第三話 波倉幸絵、魔法少女になる③
私たちは隠れていた遊具から出た。フェンリルが着地したせいで周囲には砂埃が上がっている。
「ようやく見つけたぜ……。俺の鼻からは逃げられないんだよお」
フェンリルは鼻を指で擦りながらニタァっと笑った。私は背筋を濡れた指で撫でられたような感覚を覚える。
「しつこいよ、フェンリル……」
「仕方ないだろう? 俺はお前を殺して来いって言われてるんだから」
フェンリルの笑みは狂気を帯びてきた。アマテラスは苦虫を潰したような表情でフェンリルを睨みつける。アマテラスはゆっくりとフェンリルの方へと近づき始めた。
「あ……」
私はその姿をみて、何か声をかけようとしたのだが、声が出ない。さっきの話を聞いて私にできることは何もないと悟ったからなのだろうか。
「もう、容赦はしないよ」
「こっちのセリフだ」
2人は互いに見つめ合い、その視線が火花を散らす。30cm程しかない小さなアマテラスと、170cmはある凶悪な見た目のフェンリル。はたから見ればフェンリルが圧倒的に有利だと思われるだろう。
しかし、先に有効打を出したのはアマテラスの方だった。神話級の神と神話級の怪物とでは神に軍配が上がるのか。ただ、フェンリルも黙ってやられているわけではなかった。ちなみに、ただの人間の私には、目の前で何が起きているのかは全く分からない。
激しい攻防が繰り返されている、そんな中、私の真横にすごい勢いで何かが飛んできた。
「痛えなぁ……! ん?」
「しまった!」
それはフェンリルだった。私はフェンリルが不敵な笑みを浮かべたとき、死を覚悟した。もう、助からない。アマテラスは多分私を守ろうとしているだろう。何かを叫んでいる声が聞こえる。
フェンリルが突き出す鋭い爪が、物凄くゆっくりに見える。本当は私の目では追えないほど早いんだろう。死ぬ前は世界がスローモーションに見えるって聞いたことがあるような。
——ああ、ここで私は死ぬんだ。
フェンリルの手が胸のすぐそこまで来たとき、覚悟していた死が実感へと変わった。
——まだ、今週見たい魔法少女アニメあったのにな。
こんな時まで考えることが魔法少女の事とは、私らしいな。
——私が死んだ後も新しいシリーズはどんどん生まれて、続いていくのかな。
それは当たり前だ。私が生まれる前からこのシリーズはやっているんだ。はあ、どんな物語になるのかな。絶対見たい。
——……まだ、死ねなくね?
ここで死んだら、私はもう一生好きなこと出来ないじゃん。まあ、死んでしまったら一生っていう表現はおかしいのかな?
そんなことはどうでもいい! 死ぬのは覚悟できていたつもりだったけど、それは嘘。全然無理! まだ死ねない!
——嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ! 死にたくない! お願い助けて、神様!
……アマテラス!!
神様って考えて一番初めに思い浮かんだのはアマテラスだった。だから、私はアマテラスに強く願ったんだ。
「その
アマテラスのその声は、私の耳ではなく、心の中に直接響いてきたような気がした。刹那、私の周りが激しい光に包まれる。眩しくて顔を手で覆った。
目を開けると、そこは光輝く白と様々な黄色が混ざり合った不思議な空間。目の前にはアマテラスがいる。私とアマテラスは眩しく輝くこの空間の中でも、一際激しい光を放つ黄色い線で結ばれていた。
これって、まさか……!
「……ありがとう、幸絵」
目を閉じ、アマテラスは私に頭を下げた。つられて私も頭を下げる。いやいや、つられてじゃなくて私が助けてもらったんだ。お礼を言うのは私だろう。
「こちらこそ、助けてくれてありがとう」
「ううん。いいんだ。幸絵の強い願いが、ボクに届いたから」
……うーん。どういう事だろう? 私がアマテラスに助けてくれって強く願ったから、助かったってこと? そんな都合のいいことあるのかな?
「そうじゃないよ。さっき言ったでしょ? ボクたち神は人間の信仰心や強い願いから力を得るんだ。幸絵がボクに助けてほしいって強く願ったから、ボクは力を最大限に使うことが出来たんだよ」
なるほどね。さっきアマテラスが言っていたことはそういうことだったのか。
「そうそう。理解できた」
うん。……ん?
「今私、一言もしゃべってないんだけど」
「幸絵の考えていることなら何でもわかるよ。だってボクらは一心同体、一蓮托生。これから一緒に戦っていくんだから」
これから、一緒に、戦っていく……!? 神様同士が戦うんじゃないの? 私たち人間も巻き込まれるの!?
「いやいや、そんなことないよ。人間全員じゃなくて、幸絵だけ。ボクたちは信仰してくれるたった1人の人間を探しに来たんだ。幸絵には本当に感謝しているよ。ありがとう」
いやいや、そんな笑顔で言われても………………お? 私も戦う……。……お?
「それって、なんか変身とかして戦う的なやつ?」
「そうだよ。ボクの力を借りて、幸絵は神に選ばれし者、神託の戦士として戦う運命なんだ!」
アマテラスはそう言って私に手を差し出した。
……正直言う。私、こういうの大好きなの。ずっと憧れてたの。だから私の中にアマテラスの手を取らないという選択肢はない!
「そういう運命なら、なるしかないよね。……魔法少女!」
「いや、神託の戦士なんだけど」
もう私も中学2年生だ。馬鹿じゃない。小さい頃からずーっと魔法少女になるって言ってたけど、そんなのはフィクションの世界にしか存在しないことは分かっていた。
でも、そんな幻想は、幻想じゃなくなった。私は選ばれたんだ。この何十億といる人間の中から選ばれたんだ。……魔法少女に!
「だから、神託の戦士だって」
よし、頑張れ、私。いつも見ていた憧れの存在に、自分がなれる時が来たんだ。絶対にやってやる!
「アマテラス! 力を貸して!」
「うーん。ちょっとずれている気がするだけどな。まあ、いいか」
私の右手とアマテラスの左手が強くつながる。そこから光が溢れ、私達を包んだ。
「おおおおおおおお!!!」
やばいやばいやばい。もう言葉に表せないくらい興奮している。多分人生で一番興奮していると思う。今、人生で一番幸せかもしれない。
「さあ、幸絵! ボクの力を受け入れて!」
アマテラスの姿は見えない。でも、声は聞こえる。胸に温かい何かが注がれているのも感じる。アマテラスの力っていうのはこれの事なのかな? とりあえず黙ってこのままでいよう。
そう決めた後すぐに、胸のあたりに感じていた温かさが、全身へと広がっていく感覚があった。つま先、指先、髪の毛1本1本まで。そして私の体は突然光を放つ。
おお! ついに変身のお時間が来たのね! すぐにアマテラスが私に変身の合言葉を教えてくれるはず!
「幸絵! 神託、アマテラスって叫んで!」
「わかった! 神託! アマテラス!!」
私の胸が黄色に輝きだす。黄色の光はさらに光を増し、遂には私の体全身が光りだした。そう思った次の瞬間には私の身なりは制服から全く持って別のものへと変わっていた。
アマテラスが来ていたような白い巫女服がベースとなっている。しかし、上も下も丈がすごく短い。もはや半袖だし。下なんかミニスカートくらい短いんだけど。こんなに短いスカート今まで一回も履いたことないよ。
背中の方は特に何も変なところはないけれど、腰のあたりにすごく大きなリボンがついてる。膝くらいまで余ってる布が垂れるくらい大きいやつ。
髪型はいつもの三つ編みから何故だかショートになっていて、頭には水色のカチューシャがついてるのも同じタイミングで気づいた。髪の色も水色になってるし。
そして、一番光っていた胸の部分には太陽のマークが描かれた金色のエンブレムが輝いている。
「これが、変身……」
私は自分の体を見回して改めて自分が変身したことを実感する。それと同時に脳内では私の大好きなものが思い浮かべられ、高揚感を覚えた。
「……今死んでもいい」
「それはボクが困る! さあ、幸絵! 戦うよ!」
アマテラスの姿は見えないけれど、声は聞こえる。それに、どこにいるかもしっかりと分かる。私の心の中だ。
「うん! 任せて、アマテラス!」
私がそういうと同時に、周囲を包んでいた眩い光が消えていく。さっき今でいた
公園の風景が私の視界に戻ってきた。
でも、そこにフェンリルの姿はなかった。
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