第3話  長女から長女だけが

「掃いてくれたお礼ってなに、おばあさんはいつも自分の家の庭を掃いてるだけだよ、ねえなんのお礼なの、ねえ」

「お母さんもお世話になった人だから」

「やっぱり知り合いなんじゃない」

「なっちゃんはこんな経験したことない。初めて行った場所なのに、ここっていつか見た景色だって。そう思った事ない」

私はすぐに思い浮かんだ。

「紅葉、蔵王に行った時」

思い出した。あの時がそうだった。

家族で蔵王に行った時ロープウェーで山頂駅に着く寸前に振り向いた光景、前にも見た覚えがあった。いつだったのか思い出そうとしたけどあの時は優茉とふざけているうちに忘れてしまったんだ。

「それってね気のせいなんかじゃない、本当に一度見ているのよ」

「でも、あの時は生まれて初めて蔵王に行ったんだよね」

「そうよ、何度目かの初めて」

「何度目か」

「なっちゃんは今朝学校に行く道で倒れてここに運ばれた。点滴されたけど貧血なんかじゃないわ。見たでしょ、たくさん並んでいた自分」

「おかあさん知ってるの」

あれっ病室だ。いつの間に戻ったんだ。

「たくさん見えたのはみんななっちゃんだからなっちゃんはなっちゃんね、たくさんの自分が今を経験しているだけなのよ」

お母さんの目が真剣だった。

その目に吸い込まれるような気がして、気が付くとまた今井さんの家の鉄の門扉の前に居た。

慌てて後ろを見た。誰も並んでいなかった。振り返るとおばあさんが庭を掃いていたた。きょう何度目かの今井さんの門の前だ。

「大丈夫よ、時間が戻った訳でも繰り返してるわけでもないの、今は今であなたは一人だけ」

「でもここでいっぱい見たよ、みんな私だったよ、髪も赤かったし私だった」

「そうよ、あなたの中にあなたがたくさんいるの」

「でも並んでいたよ、私の中じゃなくて、ここに、今朝ここで見たんだよ」

「今朝じゃないわ、全部が今なの」

周りが白くなった。

あっまた病室。ううん、ずっとここにいるような気がする。でもなんでいつも今井さんの家の門扉の前の気がするの、どうして。

「たくさんのあなただと思えばいいわ」

ああ良かった。おかあさんはいたのね。

「時々もうひとりの自分と話す時ってあるでしょ」

私はしょっちゅうだ。私はいつも自分と話している。

「もう一人なんかじゃないわ、もっとよ。あなたの中にいる数えきれないあなたがいて、あなたと話しているの。その人たちが見えただけよ」

「どうして今まで見えなかったの、ねえ」

「最期に見えるのよ。女の子ってね、産まれた時にたくさんの自分が見えているんだって。どうしてって訊かれてもそれは分からないけどそうなんだって,おかあさんもおばあちゃんに聞いておばあちゃんのおばあちゃんもそう言ってたっていうから」

「あんな風に見えていたのかな、生まれた時に。でもまた見えたって事は私って」

「おかあさんもね十九年前に見たわ、たくさんの自分を。あの時も今井さんのお庭におばあさんがいた」

私は死ぬほど驚いた。十九年前の意味も分かった。分かっていたけど一応訊いてみた。

「その時って私、お母さんの中にいたの」

「その二か月後に病院で分かったんだけどね」

おかあさん知ってたんだ。私が妊娠しているのを。

「なぜか長女だけなんだって、おばあちゃんがそう言っていた。長女が長女を宿した時だけの謎だって、そう言ってたわ」

そう言って今井さんのおばあさんに頭を下げてくれた。

あれっやっぱり病室じゃない。

おばあさんがちょっとこっちを見るそぶりをしてサッと竹箒で掃いた。

おかあさんが消えた。

ゆらゆらと昇っていた煙が真っ直ぐ吸い込まれ灰になった線香がはらりと崩れた。

「行ってきます」

私かと思うほどそっくりな遺影が少し微笑んだ気がした。

孫を抱っこしてみたいと言っていたお母さんの夢は叶えられなかったけど、おかあさんが入院中に編んだという形見のおくるみを使えそうだ。ピンクだったのは生まれてくるのが女の子だって分かっていたからなんだね、おかあさん。

母親に一万本目のお線香を捧げる時、娘は不思議な体験をするって本当だったんだ。

一年後、私は母親になった。

ピンクのおくるみで初めて出掛けた朝、私は久しぶりに今井さんのおばあさんが見えた。

声を掛けてみようか門扉の前で立ち止まって迷っていると、竹箒で掃いていた手を止めてこっちを見た。

私が抱いている娘を見ていた。

私はもはや今井さんのおばあさんに親しみを持っていた。私にだけ見えている庭を掃いているだけのおばあさん。だから、私も母親になれた報告がしたかった。

いつもそうしていたように軽く会釈をして、おくるみで隠れた顔を出しておばあさんの方に向けた。

「ダメ、見せちゃ」

おかあさんの声だった。私がずっとおかあさんの声だと思っているおかあさんの声が聞こえた。

おばあさんに向けようとしていた娘の顔を慌てておくるみで隠した。

赤ちゃんをあやす表情が曇り、また竹箒で庭を掃き始めた。

「なっちゃん、なっちゃん」

呼ばれて目を覚ました。やっぱり病室だった。

でも私を呼んでいたのはお母さんではなかった。

どこかで会った事があるよね昔、そう言いかけた。

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