第3話(タイトルなし)
ホームで電車を待つ俺の目の前に、まるでトリックのようにその女は突然現れた。
「貴一くんでしょ」
は?
「知ってるよ」
いや、え、そうだけど、
「君はいつもつまらなそうな顔をしてるね」
え、や、
誰。
「名乗るほどのものではございません、ってか?あはは。まあ本当にそうなんだよ。でもまあ、そうだね、『加奈』とでも呼んでよ」
「は?」
今度はやっと、本当に声が出た。
「お前は加奈じゃない」
「え?そのほうが呼びやすいかと思って」
「ふざけるな。誰だよお前。てか今どうやって現れたんだよ。なんかアレ?ユーチューバーの方とかですか?」
「いやドッキリとかじゃないから。あれだよ、わたし、死神?みたいな、そういうのなんだ」
え?意味わかんない俺はついに病気にでもなったのか?存在しないはずのものが目に見える系の?もう別れた恋人のことを引きずりすぎて?
「違うってば。話を聞いてよ」
「すみません人違いだと思います」
やばい確定だ。思考が伝播されている。病院。
俺はこれ以上誰もいない空間に向かって独言を吐いているのを周りに聞かれないようにくるりと踵を返し、自分のいま見たことの全てを無かったことにしようとして、
「聞いてってば!」
それはできなかった。
「いやまあ他の人に見えてないから貴一くんが独り言を言ってるように見えるのは確かだけどね。心の声は聞かないようにできるからもしそうして欲しいなら言って。小さな声で喋ってくれたら聞こえるから」
「いや、なんで、」
「それはごめん何に対して?あ、今ここに移動したこと?死神だから」
「そうじゃなくて、」
「喋っててもいいの?へんなひとになっちゃうよ?」
「本当になんなんだよ、誰だか知らないけど本当にやめてください、加奈に似てるのもやめてください、僕が、俺は、おれは病気なのか」
「うーんちがうけど。正確に言えば頭の病気とかではないんだけど」
その女は一呼吸置いて言った。実にのんびりと、淡々と、地球は丸いというような当たり前の事実を言うように。
「君はあと一週間で死ぬね」
「……は?」
「うんごめんね、わたしもこんなこというの嫌なんだけど」
「いや意味わからないです」
「そうだよね。でも事実」
「意味わからないです」
「うん。わかんないかもしれないけど話巻きで行くね。で、ここにね、なんでも燃やせるライターがあるんだけど、これを君にあげる。これで君は君を脅かす全てのものを、なんでも燃やすことができる。世界のどんなものでも。まあ物理的なものに限られるんだけど」
「……はあ」
「でもこれ、一日一回しか使えないの。だから実質君が死ぬまでの7日間、最大7回しか使えないんだけどさ。どう?あげるよ」
手を出して、と女は言った。キャパシティオーバーの頭はもはや何も機能することなく、俺は阿呆のように手を出した。その手にころりと転がったのは、本当に普通のライターだった。そこらのコンビニで売っているのと全く同じような、ソレ。そしてそれは不思議なことに、確かに重みがあった。
「それできーちゃんの嫌なものを全て燃やすんだ。君が死ぬ前に、全て、全て、むかつくものをけしてしまえ!」
別れた彼女にそっくりな、けれどどこかが(どこが、とは明確には言えなかった。表情筋の動かし方とか?)致命的に違うその女は、無邪気に煽るようにそう言った。
「きーちゃんはやめろ。流石につらいです……」
俺は初めてここで、小声になった。
なんだかよく分からないが、話は巻きらしい。とにかく俺は家に帰って、そのライターを使って普通に煙草に火をつけようとして、その女に怒られた。
「いやなんでついてくるんだよ。しかも浮きながら」
「だって死ぬまで君を見守るのが死神の仕事だし。それより本当に大事なとこに使って!」
「一番消したいのは自分自身なんだけど」
「残念、それはできない仕組みなんだな。それにどうせもうすぐ死ぬじゃん」
「クソかよ。まあそうだけど」
俺は電車に乗って、とりあえず会社の前に行った。流石に白昼に放火魔として捕まるのはまずい。ということで行ったのは夜。
カチッ。
会社の壁に向かってライターに火をつけると、そこから出た小さな炎はあまりにも一瞬でビル全体を包み、5秒も経たずに弊社は文字通り灰燼と帰した。
絶句する俺の前で、女はにたにたと愉快そうに笑う。
「ほらね」
「いやこれ……他の社員明日からどうすんの」
「心配しないで。なんかいい感じに他のとこに勤めてることになってる。けど、君のことは覚えてるよ」
「怖。世界って俺たちが知らない間に無限に改変されてんの」
「まあね。だからあのむかつくクソハゲは生きてるけど、燃やす?」
「マジかよ。てかなんで知ってんだよ。まあいいや消すわ」
次の日の夜、俺は会社の上司の家に行った。場所は女が教えてくれた。無論扉は閉まっており、窓の明かりは消えていたが、チャイムを鳴らす。
「河原、お前何時だと思ってんだ。なんで俺の家に、」
俺は無言で火をつけた。毎日毎日飽きもせず皆の前で俺を怒鳴り続けた上司を。クソハゲはまるで初めから存在しなかったかのように、目の前で一瞬で燃え尽きた。
その次は俺に友人を与えなかった大学を。その次は昔中学で俺を虐めたゴミカスを。その次と次は少し迷って、父親と母親を。
「本当に何にもなくなっちまったな。まあ死ぬ前にクソみたいな奴らを消せて、少しせいせいした」
「よかったじゃん。思い残さず死ねるね」
「なあ俺本当に明日死ぬのか」
「うん。なあに?怖くなった?」
「いや、……うーんどうだろう。実感がわかないってとこかな。死にたい死にたい言ってたけど、本当は死にたくなかったのかもしれん。でもまあどうせ死ぬのは決定なんだろ?楽に殺してね」
「どうかなー」
「痛いのはマジでやだ。頼む」
「それより、明日は何燃やすの?」
俺は一日目から決めていたことを口に出す。
「加奈を。加奈を消す」
「いいの?」
「俺は加奈がいなきゃ生きていけなかったんだ。あいつと別れて俺はもうこの世に生きてる意味がなくなったんだ。どうせ死ぬなら巻き込んでも許されるだろ」
「自分勝手だね」
「お前が言うのか?そういうとこばっかあいつみたいだ」
「まあでも君が決めたことならいいんじゃない」
「その顔に言われると変な気持ちになる」
そして、最後の夜。俺は忘れもしない元カノの家の前にいた。わずかに震える手先で、チャイムを押す。
「……はい」
一人暮らしの元恋人は、警戒もせずそのドアを開けた。
「……どうして、来たの」
「ごめんな」
俺はライターを加奈に向け、
カチッ。
「……あれ?」
カチッ、カチッ。
「何。危ないよ」
「なんで燃えないんだ」
「は?」
「なあどうなってんだよオイ、お前」
俺は後ろを振り向いた。この6日間ずっと俺の後ろに憑いていた女は、いなかった。
「なあ、おい、どこ行ったんだよ、加奈!」
「きーちゃん、どうしたの、変だよ」
「加奈!」
「ここにいるってば!」
「お前じゃねえよ、なあ、俺、今日死ぬんだ、この火がつけば、お前を燃やしたら死ねるはずだったんだ、お前を消したら!」
「意味分かんないよ、ねえ落ち着いてよ」
「うるさい!あああああああああああああ!!!!!!!」
――うそついて、ごめんね。
突然どこかから声が聞こえた。
「加奈!?どこにいる!?」
――それ、本当は一回燃やすごとに君の寿命が増えるライターなんだ。
「なに、いってんだよ、」
「ねえきーちゃん、どうしたの!」
――君は本当はあの日死ぬはずだったんだよね?だからそのライターをあげたんだ。どのくらい寿命が延びるかは教えてあげない。
「わけわかんねえ、お前は、なんで、」
――だから生きて。ライターのつかない夜を、君はこれからも生きるんだよ。
「ふざけんなクソ、てめえ、ふざけんじゃねえ、」
「ねえ、何があったの、誰と喋ってるの、たかかずくん!」
――だから、さよなら。
「待てよ!!!!!!」
そして声は二度と聞こえなかった。
二度と、聞こえなかった。
きーちゃんシリーズ なとり @natoringo
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