第18話 仮面祭 1

 夕方に再び目を覚ましたコハクは幾分か体力を取り戻した。倒れてからこの宿まで運びベッドに寝かせた後、数日間体の汚れを落としてなかったので宿で働く女性にコハクの体を拭いてもらったが、二日間眠り続けた際の寝汗が激しくかった為、コハクは部屋に一人になり体を拭く。石の右足を触れたとき、いつになく不安になった。本当にこの足が治るのか、スフェーンに答えがあるのかと。

 

 不安が渦巻きながら数回右足を摩り、次に左足を拭いていると手先に覚えのある感覚があった。


 数個のしこりだ。コハクは何も考えられなくなった。


 体を拭き終えるとヒスイが夕食を持ってきた。流動食ではなく、固形物であって最初は食べられるか心配したが、少量食べることが出来てヒスイは少しだが安心出来た。


「ご馳走様」

「辛くはないか?」

「うん、だいぶ元気になったと思う」

「良かった」

「……あのね」

「ん?」

「左足にね……しこりが何個かあるの」


 それを聞いたヒスイは絶句した。


……


 コハクの左足を触るとヒスイもしこりがある事を確認すると確実に時間が迫っているのを感じた。


「すまない。俺が無理にでもコハクを背負っていけば……」

「謝るのは私だよ、ごめんね。意地になって迷惑かけて」


 二人ともそれ以上何を言えばいいか分からず黙り込んだ。しばらくしてコハクの口が開く。


「……多分ね、私の左足はあと数日も経たないうちに石になっちゃうと思う……だけど……そうなっても……私といてくれますか……」

「当たり前だ」


 俯き口ごもりながら小さな声で問いかけるとヒスイは迷いなく答えると、その言葉にコハクは両手で顔を覆いボロボロと涙を零した。


「ああ、ありがとう、ありがとう」


 ヒスイは泣きじゃくるコハクをそっと抱きしめた。


……


 翌日、コハクの体力もだいぶ戻ってきた事もあり、ヒスイは外に出てみるのを提案したが彼女は断った。それ以上ヒスイも強要はしない。そしてヒスイはカルサイトの街へ一人で繰り出した。


”世界市場カルサイト”


 このカルサイトは世界中の物が集まる商業都市であり、ここを拠点に世界中に物が流れていく。フローラが世界の知識、学問を始めとする過去の情報を保有しているとすれば、カルサイトは世界中で流れる物や世界情勢などが行き交う現在の情報で溢れた。

 街並みは民族的な印象で空気は乾いて気温が高いからか緑は少ない。また世界市場と言われる事だけあり、フローラの市場とは規模も物の数も比べ物にならない。

 市場に出向いたヒスイは人の海の中を歩く中”ラダイ”という何種のも香辛料で焼かれたカルサイト名物の肉料理を売る出店が目に入った。ラダイはカルサイトの名物である。


「一つ貰えるか」

「500ジダだよ! 毎度あり!」


 ラダイを焼くのは口数が少ない中年の大柄の男だが、金銭のやり取りの役目は横でチョロチョロと動く少年が行っていた。ラダイを受け取るヒスイは一つ質問をする。


「情報屋を紹介してくれないか」

「情報屋? いいよ、けど貰うもんは貰うぜ」


 そう言って少年は笑顔でヒスイに両の掌を差し出した。


「毎度あり!!」


 何ジダか渡すとヒスイは何か書かれた紙を渡された。

その紙を頼りにラダイにかぶりつきながら街を歩くと、広場の噴水に辿り着く。

多くの人がくつろいでいる中、弦楽器を奏でる女がいた。それなりに人が集まり聴き入っていた。

 

 演奏が終わり拍手とともに用意された缶の中にジダが次々と投げ込まれていく。人も散りじりになった時、ヒスイは彼女に語りかけた。


「ラダイ屋の少年からだ」

「ふ~ん、お兄さん何が知りたいの?」


 その女は、この街でも有数の情報屋で奏者として世界中を飛び回りその地域で得た情報の売買を生業としていた。長い深い緑がかった髪で妙な色気がある。


「情報が欲しい」

「いいわよ、ちゃんと報酬をくれるならね、何が聞きたいの?」

「石像病という病気を知っているか」

「聞いた事ないね」

「そうか…質問を変えよう。スフェーンについて教えて欲しい」

「年中霧で覆われて視界はゼロ、急勾配、岩だらけで道のりは最悪、これまで何人も登頂目指したけど、序盤で泣いて帰ってくるか、そのまま帰ってこない、そんな所の何が知りたいの?」

「スフェーンにおいて『始まりの人』まで辿り着いた人間はいるか?」

「『始まりの人』? ……ああ、そう言えば昔知り合った男から聞いた事あったわね。スフェーンのどこかで生き続けてて、会えば願いを叶えてくれるとか」

「本当か!? どうすれば会える?」

「さっき言った通り、誰もスフェーンを登頂した人間はいないの。そんなの分からないわ。その男も結局は途中で諦めて帰って来たみたいだし」

「……」

「ただ、普通の人間じゃ辿り着けないと言ってたわ」

「どういう事だ?」

「知らないわよ、なんか声が聞こえる人じゃなきゃとか何とか」

「声……」

「ごめんなさいね、スフェーンは謎多すぎるの。おそらくこのカルサイトではこれ以上は何も得られないと思うわ」

「……分かった、ありがとう。いくらだ?」

「いらないわよ、ろくな情報あげられてないし。それよりお兄さん好きな女の子がいるんでしょ?」

「え?」


 そのいきなりの質問にヒスイは戸惑った。


「スフェーンについて知りたいのも、その女の子の為なんじゃないの? 顔に書いてあるわよ」


 不意に自分の顔を触る。


「せっかくカルサイトに来たんだから贈り物の一つでも買っててやんなさいな」


 そう言って女は荷物を持って去って行った。一人残されたヒスイはしばらくその場から動かず考えた。


 それからしばらく市場を歩き回った。スフェーン、『始まりの人』の情報はもう得る事は出来ないだろうと考え、ドットとペリの情報を集めるこ事にした。それでも異国の言葉を使う夫婦の情報を得られなかった。

 そろそろ帰ろうかと思い歩いていると、とある露店の店主と目が合うと手招きされる。


「兄ちゃん見てってくれよ!」


 近くに行くと見ると、どうやら銀加工品の出店らしい。食器や何かの形をあしらった置物、装飾品が広げられている。


「出してるのは今日だけ! 明日には違う街に行っちまうから今だけだよ!」


 店主の声も耳に入らずにぼーっと眺めていると端に目立たず置いてある指輪に気が付く。引っかかっていた情報屋の言葉を思い出し少し考えてから、おもむろにそれを指差し言った。


「これを貰えるか」

「お? 彼女にでもやるのかい?」

「いや……いくらだ」

「おまけしてやるから20,000ジダでいいぞ!」


 支払いを済まし指輪を受け取り帰ろうとした時、店主がこうも言ってきた。


「ありがとな兄ちゃん! それと明日は仮面祭だ。最後の大花火にそいつを渡せばどんな女でイチコロってもんよ!」

「仮面祭……」


 カルサイトでは年に一度、仮面祭という住民も外から来た者も仮面を被り商業の神に模し、町中を行進しながら商売繁盛を願う祭りが偶然にも明日あるというのだ。ヒスイはその指輪を見つめ何かを考える。

 

 その時突然、誰かに見られ、殺気のような気配を感じた。感覚を研ぎ澄ませ辺りを見回す。だが先程の視線も気配も既に感じる事はない。ヒスイは思い過ごしかと思いコハクの待つ宿まで帰ることにした。



 ……それほど離れていない建物、その影からフードを深く被る二人組がヒスイをじっと観察している。そしてヒスイが動き出すの確認すると二人も呼応するように後を付けていった……



「ただいま」


 宿に戻るとコハクは今朝と変わらずベッドの上で、半身を起こしていた。だいぶ顔色も良くなってきたようだ。


「おかえり、どうだった?」

「すまない、有益な事は得られなかった」

「そっか……」

「それとドットさんとペリさんの事も聞いて回ったけど分からなかった」

「そう……」


 会話が続かない。コハクはずっと窓の外を眺めていて表情がどこか暗い。

 気まずくもある空気ではあるがヒスイは切り出した。


「明日、仮面祭というものがあるらしいんだ」

「仮面祭?」

「この街にいる人全員が仮面を着けて商売繁盛を願うんだ」

「お祭りかぁ……」

「気晴らしに一緒に行ってみないか?」 


 コハクは自分の足を見つめながら少し悩む。


「……うん、行こうかな」


 コハクは少しだけ笑った。


……


 翌朝、外から聞こえる人の声、太鼓の音で目を覚めた。ヒスイはコハクの肩を持ち窓まで行き、街並みを見てみると既に人で溢れていている。


「すごいね」


 そう言ったコハクの顔は楽しそうで、それを見たヒスイも安心した。左足の症状を確認するとどうやら悪化はしていないようだ。ヒスイはコハクを背負って行くと言ったが断られた。もしかしたら歩けるのは今だけかも知れない、今のうちに歩いている感覚を少しでも覚えておきたいという彼女の切なる願いからであった。そうして血と汗が染み込んだ松葉杖を握りしめ宿の外へ一歩踏み出た瞬間、違う世界が広がる。

 

 道の中央では多種多様の仮面を着けた人々、ある者は踊りながら、ある者は楽器を奏でながら行進しており道の両端でそれを観る人々の群れをなした。コハクを支えながらその中を歩く。


「すごい、フローラとは何もかもが全然違うね」


 カルサイトに着いてから宿に籠っていたコハクはこの光景に感動した。

 またこの日ではいつもより出店の数もいつもより多く、様々な売買が行われている。この地域特有の香辛料を使った食べ物の香りがそこら中で漂う中、食欲を誘われコハクは釣られた。


「なんだろ? この不思議な香り、なんかお腹減ったきた」

「これは多分ラダイだな」

「ラダイ? 何それ?」

「肉に香辛料という物をかけて焼き上げる料理だ、昨日食べた」

「美味しそう、ただ一人で食べるなんてずるい」

「すまない」

「あはは、うそうそ、ごめん昨日私から断ってるんだった」


 コハクはいつもの調子を取り戻しつつあった。ラダイを二つ買い、それをかぶりつくと刺激的な味と香り、肉汁の旨みに頬がとろけた。

 

 それからも祭りそっちのけで気になった食べ物は手当たり次第に食べていった。つい先日まで流動食しか食べられなかった姿が嘘のようだ。人が更に多くなった為、一旦休憩が取れる場所を探し、辿り着いた場所は昨日の噴水がある広場だった。日陰がある所で二人は腰を下ろすと声を掛けられた。


「あら? 昨日のお兄さんじゃない」


 その声は情報屋の女のものだった。


「昨日はどうも」

「いいのよ、何もしてあげられなくてごめんね」


 見知らぬ女にヒスイの陰に隠れたコハクに気が付くと情報屋はずいっと近づき見つめた。


「ふ~ん、この子かあ~。お兄さん頑張りなさいな、ばいば~い」


 それだけ言って女は去っていってしまった。視線を感じて横を見るとコハクが睨みつけている。


「今の女の人誰?」

「昨日会った情報屋だよ」

「本当に?」

「どうしてそう思うんだ?」

「……別に」


 コハクはもやもやとした。休憩が終わるとまた色んな所を見て回り市場にも足を伸ばしてみると昨日の銀加工店の店主が客を集めていた。今日はいないはずだが、おそらくあれがやり口であろう。

 仮面を着けた者達が楽器の演奏に合わせ踊っているのを見ると、コハクはどこか悲しそうな顔を見せた。


「ヒスイ、ごめんね。ちょっと休みたいかな」


 結構な時間歩き続けたのでコハクの表情に疲れが見えた。

ちょうど昼が終わり、これからまた人が活気を増すのでそろそろ休憩をとる事に。

 沿道の段差に腰掛け賑わう街並みを二人は眺めている。


「ありがとう、ヒスイ」

「どうした?」

「うん……なんかね」

「そうか……楽しんでるコハクを見て安心した」

「うん、すごく楽しい」

「足は大丈夫か?」

「ちょっと張ってるくらいかな」


 仮面の行進が続く。


「そろそろ大行進が始まるから前に行って見ようぜ!」

「待ってよー!」


 少年と少女が目の前を走って行進の方へ向かっていく。仮面祭の醍醐味の一つ大行進が始まるようで人が更に集まって来た。


「なんか人がまた多くなって来たね」

「そうみたいだな。そろそろ帰るか?」

「大行進を見たらにしよう。ちょっと見てみたい」

「分かった。何か飲み物を持ってくるよ」


 ヒスイはその場を離れ店の方へ向かった。残されたコハクはますます人が増えていく景色を眺めていた。仮面をつける人が大半で表情はわからないが、人々は楽しそうな様子だ。

 

 突然太鼓や楽器が大きく鳴り響き行進の中に車輪で引かれた出し物が現れた。

 どうやら大行進が始まったらしく座っているコハクからもその姿が見えるくらいの大きさで彼女も驚く。その大行進に合わせて人々は踊り歌い始めると、その光景が羨ましく思いながらコハクは両足を見つめて、そっと触れた。石の右足は冷たく硬く、左足は暖かく柔らかくその感覚が彼女を切なくさせた。


 その時、下を向くコハクに影が落ちる。


「ヒスイ、早かっ……


 見上げると、そこに居たのはヒスイではなく仮面を二人組みで、何も言わずにコハクを見下ろしている。


「え……な、何?」


 何か嫌な予感がした。そして声を出そうとした瞬間、伸びて来た手が口を覆い何かを吸い込んだコハクは意識を失った。

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