“世界に関する100万の驚異的な記述と我が人生における逃亡見聞録”
籠り虚院蝉
“世界に関する100万の驚異的な記述と我が人生における逃亡見聞録”
ラノベを購入したり読んだりするのも云十年くらい前を最後にしていましたが、ブックオフに行ったら気になるタイトルを見つけたのでパラパラめくって中を確認したあと購入してみました。『“世界に関する100万の驚異的な記述と我が人生における逃亡見聞録”』というタイトルで、レーベル名は知らないし見たこともないです。川上稔の終わりのクロニクルシリーズ終盤とか京極夏彦作品並の厚さとページ数、もっとニッチなところで例えるなら講談社学術文庫版『道徳感情論』の1.5倍くらいの厚さです。つまり1000ページそこそこ。ネットで検索してみると、おそらく個人で細々やっていたであろう出版社らしいのですが、それ以外の情報はほとんどありません。出版社の倒産にともなって作品は全て絶版になってしまっているようで、しかも少部数発行らしく流通量もきわめて少ない。昔のコミケやコミティアなんかで売られていたのかもしれません。奥付等は破れてありませんが紙はだいぶ色褪せています。たぶん1980年代から1990年代くらいのものだと思います。元の価格は1,900円、古本価格で200円でした。
さて、そんな『“世界に関する100万の驚異的な記述と我が人生における逃亡見聞録”』ですが、作者は「ルイス・フロスト」という方です。いまで言う「カルロ・ゼン」みたいな外国人風の作者名を意識していたんでしょうか。明らかに中世日本史で有名な「ルイス・フロイス」が元ネタかと思うのですが。それに加え「逃亡見聞録」とありますが、こちらの元ネタは間違いなく歴史的に著名なマルコ・ポーロの「東方見聞録」でしょう。長文タイトル含め表紙からほとばしる情報量からしても、やはり同人誌かなと思うのですが、実際のところは不明です。
質素なソフトカバーの折り返し部分には簡単なあらすじが書かれていました。
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会社をリストラされ人生に絶望していたある日トラックに轢かれた
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ひと昔前のライトノベル、というよりは異世界転生モノの黎明期に大量発生したセオリー的なあらすじです。主人公の名前が今どきの若者っぽくない上に「リストラ」という言葉選びがそこはかとなく時代を感じさせます。
そして、ラノベには珍しく異世界の地図と目次まで付いていました。まずは目次から。
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第一部 異世界の逃亡者、その者の名はルイス・フロスト
第二部 春風の丘の大地、プリムストラント
幕間 春と夏の狭間
第三部 常夏の砂の大地、サブラスーラニア
幕間 夏と秋の狭間
第四部 薫秋の枯れ大地、レフィルモータニア
幕間 秋と冬の狭間
第五部 凍土の壁状台地、グラシスブラント
第六部 大空に消えた大地と竜王の首飾り
第七部 青地匡則、現実世界での新しい人生賛歌
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古い作品ではあると思うのですが、目次の付け方が10年以上前にアトラスから発売されたDS用RPGゲーム、世界樹の迷宮(通称“SQ”)シリーズの迷宮名みたいで、それが自分の中の琴線に触れたのかもしれないです。詳しくは検索してみてください。
地図に関しても羊皮紙にインクペンで描かれたような風合いの図柄に、明らかに地球のものではない大陸の平面図が載せられていました。この逃亡記でたどった道のりも破線で示されており、どうやら陸を渡り海を渡り、果てには大洋の真ん中で海深く潜ったらしいこともうかがえます。目次と同じように大陸は四つあり、それぞれが地球の四季のような環境になっているようです。中世風の地図にはよく世界の端あたりの箇所に架空のモンスターが落書きされていたりするものですが、この地図にも変な生き物がちまちま描かれています。あまり上手くはないですね。ルイスさん自身が描いたんでしょうか。
ブックオフでパラパラめくっている時にすでに気づいていたんですが、そういうわけで(?)この作品はかなりの割合で独白が多いです。独白の雰囲気もゲームブックのテキストに近い。例えばゲームブックによくあるテキスト「君は〇〇してもいいし、××してもいい」という少し読者を突き放して無機質に感じるような文章になっています。
ところがそれがとても真に迫っていて、この作者が本当に異世界に行ったかのような臨場感を感じられます。なぜだろう。読んでみてすぐにわかったのですが、とにかく異世界の描写が細かい。「大人が子どもの目を持ったら世界はもっと輝いて見えるだろう」とか、別の場面では「地球と異なるあらゆる事象がきらめきを携えて“君の目でしかと見てくれ”と訴えかけてくる」という作中の一文がありますが、その理由は前述のとおり圧倒的なまでの異世界の描写にあります。ラノベはほとんど読みませんが、ラノベにしては書き込み過多な気もしますけども。
作中、ルイスが見聞きする事物の多くは地球にある身近な事物に置き換えられて描写されることも多いのですが、この例えもじつに的確。異世界には「クウォール」という見た目がサワーソップによく似ているらしい食べ物(収穫したてはとても苦いが熟すとたいへん甘くて美味)があるのですが、これを「鉱物のように硬く先の尖った翡翠色の鱗状片が鮫肌のように果実を覆い、これを熱して剥がせば瑞々しい赤紫色の果肉があらわになる。住民はこの果実の鱗状片を鎧や武器、装飾品に、果汁は水分補給に、そして果肉や種子は熟したのち干して保存食にするのだという。熟した味はメロンに柑橘系のフレーバーを足した感じに似ており、繊維が多くよく噛んで楽しんだあとは吐き出して処理する」と描写している。どうやらガムのように
作中にはこの他にもさまざまな事物の情報が詳細に記載されており、博物誌や図鑑、設定資料集などが好きな人にはたまらない内容になっています。本当にラノベなんですかねこれ。設定に凝っているラノベは多かれど、ここまで凝っているのはなかなか見かけません。
物語的にも山あり谷ありとなっています。物語の目的は「なぜ異世界に転生し、しかもこの世界では稀代の悪党とされている者の体に転生してしまったのか。そして、元の世界に戻る方法はあるのか。いやむしろ、会社をリストラされた俺に戻る価値などあるのか。いまは何もわからないが、わからないままのたれ死ぬのはごめんだ。この旅でそれを見つけていこうと思う」という一文により冒頭部で明らかにされています。仲間となる人々は
また作中には魔物(魔法を使う生き物の総称)もいますが、たいていは絶滅危惧種で生息数自体が少なく保護対象になっているようです。魔物は妖精やドラゴンなどその辺のファンタジー小説と同じですが、保護対象になってるというのは意外とこちらの近代国家みたいな設定ですね。なお臆病かつ凶暴な魔物が大半なので魔物保護を専門とするギルド集団もあるのだとか。あくまで保護が目的で密猟とかではないそうです。
ルイスが旅をしていくうちに次第にこの世界の成り立ちや青地匡則が異世界に飛ばされた理由。そして、なぜルイス・フロストが大罪人として追われる身になっているのか明らかになってきます。ネタバレになりますが、今後この作品を読める人はいないと思うので書いてしまうと、ルイス・フロストはもともと探検家や記述家を生業としていて、一人娘がいたらしいです。その一人娘をある日大嵐で亡くしてしまい、その一人娘を蘇らせようと数々の禁断の魔法に手をつけてしまったのが世界中から追われる所以なのだとか。その禁断の魔法のひとつが成功して、青地匡則の魂がルイス・フロストの体へと転生してしまいました。「え? じゃあルイス・フロスト本人の魂は?」というと、どうやら彼の魂は魂で地球の青地匡則に転生してしまっているらしいのです。つまり『君の名は。』みたいなことが起きているのがこの作品のキモです。とはいえ青地匡則は転生直前にトラックに轢かれてしまったので、打ち所が悪ければ肉体としての青地匡則は死んでしまっている可能性が高く、それにともないルイス・フロストの魂も亡くなっている可能性は十分に考えられます。
そういうわけで魂としての青地匡則は悩むんですね。このまま当初の目的どおり元の世界に戻る方法を探していたら、いずれその時が来るのではないかと。向こうの肉体が死んでいたら、それこそ死を覚悟しなければならないのではないかと。しかも向こうの肉体が生きているか死んでいるかはわからないのです。それと同時にルイス・フロスト自身が陥っていた状況にも青地匡則は思いを巡らせます。一人娘が亡くなって生き返らせるために禁断の魔法に手をつけた親としての気持ちは、子どもがいない青地匡則にも理解できるものでした。
それでも青地匡則は元の世界に戻ろうと決意しました。もともとトラックに轢かれ死んでいたかもしれない人生にルイス・フロストという肉体を間借りさせてもらって、異世界でたくさんのことを見聞きし学んだことがいつの間にか生きる希望になっていたことに気づいたのです。ここで回想される青地匡則本人の子ども時代がすごく感動的なのですが、これはちょっと書かないでおきます。ただ青地匡則が優しい人間で、それによって多かれ少なかれ波乱万丈な人生を送ってきたというのは、ルイス・フロストに対する思いの巡らせ方に表れていたのかなと思います。
そんなこんなで青地匡則は大空に消えた幻の陸に棲むという竜王(でかい)に謁見してその首飾りをくぐらせてほしいと願います。旅の道中で、その首飾りはあらゆる願いを叶えてくれるものだとわかっていました。そして、竜王はその首飾りを自ら身につけることによって自身の肉体を滅びから守っているのでした。つまり、その首飾りをくぐるということは竜王が首飾りをはずすこと、すなわち肉体が滅んでしまうことを意味しています。当然竜王は拒否しますが、青地匡則もこればかりは譲れません。両者、禁断の魔法どうしを撃ち合う激戦になりました。
竜王の首を討ち、辛くも勝利したのは青地匡則。首飾りは床に転がり、あとはこれをくぐり抜けるだけで全てが元通りになるはずでした。しかしここで討ち取った竜王の首が青地匡則にさらに襲いかかります。お前はモロか。しかもここの描写、なぜか脊椎からずりゅっと首が動いて骨の蛇みたいな動きになっていたそうで、想像するとかなり気持ち悪いです。たぶんここだけでR15作品にしてもいいかもしれません。しかも首飾りを失った竜王の体は朽ちており、とても生きているとはいえません。
じゃあなんでまだ生きてるんだよ、という読者の疑問に答えてくれたのはかなり前に張られていた伏線です。常夏の砂の大地・サブラスーラニアにて、干からびた生物の死骸(主に骨)から魔法の始原の研究をしているアクア教授という人物がいたのですが、彼女いわく「死んだ生物の魂はどこかに留まっているはず」としています。この時点では青地匡則もふーんという感じにサラッと書き流しているのですが、竜王のおぞましい姿を見て納得がいきました。つまり、死んだ者の魂は竜王が首飾りの力で肉体の滅びから守るために集めていたのではないか……と。ここの伏線の張り方はとにかくびっくりして思わず膝を叩いたんですが、ルイス・フロストさんどこまで構想練ったんですかね。
青地匡則は素早くトリッキーな動きで地を這い襲ってくる竜王の首から逃れつつ、ついに重い首飾りをくぐり抜けました。新しい首飾りの所有者としてどこからか聴こえる
次に目ざめた時はまばゆい光と同じくらい白い病室でした。青地匡則はついに現実世界に帰ってきたと、ほろりと涙をこぼすのですが、同時にあの異世界で過ごした時間がすべて夢だったのではないかと急に不安になります。日々リハビリをこなしていくのですが、警察から事情聴取される過程でとある本を手渡されました。何やら古めかしい本の中を見てみると、それは青地匡則がルイス・フロストとして書いてきた旅日記でした。そして竜王との戦い以降にも日記は書き加えられていました。それはルイス・フロスト本人のもので、彼は彼で気の遠くなるような、実感のない旅をしてきた気がすると書いていました。驚くべきことに、ルイス・フロストはその後、大嵐で亡くした一人娘が夢の中で語りかけてきて、あるお告げのようなことを言われたらしいのです。「あなたはこれからパパになるのよ」と。そのお告げどおり、ルイス・フロストは新しい妻を迎えて新しい子どもも生まれ、幸せになったということです。
対して青地匡則も退院前夜、ある夢を見ます。それはルイス・フロスト本人でした。夢の中ならなんでもありかと疑う青地匡則ですが、ルイス・フロストから「僕の代わりに旅をしてくれたのは君か」と問われ、驚きます。そして「自室で目ざめ、あれからまた竜王の首飾りを見に行ったら、その場にまだ残っていた。だからいま君に語りかけられているのはそのおかげだ。この首飾りを使って君の願いを何でも一つだけ叶えたい。それからこの首飾りはバラバラにして、君たちの世界のどこかに隠してしまおうと思う」、「首飾りに願えばそれも可能だろう」と。
青地匡則は全部夢ではなかったと悟ります。ただ、願いを叶えるといっても願いなんか無いのでめちゃくちゃ悩みました。大富豪になりたい、いやいや。ハーレムしたい、まてまて。再就職したい、おいおい。などと考えを巡らしますが、何でもと言われると逆に何にも思いつかないのが青地匡則という人物。ところがそこで、あっ、と思いつくんです。異世界を旅して気づいた生きる希望について。
青地匡則の願いがなんだったのか、けっきょくこの作品には書かれていません。ここでこの作品と物語はあとがきも無しに終わってしまっているからです。自分が思うに、回想から彼は幼いころから孤独の闘いを強いられてきたので、ともに生きる人が欲しいとかそういう願いをしたんじゃないかなと思うんですが、まあこれも月並みな願いですね。たぶん物語を読み返してもわからないと思います。可能性としては低いですが一つ考えられるのは、ここは作者自身と青地匡則に共通する本当の願いを入れたかったけども、そうしてしまうと物語として書いてきた全てが水の泡になってしまいそうで怖かったから書かなかったんじゃないか説があります。憶測ですけどね。
1000ページを超える大著ですが、インターネットですら感想の極わずかなところを見ると、もしかしたら親しい間柄の人にしか渡らなかった代物なのかもしれません。
作者は存命なのか、そもそも本当にラノベなのか。なぜ作者名も青地匡則の名ではなくルイス・フロストの名で書いたのか。異世界のあまりにも詳細な描写は実際にそこに行ったとしか思えないほどですが、そのあたりもどうなのか。でなければ、どれだけ構想を練ったのか。
それら全て野暮な詮索に過ぎません。またこの作品を知る人を探し出すのももはや困難なので、ファン同士で作品について考察しあうこともできません。架空の物語を真実と騙るのはある意味で最も罪深いことです。ただ、その意味でももしかしたら人生で何度出会えるかわからない隠れた名作かもしれないことも事実。少なくとも自分はこの作品、ゆめゆめ手離したくないなと思いました。
“世界に関する100万の驚異的な記述と我が人生における逃亡見聞録” 籠り虚院蝉 @Cicada_Keats
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