七時前の通学路

六条菜子

第1話 今井さんのお庭

「あんなにきれいなお庭なのに毎朝掃いているでしょ、落ち葉とか雑草とかゴミだってないんだよ、どうして箒で掃いてるんだろうね」

「そんな人居たっけ?」

これで四人目だ。

満里奈の時は、時々いじわるをしてくる彼女のいつもの事だと思って気にしなかったけど、みっちゃんとサーリに同時にそんな人知らないって言われた時はむきになって必死に説明した。

お客様お静かにってお店の人に注意された事だけサーリは未だに笑い話にしているけど、あの時、私が絶対に居るっていって言ったおばあさんの事はみんな忘れている。

私のマンションから駅までは歩いて十五分。まっすぐ伸びている道を行って四つ目の信号を右に曲がれば駅に着く。

三つ目の信号を渡った左側に塀に囲まれた立派な邸宅がある。

今井って表札が大理石に埋まっているけど、それだけが頑丈な塀に似合わない大昔から残っているような木製の看板みたいに古臭くてかすれた墨文字だ。

鉄製の門扉からつながる玄関までの道を割烹着姿の腰の曲がった老女がいつも竹箒で掃いている。私が通りかかる時、門扉越しに会釈してくれる。私も軽く会釈を返すだけだけど、いつからそうし始めたのかは覚えていない。

理沙絵はあの立派な家は知っていたけど、今井さんって名前もお婆さんの事も庭の事も知らなかった。同じ時間に同じように駅の道を通っているはずなのに。

「じゃあ来週の月曜に一緒に駅に行こう。紹介するよおばあちゃんの事」

約束の朝、理沙絵はマンションのエントランスにいた。遅せーよと小突かれて土曜日に切った髪が少し赤っぽくって変だと言われて、また切りに行こうか悩みながら駅に向かって歩いた。いつものように今井さんの家の前でおばあさんに会釈した。

そうだ、理沙絵に紹介しなきゃ。

理沙絵も今井さんの家の前だと気が付いて立ち止まっていた。同じ方を見ていたけどすぐに私の方に向いた。

「ほら、だれもいないじゃない」

「えっ」

ふたりで門扉越しにお庭を見ている。

老女が竹箒でいつものように庭を掃いている。

「おはようございます」

顔を向けた。初めて目が合った。

「ほら、理沙絵もあいさつしなよ」

その目は私を見ているようで私に焦点が合っていないような気がした。

「誰にさ、あんた変だよ、髪の色もだけど」

「本当に見えないの、おばあさんが」

「どこにいるんだよ」

「ほらそこに、掃いてるじゃない」

そう言ってお庭を見た時はもう居なかった。

きょうも会ったのかよって、駅や学校で理沙絵に会うたびに卒業までからかわれた。

大学に入って通学時間がズレ始め、久しぶりに今井さんの庭を見た朝、やっぱり老女は竹箒で庭を掃いていた。

「おはようございます」

顔をあげて目が合った。あの日のように私を見透かして私の後ろの方を見ていた気がした。

私は気になって振り向いた。

私の記憶はそこで終わった。

「なっちゃん、なっちゃん、良かった気が付いたのね」

お母さんに呼ばれて目を覚ました。

「貧血で倒れて救急車で運ばれたんだよ」

病院らしい。ベッドが固いなって思った。

そして思い出した。

「おかあさん、わたしね・・・」



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