真紅ノ袴

坂本裕太

真紅ノ袴


 さる戦乱の世。

 山の奥地に侘しい農村が一つあった。どのような歴史の上でそのようになったのか世間より孤立したその村は、外界との接触も少ない故戦火に晒される事もほとんどなく、貧しくも細々と生きながらえていた。また、閉塞的な村故に、風変わりな風習や慣習といったものも数多く残っている有様である。

 そんな村の中に、一人の少女が暮らしていた。

 彼女はその幼さの割に身長がとても高かった。この時代の、農村のひもじい食生活には珍しく成長著しく、同じ歳の女の子よりはもちろん、育ち盛りの男の子でさえ敵わぬほど立派な背丈をしていたのである。

 だが、背丈は伸びても心は幼子故、気は弱かった。生まれつき引っ込み思案な性格も災いしてか、その背丈のためによくいじめられていたのだ。どれだけからかっても仕返しをしてこない上に、追えば逃げ、突っつけば涙し、脅せば動くといういじめっ子の求める反応をするものだから、それを止めようとする子もなかった。

 少女はいじめに耐えかねて死にたいと思う事もあった。しかし、思うに留まって行動に移さないのには訳があった。

 それはかけがえのない、唯一の心の支えである友がいたからである。

 その友は少女より二つ歳下の女の子であった。彼女だけは少女をいじめたりせず、他の子へ接するのと同じように遊んでくれ、喜怒哀楽の内の喜びと楽しみを共有しようと努めてくれたのである。さすがにいじめっ子から庇ってくれるほどの勇気と強さは持ち合わせてなかったものの、そうした子供達の目の届かないところへ連れて行ってくれるなどして気を遣ってくれた故、それ以上の対応を求めるつもりはなかった。

 ただ、その友さえいてくれれば、少女は「死にたいけど死にたくない」と思えたのだ。されども哀れかな、この村に生まれた事こそが少女の不運だったのであろう。

 ある日、その友に白羽の矢が立った。

 人身御供である。この村では来年の豊作のために毎年、山の神様へ一人の生贄を捧げる習わしがあった。代々山の神様の使者を務めている巫覡によって選ばれるのだが、それを免れようとすれば山の神様の怒りを買い、想像を絶する不作と疫病が村を襲うと信じられている故、いまだかつて一人としてその贄の役を逃れた者はない。

 この事を聞き及んだ少女は真っ先に友の元を訪ねた。

 少女の顔を見ても、友は以前のように笑わず元気がなかった。友の萎れた姿を見て、なんと声を掛けたら良いのかも分からずに少女が泣き出すと、友は咄嗟に気力を振り絞るような笑みを浮かべて、精一杯の背伸びをして少女の額に指先を触れる。

「泣かないで? 私、怖いけど――」

 その後に続いた言葉は少女の心を尚更揺さぶった。

 彼女は、人身御供に少女が選ばれなくて良かったと、そう言ったのである。しかし、少女はそれが間違いだと思った。誰かの生きる希望と成り得る友よりも、背丈の高いばかりで何もできない自分こそが人身御供となって誰かの役に立つべきなのだ、と。

 その日、少女は気の利いた慰みも言えず、また何もする事ができなかった。友の身代わりとなる考えは頭に浮かんでも、人身御供の儀式を思えば怖くてとてもじゃないが言い出せず、他の逃げ道を思いついても、そんな大それた事を自分にはできないと身を固くするばかりであった。いじめっ子にさえ敵わぬ己がどうして村の大人達に立ち向かえるだろうか。

 来る人身御供の儀式の夜。

 大きな焚き火の燃え上がる祭壇の前に、友は白装束に目隠し、猿轡をされた恰好で寝かされていた。叩頭する衆人の中、これから友は贄の証としてまず両脚を折られ、次に両腕を、その後に両目を釘で打たれて、最後に焚き火へと放り込まれる。せめてもの慈悲として、痛みを和らげるという薬草を噛ませるが、それで楽になった者はただの一人でさえいないだろう。

 衆人の中で唯一頭を上げて儀式を見守るのは少女である。

 儀式が始まると、巫覡達が友の体を押さえて、その内鐵槌を持った一人が山の神様への言葉を読経のように唱え出す。そのまま、ついに友の左脚へ鉄槌が振り下ろされる。猿轡越しに泣き叫ぶ友の籠もった声が聞こえてきて、少女は堪らなく恐ろしくなった。

 次に右脚、続いて左腕、右腕と儀式が進むにつれて、友の泣き叫ぶ声は明瞭としながらも次第に疲弊して掠れていく。それから、いよいよ目隠しの上に釘が添えられ、その左目へ鉄槌が一気に叩きつけられた時、友は今まで以上に苦痛を訴える叫び声を上げた。まるで、喉の奥から刃の付いた風が吹いて、今にも血を吹き出すのではないかと思えるほどの金切り声である。

 その声で一気に震え上がった少女は恐怖のあまり己の両耳を塞いだ。

 少女は友の事を想う。決していじめっ子の仲間にならず、普通の子と同じように遊んでくれて、いつだったか「みんなはその高い背丈をからかうけれど、私は好きなんだ。だって、大人になれば、きっとたくさんの人を守れるようになるもの」と言ってくれた友を。白羽の矢が立った時、泣きたいはずの友よりも先に泣き出してしまった自分へ、努めて優しい心の支えであり続けてくれた事を。

 少女は己を省みる。そんな友に、自分は何を返してあげられたと言うのか。自分は一体、ここで何をしているのと言うのか。

 いまだ苦悶の呻きを上げる友の右目へ鉄槌が振り下ろされようとしたその時、少女は歯を食いしばって立ち上がり、泣き声とも叫び声とも分からぬ大声を出しながら、友のいる祭壇前へと走り出した。

 突然の事に衆人は顔を振り上げるも状況を飲み込めず、巫覡達も咄嗟の反応ができなかった故、祭壇へと闖入する少女を誰も止められなかった。少女の一心不乱な行動によって、祭壇の焚き火や周辺の松明があちらこちらへと撒き散らされる。祭壇に延焼し、数人の巫覡や村人へも飛び火し、ともすればいくつかの家屋が炎上するかもしれない勢いであった。

 その火事によってもたらされた混乱と隙を利用して、少女は友を抱え上げた。幸いにも友を抱えて走る事のできる体格差はあった故、少女はそのまま火の手より逃れようとする衆人の間を縫って、村の外へと駆け出す。

 背後からは事の重大さに気付いた村人が二、三人ほど追いかけてきた。

 追いつかれては自分も友も殺されると思って、少女は脇目も振らず鬱蒼とした森へと逃げ込み、木々の枝や棘が顔を切り、尖った小石が足の裏を突いて、体中が細かい傷で血塗れになる事も気にせず走り続ける。ひたすら、追手の気配がなくなるまで、目の前に広がる暗闇の中を突き進むしかない。

 夜更けの森の中は冷え込む故、少女と友の体は徐々に凍え始めていた。それだけでなく走り通しである少女の脚は疲れ切り、血に濡れた足の裏は寒さと出血のせいで感覚が麻痺して、自分が地面の上を歩いているのか宙を浮いているのかも分からなくなっていたのである。

 疲労と寒気で倒れそうになった時、少女の目の前に小さな稲荷神社が現れた。

 もう随分と長い年月の間、人の立ち入っていない古めかしい様子で手入れも一切されておらず、鳥居や狐像は崩れ果てていた。その中でも社殿は比較的形を保っており、ひとまず体を休めるには丁度良さそうな空間を有している。

 少女は息を切らせながら社殿の中に入り、友を床に寝かせた。

 己の傷よりも先に友の身を案じた少女はその体の具合を確かめる。鉄槌によって骨を砕かれた両脚と両腕は見るも痛々しく真っ赤に腫れており、その一部は黒く変色して、軽く触れると腐った果物の如き感触に加えて友が呻き声を上げるのであった。息を浅くして苦しそうであったので猿轡を外してあげたものの、左目に釘の刺さった目隠しまでをも取る勇気は出ず、とにかくそこからの出血を止めようと、白装束の布を少し破って押し当てる。

「……痛い、痛い」

 そう嗄れた声を吐きながら友が頭を動かすので、少女はその手を離す。

「どうしよう、私、どうすれば良い?」

 手の施しようがない事を薄々理解していながらも、少女は友に声を掛けた。友が片手の指先を震わして動かそうとするのを見て、少女はその手をそっと握った。

「私を助けてくれたんだよね? ありがとう、私すごく嬉しい。でも、ごめんね? もう体の感覚がなくなってきているのに、痛みだけがちっとも消えてくれないの。だから、私を楽にしてくれる?」

「そんな、できないよ!」

 少女が思わず友の手を強く握り締めると、友はまた呻いた。

「ご、ごめん!」

 少女が手を離そうとするも、友はその手をさらに強く握り返して離さない。

「そのまま、もう片方の手で私の首を締めて欲しいの。私だって、本当は死にたくないよ、怖いよ。だから、お願い。私の手を握ったまま、私を殺して……、お願い」

 自分を殺して欲しいと悲痛な声で訴える友を前に、少女は己の過ちを悔いる。

 あそこで友を助けるべきではなかった。あのまま儀式を終えていれば、友が自らを殺してくれと懇願するほど苦しみ続ける事もなかったのだ。何故、白羽の矢が立った時に、私は友を連れて村を逃げ出す事ができなかったのか。どうして、あと少し早く、友を助ける勇気を振り絞る事ができなかったのか。

 少女はただ神様へ願う。

 どうか、この子を助けて下さい、私が気弱なばかりに苦しませる事となったこの子をお救い下さい。今度は迷いません。私が身代わりになって、この子の苦痛と不幸を全て受け止めますから、どうかお願いします、と。

 その時、明らかに友のものではない声が響き渡る。

“哀れな人間の子よ。お主は真に己を悔い、その子を救いたいと願うか?”

 頭上よりも高いところから聞こえてくるその声に少女は驚いたものの、ここが稲荷神社の社殿の中である事を思い出し、声の主を稲荷神だと思って信じ込む。

「は、はい! そのために贄が必要とするのなら、私に白羽の矢をお立て下さい!」

“なれば、そなたを我が稲荷神社の巫に命ずる。我が社は人に忘れ去られて久しい。そなたが死の救済と魂の自由を代償に、我が社を永久に守り続けると誓えば、その子の命は救ってやろう。ただし、その子はすでに身も魂も傷ついておる故、元の人間の姿のままでとはゆかぬ。仮にお主の望まぬ姿形に生まれ変わったとしても、お主はその子を想い続ける事ができるか?”

「はい! この子が生き永らえてくれるのなら、私も永久に生き続けます。例え、どんな姿に生まれ変わったとしても」

 少女は本心から嘘偽りなくそう答えた。

 すると、稲荷神は数多の感情を秘めた沈黙の後、“よかろう”と言い放つ。

“可能な限り、我もその子をお主の親しみやすい身近な生き物へと変えてやろう。しかし、真に哀れかな。本来であれば、我が稲荷神社へその年の収穫を供物として捧げる事によって、人間共へ五穀豊穣を授けていたものを。いつしか、我が稲荷神社の存在を打ち忘れ、信仰を疎かにし、収穫の一部でさえ出し渋って、同じ血の流れる人間を捧げ物とし、紛い物の祀神を盲信するようになった結果、罪無き子が犠牲になろうとは。真に愚かな人間共よ”

 この夜を境に、稲荷神社の崩れ果てていた鳥居や狐像は元通りとなった。

 それからいくつもの時代が終わっては始まりを繰り返し、何百年も経ったさる世にて。

 森で遭難した一人の現代人がふと稲荷神社に辿り着いて、そこで不思議な光景を目にしたという話がある。心の清い者だけが辿り着けるその稲荷神社では、それはそれは美しくうら若き巫女の如き恰好をした一人の女性と黄褐色の毛並みをした一匹の狐が幸せそうに、時の流れをどこかへ置いてきたかのように戯れているのだ。彼女らの一時を邪魔するのも悪い気がして立ち尽くしていると、あちらからこちらの存在に気付いて、声を掛けてくる。遭難の事情を話せば、巫女らしき女性はその対応に慣れている様子で帰り道を教えてくれるのである。

 ただ、少し気になる事があって、その巫女らしき女性の着ている白衣からはかすかに血の匂いがし、真っ赤な袴は染め直したばかりなのか妙に湿っていたと言う。

 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

真紅ノ袴 坂本裕太 @SakamotoYuta

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ