僕と眼鏡の話

あきかん

第1話

 視界がぼやけ始めたのは中学生のころ。読書が唯一の趣味と言って良い僕には必然の事であった。

 視力検査で0.5を切ったのを境に僕は眼鏡を買ってもらった。眼鏡については小学生のころから憧れがあった。読書家は眼鏡をかけるものである。 そんな漠然としたイメージを胸に抱き続け、遂に自分もその仲間入りを果たすことが出来たのだ。眼鏡を作りに行く前日は眠る事が出来なかった。


 眼鏡をかけ始めてからは鏡を眺める時間が増えた。外見や服装についてはそこまでこだわりのない自分だが、唯一眼鏡の似合う事だけは基準として持っている。

 しかしながら、眼鏡の似合う外見とは何か、と自問自答するけれども未だに答えは出ない。例えば、スポーティーな服装を着たとしてそれが眼鏡に合わないわけではない。スポーツ用の眼鏡、あるいはサングラスはそのファッションと調和する。むしろ、眼鏡をかけることで道に入った面立ちになる。

 眼鏡が似合うとは、眼鏡に相応しい生き方をしているかどうかにつきる。と、最近はそう思い始めた。もちろん、顔の形や服装との兼ね合い等によって眼鏡のフレームは選ぶ必要はある。面長に似合う眼鏡や丸顔に似合う眼鏡にはそれ相応の違いはある。それでもなお、眼鏡の似合う生き方をしている人の醸し出す雰囲気こそが、眼鏡を最大限に生かす秘訣なのだ。


 さて、今の自分は眼鏡に合う生き方をしているのだろうか。眼鏡をかける機会は減ってしまった。図らずも仕事で眼鏡の着用が認められない環境になってしまったからだ。代わりにコンタクトを使用している。

 それが原因かは定かではないが、本を読む機会も減ってしまった。眼鏡をかけながら紙の本を読む。これこそが最も眼鏡に相応しい人物像であると昔から変わらずに思い続けている。だがしかし、今は電子書籍も充実しており場所もとらない。その為、読書と言ってもスマホを眺めるばかりで紙の本を手に取る機会も失われて久しい。

 ページをめくる感触や眼鏡をずらして本を読む自分を想像すら出来なくなっている。眼鏡に憧れを抱いたあの日々や眼鏡をかけ始めた感情は何処か別の人間のものであったかのようだ。

 こんなご時世だから、最近は本屋にも行っていない。眼鏡を買い換えたのも今から3年も前の事だ。


 休日に眼鏡をかけて鏡の前に立つ。そこには無精髭を生やしたみすぼらしい男がいた。買った当時に流行っていた丸眼鏡は、時代に取り残されたかのようにその顔から浮いていた。

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僕と眼鏡の話 あきかん @Gomibako

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