第2話 お母さんは知っていた

朝、ご飯をちゃんと食べさせますと、救急外来の先生にお母さんが頭を下げて一緒に帰った。お母さんと歩くのって何年ぶりだろう。

「女の子が倒れているって通りすがった誰かが電話で救急車を呼んだらしいわ。救急隊員が着いた時はそこに横になっていたみたい」

今井さんの家の鉄の門扉の前だった。

私は今朝、いつものようにここでおばあさんに会釈した。あの時初めて目が合った、気がした。

おばあさんは私を透かして私の後ろを見ていた。だからだ。だから私は振り向いたんだ。

そうだ、すっかり思い出した。

あれは何だったんだろう。

私が列をなして並んでいた。むこうを向いている自分だった。鏡なら振り向いている自分と目が合うはずだけどみんなあっちを見ていた。変な赤っぽいショートカットの後頭部。細い脚と小さなお尻はまさに私だ。そんな私が百人、もっと居た、その前にもずっとその先まで一列に並んでいた。

その事をお母さんに言っても理解してくれないだろう。

私は門扉の前で後ろにいるお母さんを振りむくのが怖かった。

「あなたってひょっとして、ここから誰かが見えているんじゃないの」

お母さんの手が肩越しに伸びて今井さんの家の庭を指した。いつもおばあさんが竹箒で掃いている場所だ。驚いたけど私は振り向けなかった。

「やっぱりそうなんだ」

「そうなんだって?」

私は庭を見たまま言った。

お母さんが私の前に来た。

「ひょっとしておばあさんでしょ、こうやって箒でお庭を掃いてるんじゃないの」

「お母さん知り合いなの、今井さんのおばあさんと」

「知り合いっていえば知り合いかな、お母さんも高校生の頃会った人だと思うわ」

「まさか、だって私が生まれてからこの町に来たんでしょ」

お母さんの目が真剣だった。

「千葉の実家、おじいちゃんの家、知ってるでしょ、お母さんもね駅までの道で毎朝会うおばあさんがいたの。白い割烹着で竹の箒で庭を掃いていたの。雨の日もよ。でもね、ある日分かったの。お母さんにしか見えていないって事が」

「じゃあ明日の朝、一緒に駅まで行こうよ、今井さんのおばあさんがお母さんが昔見たおばあさんなのか確かめてよ」

「ふふ、私もね、おばあちゃんに同じ事言ったわ高校生の時に」

「で、一緒に行ったの」

「うん。でもその日からおばあさんは居なくなってしまった」

「なんで、どうして」

「でもね、おばあちゃんも同じ経験をしていた。おばあちゃんの話だとおばあちゃんのお母さんも、そのお母さんもね」

「じゃあ私だけじゃないのね、みんな会ってるのね」

嬉しかった。理由は分からないけどホッとした。自分だけじゃなくお母さんもおばあちゃんもって事は、うちの家系ってことだ。満里奈もみっちゃんやサーリや理沙絵に見えなかったのはそういう理由だ。

「じゃあ優茉も見えるんだ」

「あの子はまだ子供だから。それに長女だけみたいなの。百合絵叔母さんも沙也加叔母さんも電車通学してたけど会っていなかったわ」

お母さんはまだ何かを言いたげだった。そのお母さんの瞳に映った私の後ろで何かが動いた。

「なっちゃん、なっちゃん」

お母さんに呼ばれて目を覚ました。私はまだ病院のベッドの上にいた。

「ねえ、さっきおかあさんも見たでしょ、今井さんの」

「またその話」

「またっておかあさん見たじゃない、私の後ろに立っていた今井さんのおばあさん。箒をこうして逆さまにもって穂で顔は隠れていたけど、おかあさんの目に映ってた。お母さん見たでしょ、ねえ、お母さん」

「あなたは今朝、その今井さんの家の前で倒れてここに運ばれたのよ」

どういう事なの。さっき私は病院を出てお母さんと一緒にそこに行った。

「行ったよね。あれっ、お母さん」

起き上がろうとしても固いベッドに貼り付いているように体が動かない。おかあさんどこにいるの、目で探したけど誰も居なかった。

この病室ってドアがないわ、救急ってドアも窓もないのかな。あれっ何かが聞こえる。

サッサッと音がする。だんだん音が大きくなってきた。同じリズムでサッ、サッ、サッ、あっ、今井さんのおばあさんか、箒で庭を掃いているんだきっと。でもここって。

私はそこまでは覚えていた。

「なっちゃん、なっちゃん、良かった気が付いたのね」

お母さんに呼ばれて目を覚ました。

やっぱりまだ病室にいた。

私はもう一度お母さんに言った。

「ねえ、さっきお母さん今井さんのおばあさん見たでしょ」

「ええ、ちゃんとお礼を言っておいたからもう大丈夫よ」

「お礼って」

「掃いてくれたお礼よ」


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