第5話 故郷の味とサバサンド

 学院都市エルビラのなんの変哲もない坂の途中の住宅の一室。

 注意事項だの次の予定だのをしばらく聞いた後に補助食品の追加を貰った、その後のことだ。

 美味しくミルクセーキ風、もしくは濃いめのフルーツカルピスのような飲み物を頂き、だいぶ満足していたスサーナは、なにか思い当たった、もしくはすこししまったかな、という雰囲気に眉を上げた魔術師に小さく首を傾げていた。


「第三塔さん?」

「どうか?」

「いえ、あの、もしかして、今頂いた補助食品カーセウムはこの後使う予定のものだったりしましたか? ええと、まだ前もらった分もありますので……」

「ああ、いや。そうではない。 ……君の飲食の予定を聞かずにそれを試させてしまったのでね。……甘いものだろう。食事の前には不適当だったと」


 話を聞いてみるに、どうやらもうしばらくで夕食時だと言うのに、その前に甘い飲み物を飲ませてしまったのはまずかったかと第三塔さんは一瞬考えたらしい。たしかにすぐにお腹がいっぱいという気分になるスサーナだが、流石にそれを気にされるのは五歳児の所業ではないだろうかという気がしみじみとする。


「それはご飯の前に甘いものを飲んだ幼児とかに対する物言いでは……」


 すぐに食べられなくなるスサーナだが、別に内臓が幼児じみているわけではない。と、自分では思う。

 気を張っていると食べ物の美味しさに意識を向けづらく、思考と時間を咀嚼して飲み込む行為に振り分けるのが面倒になるだけで、ご飯の前にジュースを飲んで食べられなくなるような方面ではない、はずだ。

 五歳児じゃないもんの気持ちを込めて静かに静かにぶすくれたスサーナは、いや、と小さく首を振って、なにか続ける気配を見せた第三塔さんにとりあえず一旦、拗ねてソファの隅と仲良くなるのはやめにしておくことにする。


「今回、手持ちに多少余裕があってね。あちらから多少食品を持ち込んだ。余剰分がいくらかあって、夕食一食程にはなるし、君が食事の予定がないようなら渡してもいいかと思っていたのだが……」

「む……。島の、食べ物ですか?」

「ああ。……行事食の類は、懐かしくなるものだろう。君さえ良ければだが――」


 その言葉とともに荷物の中から出てきた、どうにも真空パックに見えて仕方がない包みの内容にスサーナは思わずきらきらと目を輝かせた。


「あっ、これ、もしかして……サバのスモークです!?」



 夏本番がやってくる、ほんの少し前。

 塔の諸島の周りには、ちょうど金色に脂の乗った春の鯖がたっぷり回遊してくる、そんな時期のさなかに、奇妙な行事の日がある。

 行事、と呼ぶのもおこがましいようなそれは、「鯖の日」だ。


 多分もともと季節の鯖を美味しく食べるとかその程度のものだったか、でなかったら土用の丑的なやつだったのだろうと――春の終わりの鯖は美味しいものなので土用の丑というとちょっと違うのだろうが――スサーナは睨んでいるのだが、ともかくその日は市場の魚屋が山のように獲れたての鯖を店に出すのだ。

 特に神殿でなにか神事があるとか、家でどの神様だかに供え物をするだとかそんなことは一切聞いたことがないその行事の内容は、とりあえず一日、その日の献立に鯖を出すというものである。

 基本、ちょっと小さめで新鮮な春の鯖を、市場の魚屋で買ってきてはひたすら煮たり焼いたりして美味しくいただくのだが、近年流行だという風潮の一つに、サバのスモークというやつがある。

 いくら新鮮でもやっぱりしゃっと足が速い魚である鯖は、たっぷり仕入れるといくら飛ぶように売れても余るかどうかの判断がそこそこシビアなものらしい。

 それをスモークにすることで付加価値も付き、当日以前に用意出来ることで当日の天候と漁獲にも左右されず、しかも日持ちする。魚屋さん大喜びのその新たなる流行は、サバのスモークがもちろんしっかり美味しいということで島民たち、というか、台所を支配する女達に――さらに言えばそのまま皿に出して食べられるスモークは料理の手間が一つ減るという理由もあり――熱狂的に受け入れられたというわけである。

 島っ子であるスサーナももちろん鯖の日には鯖を食べてきたわけで、目の前に出されればピンとくる。


「もう島では鯖の日なんですね……。……魔術師さんたちももしかして鯖の日をやるんです……?」


 もしかしたらこの謎の風習はまたもや魔術師由来のものなのだろうか、と難しい顔をしたスサーナに第三塔はまあ、食べないこともない、と曖昧に頷いた。

 荷物が少ないほうがいい出張のさなかでも行うのだから、もしかしたら魔術師の側ではとても意味がある風習なのかもしれない。一体なにがどうなってそんなことになったのだろう、と首をひねるスサーナを第三塔はしばし眺め、それから鯖は好まないのか、と問いかけてきたのでスサーナは力強く首を振った。


「いえ、ちょっと行事の由来について考えていただけで……サバのスモークは好きです! でも。あの、頂いてしまってもいいんですか? 第三塔さんの夕ご飯に鯖の日をするのでは……?」

「いや。……食べようかと思ってはいたが、総量を見るといい。先程も言ったとおり、少し多すぎた。同行者も私も内部ではゆっくり食べるものに手をつける余裕がなかったので、携行食を食べていたのでね。君が持っていってくれればこちらは荷物を減らして戻れるのだが……」

「それなら……ありがたくいただきます!!!」


 言いながら第三塔が最近導入された小さなテーブルに積んでいくパックを見ると、確かに几帳面に一枚づつ真空パックしてあるように見える半身の鯖が五枚ほど、健啖な成人男性としてもちょっと一食分には多そうだ。

 そういうことなら遠慮するべきではないだろう。スサーナは大喜びでサバのスモークを引き取ることにした。ホッとしたようにうっすら微笑まれたので、流石に燻製とはいえおさかなを夏場の往復移動だというのに持ち帰りするはめになるのはよほど気が重かったのだろうか。


 ――一枚は第三塔さんのぶんとして……四枚! どうやって食べましょうね。こっちでもこれなら二三日は常温でも保つのかな。

 うきうきとためつすがめつしてみれば、どうやらサバのスモークは、島で日持ちをするように作るときのようにやや焼き乾かしたような具合ではなく、どちらかと言うとふっくらと焼けた塩サバめいて絶妙な温燻具合であるらしい。しっかりと暑くなる内陸、冷蔵庫なぞありはしない場所ということでああこれは日持ちしないなと少し残念になったスサーナだったが、内心を察したらしい第三塔さんが注釈するのを聞けば、どうやら謎の真空パックは簡易恒温庫とかいうものらしく、数日程度しか効果が持続しないものの、逆に言えば数日は灼熱の日向であれ湿った台所の棚であれ品質はしっかり保つらしいという。


 いつもながらの超技術力になんとも羨ましくなりつつ、一枚残して荷物の中にサバのスモークを大事にしまいかけ、スサーナはふとぴたりと手を止めた。


「そういえば、第三塔さんはこれから夕ご飯に鯖の日をするんですよね? どうお料理するんでしょう。ここの台所を使われて何か作られるんですか?」

「そうだな……」


 魔術師のサバ料理は島の普通のものと同じなんだろうか、というとどめがたい知的好奇心に押し流されてのものであったのだが、なぜか第三塔さんは明らかに虚を突かれたような表情をして視線を彷徨わせた。


「まあ……手を加えずとも口にできる物だ、そのまま食べても……」

「ええ……? 魔術師さんの鯖の日は、鯖の燻製だけ食べる日……というわけではないんですよね?」

「いや、そういう規定があるわけではないが……」


 そういう食べ方が大好きな人もいるだろうし、そうだとしたら口をだすのも申し訳ないのだが、真空パックの封を開けて端っこを出した鯖をもそもそ齧る絵面をうっかり想像してしまったスサーナはそれはなんだかとても侘しい絵面なのではないかと遠い目になる。

 サバの燻製は美味しい。見た感じふっくらといい具合の温燻の鯖なのだ、そのまま食べても美味しかろうし、そうしておつまみにしたら絶対にお酒に合う。

 だが、他の鯖に合わせる食材もないような気がするこの状態でそのまま食べるのはちょっと寂しすぎやしないだろうか。補助食品カーセウムは甘くてとろんとして美味しいが、ちょっと素直に考えると鯖と取り合わせがいいとはどうにも思えない。


「あ。もしや……」


 一瞬、魔術師の食卓の取り合わせのアリナシを真剣に考えかけたスサーナは一つの考えに思い至ってぽんと手を打ち合わせた。


「よく考えたら、第三塔さん、常民の台所に慣れておられるはずがないですものね……。」


 この住宅の台所は、多分、魔術師達が使う調理場と比べれば果てしなく原始的であると思われる。


 もともと外食を取り入れるスタイルの人間を想定したものであるらしく、商家の大きな台所を見慣れたスサーナの目からしても申し訳ないが貧相に見えるもので、ちょっとお料理が出来る常民だって先日ちらっと見たここの台所で料理をするにはそれなりの慣れが必要だと思う、あまり空気の周りが良くなさそうなおざなりな作りのかまどと、一応水が貯められるのかな、というシンクと呼ぶにはおこがましい四角い水桶を置くスペース、それと調理台がかつてはあったのだろう空間が台所を名乗る場所のほぼすべての構成だ。一応床は床石敷きで火や水に耐えるようになっているのがギリギリ台所の矜持という感じ。

 魔術人形に口頭で命令するとホットミルクが出てくる生活の人にいきなりここで料理せよと言われてもきっと困ってしまうに違いない。

 第三塔さんはそうだとも言わなかったが違うとも言わず、多分だいたいそういうことに違いないと納得したスサーナは、ふうむと一つ思案する。


 ――この後には今日は何も予定は入れていませんし。……まだ早い時間だし、市場に十分物はあるはずで……


「ええと、あの、第三塔さんはこの後はお食事をして……朝までは休んでいかれるのですよね? もしご迷惑でなければなんですが、その、鯖祭り、よかったらご一緒致しませんか? ええと、私も、貴族寮の部屋の台所を借りるのだとあまり珍しいものを扱うと気にされてしまうかもですし……お台所を借りられれば……あの、ついでになんですけど、一緒に……少し食べやすく位は出来るかなと……」


 申し出ると、第三塔さんは、予想外の言葉が聞こえた、というふうに二度ほど瞬きして、小さく目を見張ったようだった。

 そうしてみるとなんだかとても厚顔無恥なことを言っている気がしだしてふわふわと語調を失速させつつ、スサーナは内心ちょっと忙しくわたわたする。


 ――失礼だったかなあ。……食べるなら折角なら美味しいほうがいいのは他の魔術師さんたちとおなじだと思いましたし、屋台のごはんもそこまで口に合わなかったわけじゃないようだったから……私が作る程度のものでもなにもないよりはマシかと思ったんですけど……。

 ついでのことなのだからと申し出てはみたが、急に言われても困ることだっただろうか。一応饗応の際の試食なんかもしてもらったし、他人の手料理が食べられない人だとはこれまでの感じでは思っていなかったし、大丈夫だろうと思うけれど。


 エレオノーラお嬢様の部屋の台所を借りるとなると、侍女たちは保存向けの加工をされた魚は少なくとも上流階級の女性の食べるものではないと見做しているようで、干し鱈なんかを目にするとあからさまに眉をしかめるし、持ち込まないほうがいい。

 寄宿舎の人々だと逆に全部食べられてしまうかもしれないし、それも困る。せっかくの島の味覚なのだ。ジョアンぐらいになら少し分けてもかまわないが、先輩方に見つかったりすると、強い酒びたしにして食べるナマズの燻製と同じ扱いをされてはたまらないではないか。

 だから、一緒にいるうちに鯖にちょちょっと手を加えて食べてしまう、というのは相手の方側にもこちらにもメリットがあるいい案であるような気がしたのだが。

 一瞬の間にくるくると考え、いやでもこの後の予定もあるだろうし、いきなり言われたら困るようなことだったかもしれないとぽろっと妙な勇み足で厚かましいことを言ってしまったと結論づけたスサーナはそっとぴゃーっとなった。


「ええと、あの、でも、せいぜい火を使わない程度の手の加え方しか出来ませんし、衛生的にも万全とは言えませんし、素人料理に過ぎないものですし、ええとご迷惑だったら申し訳なく……」

「……いや。君さえ構わないなら、そうだな。そうしてもらえるとありがたい。」


 ぴゃーっとなったスサーナに首を振り、第三塔さんはなにやら少し笑ったようだった。




 ―――――――――




「ええと、それで、あのお店はこの時間ぐらいになるといい粉のパンを売るんです。貴族寮の学生さんの配達用の余剰を出しているんじゃないかって言われてて、数量限定なんですけど、街で売っているパンの中では間違いがないので、魔術師さんたちでも食べられないことはないんじゃないかなと」


 それからしばし。エルビラの学院通りにほど近い小さな広場で毎日行われている夕方市に、奇妙な二人連れが現れていた。

 学院の学生か、でなければ小間使いだろう、という少女が一人と、どこか場違いな雰囲気の、ひどく仕立てのいい衣装を着た青年が一人。

 貴族の学生を多く受け入れるエルビラの街のこと、学生の血縁の貴族と小間使いと思えばそのような組み合わせはそこまで珍しいものでもないものの、親しげにも見える様子で会話する二人組は貴族と小間使いにしてはいささか違和感があった。

 少女の方はこのあたりでときおり見かける、と思う者はもしかしたらいたかもしれぬ。整った顔立ちのようでも目をそらせば忘れてしまいそうにひどく印象が薄く目立たぬ娘だったが、青年の方は見慣れぬ、いや、見たことがあれば忘れはしないだろう、という具合に美術品じみて玲瓏とした容姿をして、すれ違う女達の目を奪うものだ。


 ――しかし、ううん、ちょっと落ち着かない反応ですよね……。

 スサーナは歩きながらそう考える。


 蛋白石めいた輝きが髪と目から差し引かれ、代わりに卑近な淡い金と青が載せられたことで魔術師さんたちの特徴らしい整った美貌から神々しさが引き算されたためか、今の第三塔さんの容姿は空恐ろしいような美しさと言うよりかはぎりぎりなんとか人の理解の及ぶものという感じなのだ。

 つまりさっきから道行く若い女の人たちが青天の霹靂のように恋に落ちました、みたいな反応を見せているのだが、さらにその状態からふっと興味を無くしたようにもとの進路に戻るということが繰り返されている。


 これはなにやら前回、お外で注文などをする際に認識欺瞞が掛かっていては透明人間扱いでだいぶ不便だし、完全に効果を外すのも望ましくないときがあるだろう、ということから種々の効果を色々調整したという新たな魔術のテストらしい。

 一部始終が認識できる状態であると、ぱっと顔を輝かせ目を潤ませた女性がこちらを注視した途端思考の空白に陥った感じに表情を抜け落ちさせ、目を逸らす、という一連の挙動がなにか偶にホラーめいて感じられたりもするので、これは是非とも要調整と判断してもらいたいと思うスサーナだ。


「次はトマトだったか。」

「はい。魔術師さんたちのトマトより癖が強いと思いますけど、青臭いのがおいしいレシピなので、これはこれでお口にあったらいいんですが!」


 ――まあ、面倒事が起こらないのが何よりなのかな。

 農家の出しているワゴン露店の店先で、デコボコで緑と赤のまだらになっている大きなトマトと、紫色でちょっとそういう品種の茄子っぽくも見えるトマトをなにやら興味深そうに眺めている第三塔さんを眺めてスサーナは思う。魔術師の手がそこそこ入っている島の市場はともかく、普段あまりこういう場所には来ないそうで、売り方や並んでいる品種が物珍しいのだそうだ。

 ――次の機会に気になったらそこの改善予定があるかどうか聞いてみましょう。

 次があるのかどうなのか判然とはしないが、屋台ごはんのプレゼンの機会もまだあるようだし、市場巡りだって今これだけ興味深そうなのだから、面白ければまた声を掛けてみたら一緒に来てくれると言うかもしれない。

 スサーナはうむと頷き、ぽーっと頬を染めて数歩近づいてきてはきょとんとした表情になって離れていくお嬢さんたちのことを意識から締め出すことにした。


 露店ではすこし尻腐れになっている真っ赤なトマトと、それから白い玉ねぎ、肉厚のピミエントピーマンと塩漬けの黒オリーブ、新鮮なレモンと、それからニンニクを一つ買う。

 ピミエントピーマンはたまに辛い当たりがあったりするし、パプリカがあればよかったのだが、そういえばトマトもピミエントピーマンも見かけるものの、肉厚甘いパプリカは島以外では見かけたことがない。

 そのことを第三塔さんに言うと、やはりというべきか、それは魔術師の嗜好品であったらしいということを教えてくれた。島の外ではハンガリー的な国が根気よく品種改良をするか、それとも魔術師の改良品を導入するかを期待するしか無さそうだ。


 岩塩と、オリーブオイルと、濃い熟成葡萄酢。ヤグルマギクのドライフラワーを散らした新鮮なハーブ入りバターに素焼きの瓶に入ったマスタード。それから雑貨屋でまな板を一枚とペティナイフを一つ。明るい黄色の地に青で花の絵付をした陶器のお皿を数枚と、調理用の木のボウル。手でも食べられるものの予定だが、念の為のカトラリーを二人分。



 広場ごとに時間になると簡易の市場があらわれるのだということや、本土の野菜の話、ついでにこの半月なにをしていたかのうちの、別に話す必要もない他愛のない内容までを話しながら坂の途中のおうちまで戻り、それからスサーナは第三塔さんにことわって台所を借りた。


 作るのは、比較的簡単で美味しい燻製鯖のサバサンドだ。


 素敵に肉厚でホックリとした金色の皮のサバのスモークは封を開けるとひんやり冷たくなっている。便利だなあと感動しつつ、最初に皮のカリッとした丸パンを切り、ハーブ入りのバターを塗った。なにか思案した第三塔さんがすっと指を動かすとちりっと音を立ててパンがいい具合にトーストされたので、火を使う予定はなかったはずのスサーナは魔術師さんたちの便利さをまた一つ噛み締め、ついでに燻製鯖の表面と、ピーマンも炙ってもらうことにした。


 まず野菜を全部洗って、炙ってもらったピーマンは表面を剥いて、みんなまとめて冷水で冷やす。

 水をザバザバ使うとちょっと排水に困るのがエルビラの台所というやつなのだが――洗い物はぜんぶ町中を流れる用水の洗い場まで行くという人が多いらしい――なにせここは一応にも魔術師の拠点だ。使う気などこれまで一切なかったようで放置してあった台所はスサーナが使い出す直前に全体的に水洗いされ、隅々まで奇麗になった状態で、手を上にかざすと水がざあっと流れるスサーナが水道と呼びたくなる装置と、排水が消滅するという謎のハイテク技術が水桶には急ごしらえで備えつけられたのでもはや使いたい放題である。水の出てくる蛇口には目盛りのついたレバーがあり、動かし具合で過冷却気味から多分70度ぐらいと思われる熱湯まで選べるというのだからなんとも手厚い。

 台所の設備のこれが何をする道具でどういう意図の配置なのかをスサーナがざっと説明すると、うわあという顔をしながらそうして使いやすく手を加えてくれたのだから、どうも第三塔さんは料理の基本は出来る人なのだな、とスサーナは思ったりもする。


 野菜が冷えたところで水を切り、なにか手伝えるだろうか、と言われたので半分野菜をおまかせしながらスサーナはトマトの悪いところを除き、細かい角切りにする。ピーマンと玉ねぎも細かい角切りで水に晒され、オリーブは軽く塩を抜いて輪切りにした。

 一体出来るのだろうかと思ったが普通に危なげなく包丁を使うのでやっぱり第三塔さんは料理が出来ないというわけでは無さそうで、しかし目に染みるのが嫌だったのか玉ねぎは目を離した隙に形を保ったままで見事な細かいブロック状に切断されていたので魔術を有効活用したのだと思う。

 一部は薄く輪切りにするのだと伝えたらなんだかがっくりしていたようなので、スサーナは少しだけ面白かった。


 刻んだニンニクをほんの少しだけ混ぜたたっぷりのオリーブオイルを掛けて、角切りになった野菜をよく混ぜ合わせ、黒オリーブをざっと混ぜ、塩を少し強めに。葡萄酢で和えて、薄い輪切りにしたレモンを載せる。


「あとは……ちょっと置くんです。そう長くなくてもいいんですけど、本当は冷やしたほうが美味しいので保冷庫があると良かったんですけど、ご用意いただいた給水装置というの、とても良く冷えますし。器ごと水に漬けて冷やしたらいいですね」

「……冷やすのはこちらでやろう。……保冷庫もあればあったほうがいいのだろうな。次来たときにでも入れておくとしよう。」


 器ごと水につけて冷やそうと思ったところ、常温でしばらくおいて直前に冷やせばいいと言われたのでそのあたりはお任せすることにする。


「そろそろいいですね。ええと、作ってしまってから聞くのは片手落ちですけど……ピリニャカはお嫌いだったりしますか?」

「いや。……あまり食べた経験はないものだが、構成的に好まないということは無さそうだ」


 ピリニャカをかっと冷やしてもらい、薄切りにして水にさらしてあった玉ねぎの水を切る。


「ええと、それでは、あの、味見をしていただけると……」


 冷えたピリニャカを一匙差し出すと、第三塔さんはぽかんとしてそれから匙を見下ろして少し逡巡したようだったが、スサーナが匙を引くタイミングをどうしようかと迷ったのを察したかぱくりと口に入れ、少し吟味した様子だった。


「ど、どうでしょう……?」

「……悪くない。」


 ピリニャカは平たく言えばトマトと玉ねぎとピーマンの角切りサラダだ。

 葡萄酢を入れないレシピもあるのだが、スサーナのおうちでは葡萄酢を入れて味を濃く作ってソース代わりにするという運用をよくしており、簡単にやれば火を使わずに作れて味も複雑なのでなかなか満足感があるものであるし、鯖にも合うのだ。懐かしい島の味を持ってきてもらったのだから懐かしさ縛りにしようというスサーナのこっそりの自己満足だった。


 表面だけいい具合に焼き目がついた温燻の鯖をそぎ切りにし、葡萄酢ののこりとレモンの残りを絞ったものを一部にかるく掛けておく。

 いい具合にバターの馴染んだパンにマスタードを少し塗り、そぎ切りにした燻製鯖を並べ、そこにどっさりとピリニャカを盛って葡萄酢のついた鯖をふたする気持ちで載せ、上にたっぷりさらし玉ねぎを並べる。削った岩塩をパラパラと掛け、最後にピリニャカの上に乗せてあったレモンを乗せて、パンでギュッと挟んで完成だ。


 長いパンをそっとカッティングボードの上に載せて、お皿を二枚裏返して上に載せ、居間に移動する。

 ソファの前に小さなテーブルを設置して、テーブルの真ん中にカッティングボードを置いて一呼吸。スサーナはギュッと押さえたサンドイッチを2つに切り、半分を第三塔さんの前に置いた。


「ええとあの、お口に合えばいいんですが……」


 断面を少し眺めて、それからぱくっと齧った第三塔さんの感想を待つのも落ち着かず、スサーナは彼に続いてあぐっとサンドイッチにかぶりついた。


 まず癖のないパンの香ばしさがあり、鯖の皮の香ばしさのあとに脂の甘味とスモークの香りが立つ。さくりと噛み切って噛むと、さっぱりとしたトマトと玉ねぎとピーマンに葡萄酢の香り高さ。口いっぱいに広がった燻製鯖の旨味と野菜の旨味を葡萄酢とレモンの酸味がまとめ、少し遅れてさらし玉ねぎの辛味が追いかけてきて口をさっぱりとさせる。


 ――うん、美味しい……はず。しかし良い鯖だなあ! どこの店なんでしょう、これは絶対に一番高いやつだ。

 むぐむぐと咀嚼しつつスサーナがじいっと見上げると、静かにサンドイッチを噛みつつこちらが食べる様子を見ていたらしい第三塔さんと視線がぶつかった。


「この野菜……これだけ口にした時も悪くないと思ったが、鯖と合わせると味にふくらみが出るのだね。……良い味をしている料理だと思う。」


 褒めてもらってわっとはしゃいだスサーナは、なぜだか妙に緊張したな、と思いつつも安心して二口目のサバサンドをぱくっと頬張った。それなりに他人に料理を振る舞うことには最近随分慣れたので、美味しいにせよいまいちにせよ、自然体で感想を聞くことぐらいは出来るかとはじめる前は思っていたのだ。

 しかし考えてみればそれも当然かもしれないな、と思う。なにしろ相手は国中で一番舌が肥えていそうな種族、魔術師なのだ。

 口にあうかどうか、と考えたら一番シビアな判断に違いない。いわば食通に料理を出した料理人の気持ちというやつだったのかもしれない。しかも頂いたものを料理してお出しするという経緯なのだから、それは美味しいものを出さないと失礼だし、相手を労るというか、侘しいものを食べるよりはという理由で手を出したわけだから美味しいものを出せなければまず意味がないわけだし。

 そう考えつつ、綺麗で優雅な食べ方であるものの、第三塔さんが結構な速度で手を休めずに食べ進めているようなのを見て、おうちのレシピは魔術師さんである第三塔さんの口にも合ってしまうのだ、とスサーナは誇らしい気持ちでニコニコしたのだった。


 食事が終わったあとで、バターやマスタードの残りはスサーナが持って帰り、第三塔さんが魔術でさっと洗ってしまった皿や調理道具などは作り付けの食器棚に入れておく、ということになる。

 ――お皿や調理器具があるなら、ちょっとしたものぐらいは今後も作れるかもしれませんよね。


 わざわざ増やすものでもないだろうが、今後検診の時にまたなにか作る機会もあるかもしれない。

 休息のための場所なわけだし、ゆっくり休むには携帯食品よりも気持ちを緩められるものがあったほうがいいだろう。本土ご飯そのままでは口に合わないかもしれないが、材料を選べば島の料理を比較的近い感じで再現することも出来るし、それなら口に合うかもしれない。スサーナはそう思い、次の機会までに何の調理器具を増やしておくか、企んでおくことにした。

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短編出張糸織り乙女~スサーナちゃんの異世界ごはん~ 渡来みずね @nezumi

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