個性
@tatiana175
個性
昔から、斜に構えた態度というか、少し周りと違うことが格好いいと思う人間でしたので、気づけば世間で言われるところの“浮いている”ことを恥じらいどころかある種のステータスであるかのように感じるようになっていました。勿論最近は「個性」で何もかも許容されて寧ろ私のような発想を持つ人間というのが多くなってきたように思いますが、それでも誰しも人から嫌われることはできれば避けたい、可能ならば人から認められたい、と思うものでしょう。「自分は周りの目なんか気にしない」といっている人間ほど他人の目を気にしている傾向が強いのは、人と違う部分を保ちつつも、他人に認められたいと思っているためなのです。私も、そうしたごく一般的な人間の感覚を持っていたにすぎなかったのでしょうが、残念なことに私の個性はただある人物に認められた以外、何の価値も持ちえませんでした。
私が高校二年生に上がったときの話です。この時期というのは青春の舞台そのもので、私自身、思いを寄せる女の子と同じクラスになったことをひそかに喜んだりしていたのですが、このころ私は周りに妙な思想を吹聴していて、それの影響で表立ってこの喜劇を言いふらすことはできませんでした。というのも、私は周囲の人間に対して「女嫌い」を公言していたのです。まったくの根拠がない創作ではありませんでしたが、学校生活で起こったちょっとした女子生徒との衝突を長い間根に持って、女性は男性に劣っているというような古色蒼然たる差別意識に基づいていろいろな悪口を言って回っていました。しかし、このせいで発言と行動とが矛盾することがないよう細心の注意を払って生活する必要がありました。悪口を言うことの目的は大抵共感者を探すことですが、青春真っ盛りの高校時代に到底このような発想をするものは現れてきません。当然男子生徒にも女子生徒にも嫌われてしまうわけですから、一年生の後半は少し孤立気味な学校生活を送っていました。それで、二年に上がってからは過去を捨て去り、当たり障りのない接し方をしてクラスで孤立することがないよう決意したのです。ところが高校二年生に上がってクラス替えが行われたことで私は共感者を見つけることができたのです。きっかけはある時の会話でしたが、向こうから女嫌いを私に公言してきたのです。名前はKといいました。彼は小学校時代にある女子生徒から陰湿ないじめを受けたことで、それ以来女性全般に苦手意識を持つようになったと私に語りました。私も同じだと迷うことなく彼に打ち明けて、以来二人で女性をいかに嫌いであるかという話題で時折盛り上がるようになりました。
勘違いしてほしくないのは、私が同性愛者だったわけでないということです。片恋相手の女子がクラスにいて、思春期の性欲を持て余して夜な夜なベッドでの往復運動を欠かすことがないような、大多数の男子生徒と同様の感覚は共有してありました。しかし私の女嫌いが全くの嘘であったかというと、それもまた違うのです。「女性」と一般化できるほど多くの女性とかかわったことはありませんでしたが、少なくとも私に接する女性はどこか皆冷酷であるというか、どこかほかの男子生徒に対するそれよりも、差別化が図られているような方法で接するのです。要するに私は女子生徒から嫌われていたようなのです。自分に対して嫌悪感を抱く対象を快く思うことは困難です。何かされたから嫌いなのではなく、何もされなかったから嫌いなのです。そういうわけで、生物的な感覚と、人間的な感情とが矛盾する状態が成立したわけです。しかし、Kにおいては違いました。彼は私の持っている生物的な感覚のほうを持ち合わせていないのでした。少なくとも彼は私に対してそのように語りました。どのような魔法を使ったのか、あるいは病気なのか、と私は自分の矛盾を解消しえるかもしれない手がかりを何とかして彼から聞き出したいと思うようになりました。
進級して2か月がたつ頃にはもう、Kと私の関係は師弟のそれと呼ぶべきものになりました。生物的な感覚を超越したKへのあこがれはもはや崇拝といっても過言ではありませんでした。彼は私に言いました。
「君のいう生物的な感覚というのは、厳密には食欲や睡眠欲といったそれとは異なる。これらとの決定的な違いは個体の存続にかかわるか否かだ。私の女性への嫌悪感は“アレ”らに接しただけでも大きな精神的苦痛を受けるまでに達している。それこそ死を選択したくなるほどに。そこで私の脳は個体の存続を優先し、性欲なる感情を抱かせることはないのだ。君の中では今、嫌悪感と君の言う“生物的な感覚”とが拮抗している状態にある。最もこの感覚は幻に過ぎないのだが。憎悪がこの幻を打ち消すほどに増大したとき、君も私のいる境地にたどり着けるはずだ。」
概ねこのような内容のことを私に語って聞かせ、そのたびに私は彼に対する信仰を深め、その言葉に従って行動するようになりました。Kを除いて私に近づこうとするものはクラスにはおりませんでした。
期末試験が終わると、学校中が文化祭ムードに包まれるようになりました。例のごとき態度から、私はこうした行事に関して積極的であることが馬鹿らしいと考えていましたから、去年の文化祭ではクラスの会議にも、準備にもほとんど参加することはありませんでした。尤も完全に休んでしまってクラス中から嫌われるほどの勇気はなかったので、言われた最低限のことはこなすようにしていました。ところがこの年は事情が異なりました。私たちのクラスの出し物は男子生徒が女装してダンスを踊るというものでした。文系クラスで男子生徒が少なかったために私もKも強制的に参加させられることになりました。女装の際は女子生徒から衣装を借りて化粧の手伝いまでしてもらうという手の込みようでした。普段から憎悪の対象にしている女性に扮して踊るなどといった屈辱的な行事は私にも、何よりKにとっても耐えられるものではなかったのです。それで珍しく私は声を上げてこの行事に断固として反対しました。クラスで存在感のない私に誰も耳を貸すことはなく、結局担任に言いくるめられてあっけなく敗北したことは言うまでもありません。ただ、不思議だったことといえばきっと私に加担してくれるだろうと思っていたKが、面倒ごとはごめんだと言って、反対の声を上げなかったことです。当日休むつもりなんだろうと思って私もそうすることにしました。
予想に反して準備期間は天国のようでした。あれだけ反対の声を上げたためクラスメイトがあきれて何の仕事も割り振られなかったのです。一応ステージに上がることになっていたようでしたが、練習にも一度も参加しませんでした。そのうえ授業は短縮となり、いつもよりも1時間も早く帰宅することができたのです。去年は嫌われることを恐れて、こっそりばれないように帰宅したり、意味もなく学校に残ったりしていましたが、一度クラスみんなから嫌われてしまったとわかれば(厳密には反対の声を上げる前から嫌われていたのでしょうが)案外気が楽なものです。チャイムが鳴って青空の下を堂々と帰宅する気分は実に喜ばしいものに思えました。Kは家が遠いため一緒に下校することはなかったのですが、おそらくKもこの気分を味わっているだろうと思うと、より心強いようにも感じました。
文化祭当日がやってきました。家にこもるには絶好の悪天候で、この日の雨をこれだけ晴れやかな気持ちで眺めたのはおそらく私を除いていなかったでしょう。無駄な休日を2日間過ごし、私が澄ました顔で教室に入ったころには既に非日常の残り香も完全に消え去ったようでした。まるで昨日まで文化祭だったとは思えないくらい何事もなかったかのような空気だな、と誰かが話しているのが聞こえました。私にとっては本当に何もなかったのです。その時ふと、昨日は一体どんな様子だったんだろうと、文化祭の様子が気になりだしました。いつも読み飛ばしているだけのクラスLINEに写真がいくつか送られているのを思い出してスマホを取り出した私の目に、信じがたい光景が移っていました。それはKが文化祭に出席していた姿でした。例の出し物で、女装をして、ダンスをしているKの姿です。彼の言葉を厳密に解釈するならば、彼はとっくに自ら命を絶っているはずです。女装の際には女子生徒の協力で衣装を貸してもらい、化粧をすることになっていたのですから。怒りや悲しみといった言葉では表しきれない不思議な喪失感でしばらく放心状態になりました。彼が自害したという知らせが朝のホームルームで担任の口から告げられる以外、彼への信仰が続く道はありません。
Kが毎朝登校してくる時刻になりました。教室の前のドアから、彼は何食わぬ顔で姿を現し、いつものように席に座りました。そしていつもそうしているように私のほうを向いて会釈をしました。それを私は無視しました。向こうも何かを察したのでしょう、これ以降私と彼との関係は途絶えました。
のちに知ったことですが、彼には虚言壁があるようで、なんでもいいようなことで嘘をついたり、話を盛ったりして人を当惑させていたようです。大抵の人間はすぐ嘘だと見抜いて、話半分に聞き流すようですが、時折私のように信じ込んで、崇拝みたいな状況に陥るものもあるらしい。私の女嫌いは一年生の時点で自分が思っていた以上に知れ渡っていたらしく、それをどこかで知ったKが私に彼を崇拝させるべく出まかせを喋っていただけだというのが真相でした。私には彼を除いて友人はいなかったのですが、彼は意外にも友人が多いらしく、私の見ていないところでは女子生徒とも仲良くしているようでした。それに気づけなかった私もずいぶんバカでしたが、嘘をつくのは悪いことだという至極当然の道徳規範に従えば、彼は悪い人間です。でもそれは私自身にも言えることで、女性を嫌って蔑視の対象にする行為は明らかに悪いことだと理解できます。それを“人とは違う自分の個性”として認めてくれる人をずっと探していて出会ったのがKなのですから、虚言壁という彼の個性を尊重して関係を続けるのが、正しい選択だったのかもしれません。けれども、私は彼の個性も、自身の個性も認めない選択をしました。心の持ちようを変えるだけで案外、人は変わるもので、2学期からはクラスに溶け込むとまではいかなくとも、Kではない友人も何人かできました。残念ながら、たゆまぬ努力にもかかわらず、女子生徒との関係は険悪なままでしたが。3年になってKとは別のクラスになりました。隣の教室で女子生徒と楽しそうに会話するKを見て、どんな嘘でだましているんだろうか、と嘲笑の目を向けながらも、心の奥底では器用な嘘でクラスに溶け込む彼をうらやましくも思ったのでした。
完
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