第16話 迫る時間

 部屋は暗く、僅かな日の光がカーテンの隙間から差し込んでいる。ヒスイは日光がベッドに突き刺ささらないところまでカーテンをゆっくりと開け部屋に明かりを取り込んだ。

 

 ベッドではコハクは眠りについたまま…今日はコハクが自分から目覚めるのをヒスイは待つ事にした。


「……ううん、あれ……ここは……」

「おはよう、よく眠れたか?」

「……うん、昨日おぶってきてくれたの?」

「こっちの方が良く眠れるはずだ」

「ありがとう……昨日の事って夢かな?」

「……ここで石像病を治す事は出来ない」

「そっか……あ~あ、夢じゃなかったのかぁ」

「これからどうするかの話がある」

「わかった、顔洗ってくるから待ってて」


 コハクは体を起こし顔を洗いにベッドから出ようとしたその時、コハクは今までに感じた事のない感覚に襲われた。最初は何が起きているのか理解出来なかったが、それを確認した時、血の気が引いた


「ヒスイ……右足が……」


 唇、声が震え、不安に満ちた瞳がヒスイを見上げる。

 

 直ぐに毛布を剥ぐとそこには信じ難い光景があった。右足が膝下から完全に石になっていた。質感も重量さえも。患部にある関節はもう全く動かない。


「痛みは?」

「痛くはないけど、石の部分は何も感じない。触れられている事も分からない」


 歩行が困難になり、顔を洗いに行くのにはヒスイの肩を借りたが移動中、石化した部分とまだ肉体の境に痛みを感じコハクは顔を歪めた。

 

 顔を洗い終えた後、部屋に戻るとコハクをベッドに横たわらせる。


「これから私どうなるの?」

「……コハク、”始まりの人”という人物を知っているか?」

「え、何でヒスイがそれを知っているの?」


 昨日あった事、ヒスイの父ラピスがその研究室を使用しており石像病、始まりの人について調べていた事をコハクに伝えた。


「コハクのお父さんだったんだね……」

「……ああ」

「始まりの人は知っている通り、村ではごく一部の人間と石像病になった人にしか教えられないみたい。私も石像病になってから村長に教えられた」

「そうなのか」

「それで私達も”始まりの人”を探しに行くの?」

「そうだ」

「なんか、ヒスイがそういうの信じるのって意外だな。……そうだね、それしか無いなら行こう」


 どこか覇気のない声でコハクは応えるのを見て居た堪れなくなった。


 二日後にフローラを旅立つ予定で、それまでに旅路に必要な物を揃える事になったが、今のコハクは身動きが取れないのでヒスイだけ外に出た。

 

 これから旅路にて一番の問題はコハクの移動方法だろう。市場に赴き保存食、薬の材料など求めると共に移動方法の知恵を得ようとし、初日に訪れた雑貨屋カンナや、まだ回っていない所にも顔を出したが成果を得ることが出来ず、日が暮れそうになると市場も終わりの時間を迎え、宿に戻る事に。ヒスイは宿の手前まで来ると、宿の前で誰かが遅く動いているのに気が付く。その誰かはどうやら松葉杖だろうか、それを慣れない様子でくるくると宿の前を回っている。徐々に距離が短くなってくると、その誰かはコハクだと分かった。


「はぁはぁ、はぁはぁ。あ、おかえり」


 額から汗を滲ませている。


「何をやっているんだ! 休んでなければ駄目だ!」

「明後日、出発でしょ? 少しでもこの体に慣れておかなきゃ」

「そんなの無茶だ!」

「私は! ……私の足で歩きたいの」


 今朝の覇気のない様子から一転、その瞳から強い意志を感じた。


 「好きにさせてやんなよ」


 その時、パパラチアが声を掛けてきた。


「怪我したのか知らないし、止めるように言ったけど全然言う事聞きゃしない。まあ言葉が伝わってないか。それでも自分の足で歩かなきゃ言ってるんだろ?」


 ヒスイが市場に足を伸ばしている間、ずっと一人で外に出て壁伝いに歩行練習をしていたらしい。自力で歩く姿に見かねたパパラチアは家の奥から松葉杖を持ち出しそれを貸し与え、今の今まで歩き続けていたのだ。


「その杖、あんたにやるから好きにしな」

「あ、ありがとうございます」


 コハクは言っている事が何となくわかる様な気がした。そしてパパラチアは宿の中へ入っていった。


「ヒスイ、陽が落ちるまで付き合ってくれる?」

「……分かった」


 陽が落ちる最後の最後まで彼女は歩き続けた。


 翌日、二人は朝早く目覚めると練習を兼ねて、フローラを一日かけて見て回る事にした。まだまだ松葉杖で歩く姿はぎこちないが、なんとか痛みを感じないコツを覚え、それなりに動ける様にはなった。

 

 二人は特に目的はなく歩き続けた。市場を始め、公園、人気のない路地、劇場など…村には無い物が沢山あった。休憩を何度も取りコハクは自分が病魔に侵されているのかも忘れるほど歩き続けた。いや、忘れたいから歩き続けたのかもしれない。

 

 ガーアイにも立ち寄りアメトリンにも挨拶をする事に。研究棟の前でコハクを待たせヒスイがアメトリンを連れてくると、コハクの姿にアメトリンは驚き、なんともやるせ無い表情をしたがコハクは笑顔で彼を宥める。

 

 そしてガーアイを離れようとする前、ヒスイは一つ懇願した。


「……最後にもう一度だけ、研究室に行かせてくれないか?」


 それをアメトリンは快く承諾し、三人で研究室の向かおうとしたが、ヒスイは一人で行くと言い、二人をそこに待ってもらう事にした。

 行き交う人と廊下に乱雑に置かれた本や道具をすり抜け、人気のない通路へ、4403の札が吊るされた扉を開けると部屋には何もなかった

 木漏れ日が差し込むその部屋を見回し、ヒスイはもの思いにふける。


「手あんたが何をしたか、何を考えたか分かったよ……父さん」


 長居はせず、昨日読んだ手記が机に置かれているのに気が付くと、それを懐にしまい部屋を出た。コハク達に合流すると改めてアメトリンに今までの礼を言いその場を後にした。

 

 また歩き続けると陽が暮れはじめ、フローラ最後の夜が近づこうとしている。


「今日が最後かぁ」

「そうだな」

「インカさんの料理も最後だね」

「ああ……今日は一杯だけならポロを飲んでもいい」

「あはは、飲まないよ。本当に今日と明日で終わりなんだね。……お父さんとお母さん来るかな……」

「来ることを祈ろう」


 ソダライトの村を脱する時の最後、ドットは”フローラで会おう” という言葉を残し囮となった。フローラを歩き回ったのはドット達の情報を集める為でもあったが異国の言葉を使う夫婦については何も掴めはしなかった。おそらく二人は未だフローラには辿り着けてはいないであろう。だが二人はそれでも小さな可能性を信じた。

 

 インカの店の前まで到着し、その扉を開くといつもと変わらない光景が広がっていた。


「お! ヒスイ! コハク! 来たな~! ……!? その足どうしたの!?」


 インカも変わらず二人を迎えたが、コハクの姿を見た時とても心配した。ヒスイはインカにコハクは足に不自由があり、その治療で旅をしている事、そして明日フローラを旅立つ事を伝えると、インカは残念な顔をしたがすぐに笑顔を二人に向ける。インカが餞として今夜は好きなだけ食べて飲んでいいと言ってくれたので好意に甘える事に。常連を巻き込み、夜は盛り上がり、コハクは心から笑い楽しみ、フローラ最後の夜を過ごした。


 最後の朝を迎える。荷物の準備はすでに終え、いつでも出発する準備は出来ていた。


「コハクの心の準備が出来たらでいい」


 コハクは目を閉じ深呼吸をして気持ちに整理をつける。


「よし! 大丈夫、行こう」


 松葉杖を力強く握り立ち上がった。階段は注意が必要だがなんとか一人で降りられる。極力ヒスイは手を貸さないようにしているようだ。おそらくそれがコハクの望みでもあるから。

 ウトの玄関はいつも通り暗かったが、いつもと違ったのはパパラチアが椅子に座り新聞を読んでいた。


「行くのかい?」

「はい」

「そうかい……それ持って行きな」


 カウンターに目を移すと包みが置いてあった。それを開くとあの日と同じサンドウィッチが入っていた。それを見たコハクは涙ぐむ。


「パパラチア……ありがとう」

「少しは喋れるようになったね。あんた無理だけはダメだよ。それと……またおいで」


 パパラチアはコハクを抱きしめた。宿屋ウトを後にし検問所へ向かう。途中でインカが見送りに来てくれて包みを渡すしてくれた。気になるその中身はまたもやサンドウィッチでそれを見たコハクは笑った。検問所に辿り着くと、コハクは辺りを仕切りにきょろきょろと見渡したが、ドットもペリも見当たらず落胆した。


「やっぱり、駄目だったみたい」

「……そうみたいだな」

「……」

「パパラチアにもインカにも伝言は残したよ。異国の言葉を使う大柄の男と連れ添う淑やかな女性の夫婦を見かけたら俺達の事を話してくれと」

「本当に?」

「スフェーンを目指す事も伝えてくれるだろう。どこかしらで会えるかもしれない」

「…うん。そうだね。きっと会えるよ!」


 審査も通過しいつでも出国できる準備は出来た。


「新しい旅立ちだね」

「ああ」

「私、頑張るから」

「大丈夫だ、俺がずっと隣にいる」


 顔は合わせてくれはしなかったが、その予想もしなかった言葉に一瞬、コハクはドキッとした。


「行こうか」

「え、あ、はい!」


 一歩踏み出そうとしたその時


「ヒスイ君! コハクさん!」


 二人の名を呼ぶ声があった。それはアメトリンであった。


「良かった、間に合った」

「見送りに来てくれたんですか?」

「そうとも言えないんです」

「どういう事?」


 アメトリンは呼吸を整え二人に言った。


「ここで石像病の治療方法を研究し、コハクさんを助けたいんです」


 それを聞いた最初二人は何を言っていいか困惑したがヒスイは問いかけた。


「好意はありがたいが、ここにはもう何もない。今の状況で何が出来るんだ?」

「彼女を学会に紹介し、有数の学者の中で研究を行えば……!」

「……すまないが俺達の存在が知られる事は、すなわち村の存在も知られる事になってしまう。……外の世界に食いもんにされるのは御免なんだ」


 村の事はどうでも良いとばかり思っていたが、そんな事をヒスイが言うとは思わずコハクは驚いた。


「本当にあんなおとぎ話を信じるんですか?」

「少なくとも、あんたの先生はそこに神がいなかったとしても、何かがあると確信して向かったんだと思う。俺はそれを信じる」


 黙っていたコハクも口を開く。


「私もそこに行けば何かある気がするんです」


 アメトリンはもう何を言っても二人の意志が固く揺るがないと確信した。


「分かりました……気を付けて下さいね」

「今まで世話になった。礼を言う」

「本当にありがとうございました」


 二人は最後に握手をしてその場を離れた。途中、コハクが振り返り手を振るとアメトリンも手を振る。


 どんどんと二人が離れて背中が小さくなり形も見えなくなった時、アメトリンは唇を噛み締めていた。 

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