カミの過ちを私達は笑えない

最終章

カミの過ちを私達は笑えない

「ねぇ、もうやめなよ! メグちゃん!」



 隣でさけぶようなサヤカの声に驚いて、メグは手元のハサミを落としそうになった。


 

「急に大きな声を出さないでよ、サヤカ!」


「でも、私、もう見ていられない」


「だったら、目をつむっていなさいよ。けれどもね、サヤカ。目を瞑ったって、目の前の現実は変わらないのよ」


「そうだけど」


「今、この惨状さんじょうを救えるのは、私達だけなの。だったら、私達が目をそむけちゃだめ。ちゃんと向き合わないと」


「そうだけど!」



 サヤカは、目をうるませて、そのやけに大きい瞳をメグの方へ向けた。そこにあるのは恐れだ。この惨状を、どうしたら改善できるのかわからない。そういった未知への恐怖が、サヤカを支配していた。


 メグ達の通う中学校、夕暮れのき教室。しめ切った窓から入り込んでくる日差しが、床のタイルを赤く染めていて、この惨状をいっそう悲劇的に演出していた。


 サヤカはふるえる声で、再度つぶやく。



「私達じゃ、無理だよ」


「そんなことない! 今、私達があきらめたら、アオイはどうなるの!」


「わかっているよ! アオイちゃんをこのままにしておけない。このままじゃ、アオイちゃんは……」


「だから、私がなんとかするって言っているじゃない!」


「できなかったから、こうなっているんでしょ!」



 サヤカは、そこでぽつりとこぼした。



「やっぱり、



 サヤカの泣き言を受けて、メグは、目の前に座るアオイの無惨むざんな頭部を再度ながめた。


 

 自分達で髪を切ってみようよ。



 いったい誰が言い出したのか、今となっては思い出せない。しかし、そんな些細ささいな好奇心から、この惨状は始まった。


 サヤカのお姉ちゃんが、美容室で働いており、練習用に道具がそろっている。それを借りればいい。カットの仕方は、動画サイトにいろいろ公開されているから、そんなにおかしなことにはならないはず。


 そんな楽観的な気持ちで、メグ達は、笑い合いながら、ヘアカットの準備をしていた。アオイを座らせて、虎柄とらがらのケープを着せて、「ださーい」なんて大笑いして。


 思い起こせば、楽しかったのは、そこまでだった。


 

 どうしてこうなった?



 メグは、自分の手に持たれたカットバサミをにらみつけた。


 最初の最初。


 ひと切り目に、前髪をばっさりといき過ぎた。正直、心臓が爆発するかと思うくらい跳ね上がった。


 悲鳴をあげて口を覆うサヤカと、唖然あぜんとするアオイ。彼女達の心配をぬぐうために、メグは、周囲の髪を切り進め、調整をこころみた。


 その結果が、目の前の惨状である。


 

「だから、私はやめようって言ったじゃん!」


「嘘! サヤカだって最初はノリ気だったでしょ!」


「ちょっと毛先を整えるだけだと思ったの! こんなにばっさり切るなんて聞いてない!」


「私だって、こんなに切れ味いいなんて思わなかったわよ!」


「だいたい何で前髪を切るのに、ハサミを横向きにするのよ! 普通、髪の毛に対して縦持ちでしょ! 横にしたら、そりゃ切れるよ! ハサミってそういうものだもの!」


「知らないわよ! だったら、そのときに言いなさいよ! 横持ちじゃないよー、縦持ちだよー、って! 今さら言われたって、アオイの髪は元に戻らないんだから!」


「そうだけど……。ねぇ、今からでも美容院に行こうよ。なんならお姉ちゃんに頼むからさ」


「サヤカ、この頭を見て、美容師ならなんとかできると思うの?」


「……、もうおしまいだよ……」



 サヤカは、顔を手でおおった。



「ねぇ」



 そこで声があがる。今、この場でもっとも悲惨な女、アオイの声だ。彼女は、恐る恐るといったふうにたずねる。



「私の髪、どうなっているの?」


「大丈夫よ、アオイ。安心して」


「安心できるわけないよね!? え? 今までの会話、私に聞こえてないと思ったの? 私、ここにいたんだよ。全部聞こえていたに決まっているよね!」


「落ち着いて。その、サヤカが少し取り乱しているだけで、実際には、さほどやばいことにはなってないから」


「ヘアカットで取り乱すってどういう状況なの!? もうその時点でやばいよね? しかも、サヤカはお終いって言ったのよ。ヘアカットしているときに出てくる言葉じゃないよね!」


「あれは、あれよ。もう完成が近いねって意味よ」


「嘘! 世界の終わりみたいな言い方だった! パニック系の洋画に出てくる、ませ犬みたいなちょいワル男が言いそうなかんじだったじゃん!」


「あ、ごめん、その例え、ぴんとこないわ。とりあえず、安心してってば。いいかんじの髪型になってきたから。レッドカーペットを歩くハリウッド女優みたいにアーティスティックなかんじだから」


「それって、『え? 失敗したの? あ、芸術、芸術ね、あなたはそう言い張るのね、まぁ、ハリウッド女優がそう言うんなら芸術なのかなぁ』ってかんじの激ヤバなやつじゃないの!」


「もう、うるさいわね。少しは私を信頼しなさいよ」


「だったら、鏡を隠さないでよ! 最初は私の目の前に置いていたのに!」


「それは、その、出来たときのお楽しみ?」


「疑問形をやめなさい!」



 アオイは、わぁーとなかば泣き声混じりで、サヤカの方に問いかけた。



「ねぇ、サヤカ。本当のことを教えて」


「ごめん、アオイちゃん。私の口からは何も言えない」


「うん、もう、それ、ほとんど言っちゃっているけどね」


「当分、学校には……」


「来られないの!? そのくらいひどい髪型ってこと?」


「私、毎日、プリント持っていくからね。スマホでメッセージもたくさん送る」


「え? もうサヤカの中では、私が外に出られないのは決定なの?」


つる、折るから」


「病気なの!? もう病的なくらいにひどい有り様ってこと?」


「ゲルニカ?」


「何で今それ言った? あれでしょ、ピカソのキュビズム的なあれでしょ? 何で今言ったの? 何で今言ったの!?」


「どうして、こんなことに……」


「どうしてって、サヤカも見ていたんでしょ! じゃ、止めてよ!」


「え? 何で、私がめられるの? やったのはメグちゃんだよ。私はわるくないじゃない!」


「ねぇ、サヤカは何でさっきから、ちょくちょくB級ドラマの悪役ヒロインっぽいなげき方をすの? わざとなの? 若干じゃっかん、いらっとしてきたんだけど!」



 アオイとサヤカの言い合いは、メグの心をかき乱した。ほんの30分前まで、メグ達は仲良し三人組だったのだ。いつも一緒にいて、つまらないことで笑い合って、くだらないことを話し合った。


 なのに、こんなにも簡単に友情とは壊れてしまうものなのだろうか。


 メグは、ハサミを振り上げて、悲しさを振り払うように、アオイの髪を一房ひとふさ切り落とし、そして叫んだ。



「やめて! 2人が争っているのなんて見たくない! 私達は友達じゃないの! 責任のなすりつけ合いなんてみにくいだけよ」


「いや、責任は全部メグちゃんにあると思うんだけど」



 ……責任のなすりつけ合いはよそう!



「ていうか、何で、今、私の髪切ったし! そういう流れじゃなかったよね!? けっこうがっつり切る音が聞こえたけど大丈夫?」


「うん、大丈夫。問題ない。今さら」


「今さらって何!?」



 アオイの鬱陶うっとうしい突っ込みを無視して、メグは、打開策を探した。


 確かに、ここまで失敗し続けてきた。ヘアカットをめ過ぎていたのだろう。一房切って、二房切って、整えようとさらに切り落として、それでもだめだった。


 まるで、カジノで負けを取り返そうとコインを投入し続けるギャンブラーのように、負のスパイラルにはまっている気がする。


 いや、弱気はだめだとメグは、首を振って、アオイの髪を一房切り落とす。


 まだ、巻き返す方法はあるはずだ。


 諦めてはいけない。最後の最後まで諦めない者に神様は、幸運を授けてくれるのだ。


 しかし、どうしたものか、とうなりながら、メグは、アオイの髪を一房切り落とした。



「ねぇ、さっきからペン回し感覚で髪を切るのやめてくれない? 悩むんなら手を止めてほしいんだけど!」


「え? あ、ごめん、無意識で切ってた(ジョキン)」


「何その怖いフレーズ!? 人の髪を無意識で切っていいと思っているわけ?」


「いやいや、解決法を考えているんだよ(ジョキン)」


「やめてぇ~! 無くなっちゃうからぁ! 私の髪がぁ!」


「大丈夫、大丈夫、まだたくさんあるから……そうか!」



 メグは、唐突に理解した。


 


 これまでの失敗を帳消ちょうけしにする一発逆転の必勝法!


 

「坊主ね」


「「待って」」



 自信満々に告げたメグは、なぜか、サヤカとアオイから、同時に突っ込みをくらった。



「ねぇ、メグちゃん。それはさすがに……」


「でもね、サヤカ。坊主なら、今までの失敗はすべて関係なくなる。だってバリカンで全部刈っちゃうんだもの」


「た、確かにそうだけど」


「無秩序に髪が生えているから、みすぼらしく見えるの。だったら、全部短く刈り揃えればいい。逆転の発想よ」


「な、なるほど」



 サヤが納得しかけたところで、アオイが悲鳴に似た声をあげた。



「ちょっと待って。あんたら、人の頭を何だと思っているの?」


「大丈夫。私、バリカンは得意だから。弟の頭を刈っているの私だから」


「そんな心配してないから! 女の私の頭を坊主にしようとしているあんたの脳みそを心配しているの!」



 なぜか不満をらすアオイは、サヤカに助けを求めた。



「ねぇ、サヤカはそんなことしないよね? メグのことを止めてくれるよね?」


「ねぇ、アオイちゃん。私ね、思うの。坊主って、髪洗わなくていいし、触ったらじょりじょりして気持ちいなって」


「何でやんわり坊主をしてくるの? やんわりだったら許されると思っているの!?」



 そして、アオイは、涙声で呟いた。



「ひどいよ。どうして、友達にこんなことができるの? 私達、友達じゃなかったの?」


「それは違うわ」



 アオイの弱音を、メグは、即座に否定した。



「私達は友達よ。だから、アオイ一人に苦しい思いをさせたりしない。そんなことを私が考えるわけないじゃない」


「メグ、それって……」


「えぇ、もちろん」



 メグは、にこりと笑って告げた。



「私達も坊主よ」



 ガタッと机が床をこする音が鳴る。メグの言葉に、おびえたような反応をしたのは、サヤカであった。



「聞いてないよ、メグちゃん」


「今言ったわ、サヤカ。アオイをこんなふうにしておいて、私達だけ無事で済まそうなんて思ってないわよね」


「だから、やったのはメグちゃんで……」


「ねぇ、サヤカ。私達は友達でしょ?」



 後退あとずるサヤカは、アオイに助けを求める。



「アオイちゃんは、そんなこと望んでないよね?」


「ねぇ、サヤカ。坊主ってね、髪洗わなくてもいいし、触るとじょりじょりして気持ちいらしいわよ」


「……」



 その後、逃げようとするサヤカを取り押さえ、発狂したアオイの頬を引っ叩いて、そんな二人からメグは蹴りを食らって、いつの間にか三人とも坊主となっていた。


 これでいい。


 だって、髪はまた生えてくるけど、友情は壊れたら直らないのだから。

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