第17話 再出発

 再び二人の旅が再び始まった。


 村からフローラまで進んだ道と比べると緑はだいぶ少なく大きくゴツゴツとした岩が多く、先日まで歩いていた整備された道と比べると雲泥の差ほどあると言える悪路だが、ゆっくりと着実に進んでいく。


 快晴の青空は素晴らしい景色だが、コハクは今自分がどのように歩けば良いかを考えるだけに必死だ。少し呼吸が荒く額に汗を滲ませるのを見てヒスイが話しかける。


「少し休もうか?」

「え? ううん、大丈夫だよ。もう少し行こう」

「……分かった」


 休んでは歩き、休んでは歩く事を繰り返した。

 石化し歩行練習から二日後の旅路はやはり甘くはなく、一日に歩ける距離は少なかった。


 陽が落ち野宿の支度を始める。最初の頃は二人で役割を決めていたが今ではヒスイが大半になってしまった。そんな状況にコハクはもどかしさを感じざるを得ない。それでも気持ちを顔に出さないようにした。

 

 夕食をすませると火を囲いその炎を見つめる中、コハクは話し出す。


「この病気が治っても、もう村には帰れないよね……」

「……ああ」

「私さ、フローラに住みたいな。皆本当に良い人ばかりだし、食べ物は美味しいし、色々な物があって。それでガーアイで勉強するんだ、植物の事いっぱい知りたい」

「良いな、それ」

「ふふふ、良いでしょ? ヒスイはどうするの?」

「全く考えてない」

「じゃあさ、ヒスイもフローラで暮らそうよ」

「それも良いな、図書塔にあった本はどれも興味深いものだったし」

「約束ね……ごめん、眠たくなってきちゃった」

「ああ、今日はもう休もう。お休み」


 コハクは毛布を掛けられ瞼を閉じた。


 翌日以降からさらに草木は減り、土と岩の世界に変化し、日に日に気温は高くなっていく。ポタポタと顎から滴る汗の雫が地面に落ちていくのをコハクは無心で見つめる。腕をつたい流れる汗が手元まで行き着き杖に染み込んだ。立ち止まる頻度も多くなり次に動くまで時間を要するように。

 

 彼女の様子を見兼ねてヒスイは背中に乗る事を何度も促すが、その度コハクはそれを拒否した。自分は歩けるんだという意思と共に迷惑を掛けたくないという気持ちがごちゃごちゃになり彼女を意固地にさせていたのだ。

 

 そして、陽が落ちる直前まで歩き続けた時にそれは起こる。


「コハク、今日はここまでにしよう」

「大丈夫、まだ行ける」

「いや、駄目だ」

「大丈夫だっ! ……あ!」

「コハク!」


 杖の置き場を誤り、高さのある岩場から転落してしまった。すぐにヒスイはコハクの元に駆け寄った。


「コハク! 大丈夫か!」

「うう……」


 どうやら大きな外傷ないようで意識もある。ヒスイはその姿に安心した。

ところがコハクの腰辺りが濡れているのに気がつく。


 血と砂が混じる尿だった……


 夜になり二人は火を囲む。コハクは毛布を羽織りずっと顔を膝に押し当てている。

 病魔は目に見えない筋肉や内臓まで蝕んでいる。筋肉の弛緩が鈍くなり、体内で出来た小さな石や砂が内臓を傷つけた。病状の進行と自身の失態からコハクは打ちひしがれた。

 炎越しのその姿にヒスイは何と声をかけて良いか分からなかい。

 

 パチパチと炎が鳴き、どこかで遠くで虫が鳴く中、俯きながらコハクも小さく泣く。


「……ごめんね、迷惑ばかり掛けて……情けない……」


 ヒスイは何も言わず近くに行き肩に手を掛けると、その手をコハクはぎゅっと握った。


……


 ヒスイとコハクがカルサイトを目指すその頃、人も寝静まる深夜、人気もない、とある路地に地下へと続く階段があった。その階段の突き当たりの扉を開くとその中はキナ臭い集会所が存在していた。薄暗く、じめっとした空間。そこに訪れる者はどこか危険な雰囲気を匂わせている。

 それぞれの客が太陽が出ている時間では決して出来ないような話が交わされ穏やかではない。

 そして奥の一角のテーブル、深くフードを被った怪しげな三人が何やら人に聞かれたくないのか小さく話をしていた。


「……」

「報酬は?」

「……」

「いや、それでは引き受けはしない」

「……」

「それで手を打とう」

「……」

「なかなか、厳しい期限だな」

「……」

「その前に前金だ」


 一人が懐から包みを取り出し、テーブルに置くと向かいに座っていた二人組の一人がそれを開け確かめる。


「よし、いくぞ」


 そう言うと二人は席を立ち店を後にした。残った一人はそこから動かずにブツブツと何かを言っていた。


……


 頭上で太陽が輝き大地の熱を上げていく。雨量が極力少なく乾いた空気が体に纏わり付いた。


 フローラから出発して七日目、カルサイトまで残り少しまでの距離まで二人は来ている。先頭を歩くヒスイは何度も何度も後ろを振り返り、その視線の先のコハクを見守った。強烈な日光を防ぐためにフードを深く被るコハクが一歩一歩進む。転落の件から無理はしなくなったが、自分で歩く事だけは貫き通した。


 だが日を重ねる毎にコハクは弱々しくなっていく。


「コハク、頑張ろう」

「……はぁ……はぁ……」


 歩くことに精一杯で返事すらままならない。そんな姿にヒスイは心配の他なかった。

 

 この日も陽が落ち、夜が来たらもう慣れたもので寝床を確保し火を起こす。

 コハクは腰を下ろし体を休ませようとするが、連日の松葉杖の使用でコハクの脇が擦れその痛みに苦しんだ。その度、薬草を混ぜ込んだ塗り薬を塗り込む。その様子を横目にヒスイは心配しながら食事の準備をする。本日は薬膳スープで、コハクにそれを渡すとゆっくりと飲み始めた。

 先日、固形物の食事を取ったコハクはそれを吐いてしまい、それ以降は体力の付く具材を形がなくなるまでまで煮込んだスープを用意するようにした。時間をかけ、それを飲み干すとコハクはすぐに横になり眠りについてしまう。

 

 いつもあった会話はなくヒスイの不安は大きくなるばかりに。そして懐から一冊の小さな本を取り出し何かを書き綴り夜を明かした。


 翌日、昼間の暑さを少しでも回避する為にいつもより早く出発した。朝の涼しい風が心地よくコハクも幾分か楽に歩けているようだった。それでも時間が経つたびに気温は上昇していく。手持ちの水もなくなるので、そろそろカルサイトに着いていたい。そうヒスイが思っていると前方にユラユラと揺れる物が見える。目を凝らすと、それは紛れもなく世界市場カルサイトであった。


「コハク見えるか? あれがカルサイトだ。もう少しだ」


 それを聞いたコハクは弱々しかったが少し微笑んだ。ゆっくりゆっくり着実に歩みを重ね徐々にその揺らめきが形を成していく。そしてとうとうカルサイトに辿り着いた。


「コハクやったぞ、着いたんだ」


 コハクは安心し再び微笑みを浮かべたが次の瞬間、その場に倒れてしまった。


「コハク! コハク!」


 コハクはヒスイの腕の中で意識が薄れていき、そして目の前が真っ暗になった……




………



 ……豊かな森に囲まれ太陽の恩恵を受け作物が育つ村ソダライト。コハクの日課は早朝にこの村の畑に出向き作物の収穫をする事だ。


『うん!今日も素晴らしい!』


 手に取った野菜を眺めコハクは惚れ惚れする。作業中、呼ばれる声がした。


『おーい、コハクー』

『ガーネ!』

『早く来いよ』

『分かってるよ、ゾイ~』

『コハク、朝ごはん出来てるわよ』

「早くしないと冷めちまうぞ!』

『お母さん、お父さん』


 いつもと変わらない故郷の人々と風景が広がりその中にラズリ、そしてヒスイも笑顔でいた。


『コハク』

『うん! 今行くね、ヒスイ!』


 その幸福が溢れる光景にコハクは飛び込んでいった。


「ハッ……!」


 コハクは目を覚まし、天井を見つめていた。周りを見渡すと窓から外の明かりがよく差し込み、風が通り抜けカーテンを揺らす静かな部屋。ここが何処なのか、現実なのか、夢なのか、理解は出来なかった。部屋には誰もおらず何故こうなったかを思い返そうとした時、扉が開きヒスイが入って来るのを見るとここが現実だと理解した。


「コハク! 目を覚ましたのか!?」

「……ヒスイ……ここは?」

「ここはカルサイトにある宿だ」

「……私……どうしちゃったんだっけ?」

「カルサイトについた瞬間、倒れてしまい二日間眠っていたんだ。疲労と脱水症状が原因だが酷くは至ってない」

「……そう」

「しばらくは安静にしておくんだ」

「……さっきまで夢を見てた」

「夢?」

「……村でいつもと変わらない生活をしていて……ガーネもゾイもお母さんもお父さんもいて……ラズリ様もヒスイもいた……皆本当に幸せそうで私も幸せで……けど途中で終わっちゃった……ずっとあそこに居たかったなぁ……」


 何処か夢うつつな目は切ない。目を覚ましたのも束の間、コハクはそう言ってまた眠りについてしまった。

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