第11話

 どう言う理由で、増谷家に警察を入れたのかは企業秘密だが、その関係でその地の議員の殆んどが辞任し、新たに就任した議員たちは、急速な変化を市民に強要しているらしい。

「内向的な住民が多いからな。ある程度強引でないと、変えられるもんも、変えられん」

 カ・セキレイの元を訪れた若者は、恐怖政治かと顔を顰める男に、そう答えた。

「住民の声を聞くのはいいが、それだけでは始まらん。特に、治安の面では」

 人口が全国的に減っている日本で一番深刻なのは、折角生まれても成人するまでうまく育たない、子供の致死率の増加だ。

 子供を対象とした犯罪も後を絶たず、その内でも多くなったのが、家庭内での虐待が原因での死亡だ。

 昔の田舎が平和に見えるのは、錯覚だ。

 悪い所が明確に表に出ていなかったから、そう見えていただけで、都心の下町の平和さが田舎も同じと思われる要因になっただけで、実際は違う。

 それを指摘し、この地を変えようと訴えた市議員は、全国でも話題の人となっている。

「今は、怪しい道や市街の至る所に、監視カメラを市で取り付ける事を提案して、顰蹙を買っているな」

「? それは、逆に、今迄取り付けてなかったのか?」

「実は、殆どついてなかった」

 安全を思えば、当然の提案だというのに、なぜ顰蹙を買うのかと首を傾げるカ社長に、鏡月は金の瞳を細めて続けた。

「プライバシーを、侵害する気かと、根強く反対している連中がいる」

「?」

 公の場で、プライバシーも何も、ないだろうに。

 耳を疑った男は、つい言ってしまった。

「そう言う連中は、まともな奴らなのか?」

「残念ながら、まともな中年や老人だ」

 それに、政治や地元に興味のない若者は、流されている。

「若者の中に、もう少し危機感を持った奴が増えれば、変わるかもしれんが、まだまだ無理そうだ」

 もしくは、中老年の住民が、早めにこの世を去ってくれれば、少しはましになるかもしれない。

「いや、それは極論だろう。中老年の全員が、あの地の治安を楽観視している訳でも、ないだろう?」

「だが、これからが面倒臭そうなのだ。ついつい、上野の画策に乗ってしまったが、表からの作業が、ここまで難しいとは」

 嘆く若者に苦笑する男は、応接室で客を出迎えていた。

 あの事件が動いて、一週間。

 鏡月が、辻ながれの事務所兼画廊を訪れた、翌日だ。

「……」

 軽く、あの地のその後を話した鏡月は、向かい合ってコーヒーを飲む男に目を向けて、不思議そうに問いかけた。

「お前、釘刺しの刑を受けてたんじゃなかったのか? 逃れるのが、早すぎないか?」

 昨日の段階で、前日釘刺しされたと言う事だった。

 なのに、若者を迎えたセキレイは、普通にソファに座って接客している。

「偶々、昨日来たお客が、すぐに開放してくれた」

「……余計な事を」

 本音が漏れた若者を睨み、続けた。

「今回は、釘で皿の付け根まで刺されてたんだぞ。壁突き抜けて、隣の部屋まで届いてた。部下の一人がホラー嫌いで、失神しちまったんだぞ」

「お前の所は、バケモンしか雇用してないんじゃ、なかったのか?」

 血ごときで、なぜ失神?

 呆れた鏡月の前で、セキレイはしみじみと言う。

「叔父上が引っこ抜いてくれなきゃ、誰も引き抜けなかったんだぞ。大人としての矜持が、再び損なわれていたと思うと……オレは、立ち直れなかった」

 一度損なわれたのなら、今更だろうに。

 そう思ったが、口にはしなかった。

 引っこ抜いた人物を知り、警戒してしまったのだ。

「……その、叔父上とやらは、今日もいるのか?」

「? いや?」

「なら、いい」

 鏡月は小さく息をつき、表情を改めた。

「無事とは言わんが、シュウレイの子供は、保護された」

 のんびりとした切り出しに、セキレイも表情を改めた。

「そうか。あんたに頼んで正解だった、という事だな」

 ほっとした男は、年の離れた実の姉との初顔合わせの時を、思い出していた。

 義理の息子のコウヒが、妙に見惚れてしまった姉に挨拶した後、一緒にいた鏡月にこっそりと、気になった事を尋ねたのが、今回の頼みごとの発端だ。

 前に会った時にも、気になっていた。

 若者が持つ仕込み杖の中身が、見知った男の作り出した物ではないかと。

 今回、それを問いただしたのは、理由がある。

 それが、増谷家を探っていた時突如発生した、剣の気配だ。

 最近、あの男の話は、裏でも聞かない。

 だから、十中八九、その剣の元は、姉の体内で作り出されたものではないかと、そう考えて焦っていた。

 偶々、知り合いの細君を助けるために、シュウレイが動き出してしまったのだ。

「姉上は、あれが、旦那の所業とは、知らないんだろう。知らなくてもいい、絶対に」

「……」

 気を抜いて呟く男を、鏡月は何とも言えない表情で伺う。

 昨日の事を、どこまで話すべきか、悩むところだ。

「……十年以上も放置されていたら、あの男の気配も辿れない。オレとしては、未だにあの剣が作り出されている事実を知れただけで、有難い限りだったが、お前は、これで満足なのか?」

「気配はなくても、形跡は残っている。それを、辿る。まずは、それが出来るだけ、今迄よりは、はるかにましだ」

 今迄は、その形跡すら、残されていなかった。

 姉がいなくなった村には、村の住民のむごたらしい遺体の山と、焼き払われた住居の残骸はあったが、凶器が見つからなかったのだ。

「遠見をしようにも、それでは役に立たない」

 セキレイが身を置いていた里には、遠見を得意としている者もいた。

 だが、男の残した物は一つもなく、姉を探す手がかりすらも、無かった。

 男が作り出した物が身近にある分、まだましだった。

「近い内に、その遠見を召喚して、訪ねてみる」

「……そうか」

 確か、今日もシュウレイは、優と共にあの事務所兼画廊を、訪れているはずだ。

 鉢合わせは、意外に近そうだ。

 なら、鏡月があえて言う話ではない。

 若者は心の中でそう納得し、口を開いた。

「あの男を見つけるのはいいが、お前で、どうにかできる奴なのか?」

「出来る出来ないで答えるなら、出来ない事はない、としか答えられねえな」

「……どっちだ」

 答えになっていない。

「腕力は、同じくらいだ。能力と言われるものも、種類が違うだけで、同じくらい。体格はやや、オレより小さいが、あの精神力では、大幅に負ける」

「……」

 つまり、不利、という事ではないのか?

 目を細めた若者の気持ちに気付き、セキレイは眉を寄せた。

「今、失礼な事を考えなかったか?」

「確かに失礼だろうが、事実じゃないのか? お前では、勝ち目がない」

「そ、そんな事はないっ。あいつはな、自分に自信があって、どんな獲物にも物おじせずに突き進む。オレは、慎重に調べた上で、一気に突き進むのを、目標にしている」

「目標にしているだけで、実行しているわけではないのだろう?」

「実行してるぞっ。成功しているかは、半々だが」

 仕事面では、成功している。

 セキレイは、強く主張した。

「それに、あいつは、どんなに強かろうが、相手に触れられるかどうかが、大前提の強さだ。オレは、距離に関係なく、攻撃しようと思えばできる」

 薬に強い奴が、相手でなければ。

 攻撃に転じるのに気づかれなければ、こちらに勝ち目があった。

「問題は、奴が元々、うちの部下だったところだ」

 大問題だ。

「つまり、薬の類に、強いと言う事だろうが」

「そうじゃねえっ。血のめぐりを調べる人員として、招いた奴で、そこまで薬には強くなかった。ただ……」

 セキレイの体質も力も、よく知っている男だった。

 その周囲にいる、部下たちの事も。

「だから、おいそれと気を抜いてはくれない。オレたちに見つかるような襤褸を、簡単には出さねえだろう」

 手を下せる力があっても、相手が警戒していては難しい。

 誰か、別な者に気を取られている所を狙うしか、ない。

「……」

 苦々しく言い切ったセキレイを見つめ、鏡月は暫く無言だったが、静かに切り出した。

「一つだけ、方法は残っている。だが、それを実行するにあたって、約束して欲しい事があるんだが」

 そう前置きした若者は、返事を待たずに続けた。

「その方法で、追い詰めた男を手にかける役を、オレに譲れ」

「な……オレじゃあ、役不足だって言うのかっ?」

「役不足だな、完全に。大体、一人の相手を、追い詰めた後に嬲るのも、後味が悪いだろうが。心配せんでも、跡形もなく消し去ってやれる方法もある。それに……」

 細めた目に剣を帯びた鏡月は、言い切った。

「あいつだけは、この手で始末をつけたい」

 その為には、誰でも踏み台にすると、そう決めた。

 ……それが例え、誰であっても。

「……」

 完全に心を決めている若者を見、セキレイ静かに問う。

「誰かを踏み台にして、奴を見つけ出す、そう言う事か?」

「ああ。そいつとは、昨日の内に話がついた」

 というより、そいつからの提案だった。

「あの男は、珍しい剣を作り出せるのなら、食いつくだろう」

 移り気の多いあの男は、珍しい物に目がない。

 だが、一度手に入れたらすぐに飽きるタイプでもある。

 シュウレイを一度孕ませただけで、己が使える剣を作る事を止めて他の男に回し、剣を作る時だけ姿を見せた事でも分かる。

 鏡月の手元の剣も、すぐに売り飛ばされて、全く別な伝手で戻って来た。

 あの後、狙う気配はなかった。

 恐らく、そいつを使えるのも、一度きりだ。

「そいつの血は、特殊な色をしている。単に、オレとは違って色が濃いだけだとは思うが、それでも、珍しい色合いである事には、変わりがない」

「……そいつを、囮にすると?」

「ああ」

 男だから、そのまま直ぐに作り替えられる可能性は、高い。

 つまり、捕まってこちらが男を捕える前に、死に至っている可能性の方が、大きい。

「それでも、構わないと言っていた」

 それどころか、その方がありがたいと、知っているだろうと、微笑まれた。

 昔から、そう言う考えの奴だ。

 分かっているからこそ、その提案を反対できなかった。

 だが、反対できなかっただけで、そいつの生存を絶望視させる気は、なかった。

「これから先、奴はその血を隠さない方向で、動く」

 人間相手では通常通りにし、妖物相手の時は、敢て血を流して隠さない方向で、動く。

 そうすることで噂を流し、あの男に餌をちらつかせる。

「どこで、あの男が食いつくかの予想がつかん。だから……」

「その囮に、うちの部下を付けるんだな? 死角がないように」

「そういう事だ。あの男が奴に食いついた時に、お前が、オレに知らせろ」

 真顔で言い、鏡月はその囮の名を告げた。

「……は? ちょっと待て」

「説明は、難しい。だが、今いる人材の中で、最も適任なのは、こいつだけだ」

「そんな筈、ねえだろう? 体質は兎も角、血の色は普通のはずだ」

「ああ、隠してるからな。滅多な事がない限りは、ごく普通に見せている」

 目を剝くセキレイに、鏡月は詳しい話をする気はない。

 今日は人払いが済んだここで話しているが、それでも内密の話が長引けば、漏れる可能性も高くなる。

 こんなとんでもない話、絶対に聞かせられない奴がいる。

「引き受けたのか、あいつは?」

「ああ。だから、お前に頼むんだ。うちの奴らでは、殆どの顔を知られている。お前の部下の内、あいつと顔を合わせた事がない奴を見繕って、監視に割り振れ。それから、これだけは厳守して欲しい」

 畳みかける若者の顔は、先程より緊迫していた。

「絶対に、あいつの父親と、蓮にだけは、この件が漏れんように、箝口令をしけ。いいな?」

「……」

 目を剝いたままのセキレイは、無言で頷いた。

 鏡月の懸念は、よく分かる。

 半分も事情が分からないが、囮を名乗り出た若者が、どんな奴を捕えるための囮なのかを知られたら、邪魔される事必至だ。

 仕方ない事ではあるが、それでは誰の無念も晴らせない。

 その無念の多さを、鏡月は若者に突かれてしまったのだろう。

 だからこそ、若者の提案に乗る覚悟をした。

 だが、その無念と同じくらい、その囮の事も大事な存在だった。

「分かった。あいつは、絶対に死なせねえし、秘密は守る。だから……奴を捕らえたら、オレの目の前まで連れて来てくれ。死にざまを見ねえと、安心できない」

 セキレイも、誰にどんな責められ方をしようと、無念を晴らせるその時を、見逃したくはなかった。


 鏡月とカ・セキレイが、手を組んでいるのではと思ったのは、昨日だ。

 辻ながれの事務所兼画廊に、鏡月が訪れたのを知った時だ。

 蓮が、どうやらあの剣を気にしているというのは分かっていたが、鏡月まで現れるとは思わなかった。

 増谷を動かしていた狐の事は話したが、剣と白猫の絵画の話は、一言も話さなかったはずなのに、何故現れたのかと疑問だったが、あの後ながれ宅に仕掛けた盗聴器で聞いた話で、セキレイの影が見え隠れした。

 だから、囮の役を買って出た後、鏡月がどう動くかも予想していた。

 まさか、その時にはエン達が襲撃し、その翌日に解放される怒涛の日々を、セキレイが送っていたとは思わなかったが。

 その日、山を登って来た凌が、呆れたようにエンを窘め、事情を語る気がない男が渋々謝った場面を見かけ、セイはあの人も、中々に厳しい生活を送っているようだと感じた。

 だからと言って同情もしないし、簡単に監視できる人材を見つけられない画策は、させてもらう。

 二人の密談は、内容を聞くまでもなく想像できたから、その画策は難しくはない。

 セキレイの従業員で、信頼のおける人材には、すでに顔を知られ、自分も知っている。

 セイが知らない従業員を監視に当てるとしたら、新規に雇うしか手がない程には、こちらも情報を得ていた。

 どちらかというと苦手な人の会社の把握のために、情報をかき集めただけ、だったのだが、思いもよらない場所で役に立つことになった。

 自分としては、囮としては勿論、おびき出せたら知らせて足止めをするつもりで、この役を買って出たのだから、鏡月も少しは信用して欲しいものだが、やはり信頼度は薄い様だ。

 実力が足りないからというより、渡りに船でこの件を提案したと、気づかれているのだろう。

 つい溜息を吐いたセイを見とがめ、隣で愚痴の様な説教の様な言葉を並べていた男が、眉を寄せた。

「こら、聞いているのか?」

「あ、はい。その件は、すみませんでしたと、言伝お願いします」

「……」

 すぐに答えた若者を見つめ、銀髪の男は呆れたように言う。

「別に、謝れとは、言っていないだろう」

「ですが、その件は、それ以外にどう対応しろと?」

 最もな疑問に、凌は苦笑した。

 松本勝は、先日の事件で信じられない話を聞いた。

 高野信之からすると、話の延長線上の話だったのだが、勝はそう取らなかった。

「雨樋を修繕するくらい、自分で出来ますよ。素人のDIYなんで、玄人の人から見れば雑でしょうけど」

 使う竹が、山で手ごろに手に入らなかったため、塩ビパイプを購入した事を、何故か最近になって、松本建設の社長が知ったらしい。

「天然素材だったんで、定期的に変えていたんですけど、ちょっと見ない間に、この山の竹林が、太すぎるか筍や細い竹しかない程のものになっていまして。丁度いい竹が成長するまで待つより、この際永く使える物に変えようかと思い立ったんです」

「思い立ったのなら、まずは、玄人に相談してみた方が、良かったんじゃないのか?」

 その相談するという発想が、思い浮かばなかったセイは、男の言に空を仰いだ。

「……やはり、世話になっている方からすると、財をうまく回す気配りが、いりますか?」

「いや、そう言う配慮じゃなく……ああ、そうだな、あいつに相談したら、非番の従業員をこっちに回して、ただ働きさせそうだな」

 そういう事は、遠慮したい。

 口に出さなかったのに、凌はしみじみと頷いた。

「そうだよな。いくら何でも、ただ働きさせるのは、やりすぎだな」

 何だろう、何か変な話が、持ち上がりそうな気配がある。

 永年、妙な思惑を持つ面々といると、ついつい、疑ってしまう。

 だから、不意に思い出した事を、尋ねてみたのだった。

「つかぬ事を訊きますが、小父さんは、ヨバイをされたことがありますか?」

「ん? 何だって?」

 凌が訊き返したのは、一瞬、その言葉がどういう意味なのかを、把握するのが遅れたせいだ。

 片言のその言葉を、一通り区切って見て、意味を解し、目を剝く。

「何で、そんな話が唐突に、こんな場所で出て来るんだっ?」

 唐突過ぎる話だというのは理解しているセイは、神妙に頷いて答えた。

「小耳にはさんだ話で、気になってしまって……どうやら、人が婚儀の後、夜にする行動の様なんですが、ある人が男にそれを行ったと言っているのを聞きまして。婚儀と言うと、所帯を持つと言う事ですよね? 男女が揃ってする事なのかとは思うんですけど、ヨバイをするのとされるのに、違いがあるんですか?」

 難題が飛び出した。

「ち、ちょっと待て。その前に、何か考え方が間違っていないか?」

 混乱した凌は、全く別な問題を指摘した。

「そもそも、婚儀をするほどの間柄の男女は、夜這いする必要が、ないだろうっ?」

 大昔ならば、夜這うことを婚儀と同意の意とする向きもあったが、今は男女どちらがされても、罪に問われる。

「でも、そう言う趣向で楽しむ夫婦もいると、言ってましたよ」

 誰だ、そう言う話だけ、面白おかしくこの子に吹き込んだのは。

 丁度、茶を運んできたエンが、思わず心の中で毒づいた。

 誰だと毒づいたものの、犯人は分かっている。

 この世に、既にいない男だ。

 恐らく、婚姻をした女の元に、こっそりと通っているのを見とがめられて問われ、いい加減な事を言ったのだろう。

 思わず苦い顔になってしまうのを何とか抑え、セイの兄貴分の男が湯飲みをテーブルに置いて立ち去るのを見送ってから、凌は咳払いして尋ねた。

「色々、言いたいことはあるが、まず、何で今、その事を気にしているんだ? もしや、それをするあてがあるのか?」

「いえ。全然」

 あっさりと首を振り、首を傾げた。

「最近、小耳にはさんだんです。それで、昔聞いた話を思い出して……最近聞いた話と同じで、知り合いの女が、知り合いの年下の男に、それを実行しようと思う、という話をしていたのを思い出しまして。同じように、それをすると言っていた男は、そこまで身なりに頓着していなかったのに、その女の方は、身近の女と協力して、妙に身ぎれいにして行ったので、何でそんなに男女で違うのかなと」

 若者の疑問より、その男女が誰なのかが、非常に気になる。

 凌がそんな事を考えて唸る中、それとなく話を聞きながら家の雑用をこなすエンは、その男女を特定していた。

「……兄妹揃って、考える事は一緒だったのか」

 仕掛ける相手の方にも心当たりがあり、浮足立っていたあの頃、知らない内に起こっていたことが今、浮き彫りになった。

 女の方の相手は、女の死後は更に淡白な性格となり、色事のいの字も見受けられないまでになっている。

 男の方の相手は、ひ孫までいるお婆さんだ。

 死人を責めるわけにはいかず、秘かに溜息を吐いてしまうエンの耳に、真面目に言葉を乗せる凌の声が聞こえた。

「そうだな……大体、大昔の感覚だと、男の方は気軽に女の元に入れた。その上、相手の承諾など考える必要もない場合が多かった。要は、力づくで事を進めればいいだけだからな」

「……」

 目を瞬くセイの心境に気付かず、男は少し考えて、逆の立場の者の話を続けた。

「女の方は、力づくが難しい分、身なりを綺麗にしていく必要は、あるだろうな」

 暗いから、そこまで気にする事はないだろうに、己の魅力を最大にして、女たちは挑んで来る。

 正直、恐ろしかった。

「押したらすぐに倒れそうな、小さな女が多かったからな。倒れる事で悲鳴を上げられたら、逃げられない。だから、本当に丁重に、閨から追い出した。一二度、逃げられなかったが、つまらなかったんだろうな。その後は通ってこなかった」

 いや、それは逆に、通われることを期待されていたのでは?

 エンはついつい、心の中で突っ込みを入れた。

 情を交わしたことで男に気に入られたと思い込み、自分の寝床で心待ちしていた女達が、少しだけ可哀そうな気がする。

 期待をかけられる側からすると、その心境は謎なのだが。

 色恋に疎いセイは、男の言葉に何の裏も見出さず素直に飲み込み、重ねて問いかけた。

「その、一二度逃げられなかった一人が、母ですか?」

 答えにくい事を、平然と訊く。

「い、いや。カスミ達と離れてからは、そう言う、寝込みを襲われる事は、なかったから、その辺りは、気にしなくていい」

 平然と答えているつもりのようだが、声は裏返っている。

 それに、夜這いというのは寝込みを襲う事だと、しっかりと暴露してしまっている。

 何だか、こちらとしては溜飲の下がる状況だ。

 エンは、悪趣味と思いつつも、それとなく聞き耳を立てている。

 若干、しどろもどろで答える男に頷き、セイは再び問いかけた。

「もしかして、松本さんから何か、変な申し出がありましたか?」

「こら、何で、いきなりそっちに話が飛ぶ?」

「戻しただけですけど」

 にっこりと笑った若者は、何を言われても大丈夫な心の準備を、先程の質問の間に終わらせていた。 

 ただ単に、心の準備のための時間稼ぎで、動揺させられたと気づき、凌は一瞬唖然とし、つい低い声を出した。

「大人を、揶揄うもんじゃないぞ」

「揶揄ったつもりはないですよ。気になってはいた事です。訊いている内に、何となく分かったので、この位で話を戻そうかと、思っただけで」

 何となくでは、困るのだがとエンが秘かに嘆く中、話の変化にようやく追いついた凌が、咳払いをした。

「実はな、松本建設に、古谷家から建築物の依頼があった。内密に、しかし豪華な内装の立派な建物を作って欲しいと」

「そうなんですか」

 古谷家は、何人か寺の僧侶としての弟子もいる。

 独り立ちさせる手筈かと、軽く頷く若者に、男は薄く笑って言った。

「どうやら、お前さんの写真を引き伸ばして、飾る計画らしいんだが」

「設計段階で、止めて下さい」

 真剣な返しだった。

「図面が出来たら、手遅れです。あの人たち、手が恐ろしく早いんです」

「止めるのはいいが、その代わりになる見返りが欲しい」

 崇める物が出来て、喜びに興奮する面々に、水を被せる行為だ。

 その行為のショックを上回る、何かいい話をセイから引き出したいと、男は真剣に語った。

「いい話、ですか? カスミの息子の一人の分身が、害のない物になったので、めでたく本人に戻せそうです」

 若者は、真顔で言った。

 宮本満繁の分身の狐は、あの後寿の希望通り、雅に張り憑けた。

 すると、急速に体を縮め、今では子狐大の大きさとなり、力もなくなった。

 逆に、雅の色香が増えたかというと全く変わらないから、あの力は何処に消えたのかと、見届けた面々は不思議な面持ちでいる。

「そういう、お前さんに全く関係ない話ではなく。聞いた話なんだが、ここにお前さんの顔を見に来れない、顔見知りがいるんだってな?」

「見に来ない、の間違いだと思いますけど」

 年末年始や盆にでも、見たいとは思わないから、来ないだけだろうという若者に、凌は神妙な顔で首を振った。

「お前さん、そんな自分本位な理由で、交流を途絶えさせているのか? いくら血縁関係はなくても、一度世話になった者には、苦手でも挨拶ぐらいはするのが礼儀だ」

 逆に、挨拶しやすくするのも、礼儀じゃないのかと、男はしたり顔で、妙な事を言い出した。

「?」

「つまりな、世話になったお前さんに、挨拶できない程遠方にいる者や忙しい者にも、挨拶の機会を与えてやってはどうだ? そうすれば、偶像を拝むという思考には、ならないと思うぞ」

「……つまり、こちらから、あいさつに出向けと? なるほど、確かに、一理ありますね。年賀状や暑中見舞いが、古谷家に私宛で届くんです、大量に」

 そういうものが送られて、古谷家のポストが破裂する前に、自分から訪問して挨拶をすればいいのかと、セイは真顔で手を打った。

「ん? ポストが崩壊しそうな程に、葉書が届くのか? お前さん宛に?」

「ええ。住所が不定なので、古谷家に届くんです。あの中から、古谷家の住民宛の物を探し当てるのは、大変なんです」

「埋もれている、古谷家の住民宛の葉書探しが大変なのは分かるが、他の葉書も罪はない。罪なのは、お前さんが何の反応もしない事じゃないのか?」

「成程、反応ですか。色々と、思わぬ指摘があって、驚きました。これが、目から鱗と言う奴ですね」

 いつ覚えたのか、そんな言葉を出して、一人頷いている。

「今年から、年末に挨拶回りしてみます」

 すぐにそう決定したその行事が、その後年末の最大行事へと発展することを、セイは知らない。

「……」

 年賀状を出す顔見知りで、年始に顔を出す者以外を選っても、かなりの量になる事も、玄関先で挨拶して終わらせる訪問先が一軒もない事も、その時のセイは分かりようがなかった。

「……まあ、失敗は、何事でも経験になるから、放って置くか」

 その想像がついているエンは、困惑する弟分を想像しながらも、放置することを決めたのだった。

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私情まみれのお仕事 治安絡み編 赤川ココ @akagawakoko

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