短編【水の魔女レライと相棒のヴェニカ】

日向はび

水の魔女レライと相棒のヴェニカ



 あるときは赤い羽根の巨大な鳥を。

 あるときは白い骨のような鳥を。

 あるときは巨大なクジラを。

 あるときは空飛ぶ魚の群れを。


 彼女は率いてやってくる。

 世界でただ一人、彼女は精霊の操者そうしゃと呼ばれている。






side - venica -




「なあんて、たたえられる本ばっかりあるわけで、そこんとこ、どういう気分なの? レライ」


「最悪な気分」


 大量の書物に埋もれた机で、ひとり本を読みふけるレライが不機嫌な声音で答えた。

 その姿は、声をかけたヴェニカからは本の山に埋もれて全く見えない。

 見えないが、長い付き合いである。ヴェニカにはレライの表情など完璧に想像できた。へえ。とニヤけながら答えたヴェニカは、コーヒーカップのふちに口をつける。

 程よい温度のそれをゴクリと飲み込んで、カップをテーブルにそっと置くと、近くにあった比較的小さめの本を両手で取って、最初のページを開いた。

 まさしく、レライを讃える言葉がぎっしりと書き込まれている。

 それをヴェニカはハキハキと読んだ。


「『彼女はかつて水の魔女と称された。しかしその名がなぜ彼女を表す言葉となったのか、いかなる歴史書にもその悉皆しっかいつづられておらず、依然として克明こくめいに語られぬままである。したがって我々は昨今さっこんの彼女のあらゆる活躍と叡智えいちをもって、僭越せんえつではあるが、新たに名付けることにする、すなわち【精霊操者】と』……だってさ。レライってばやっるー」


 大仰な朗読をあえてしてみせる。

 ついでに揶揄からかうと、途端に本の山の向こうから盛大な舌打ちが響いた。

 いまごろ眉間に深いシワを刻んでいるだろうが、本に邪魔されてやはりヴェニカからはレライの姿が見えない。そして、レライからもヴェニカは見えていないだろう。

 それをいいことに、ヴェニカは普段レライに見せない慈愛に満ちた表情を浮かべる。

 レライが見たら「その顔やめろ」と言われるに違いないが、ヴェニカはその表情を崩すことがなかなかできなかった。

 大げさに肩をすくめて、あえて呆れた口調を作ってヴェニカは声を張った。

 

「そんなに気に入らないなら、いっそのこと手記でも出したら? 【水の魔女レライの日常】みたいな」


「アンタそれ面白がって言ってるのわかってるからね。私がそんなん出したら、あちこちから魔女裁判だなんだって言われるのがオチよ。わからないとは言わせないわよ」


「そりゃ、私は魔女です。なんて言ったら、教会連中は喜んでレライを捕まえにくるかもだけどさ。【精霊操者レライ】を讃える人たちはいなくなるかも。だって、操者って呼ばれるの嫌なんでしょ」


「……火炙りにされるよかマシよ」


「相当じゃん」


「そうね、死ぬよりマシね」


「でも、火炙りされてもどうせ死なないじゃん」


 さらっヴェニカが言うと、ガサッと音がした。

 レライが立ち上がったようだと気付いて、ヴェニカが本の山に目を向ければ、ひょっこりと黄金の髪をたずさえた女の顔が見えた。

 その顔は不機嫌をべったりと貼り付けて、ヴェニカを睨んでいる。

 ヴェニカは気づかなかったふりをすることにした。

 さっと顔を背け、違う本のページをパラパラとめくる。


「レライは不死じゃないけど、火炙りじゃ殺せないでしょ。だから水の魔女って呼ばれてるんじゃん」


 ヴェニカのただ真実を伝える言葉に、レライが心底嫌そうに顔を歪めた。それを、ヴェニカは視界の端で捉えた。




 今からずっとずっと過去のこと。

 かつて、多くの女が魔女と呼ばれて処刑された。



 【魔女裁判】である。



 魔女とは、この世に存在するあらゆる精霊を使役、あるいはその力を借りて【奇跡】を起こす者のこと。


 しかし当時、その存在は世間では決して認められていなかった。

 というのも、【奇跡】を起こす存在は神の御使いであり、同時に【奇跡】とは信仰によって起こるものとされていたからだ。少なくとも、それが時の教会の主張だった。

 多くの民がこれに習っていたのである。


 ところが実際に【奇跡】を起こすのは神を信仰しない魔女たち。

 絶対なる神に対する疑いを民衆に与えかねない魔女の存在は、教会にとって悪だった。

 簡単にいえば、ただ邪魔だったのだ。

 神を信仰しない者が【奇跡】を引き起こす。それを教会は許さなかった。


 そもそも、魔女が教会のしめす神を信仰しないのは、彼女たちが実際の神を見ることができたからである。

 それは精霊の神だった。精霊には精霊の神がおり、人が作り出した偶像としての神ではなく、他の動植物のように生きて話し動く生物。

 それにまみえたことのある魔女たちが、教会の神を信仰しないのは至極当然。

 むしろ本当の神を信仰しない教会を、毛嫌いする魔女は多かった。


 ちなみに、魔男などというものがいないのは、精霊が女性を好むからだ。

 正確には、処女を。

 これもまた衝突の原因となったのは言うまでもない。

 教会がありがたがる処女にしか、魔女はいない。

 まるで教会が魔女を神聖視しているかのようにすら見える状態。

 こうして教会は躍起になって魔女を排除しようとした。



 なんと皮肉なことだろう。とヴェニカは思う。


 こういった理由で始まった魔女の捜索によりたくさんの女が処刑されたのだ。だが、ほとんどは恐らく普通の女であり、本当の魔女たちは姿を消してしまっていた。

 哀れなことである。

 その中で唯一、己は魔女だと声をあげ、本当の魔女を火あぶりにしたらどうなるかを見せつけた人物が居た。

 それが、ここにいるレライ、その人だ。


 ヴェニカは肩をいからせるレライに気付かないふりをひつつ、しかし彼女に全身の細かい神経を向ける。

 水の香りが、ヴェニカの鼻孔びこうをくすぐった。



 彼女の名はレライ。水を媒介にあらゆる精霊を呼び出す、水の魔女。

 結局、彼女を炙った炎は瞬く間に大量の水に消され、町もろとも巻き込んで洪水を引き起こした。

 彼女はその洪水の中、巨大なクジラに乗って町を去ったのである。


 それを事実だと知るものは、今はもうあまり多くない。

 その後の魔女裁判の大義名分のためにと、教会が秘匿したためだ。

 しかしレライの存在だけは民衆に瞬く間に広がって収集がつかなくなっていた。


 教会が彼女を見つけるたびに彼女の命を狙ったが、あらゆる精霊を使役した彼女にことごとく逃げられてきた。

 その逃げっぷりの派手なこと。赤い巨鳥やら、骨の鳥やら、大量の魚の群れやら、目立つ精霊ばかり目撃されている。


 有名になるのは仕方のないことだった。


 とはいえ、あの最初の火あぶりと洪水を見ていないものは、彼女が水の魔女と呼ばれる理由を知らない。ただ、あらゆる精霊を使役する存在だということで、彼女は有名になったのだ。



「あのね、火あぶりだって最初はまともに受けるつもりだったのよ。邪魔したのはアンタじゃない」


 と、レライがヴェニカに非難の視線を向ける。


「ひどいなあ。だってヴェニカは黙って殺されようとするレライを見てられなかったんだもん」


 と言い返すヴェニカ。


 悠久の時を生きる魔女。

 長い命はレライの心を疲弊させた。そんな時に起きたのが魔女裁判。

 多くの罪なき女たちが殺されるのを目の当たりにしたレライは、命を賭して本物の魔女を見せつけようとした。そして裁判をやめさせようとした。

 しかし。


「唯一レライだけがヴェニカと同じ時を生きる存在なんだよ。いなくなったら寂しい」


 そうニヤニヤ顔で言う少女ヴェニカが、レライを生かした。

 ヴェニカがレライを炙る火を消してしまった。さらに洪水まで起こしたために、レライは人々が溺れるのを回避するために魔法を使う羽目になった。

 レライはクジラを召喚した。その背に多くの人々をのせるために。

 ところが、彼女を乗せたクジラはレライを逃すために颯爽と逃げてしまったのである。

 あの時、レライがクジラを呼ばなければレライは死んでいた、と、レライは思っているようだが、そうなればそうなったで、クジラのようにレライが使役する精霊たちは、呼出されずともレライを救っただろう。

 そしてもちろんヴェニカも。


 本人だけが知らない。


 ヴェニカは、精霊たちの献身にまったく気づかないレライを哀れむように、眉尻を下げて笑った。

 ヴェニカの笑いに込められたあらゆる感情をどう取ったのか、レライは小さくため息をつく。


「もう火炙りされるつもりはないし、死ぬ気もないし、一生アンタといてやるから。だから手記とか書かないの。アンタのためよ、アンタの」


 今更殺されたらたまらないわ。と続ける。


 ヴェニカがいる限り、レライは死ねない。

 レライも今はそれが痛いほどわかってるのだろう。

 なにせ、長い時が過ぎた。

 教会が精霊を信仰の対象として引き入れてしまうほどの。それにより、レライが魔女として追われる側から、世界を守る精霊の操者として、世界から尊敬されてしまうほど。

 それほどの年月がたったのだから。

 ただし、魔女の概念も変化し、精霊を使わずに【奇跡】を起こす。精霊を悪用する操者のことを指すようになった。

 つまり、魔女を名乗ることは、今でも教会にとっては火炙り決定モノのことなのである。


「ヴェニカのためとか言って、本当は死ぬのも面倒くさくなったんでしょ」


「アンタあれから何年経ったと思ってるのよ。死にたい盛りなんてとっくに過ぎたわよ」


 死にたい盛りとは。と内心で突っ込むヴェニカである。

 しかし同時に確かに、とも思う。

 ヴェニカが見てきたかつてのレライは、人の死を見送るだけの自分の生に辟易としていた。

 死にたい。と頻繁に口にするのを何度も聞いた。

 けれども、長い時を過ごすうちに、近しい人の死に慣れきってしまったのだろうか。淡々と彼らを見送るようになった。

 もちろん、レライがそんなに薄情な人ではないことをヴェニカは知っているが、彼女がそう振る舞うならそうなのだと思うことにしたのだ。


「で? 結局わっかんないんだけどさ、なんで精霊操者って呼ばれるの嫌なの? 火炙りよりマシって相当嫌なんじゃん。なんで? レライが使役してる精霊たちはみんなレライの事を操者として認めてるのに」


 ヴェニカの素朴な疑問に、レライは沈黙を返す。

 ヴェニカが辛抱強く答えをまっていると、やがてレライは本の山の向こうからのそのそと姿を表した。

 そしてヴェニカの横に腰をかけた。

 ボスン、と音を立てて。

 大きな揺れに晒されて、思わず非難の視線を向けたヴェニカを無視し、レライはヴェニカのコーヒーを掻っ攫う。


「あ、ヴェニカのコーヒー……」


「魔女は、精霊を操ってるわけじゃない。力を貸してもらってるだけ。飼ってるわけでも、使役してるわけでもない。操者だの、使役者だの、嫌な呼び方よ」


 とレライは言った。

 ヴェニカは一瞬ぽかんと口を開けてレライを見上げた。

 そしてすぐさま嬉しくなって満面の笑みを浮かべる。

 同時に、部屋にあった水瓶、水差し、花瓶、コップ。あらゆる水の入った器が波紋を生み出した。

 水に関わる精霊たちが、一様に喜んでいるのだ。


「そゆとこ好きだよ。レライ」


「そりゃどーも」


 水の魔女は適当にヴェニカに言葉を返すと、そのまま沈黙して本を読み始めた。

 ヴェニカも隣で本を開く。

 日が沈み、部屋が暗くなるまで、二人は隣り合って座りながら本を読みふけった。








side -relei-



 レライはかたわらにあるひび割れた石版を眺めた。

 石版には、一人の少女が腰かけている。

 掌程度の大きさの、小さな少女。

 石版の中央に埋め込まれた水色の石をその小さな手でなぞりながら、そして本を読みながら、彼女は鼻歌を歌っている。

 石版に掘られた文字がうっすらと発光した。

 書かれた言葉はたったひとつ。

 優雅な流れるような線で書かれている。


【VENICA】と。


 水の魔女レライは、石版の精霊ヴェニカに囚われている。


 

 

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