第3話
「君に共感を求めるのが無駄なのはわかってる」
「なんで」
「君は女子高生と一緒に帰ったことあるでしょ」
「否定はしないけど」
「けど何」
「俺が共感できないのはそこじゃない」
「じゃあどういうことなのさ?」
「それは……」
俺は制服デートをしたことがある。ゆえにこいつの意見に全面的に共感するのも肯定できない。トモの指摘は間違っていない。
が、俺の共感できない部分はそこじゃないのだ。言葉にできれば話ははやいのだが、適切な言葉がわからない。
言葉に詰まっていると、彼は低い声音で突き放す。
「キスしてたことも知ってるよ。彼女ちょっと嫌がってたじゃん。卒業後別れたのは原因はそこ?」
「あれが原因じゃないが……。なんで知ってるんだよ」
「絶対教えない。この裏切り者。地球にも君にも裏切られた気分だ。つまりは僕の敵」
そう言ってトモはくるりと体を回し、壁と対峙する。
トモの弁は世界を巻き込んでおきながら、その熱は制服デートがしたいだけという魂の叫び。
地球も溜息を吐きたくなるんじゃないだろうか。地球の気持ちなど知らないが。
あと裏切られているのは俺のほうだからな? なんでこいつ俺の高校生活を詳しく知ってるんだ? 同学年でもないのに。
だが今は、突き放されたことが少し寂しい。
たとえ制服デートしていなくとも、それを悔いたとしても、後悔を払拭するだけの功績を積み上げようとしているから、大学じゃ顔が広いし作家の道も切り拓けたのだろう。
ならば、世界の中心は自分とでも言えばいいじゃないか。それこそ地球を敵に回して、堂々と胸を張っていればいい。そういうものだって論破したらいい。
そんなトモを否定しない。だから俺を否定しないでほしい。じゃないと、苦しい。
「敵視すんなよ」
力なく発した俺の声はとても細かった。
「なるほど君は僕に慈悲を与えようとするんだね。そうかい、そうかい。でもいいんだ。君は勝ち組、僕は負け組。君は堂々と生きてくれたまえ」
また、トモの声が低くなる。
しばし沈黙が流れる。その沈黙はたいへん居心地が悪い。
ビール缶に視線を落とす。
「どう考えてもお前のほうが羨ましい状況にあると思うんだよな。友達は多いし、不貞寝野郎のくせに余裕
口を開くたび、他者を踏み込ませまいとする壁がポロポロと剥がれ落ちていく。自分の声が耳に届くたび胸が苦しくなる。
「それに比べて俺は、浪人して、高校卒業後は友達から嫌われ、彼女に振られ、浪人時代に人との円滑な接し方を忘れて大学で友達作りに失敗し、単位取得数は危うくていいことなし……。お前の友達として俺は惨めだ」
制服デートの思い出一つじゃ割に合わない。
トモは振り返るも目を伏せ、何か考えている様子だった。魚みたいに口を開いては閉じてを繰り返したのち、やっと出た言葉は短かった。
「……友達?」
「違うなら違うでいいけど」
「いや、僕らは友達」
屈託のない笑顔を浮かべるトモ。
いじけている相手に嬉しそうにするなんて理解しかねる。理解できないのが自分のせいなのか、トモが変人なのかわからないまま、嫉妬の混じった言葉を重ねる。
「制服デートごときで嫉妬される身にもなれ。隣の芝生に侵食される気分だよ」
「ごときってなんだよ。……うん? つまり制服デートの魅力をわかってくれたってこと?」
どう聞こえたんだ? 制服デートたった一つで嫉妬するのやめろって言ってるんだけど?
酒をあおって感情と言葉を濁した。
「もう俺が悪いってことでいいから、この話はやめよう」
振り返って思い出すのは、忌々しい過去。それと今日の制服デートの話はまったく関係のない話だ。
入学以降、浪人したことを、あの孤独な日々を、今の今まで誰にも話したことなかったのに……。今日は二人とも変だ。
トモは立ち上がりコートを羽織った。俺が体を起こすと「コンビニ行ってくる」と言った。
「今から?」
「今じゃなきゃ。言っとくけど奢る気はないからな」
「何買うつもりだ?」
「教えない。ついてくるなよー」
その冷めた発言と背中に一線を引かれた気がして何も言うことができなかった。
俺はぬるくなったこたつに潜る。
目蓋が痙攣した。お前が彼を不快にさせたんだよ。そうからかわれた気がした。
否、きっと課題レポートで疲労が溜まっただけだろう。
視界を遮断した。
○
いつの間にか眠りに落ちていた。夢と現実の区別が朧気ななか、嗅覚が醤油の香りに刺激され、腹が小さく鳴った。
体を起こして香りのもとを探す。
こたつ台には、二つのインスタントそばがあった。すでに湯が注がれており、つゆの香りが漂っている。
「年越しそば?」
「そう」
「買ってきてくれたのか」
「年末だからね」
「……悪いな」
「いえいえ」
トモは、インスタントそばに生卵とわさび、さらに一味を勢いよくかけた。「君はどうする?」という笑顔に俺はたじろぐ。
「わさびと一味両方はやばくないか」
「やばくていいの」
「開き直るんかい」
「うまいにやばいものなんだよ」
「そういうものか」
「そういうものだ」
誇らしげに胸を張る友。そこまで毅然とした態度だと真似したくなる。
「俺も入れる」
その言葉を最後に、俺たちは無言でそばを啜った。
黄身とそばの絡み具合、そこに最初にくる一味の刺激、後から遅れてくるわさびの辛味が口の中をさっぱりしてくれる。
ズズズと豪快に喉に流し込んでいく。喉が熱しながら、体の中心へと落ちていく。食べ終えた頃には体が温まり汗ばんでいた。
満たされた幸福感を胸に、一枚のプリントを手にして次のレポートのテーマを確認するふりをしながら、トモの機嫌が気になったが、すぐに気にならなくなった。
俺の胃が悲鳴を上げたからだ。
こたつ台に突っ伏す。
「まだ眠い?」
「いや、胃が……」
「辛いの苦手?」
「お前が強すぎるだけだと思う」
「そうかな? 流し込む?」
彼の手に握られているのはビール缶だった。
「遠慮しておく」
「じゃあ僕が飲む」
俺は噤んだ。
なんとかしたいのは胃痛であってこいつの暴飲じゃない。ついでにこいつも胃痛に悩まされたいいのに、と思った。
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