第19話 仮面祭 2

 その頃、ヒスイは果汁が入ったコップを両手にコハクの元に戻る最中で離れた距離は五分もない。コハクの体調から大行進を少し見てから宿に帰る事を考えた。それと懐に忍ばせてある物を渡す機会も。

 

 そしてコハクの待つ場所へ戻ったがしかしながらそこにコハクの姿がなかった。大行進も始まっていた為、人の群れの中へ行ってしまったのかと思い人集りの方を見たが彼女らしき人影はない。

 ふと目線を道の端にある植え込みに移した時何か見え、気にかかり近づき草をかけ分ける。そしてそこにあった物を見たヒスイは一瞬心臓が止まったようだった。


 そこには折られた松葉杖だった。


 ヒスイは持っていたコップを投げ出し、近くにいた男に掴みかかる。


「ここにいた女の子はどこに行った!」

「な、何だよお前!?」

「答えろ!」

「し、知らねえよ!」

 

 ヒスイは今まで感じた事のない不安に焦った。離れた時間はほんの数分だったのでまだこの近くに居るはずだと思い近辺を見渡すがコハクと思われる人影はない。また何人に尋ねても尋ねても返ってくる答えは全て同じだった。

 

 ヒスイは駆け出した。



 一方、コハクは目を覚ますと全身を布で被されているようで目隠しもされていた。

 どこにいるのか分からず、口も手も足も縛られている為、声も出せず身動きも取れなかった。


(何!? 何が起こっているの!? ここはどこなの!?)


 コハクは訳が分からずに混乱していた。すると近くで話し声がした。


「上手い事いったな」

「油断するな、街を出るまで何が起こるかは分からない」


 声からして男が二人会話をしているようだが何を言っているのかコハクには理解が出来ない。どうにかしてここから逃げようとコハクはバタバタと踠き始めた。


「ん? おい」

「目を覚ましたようだな」


 目を覚ました事に気付かれ足音がコハクの方に近づくと足元の布が捲られた。


「もう少し薬効くと思ったんだがなぁ……なあ、いいよな?」

「依頼人からは身体状態の件では特別希望はないが……ほどほどにな」


 そう言うと男は布の中に潜り込みコハクの肌に触れた。


「んんーーー!! ふーーーーー!」


 コハクは恐怖に襲われ塞がれた口で必死に叫んだ。


「叫んだって誰も気が付きゃしねえよ」


 男はスカートをめくり上げ下半身が露わになるとコハクは更に暴れたが、頬に冷たく鋭利な物が当てられる。


「おい、あんまり暴れるなよ。分かるよな」


 更に恐怖が大きくなり、コハクはもう声が出ず体も震えるだけであった。


(助けて、ヒスイ!)


 コハクは心の中で叫び続けた。


 その頃、ヒスイは町中を駆けずり回っていた。人の波が激しく視界も乏しく、移動も困難な状態だ。行き交う人にコハクの事を訪ねては走るを繰り返す。一刻も早くコハクを探し出さなければならないが、熱を帯びる体に更にカルサイト特有の乾燥した空気が体に纏わりつきヒスイの体力を奪っていく。

 そしてカルサイトに唯一流れる川に掛かる大橋の中央でヒスイの足が止まった。目の前がぐるぐると回る。


「くそっ!!」


 橋に高欄に拳を叩きつけるとポタポタと大量の汗が川に落ちていくのを見た。


(落ち着け、闇雲に探しても沼にはまる一方だ)


 仮面祭が一層熱気を増す中、ヒスイはそう自分に言い聞かせながら目を閉じ耳を澄ませる。



 ……コハクはただ体を震わせている。何も見えない暗闇の中で身動きも取れず、不定期に押し寄せる衝撃と継続する痛みに耐えた。


「おい、まだか。揺れて上手く進めないんだ」

「待ってろよ、もうちょっとだ」


 一人の男は冷静な口調で、もう一人は息が荒かった。コハクはもう何も考えられなくなり、心の中で何かが音を立てて崩れていく。自分が壊れて行くのを感じた時、ほんのりと甘く優しい香りがした。それは石像病である事を打ち明けた夜、ヒスイが渡してくれた彼特製の香水だった。コハクは受け取った日以来、毎日この香水をつけていた。コハクの中でヒスイの存在が大きくなり涙が溢れた。

その時運よく口を縛っている布が緩んだ。


「……ヒスイ」

「あ?」


 男はその言葉を聞いた。そしてコハクは力一杯叫んだ!


「ヒスイ!!!」


 それに男は驚き動きが一瞬止まったが、大した事も無いような態度をとる。


「あー言ったろ、このうるせー祭の中じゃ誰も気が付かねえよ」


 それでもコハクはヒスイがきっと助けに来てくれると信じた。


 橋の上にいるヒスイは目を閉じ冷静になろうとしていた。汗が引いていき、バクバクと鳴っていた心臓の音が段々と小さくなっていく。耳を澄ませると回りの沢山の音が入ってきた。行進の足音、人々の歌や声、どこかの扉が開く音、神経を研ぎ澄ませと何がどこで音を出しているのか手に取るように分かった。


-その時


"ヒスイ”


 ヒスイはハッと目を開けた。微かだがコハクが自分の名前を呼ぶ声が聞こえたのだ。360度見渡すが、その声は行進の方では無い。全神経を目と耳に注ぐ中、橋の上からある物に気が付いた。川から一艘の船が流れてくる。舟には船頭の男一人、船の大半は布で覆われていたが注意深く観察すると布の下で何かが蠢いていた。そしてちょうど橋の下を舟が通過する瞬間、本能的にヒスイはその舟めがけて飛び降りた!


”バシャーーン!!!”


 着地の衝撃で船が揺れ船頭の男は体制を崩す。ヒスイはすぐに覆われた布を取り去ると、目隠しをされ手足を縛られるコハクに男が覆いかぶさっていた。目隠しされた布は涙でぐしゃぐしゃに濡れている。

 その姿を見たヒスイは頭の中でプツンと糸が切れた。


「あ?」


 布を剥ぎ取られ光を眩しく感じた男が顔を上げたその瞬間、顔面にヒスイは思い切り蹴りを打ち込んだ。男は船頭の方へ吹き飛んでいくと悲鳴をあげる。


「ぎゃーーーーー!! 顔が!! 顔が!!」


 男は悶え苦しみ、ヒスイは飛び上がりさらけ出されている局部を踏みつぶした。船体とヒスイの靴に挟まれ”パン!”と鳴り肉片と血が飛び散ると男は白目で泡を吹き失神した。すぐにコハクの元に向かい手足を紐解、目隠しを取るとコハクの目は生気を失い、スカートの付近には血が付いている。


「コハク! コハク!」


 反応が無いその姿にヒスイは取り返しのつかないと事をしてしまったと自責した。そっとコハクに横にし、自分の上着を掛けると振り返り船頭の男を睨みつけた。


「殺してやるよ! ……お前!」


 その形相は鬼神の如く憤怒の感情が滲み出ていた。


「あーあー、こりゃもうダメだろうな」


 動かなくなった相方をまるで壊れた人形を見るかのように心無く男は言った。


 ヒスイはナイフを取り出し構える。


「面倒臭い事になったが、いいぜ、やろうか」


 男もナイフを取り出し構えると双方動かず出方を伺った。

 祭の賑やかさだけが目立つ中、大きな太鼓の音が一発鳴り響いた瞬間、同時に動いた。ナイフが重なり”キン!”と甲高い音を立てる。ヒスイは殺気を帯びたナイフを振り続けるが、男は冷静にその筋を観察しながら応戦している。お互いに紙一重で交わしていたが徐々に男のナイフがヒスイの肌を薄く切るようになり一旦ヒスイは距離をとった。


「なかなか、やるようだけどそんなお粗末のやり方じゃ俺には一太刀も入らないよ」


 切られた場所の傷は浅いがほぼ急所であって相手が殺しの専門家だと伺えた。

 怒りに任せてナイフを振っていたヒスイは深呼吸をして、今一度冷静を取り戻そうとした。構えを普段の獣を狩る時の形に戻すと男も何か警戒したのか真剣な表情になった。今度は男の方から先に動く!ヒスイは迎え撃ち再び応戦が始まった。均衡を保ちつつもお互い切りつけていき船体に血が飛び散った。長期戦は得策では無いと双方考えたその時、川の中にある岩に衝突し船が大きく揺れる。体制を崩したヒスイは膝をつきナイフも手離してしまった。その好機に男はナイフを喉元に突き刺そうとした。絶体絶命のヒスイだが男が先程までコハクを覆っていた布の上にいるの見るとすかさずその布をめい一杯引いた。


「うお!」


 足場を崩した男はその場に尻餅をつき、ヒスイは男の右膝を思い切り踏みつけると”バキン!”と音を立て反対の方向へ足が曲がった。


「があああああ!!」


 その痛みから男はナイフを手放すと、ヒスイはそのまま馬乗りになり、男の顔面に拳を振り落とす。鈍い音が何発も鳴り響き我を忘れヒスイは殴り続けた、その時


「……だめ。ヒスイ……殺しちゃだめ」


 コハクのか細い声がヒスイの耳に届くと動きを止めた。我に返ったヒスイの目の前には血だらけになった顔がある。「ひゅーひゅー」と弱く呼吸する男にヒスイは胸ぐらを掴み叫ぶ。


「言え! 何故コハクを狙った!」


 男は反応した。


「はは……こんなにして……ひどいねぇ……」

「答えろ!」

「俺達は……依頼があったからやったに過ぎないよ」

「誰に頼まれた!」

「一応、守秘義務でね……そりゃ教えられないなぁ」

「言わなければ殺す!」

「そっかあ……殺されちゃうかぁ……じゃあこれで勘弁してくれよ」


 男は腰に忍ばせていたもう一本のナイフを素早く振り上げる。ヒスイはそれに反応し男から離れ間一髪、急所から逸らしたが左足のふくらはぎを深く切りつけられた。


「ぐっ!!!」


 尻餅をついたヒスイを見て男は血だらけの顔でニヤニヤと笑った。


「あーあ……失敗したなぁ……」


 そう言うと男は奥歯に仕込んだ毒を飲みヒスイの目の前で絶命した。


「……ヒスイ」

「コハク!」


 弱々しく呼ぶ声にヒスイは足から大量に血が流れているのも忘れコハクの元に駆け寄り抱き上げた。


「コハク、すまない、すまない、取り返しのつかない事を」

「……私……私……」


 生気のなくなったコハクにヒスイはもう何も言う事が出来なかった。

 

 それでも祭りの喝采は続く……


 コハクはベッドの上で深い眠りについている。すぐ横にはヒスイが椅子に座り俯いていた。傷を負った左足がズキズキと痛む。

 

 あれからヒスイは魂の抜け殻の様なコハクを背負い宿まで戻りベッドに横たわせるとコハクはすぐに眠ってしまい、ヒスイは左足の治療を自力で行なった。

 ヒスイはコハクを守れなかった事に対して自分自身に激しい失望と怒りを感じる。また一刻も早くカルサイトを出なくてはならないと考えていた。コハクが何者かに狙われている事、誘拐犯の一人はまだ命があるのが伺え追ってくる可能性があるからだ。

 

 ヒスイは頭の中がグチャグチャになった。気が付けば夜になり外はまだ賑やかに続いているが終盤に近づいていた。


「……ヒスイ」


 コハクが目を覚ましたがその表情に未だ生気がなく瞳には光がない。


「コハク! ……すまない」


 ヒスイはただ謝る事しか出来なかった。


「……ヒスイ」

「なんだ?」

「……体洗いたい」

「分かった、すぐに用意する」

「それと……」

「他に何か必要か?」

「……左足が……石になった……」


 窓の外では祭りの最後の大花火が打ち上がり残酷にも大歓声が鳴り響いていた。

 

……


 体を洗う物を用意したヒスイは部屋の外に出ると同時に崩れ落ちる。この夜、ヒスイは部屋に入る事が出来なかった。


 そのまま夜を明かし、すっかり日が昇っている時間になりヒスイは躊躇いながらも部屋に入るとコハクは毛布を頭まで被っており、一切を拒絶しているようであった。ベッドの下には複数の血痕で汚れた衣服が投げ捨てられている。


「コハク……明日の朝、この街から出よう……」

「……」


 それだけ言うとヒスイは部屋を後にした。街は仮面祭から本来の姿を取り戻し変わらない日常が流れていた。昨日の出来事がまるで嘘の様に。道の途中、男たちの会話が耳に入った。


「なあ、聞いたかよ。朝方、死体が見つかったらしい」

「ああ、聞いたよ。酷い殺され方だったみたいだな。二人組のやつだろ?なんでも懸賞金がついたお尋ね者らしいんだよ。一人は生きてて警備隊に連れて行かれたがそいつはイチモツがおじゃんになってるってよ」


 一人は生きているが追ってくる可能性がないと知りヒスイは少し安心した。

ふと自分が着ている服を見るとマントの下から返り血で染まった服が覗かせている。ヒスイはそれが見られない様にマントを巻き直した。

 

 街を巡りスフェーンに向かう為に必要な物は大方用意できたが最も難しい問題が彼を悩ませた。コハクをどうやってスフェーンまで連れて行くかだった。両足が石化してしまった彼女には自力で移動する術はもう無い。そうして彷徨っていると荷車を引き男の姿が目に留まった。ヒスイはその男に近づき話しかけた。


「すまない、それを譲ってくれないか?」

「あ? 何を?」

「この荷車だ」

「はあ? こりゃ商売道具なんだよ。やる訳ないだろ」


 ヒスイは小袋を差し出し男はその中身を見ると驚いた。


「うお! 分かった! すぐ持っててくれ!」


 男はすぐに荷車を渡した。ヒスイはそれを引いて宿に戻った。

 宿に戻ったヒスイは部屋に入るとコハクは変わらず毛布を被って全てを拒絶していた。


「コハク、新しい服を買ってきた」

「……」

「今日は何も食べてないだろ、昨日食べてない物でコハクが好みそうな物も買ってきた」

「……」

「明日の朝、ここを出るからそれまではゆっくりしよう」

「……」

「それじゃ……また明日」


 ヒスイはこれ以上部屋にいる事が出来なかった。

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