ出席番号の順から言って、彼に当たるのはほぼ確定している。
むしろ当たるのわかってたのに宿題やってこなかったんだぞ、こいつ。
「くっ、こんなチャンスを……いや、でも宿題写すのも大事だし……」
そもそも他人の答え丸写ししようとしているやつに情けなど掛ける必要もない。
一気に畳み掛ける。
「今日は10日かー。高橋くんはまず当たるだろうなー」
「うぐぐっ」
「こないだも宿題忘れて怒られてたよねー」
「うぐぐぐぐっ」
「みんなに聞こえるくらい大きな声で言っても良いんだよー?」
「ぐはぁっ! ……わかった、降参しよう」
がっくしと肩を落として彼はしぶしぶ了承した。
「ちゃんと見せろよ!」
捨て台詞を残して席へと戻っていく。
これで「実は自分もやってないんだけどね」とか言っちゃったらさらに策士っぽいけど、真面目だからちゃんと宿題はやってきているのだ、えっへん。
……当たり前だって? そうだね、うん。
---8人→4人---
さて、ベスト4が残ったわけだけど。
次はどうなるか、運が絡む。
トーナメント好きな先生だから、このまま続行するとは思うけど、もし4人で一気になんてことになれば一気に勝率が下がる。
頼むぞ、先生……!
「んー、もうどっちでもいいんだけどなぁ。4人で一気にやるのと、2組別々にやるのと好きにしていいよ」
こっちに委ねてきたか、そうきたか。
ならば早いもの勝ちだ。
「別々で!」
早々に宣言しておく。
「うん、いいよ」
「僕も」
「じゃあオレとお前な。そっちはそっちでやれよ」
ほら、流れ的に別々でじゃんけんする雰囲気に持ち込めた。
こういう時は声の大きいやつが強いんだ。
そして次の対戦相手は。
「よろしくね」
他の三人で勝ち残っている唯一の女子、足立さん。
素直で良い子。
知らない人にも平気でついてっちゃうくらいお人好し。
この子こそ話し合いしたら譲ってくれるんじゃ? って思うかもしれないけど、そこが最大の問題で。
もしかしたら二つ返事で勝ちを譲ってくれるかもしれない。
でも。
こっちの罪悪感が半端ない。
それにそろそろ『あいつら、じゃんけんやってなくね?』って目立つくらいに人が少なくなってきた。
やはりここは正攻法で、ちゃんとじゃんけんするべきなのだ。
ああ。
もちろん、勝算はあるよ。
「そうだ。足立さん、こないだは図工の時間にハサミを貸してくれてありがとう」
「ええっ、う、うん。今お礼を言われるとは思わなかった」
「言おうと思ってて忘れちゃって。あのハサミ、ピンクで可愛らしいし、持ちやすかったから助かったよ」
「いいよいいよ、困った時はお互いさま~」
「あれって駅前の文房具屋さんで買ったの?」
「あれはね~、中学校が近くにあるデパートで買ったんだ」
「そうなんだ。今度行ってみようかな」
「じゃあ私も行く~。一緒にお買い物に行きましょう」
「良いね。じゃあハサミを買いに――」
「おーい、お前ら早くしろよ。こっちは終わったぞ」
「しまった!」
急かすように隣の男子が声を上げる。
ついつい話し込んでしまった。
「わわっ。は、早くしないと」
「ごめんねっ」
「いいよ~。じゃあ、いくよー」
しまった?
いいや、これも計算通り。
むしろ話を長引かせて足立さんを焦らすのが目的だったのさ。
「じゃーんけーん……」
こうすることで彼女は。
「あーあ。負けちゃった~」
ごめんね、足立さん。
どうしても勝たなきゃいけないんだ。
直前にハサミの話題を持ち出すことで、彼女の頭は反射的にチョキを出すことを強いられていた。
あとはこちらがグーを出せば自動的に勝てる。
まさに心理学の応用!
……いや、本当にうまくいくとは思わなかったけど。
クラスメイトながら、ちょっと心配。
---4人→2人---
いよいよ決勝戦。
最後の相手は――学級委員長の森本くん!?
彼はこういう場にはまず出てこないタイプの人なのに。
さすがは魅惑のプリン。
人を狂わせるなんて造作も無いってわけ。
「まさかこんな組み合わせになるとはね」
「ふふ、お互いこういう場には参加しない主義だと思っていたからね。これが初顔合わせ、かな」
強者対強者の対峙。
そんな風に見て取れるかもしれないけど、実はあまり場馴れしてなくてどう振る舞えばいいかわからないだけだったり。
「よーし、それじゃ勝った方にプリンを貰える権利を与えるぞー」
先生の合図でお互いに向き合う。
流石に緊張するな。
でも、負けるわけには――
「じゃあ、僕は『グー』を出そう」
はぁっ!!??
まずい、先を越された!
心理戦に持ち込むつもりが持ち込まれただと!?
これじゃ何を言っても相手のペースに飲まれてしまう。
パーを出すと言う?
チョキを出すと言う?
駄目だ、何を言っても相手に見透かされている感が満載だ。
落ち着け。
落ち着くんだ。
冷静に相手のことを分析するんだ。
相手は委員長。
不正を働くようなタイプじゃない。
つまり、文字通りに受け取って良いのでは。
いやいや。
商品はあの魅惑のプリンだぞ。
あのプリンのためなら悪魔にだって魂を売っていいと答える生徒が後をたたない。
授業でやった話で言うなら狂言の附子くらい人を狂わせるプリンだ。
師匠を騙すように、委員長だって一芝居打つくらいやりかねない。
「さぁ、そろそろいいかな」
やばい、焦るな、落ち着け。
あくまで冷静に。
相手がグーと言っているんだからパーを出せばいい。
これでチョキやパーを出してこようものなら、大声で卑怯者呼ばわりしたら多分もう一度やり直しになるだろう。
そしたら今度はこっちから出す手を宣言してやれば、こちら側から改めて心理戦に持ち込めるだろう。
うん、仕切り直しするというのは悪くな――
「じゃーんけーん……」
わっ、ちょ、ちょ、はやっ、へっ!?
「ああ、負けたか。宣言通りグーで負けたなら文句はないよ」
うそ。
勝っちゃった。
本当に?
「ほほー、森本は負けたか。じゃあ勝ち残ったのは斎藤だな」
どうしよ。
まだ実感が無いけど。
ついに、ついにやったよ。
「じゃあ最後、先生とじゃんけんな」
「……へ?」
---2人→1人 →2人---
「はぁ!? 先生ズルい!」
「いやほら、先生だって食べたいじゃん」
しまった。
この先生、合理的すぎるんだった。
「ええー、そんなのアリかよー」
他の生徒からも野次が飛ぶ。
そりゃそうだ。
「先生はシード権を行使しました」
「「ひでーっ!」」
「しかしもう一回最初からやり直すか? もう昼休みまで時間もないぞ」
くっ。
もう一回最初からと言われると、それこそまずい。
今度こそ勝ち上がるのが完全に運頼みになってしまう。
「……わかりました。勝負です」
「ふふ、斎藤は物分りの良い子供だ」
困った。
先生と戦うことになるとは思わず、全然分析できてない。
とはいえ所詮はじゃんけん。
勝てずとも、負けない確率の方が高いのだ。
あいこから何とか誘導できればいい。
そう、例えば「先生の指チョークついてて汚い」とか言えば、心理的にパーやチョキは出しにくくなるはず。
そんな感じに試合を運んでいけばいい。
「じゃーんけーん……」
負けた。
まさか一発で負けた。
「よーし、先生の勝ちー」
……くっ。
仕方ない。
やるか。
これだけはやりたくなかったけど。
「……う、……うわーーーーーんっ!!!」
「げっ」
「あー、斎藤さん泣いちゃったー」
「先生大人気ねーぞ」
「女の子泣かせるなんてサイテー」
「い、いや、すまん斎藤。先生が悪かった。お前の勝ちだ。ごめん、悪かったって」
……秘技、女の涙。
子供が駄々をこねただけ?
うん、そうとも言う。
かくして、給食のプリン争奪戦は見事わたしの勝利に終わったのだ。
*********
夕方、チャイムが鳴ってしばらくしてお母さんが部屋にやってくる。
どうやら友達が会いに来てくれたらしい。
一日中眠って体調の良くなった私はベッドから起き上がり、そのまま出迎えようとしたのだけど、鏡に写った寝間着姿でボサボサ頭の自分の姿を見て慌てて引き返す。
「やっほー。調子はどう?」
「うん、もうすっかり良くなったよ」
「そっかー。良かった」
斎藤さんはいつも明るくて元気だ。
私みたいな大人しくて病気がちな子でも普通に接してくれる。
「えーっと、これが宿題でしょー。それに授業のプリント、保護者への便り……」
「いつも大変でしょ。ごめんね」
「いいよー、困った時はお互い様。それに帰り道だから全然大変じゃないよ」
にぃっと笑う彼女は、まさに私にとって太陽のような憧れの存在だ。
「そして……じゃーん」
「あっ、これ……!」
彼女が取り出したのは今日の給食で出されていたプリンだった。
「清水さんの分だよっ」
「ええっ、ありがとう。で、でもこれ、斎藤さんのじゃないの?」
「だいじょーぶ、わたしの分もあるから。ほらっ」
そう言ってもう一つ、高級プリンを取り出す。
夢にまで見たプリン。
だけどせっかくの日に風邪を引いて諦めていたのに。
「給食のじゃんけんで勝って手に入れたんだー。正真正銘、清水さんの分だよ」
「そっかぁ、良かった。絶対食べられないと思ってたよ」
「ほら、一緒に食べよう。これ食べたら元気になって明日から学校行けるでしょ」
「うんっ!」
彼女がもたらした勝利の味は格別で、とても美味しかったです。
ラプラスの悪魔は二度嗤う いずも @tizumo
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