第20話 巡り会い
明くる早朝、廊下で目を覚ましたヒスイは部屋に入りコハクを見ると彼女は未だに毛布の中だった。ゆっくりとその毛布をめくるとコハクの目は開いていたが、どこを見ているのか分からない。ほぼ全裸だったコハクに新しく買った服を着させるが、まるで人形の様だった。
コハクを背負い宿を出ると、まだ薄明るい外に昨日買った荷車があった。
「コハク、君はこれに乗るんだ」
「……何これ」
「これで君を運ぶ」
「……」
「さあ、乗って」
「嫌だ!!!」
街に叫びが鳴り響く。ヒスイは胸が張り裂けそうになったが、それでもコハクをそっと荷車に乗せた。コハクは抵抗はしなかったが顔を隠し用意していた毛布を再び頭まで被った。ヒスイは無言で荷車を引き出す。左足と胸の痛みに堪えながらカルサイトを後にした…
……
カルサイトを出発し数日が経過、今はジェットの荒原を進んでいる。
ガタガタと車輪が回り横たわるコハクの体を揺らす。ここ一帯は平地ではあるが石と岩が多く、荷車を引くのに苦戦していた。空は厚い雲に覆われていて、まるで二人の心の中の様だった。
野宿の準備の為、火を起こし食事の用意をするがコハクは荷車に横たわったまま。食事もままならず、ヒスイはコハクの近くに寄りスプーンで口元へ食事を運ぶとなんとか食べてくれはするが、ほんの少しの量だけで食べるだけで、残りが口からポロポロと落ちる度、ヒスイはそれを拭いた。依然として彼女の瞳には光が無い。
ヒスイは息苦しい中、懐から小さな本を取り出し何か書き始めた。
その最中、左足に激しい痛みが走り包帯と取り見ると患部の縫合は上手くいっているがひどく化膿している。感染症と化膿に対しても知識があるヒスイだったが何故か上手く薬が効かない。調合に間違いが有ったのかと思い、再び薬の調合を始めた。
……
翌日、ヒスイはこの日も荷車を引き続けたが痛みが昨日より激しく脂汗が止まらなかった。新しく作った薬も鎮痛薬も正しく作り塗布したはずなのに全くと言っていいほど効果がない。それでも痛みに耐え、だいぶの距離を進んできた。
霧がった山が視界に入っている途中、頭に冷たいものが当たる。ヒスイを空を見上げると雨が降ってきた。近くに大きな岩があり、その下の隙間に荷車ごと入れそうな空間があったので雨宿りする事にした。腰を下ろしたヒスイはその痛みから苦痛の表情を浮かべる。そんな状況でもコハクの事を気遣かった。
「コハク、もう少しでスフェーンだ」
「……」
「『始まりの人』もきっといるはずだ」
「……辛い」
「え…」
「……辛い……こんなに辛いなら……村で……死ねば良かった……」
雨が激しく降り続いた……
……
更に翌日、周りに霧が立ち込みスフェーンまで確実に近い所まで辿り着いていた。だが荷車を引くヒスイの左足はもう限界で、意識も朦朧としている。
そして持ち手からヒスイの両手が離れ荷車が”ガタン!”と揺れた。しばらくしても移動しない事にコハクは気が付き体を起こして様子を伺う。
「……ヒスイ?」
目の前には意識がなく、倒れているヒスイの姿があった。
「……どうしたの?」
「……」
「返事して……」
「……」
這いつくばりながら近づき状態を見ると呼吸は短く浅く、高熱に冒されている。そんなヒスイを見つめ、苦しそうに言った。
「……ごめんね、ヒスイ……今の私じゃ何も出来ない……ごめんね……」
すると霧の中にいくつも光る丸が浮かび上がり、その光はどんどんと近くに寄ってくる。そうして姿を見せたのはここ一帯に住み着く野犬の群れであった。
野犬は周りをぐるぐると回り二つのともし火が消えるのを今か今かと伺っている。状況からもう助からないと思ったコハクはヒスイの向け静かに言った
「もうここで終わりかな……ごめんね……こんな事にさせちゃって……せめて一緒に」
そして野犬が吠え出した。 覚悟を決め目を瞑りその時を待つ。
……だが一向に襲っては来ず、気が付けば野犬の鳴き声もしなくなっていた。
コハクはゆっくりと目を開けると野犬の群れは無くなっていた。生きてしまったと思った。
なぜ野犬は去っていったのだろうかと考えた時、妙な気配に気がついた。その気配の方向を見ると大きな影があった。今度は熊でも現れたのかと思い、もう一度心の準備をする。
「……今度はお願いね」
だが、その影は動かず二人をずっと見ている。すると影は手を伸ばしヒスイを拾い上げ荷車に投げ入れ取手を持ち車輪を回し始めた。
「……え」
コハクはもう一度その影を見るとボサボサの髪に無精髭を蓄えた男の人間である事が分かった。
「なんでこんな所に人が」
「黙っていろ」
なんと使い慣れた言語が返ってきた。コハクは驚きながらもその男が引く荷車に乗り続ける。男は視界の乏しい霧の中を慣れたように進み、その先にぼんやりと影が映し出されて来た。それはどうやら男の住む家らしい。荷車を下ろし男はヒスイとコハクを両肩に担ぎ家の中に入ると一室の中にあったベッドにコハクとヒスイを寝かせると、まず男はコハクの容態を診た。
「かなり憔悴しているな、まずは水分と栄養補給だ」
「あなたは誰なんですか?」
次に男は何も言わずにヒスイの方に向かった。
「こっちは一刻を争う状況だな」
そう言うと男は部屋を出ていった。
暖炉に火が灯され暖かい部屋、柔らかいベッド、正体不明の男、横で苦しむヒスイ。コハクは状況が上手く飲み込めなかったが、今はただヒスイを見つめた。
少しして男が戻ってくるとスープとパンを持って来て、ベッドの横にある小さな丸机に置きコハクに言った。
「食べるんだ」
「……」
「食べろ」
コハクは拒絶していたが、何かに動かされるかのように体を起こしスープを口に運び始めた。その横で男はヒスイの左足の包帯を取り始める。
「こりゃひどいな」
「……ヒスイどうなるんですか?」
「左足が腐り始めてる」
「え……」
「ひとまず薬を塗って明日の容態を見て決める」
「……決めるって何をですか?」
「もう寝ろ」
そう言って男は再び部屋を出ていった。コハクは呆然とヒスイを見つめたが満腹からか睡魔に襲われそのまま眠りに着いてしまった……
……
翌朝、コハクは目を覚ますと体に少し力が戻っているのが分かったが、心は不安定のままであることは変わりない。そして横では男がヒスイの容態を観ていた。
「あの……ヒスイはどうなんですか?」
男は眉間にシワを寄せて言った。
「ダメだな、壊死がもう爪先まで来ている」
「え?」
「おそらく殺し屋が使う毒だろう、薬など効きはしない」
「治らないのですか?」
「治らない、このままでは壊死が進み死ぬ」
「うそ……」
「助かるには足を切断するしかない」
それを聞いたコハクは言葉が出なかった。そして男は苦しむヒスイに問いかける。
「おい、このまま死ぬか、片足失っても生きたいか決めろ」
その問いかけにヒスイは意識が朦朧とする中、目を開け小さな声で答えた。
「……やってくれ」
それを聞いた男はコハクを担ぎ部屋から出る。
「!!? ほんとに!? ほんとにやるんですか!?」
「耳を塞いでおけ」
コハクは別の部屋に移され、外から鍵を掛けられると途端に不安になった。
そして男は準備を始める。ヒスイを床に移し暴れないように手足を縛り、左太腿を紐でキツく縛り上げる。口には布を噛ませた。
「悪いが麻酔なんて物は無い、このままいくぞ」
男は大きな斧を構えた。それを目にしたヒスイは覚悟を決め瞼を閉じる。
そして男は思いきりヒスイの左足に斧を振り下ろした!
「ううううう!! ふううううう! ぐっ! ぎゅっ!」
”ダン!!!”と大きな音と共に断末の如く響くヒスイの声。
それはコハクの部屋まで聞こえると彼女はギュッと耳を塞ぎ震えた……
……
あれから何時間経ったのだろう。その間ヒスイの呻き声は続く中、コハクは耳を塞ぎ、それを聞かないようにしていた。
ある瞬間を境に声がしなくなり、しばらくしてから鍵が開く音がして扉が開き男が入ってきた。そしてコハクを再び担ぎあげ、ヒスイのいる部屋に戻った。
「一命は取り留めた。数日間は安静だ」
そこには穏やかに眠るヒスイの姿があった。男はコハクを隣のベッドに横たわらせる。
「今はそばに居てやれ」
ヒスイの左足は無くなっていた。
コハクはヒスイを呆然と見つめたが一向に目を覚ますことがない。時間だけ経ち男が部屋に入ってくると暖炉に火をつけた。いつの間にか外が暗くなっている。
コハクはまた担がれて連れて行かれ、居間にある椅子の座らされると目の前にはテーブルには食事が用意されている。男も黙って椅子に座り食べ始めた。
「食べろ」
男はぶっきらぼうに言う。
「あの……私の足の事、何も言わないんですか?」
出会ってから男はコハクの足については何も言ってこないその理由を問いかけた。
「俺にとっては珍しくはない」
「え」
その答えに思わずコハクは顔を上げた。
「何人もの見てきた、この周辺で瀕死状態の者を見てはここで治療した」
「私以外にも石像病の人がいたんですか?」
「その者達は皆、スフェーンに登り『始まりの人』を目指していった」
「あなたは何者なんですか?」
「……早く食え」
それ以上男は何も答えなかった……
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