伏魔殿

布上田寺人

第1話

「カンニングをした生徒に対する本校の処置を知っているか。」


 川島は怒りを必死に堪えるような口調で言った。その目は落井陸也を睨みつけている。


「はい。その生徒の全教科の点数を0点にするのでしょう。」


 陸也のあまりに落ち着いた口調に、川島の顔は見るみるうちに赤くなった。


「貴様には反省の態度が見られん。ワシがその気になったら貴様など、、、」


 川島は職員室中の視線が自分の元へ集まっていることに気づき、喉から出かけた言葉を飲み込んだ。すると、二人の会話を横で聞いていた西本が口を開いた。


「まあまあ、落井君が本当にカンニングをしたと決まった訳でもないですし、この話の最終決定をするにはまだ早いと思いますよ。」


 川島は西本の言葉を受けて「落井、お前は一旦教室に戻れ」とバツが悪そうに言いながら右手を振った。


 陸也が一年五組の教室のドアを開けると、先ほどまで騒がしかった室内が静まり返った。代わりに全員の視線が一斉に陸也に向けられた。陸也は気にする様子もなく真っ直ぐに自分の席へ向かった。


 席に座ると、細身の男子生徒がにやつきながら言った。


「授業中はあんなに賢ぶってたのに、いざ試験となったら他人の回答を盗み見るとか、考えらんねえな。しかもよりによって俺の答案かよ。」


 男子生徒の名は吉田文仁よしだふみひとである。彼は入学して間もない頃から陸也にあまり好意を示していなかった。文仁の友好的とは言い得ないその態度は、いつも教師の質問に誰よりも早く答える陸也への嫉妬心から来ていたのだろう。また、陸也の端整な顔立ちも文仁の嫉妬心を煽ったに違いない。


 教室中から浴びせられる冷ややかな視線や、聞くに耐えぬ言葉の一切を陸也は無視した。彼はただ、この絶望的な状況をどう切り抜けるかということだけを考えていた。


 ことの発端は一学期の中間考査での出来事だった。陸也は当然ながら不正をはたらくことなく正々堂々と試験に臨んだ。しかし、テスト返却の際に事件は起こった。


 陸也が自分の席で返却された答案用紙を見ていると、文仁が意味ありげな笑みを浮かべながら近寄って来、陸也の答案用紙を取り上げた。そして自身の答案用紙と陸也のそれを両手に教師の元へ駆け寄った。


「先生、陸也君がカンニングをしました。」


 文仁の口から出た言葉に教室がざわめいた。教師は騒ぐ生徒を黙らせ、文仁にどういうことかと尋ねた。文仁は自身満々に二枚の答案用紙を並べると、百字程度の記述問題の回答欄を指し示した。そこには全く同じ回答が並んでいた。


 この記述問題は実力問題であったため、どちらかがカンニングをしたことは明らかである。そこで、どうして陸也が一方的に疑われたかというと、席順に問題があったからだ。陸也の席は後ろから二番目にあるのだが、文仁の席は陸也の隣の列の後ろから四番目にあった。つまり、文仁は陸也よりも前の席にいたため、文仁が陸也の答案を誰にも気づかれずに盗み見るのはほとんど不可能だったのだ。

 

 陸也が思考を巡らせていると、川島が教室に入ってきた。そしてその口から今日はもう解散して良いという旨が告げられた。


 陸也は特に教師から呼び出されることもなく帰路に着くことができた。下校する際、彼は西馬俊彦さいばとしひこに声をかけた。俊彦は陸也の中学からの親友であり、その関係は東田高校に入った今でも変わらない。俊彦は一組にいたため、二人の関係を知る者はほとんどいない。この状況は窮地に立たされた陸也にとって最大限に利用すべきものである。


「どうしたんだい。」


 俊彦は柔和な声で反応した。彼の外見は見るからに穏やかであるが、たまにその目から放たれる冷たい光は、陸也にすら寒気を感じさせる。一度頼まれた仕事は如何なる手段を取ってでも完遂するのが俊彦の性格であった。どんな残酷な判断でも下すことのできる彼の冷徹さが、その目に時折現れるのだ。


「実は頼みたいことがあってな。」


 そう前置きして陸也は俊彦を人気の少ない場所に誘った。


 翌日の朝、陸也が教室のドアを開けると、ねっとりとした声が聞こえてきた。


「ようカンニング野郎、調子はどうだい。」


 声の主は西島元太だった。大きな腹を揺らしながら笑っている。元太の席は文仁と同じ列の最後尾だ。文仁の取り巻きである彼のよく肥えた腹は、思考力の鈍さをそのまま表している。しかし腕力の強さで彼の横に並ぶ者はいない。文仁は力が強く思考が単純な元太を利用しやすい道具として使っていた。


「ちょっと話がある。ここじゃなんだから、裏庭に来てくれないか。」


「お前から呼び出すなんて珍しいな。ま、付き合ってやるよ。」


 元太はだるそうに席を立った。


 ホームルームの始まりを告げるチャイムが鳴った。それと共に川島が教室に入ってきた。


「落井、今すぐ職員室に来い。」


 川島は年貢の納め時だと言わんばかりに陸也を睨みつけた。教室の至る所から陸也を嘲る声が聞こえてくる。その様子を見て、文仁は手を叩きながら笑った。


「お前の学校生活はもう終わりだ。」


 文仁の人差し指が陸也に向けられた。彼の顔には満面の笑みが浮かんでいる。川島はそんな文仁を叱るでもなく口元を歪めた。まるでこみ上げてくる笑いを堪えているかのようだ。


 その時だった。陸也の後方から椅子が地面に擦れる大きな音が聞こえた。教室内の全員の注目が突然立ち上がった元太に集まった。元太は口元をもごもごと動かしたのち、消えそうな声で言った。


「陸也君はカンニングをしていません。」


 文仁は笑みを浮かべたまま相槌をうった。


「そうそう、もっと言ってやれ、元太。この卑劣な野郎はカンニングを、、、え、元太。」


 文仁の顔から勝ち誇った笑顔が消えた。それと入れ替わって現れたのは驚愕の表情だ。


 元太は意を決したように言った。


「悪いのは僕と文仁君です。」


 元太の言葉に驚かされたのは文仁だけではない。川島をはじめとする教室内の誰もが元太の言葉を理解できていないようだった。唯一陸也だけが普段通り感情を一切表さぬ仮面を被っている。


「西島、どういうことだ。」


 川島は震える声で問いただした。


「僕と文仁君がやりました。」


 元太は先ほどと大して変わらぬことを言った。ここで問い詰めても拉致があかないと判断した川島は元太だけを職員室に連れていった。


 元太が話した内容はこうだった。文仁は陸也の斜め後ろの席にいる元太に、陸也の回答を写すように指示した。そして文仁と元太は、答案用紙に互いの名前を書くことで、まるで文仁と陸也の回答が一致したかのように演出したのだ。この時、元太が文仁と同列の最後尾にいたたため、彼が答案用紙の回収係だったことも二人にとって都合が良かった。


 以上の事実を元太が白状するように仕向けたのは言うまでもなく陸也である。陸也はこのカラクリに昨日の段階で気づいていた。文仁が何らかの方法を使って陸也の回答を書き写したことは明白であったことと、元太が文仁にとってこれ以上ないほど使いやすい道具であったことを踏まえれば、この結論に至るのは容易であった。


 陸也は今朝、元太を裏庭に呼び出したのち、ある音声を聴かせた。


「俺、見ちまったんだよな、元太が陸也の答案用紙を書き写してるとこ。」


 それは元太の隣の席の生徒の声だった。実はこの音声は俊彦がその生徒に頼み込んでわざと言わせたものだった。口止め料に三千円ほどかかったものの、その生徒は「快く」引き受けてくれた。


 陸也はこの音声を聞いてすっかり怖気づいた元太に耳打ちした。


「このことを俺が先生に教える前にお前が自白すれば、退学は免れられるかもな。」


 川島は元太の話を聞き終えると、今度は文仁を呼び出した。文仁は青くなった顔をうつむけて教室を出た。そこには先ほどまでの威勢の良さは感じられなかった。


 どうやら文仁は退学処分になったらしい。単なるカンニングであればこれ程厳しい処罰は無かったであろうが、今回の場合は他人を貶めようとした行為であったため罪も重くなったのだ。


 元太は罪を自白したことを考慮され、一ヶ月の停学処分で落ち着いた。


 今回の件について川島から一切の謝罪の言葉も無かったことは陸也にとって些か不満ではあったものの、とにかく彼はこの難局を乗り越えたのだ。


「良かったね、入学早々ひどい目に合わなくて。」


 そう微笑みながら言う俊彦に陸也は肩をすくませて答えた。


「お前の協力あってのことだよ。」


 空を朱色に染める陽光を浴びながら、二人の青年は家路を急いだ。


 


 


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