二人、モノクロ

あゆう

COLORS LOST

 隣を歩く彼女が唐突に言った。


「ねぇ、アキヒト。私って今何色の服を着ているの?」


 と、一言。


「いきなりどうしたの?」

「ふと思ったのよ。私のお母さんって結構な少女趣味じゃない? まさか、私が色を分からないのを良いことに自分が好きなピンクの服とか着させられてるんじゃないか? ってね」


 隣にいる彼女の名前はアヤ。今年二十歳になる僕の二個上で二十二歳。そして──恋人だ。

 ちなみに名前を漢字で書くと【彩】。

 だが、その名前に反して彼女の目は色を映し出さない。


 アヤは約一年程前に事故に会って右目は視力を完全に失い、左目は色を失った。全てのものが白黒にしか見えないそうだ。

 しばらく入院していて退院したのも最近だから、今だって僕と腕を組んで家の周りをリハビリがてらに歩いている。危ないからね。


 そして肝心の服の色なんだけど……見事なピンクだ。それはもう上から下まで。


 アヤが着てるのは足首までの丈があるワンピースで、裾にはフリルがついている。腰には革製のベルトが付いていて、まるでどこかの令嬢のようにも見えた。


「アキヒト?」

「ん? あぁ、大丈夫だよ。アヤが着てるのは紺色だからね」


 もちろん嘘だ。


「そう? それならいいのだけれど。さすがにこの歳でピンクは勘弁だわ。それに、きっと私には似合わないもの」


 アヤはそんなことを言いながらフウッと溜息を吐く。切れ長の目にスっと通った鼻。小さな桜色の唇。一見冷たそうなイメージ与える彼女だけど、そこにピンク色の可愛らしい服はギャップがあって良いと思うんだけどね。

 あくまで僕は……だけど。


「それで今日なんだけどさ、いつもより歩いてみないか? むかし通ってた図書館が改築したみたいなんだ。どう?」

「いいわね。本は好きだもの」

「じゃあ行こうか」


 目的地も決まり、僕達は図書館に向かって歩き始めた。


 今は六月。ちょうど梅雨の時期ってこともあって、薄曇りの空に広がった雲の隙間から多少陽射しが入る程度。その為、いつ雨が降ってもいいように二人とも折りたたみ傘を空いた手に持っていた。


「それにしても良い天気ね。空が青いわ」

「その手に持っているのは?」

「……今のは笑うところよ?」

「あはははは」

「……ムカつく」

「どーしろと?」


 アヤがぶすっとしながら繋いでる手を強く握ってきた。ささやかな反撃なんだろう。たいして痛くもないからそのままにしておこう。


 そうこうしているうちに図書館が見えてきた。改築とともに増築もしたせいで以前よりも大きくなっている。それに伴って本も倍近く増やしたらしい。子供向けに流行りの漫画も置くようになったとか聞いたな。後で見てみるか。今日はお姫様のエスコートだしな。


「ついたよ。ここだ」

「あら、さっき聞いた通りホントに立派になったのね。と、とっても大きいわ……」

「おい」

「なに? さ、早く中に入りましょう。久しぶりに会員証作って何か借りようかしら……。ほら、何をしているの?」


 組んだままの俺のは腕を組んで引きながらそんな事を言う。表情はあまり変わらないけど、ウキウキしてるのが見て取れる。


「わかったよ」


 中に入ると以前とはまったく違う内装で本棚の数も比べ物にならない。壁際にはパソコンも設置され、インターネットを利用出来るようになっていた。

 改築前は、黒ずんだ壁に剥がれた床でカウンターにいる受付の前で手書きで貸出証を書いてたんだが……変われば変わるもんだな。


「ねぇ、一体いくらかけたのかしらね?」

「さぁね。けど、昔は全然居なかった利用者がこんなに増えたのはいいんじゃないか?」

「確かにそうね。それじゃあ私は色々見てくるわ。アキヒトも好きなの見てきたら?」

「大丈夫か?」

「ちゃんと気をつけるから心配しないで」


 アヤはそう言うと、小さく腰元で手を振りながら本棚の行列の中に消えていった。


「それじゃあ僕も適当に見てみるか……」



 館内をブラついて僕の手には現在本が数冊。もちろん借りる為だ。結構好みの本が揃ってたから今後も利用させてもらおう。

 割といい時間潰しになったし、そろそろアヤに声をかけて帰ろうと思いその姿を探す。

 すると、窓際に置かれた読書コーナーで夢中になって本を読んでいる姿を見つけた。

 来る時はただ下ろしていた髪を今は後ろで纏めて結っている。きっと読む時に前に流れてきて邪魔だったのだろう。


「アヤ、そろそろ行こうか」

「……え? あらアキヒト。そうね、そろそろ行きましょうか。時間は……結構経ってるわね。つい夢中になって読んでたわ」


 そう言うアヤの手元をみると、俺でも知っている作者の本だった。


「確か……『月が綺麗ですね』の人のか」

「そうよ。自分と同じ出身の作家の本くらいは読んでおこうと思って」

「なるほどね。まだ読んでる途中だろ? 借りていく?」

「いえ、いいわ」

「そっか。じゃあこれ借りて帰ろうか」


 そう言って僕は手に持っていた本を見せる。

 するとすぐに呆れたような顔をして溜息をつかれた。


「ずいぶんと難しそうな本借りるのね。表紙見ただけではチンプンカンプンだわ」

「大学からの課題で使うんだよ。てか、チンプンカンプンとかって今どき使う?」

「私はつかうわ」


 そう言って胸を張るアヤ。そんな彼女の背中を無言で押し、貸し出しカウンターに向かった。


「あ、ちょっと何よ。何か言いなさいよ」

「館内ではお静かに」

「もうっ!」


 会員証を作って借りた本をリュックに入れて外に出ると、外は少し雨が降っていた。霧雨程度でまだ本降りじゃないのが救いかな。


「じゃあ帰ろうか」

「そうね。あぁそうそう。アキヒトに言いたいことがあったのよ」

「何?」

「私が本を読んでる時にね、小さな女の子が来たのよ。私の服を指差しながらある事を言ったの。ねえ、なんて言ったと思う?」

「……ほら、雨が強くなる前に帰ろうか」


 これはまずい……。


「ふふふ、大丈夫よ。その為に傘があるんでしょう? それでその女の子ね、私を見てこう言ったのよ。『おねえちゃんピンクのお洋服でお姫様みたーい!』って。ねぇアキヒト? どういう事かしら?」

「……似合ってるからそのままで良いと思ったんだよ。それに、僕にとってアヤはお姫様だしね」


 さぁ、どうだ!? 嘘は言ってないけど、通用するか!?


「な、何を言ってるのよもう……。まったく……」

「それではお姫様、お手をどうぞ。ご自宅までエスコート致します」

「ふふっ、たまにはこういうのもいいわね……っ!」

「アヤっ!」


 僕が差し出した腕に掴まろうとしたアヤの体がふらつくが、すぐに支える。


「大丈夫か?」

「えぇ、ちょっと疲れたみたい」

「ゴメン。長居しすぎたな」

「謝らないで。私は貴方と同じ事ができて嬉しいのだから」

「けど……」

「まったく……そんなに謝るのなら、帰るまでしっかり私を抱きしめて連れて行ってくれる?」

「あぁわかった」


 俺は返事をすると同時にアヤの肩を掴んでしっかりと抱き寄せた。


「あっ……もぅ……」


 その後は、顔を赤くしたアヤをそのままの格好でしっかりと家まで送り届けた。アヤの母親に挨拶をしてから外に出る。玄関から出てすぐに二人の言い争いが聞こえてきたけど、まぁ、程々にね。



 翌日。

 俺は大学の講義が終わった後、アヤの母親に呼ばれて喫茶店に来ている。


「どうしたんですか?」


 そう問いかける僕への返答は、僕の今後を決めるのに十分なものだった……。



 アヤの母親に呼び出されてから三週間。

 僕の目の前にはベッドの上で上半身だけ起こしてこっちを見ているアヤがいる。

 ここは病院の個室。アヤはつい二日前から再び入院していた。


「あら、今日も来たの?」

「もちろん。はいコレ」

「ありがとう。コレは……」

「前に図書館で読んでたやつ。どうせ暇でしょ?」

「そうね、暇すぎて頭振り乱しながら看護師さんに文句言いそうになるくらいだわ。けど、この本があれば我慢出来そうよ。本なら色がないから、何も気にすることなく見れるもの」


 アヤは渡した本をペラペラとめくりながらそんな事を言う。


「それは僥倖ってやつだね」

「あら、珍しく難しい言葉使うのね。あ! そうそう、ちょっとお願いがあるんだけどいいかしら?」

「なに?」

「ちょっと泣きたいから抱きしめてくれる? 無理にとは言わないけど」

「いいよ。ただ、今日はちょっと汗かいたから汗臭いかもしれないけど」


 僕はそう言ってベッドの脇の椅子から立ち上がり、アヤのすぐ隣に腰をおろして手を広げた。二人分の重さが加わってベッドから少し軋む音が聞こえる。


「そこは我慢してあげるわ。私、年上なのよ?」


 そう言って僕の腕の中に体を預けてきたアヤを軽く抱きしめ、長く綺麗な髪に指を通しながら撫でていく。すると胸元からポツリポツリと声が聞こえる。


「……あのね、目だけが悪いわけじゃないみたいなの」

「うん」

「脳に影があるんだって」

「うん」

「今度手術する事が決まったわ」

「……うん」

「返事、そればっかりね。でも、そういう余計な事言わない所、好きよ」

「僕もだよ」

、言ってくれないの? 月が……ってやつ。ちょうど夜じゃない?」

「今日は月が出てないし」

「なら、アキヒトと一緒に次に月を一緒に見るまでは生きてないとダメね。それじゃ、今から泣くからそのまま抱きしめていて」

「わかったよ。ただ、アヤがもしも見える世界を失ったとしたら……僕は自分の目を抉り出してでも君に渡すよ」

「ふふっ、約束よ?」


 その後、僕が帰る時間までずっとアヤの事を抱きしめ続けた。



 その日から二ヶ月。

 僕は病院のベッドに腰かけて窓の外を見ていた。空には雲も無く、月がハッキリと見える。


『アキヒト、今日はちゃんと月がでてるわよ?』


 そんな声が聞こえた。


『どう?あなたには月がどう見えるのかしら? 私にはわからないの 』

「アヤ……。そっか、今日は久しぶりにハッキリと月が見えてるか……」

『アキヒトどうしたの?』

「月が……綺麗だね」

『やっと言ってくれた……。なら、私の返事はかしらね?』

「それは光栄だね」

『……』

「アヤ、僕は約束を守ったよ」

『……』

「ちゃんとこの月が見えてるといいんだけど」

『……』

「それにしても、アヤが見ていた景色はこんな感じだったんだな」

『……』

「これはちょっと慣れるまで時間がかかりそうだや」

『……』

「それじゃあ僕はそろそろ寝るよ。おやすみ」


 そう言って立ち上がると病室のカーテンをしめる。

 そのままガラス玉の入った右目でベッドの方を見ると、いつまでも表情の変わらないアヤの姿が頭に浮かぶ。

 右目を閉じると、左目には誰もいないベッドがうつる。後ろを振り返ると、ちょうど風でカーテンが揺れ……色のない月が見えた。




 ──十数年後


 教師になった僕に後ろから声がかかる。



「せんせ、その本好きなのかしら? 奇遇ね。私も好きなのよ」

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二人、モノクロ あゆう @kujiayuu

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