第12話 知識の塔ガーアイ

 部屋は暗く、僅かな日の光がカーテンの隙間から差し込んでいる。ヒスイはカーテンを全開にして部屋に明かりを取り込むと、日光がベッドで眠るコハクの寝顔に直撃し、コハクはしかめ面をして目覚めた。


「んん……おはよ……あれ……? なんで? いつの間に帰って来たんだっけ? ……シダイ食べて、ポロ飲んで、それから……あれ? そっからなんか記憶が曖昧で……痛!?」


 今まで経験したことのない気だるい体、胃のムカつき、そして頭痛の中で、昨日の一部の記憶が無いことに訳が分からなくなっているコハクの為に、ヒスイは薬を水に溶かしたコップをコハクに手渡した。


「これ二日酔いに効く薬だよ」

「二日酔い? 私お酒飲んだの?」

「もしかして気が付いてなかったのか?」

「え、ポロってお酒だったの?」

「これからはほどほどに」

「……私なんか変な事してないよね?」

「……大丈夫だ、何も無い」

「!? 嘘でしょ! 教えてよ! 痛!」

「早く薬飲んで」

「うげ~……苦い」

「終わったら支度しよう」

「どこか行くの?」

「ガーアイ大図書塔に行く。世界の知識がある場所だ」

「世界の知識?」


 昨日の自分の事を問い出すのも忘れるほど、その世界の知識という言葉に惹かれたコハクは残りの薬を飲み干してすぐに身支度を始めた。バタバタと動き回り、物の数分で身支度を整えヒスイの前に現れると先ほどの瀕死状態からいつも通りの元気印の姿に戻った。


「さあ、出発しよ!」

「……本当、すごいよ」

「ん? 何が?」


 太陽が昇ってからそれほど時間立っておらず、大通りの市場は準備の真っ最中であった。昨日訪れた換金所も通り過ぎ、更に都の中央へと二人は進む。


「ねえヒスイ、そのガーアイ図書塔ってどのくらいかかるの?」

「あの一番高い建物。あそこが目的地だ」


 ヒスイが指を指す方向にはこの都でも一際目を引く塔があった。今いる所からでもその大きさは周りの建築物とでは比べ物にならない程で、それを見るや否や高揚したコハクはヒスイの前に躍り出て早く行こうと急かす。

 

 歩き続けて行くと小さい塔がだんだんと大きく見え、麓まで着つき、真下から見上げるこの塔は遥か遠く延々の天まで続いているようでコハクは口を開けたままそれを見上げた。


「すごい……こんな物を人が作るなんて信じられない。これ何なの?」

「この学問の都フローラは文字通り、学問のおいて外界に名を馳せている。そして世界の知識が集まるのがガーアイの図書塔だ」


 学問の都フローラには世界の知識が集結しており各分野での研究がここで行われ、研究室、学生寮など数多く設立しており、その広大な敷地は迷子になってしまう程である。


 そんな中でも一際目を引くのがガーアイ大図書塔だ。

 

 何世代にも書き留められてきた書物がこの塔には保管されており、その蔵書はどのくらいの量が所蔵されているかも関係者にすら把握されていない。史学、数学、医学、解らない物事は無いと言われるほどで一部は除くがガーアイの塔は一般の人々に解放されている。


「世界中の知識がここに……それじゃここで!」

「石像病の治療方法を探す」


 二人は期待を胸にその巨大な塔へと一歩を踏み出し、開かれている巨大な門をくぐると再びその姿に驚嘆した。

 

 円形状のその空間、周りは本棚で全て本で埋め尽くされ奥の方は坂道になっており、その先を追っていくと螺旋状に上昇していく。頭上にはほんの一筋の光が差しているのが辛うじて認識出来た。中央には机があり若い女性が座っていて二人に気がつくと女は微笑みかけると二人は女性の元へ近づいていった。


「ごきげんよう、今日はどんな知識をお探しかしら?」


 銀色の短い髪で少し目尻が下がる人当たりがよさげなこの女性はどうやらこの図書塔の案内嬢らしい。


「医学書を探しています。この塔のどこにありますか」

「医学の分野ですね、少しお待ちください。え~と医学、医学」


 受付嬢は横に置いてある分厚い本をペラペラとめくり始める。


「はい、医学の分野になりますと本塔の37周目よりの棚に蔵書されております」

「分かりました。37周目まではこの螺旋状の道を行くしかないのですか?」

「そうですね、本塔の螺旋道は145周にて設計されております。1周にかかる時間はおよそ2分程度なので37周目までは70分ほどかかりますね。普段から机と向かい合う運動不足の学生さんにとってはいい運動だと思われますよ。では素晴らしき知識がありますように」


 受付嬢は満面の笑みでそう答えた。ヒスイは礼を言ってコハクに医学書は37周目にある事を伝え螺旋の道を登り始める。


「70分か~、けど私達ならその半分で行けそうかなあ?」


 山奥で日常的に育った二人にはこの道のりは何の苦でもなく、膨大な本とその横に設置されている机で意識を本に向ける学生を目にしながらひたすら登っていく。

 

 この塔には窓がない。差し込む日の光は頂上からだけにも関わらず塔の内部がほんのりと明るいのは等間隔に埋め込まれている”緑石”から発せられている光のためであった。


「不思議だね、この緑の石」

「蓄光石と言ってわずかな光でも蓄えて光を発する石で旅人に重宝される物だ」

「……」

「どうかしたか?」

「何で何でも知っちゃってるのよ」

「家の本で読んだから」

「なんかずるい」

「どういう事だ?」

「な〜んでもないよ」


 コハクの張った声に睨む付ける視線が多く向けられ、コハクは縮こまった。

 

 おおよそ半分の20周目ほどに差し掛かったが登り続ける二人に疲れなど感じてはいないようで先頭を行くコハクも軽快さは変わらない。中央に空いている大穴の手前には落下防止の手摺があり、コハクは大穴の方へ近付き手を掛けた。


「あまり身を投げ出すと危ない」

「解ってる、危ないからそっち戻るね」


 上を見上げると最初に見た日の光が少しだけ大きく感じられ、対して下を覗き込むと相当の高さであった。ここから落ちでもしたらまず命はないのだろう。


 落ちないように注意しながらコハクはスイの所へ戻ろうとした時、突然コハクの体が全く動かなくなったのと同時にとてつもなく重くなるのを感じたのも束の間、意識も途絶えた。石のように固まってしまった体がそのまま大穴の方へ重心が傾きかける!ヒスイは異変を感じ、落ちそうになるコハクの背中を見ると駆け出したのだが間に合わない!コハクの上半身が見えなくなり両足が宙に浮き、下層まで落下しそうになったその時、一人の男がコハクの体に抱きつき力一杯に引き上げながら、そのまま道側へ一緒に倒れこんだ。辺りが騒然とする中ヒスイはすぐさま駆け寄る。


「コハク! コハク!」

「……あ、あれ今私……?」

「何も覚えていないのか?」


 ヒスイの呼び掛けにコハクは我を取り戻したが、突然の出来事に彼女自身混乱していた。


「ふー、危ない所でしたね?」


 金色の長い髪を後ろで束ねメガネを掛けたヒョロッとした若い男が声をかけて来た。コハクを間一髪の所で助けた男だ。


「ありがとう、あんたがいなかった今頃は」

「いやいや、気にしないで下さい。それに慣れたものですから」

「慣れている?」

「いき詰まった学生が何人もここから飛び降りようとするんです。それを見かけては宥めたり、体を張って止めて来ましたから」

「なるほど……」

「あ、申し遅れました。私はアメトリンと言います。考古学を専攻しています」

「俺はヒスイ、こっちはコハク」


 唐突に始まった二人の会話にコハク入っていけないが、それどころではなかった。


「ここから落ちそうになったコハクを、このアメトリンが助けてくれたんだ」

「初めまして、アメトリンと言います。この塔の下を覗き込むとクラクラする人が多いので気をつけて下さいね」

「……あ、ありがとうございます」

「いえいえ、……それにしても見慣れない格好だ。旅の人かな? この塔には何か探し物で?」

「薬剤に関して学を増やしたいと思い、ここへ立ち寄っている」

「なるほどそれだと医学、薬学の区分まではあと少しですよ。頑張って下さい。それでは私はここで」


 そう言うとアメトリンは下層へ下って行ってしまった。


「コハク大丈夫か?」

「私、突然何も分からなくなって気が付いたら……」

「体におかしい所とか違和感は?」

「特別何も……」

「そうか、良かった。宿に戻ろうか?」

「ううん、ここまで来たんだから一緒にいけるよ」

「本当か?」

「うん、大丈夫だよ」

「……分かった、だが何かあったらすぐに言ってくれ」


 先程までの調子には流石になれず、先ほどまで先を歩いていた姿は今ではヒスイの横で歩くので彼女の歩く速さにヒスイは合わせた。

 

 しばらく無言のコハクだったが、ふとある事に気が付く。


「あれ、さっきの人と私普通に話せた」

「そう言えば」

「私達と同じ言語だったよね」

「あまりにも自然すぎて気が付かなかった」

「私達の村以外でも使われている言葉なのかな?」

「本人に直接確認してみないと分からないな」

「また会えたらちゃんと話したいね」


 そうしているうちに37周目に到着した。風景は今まで上ってきたものと代わり映えはしない。ヒスイは本棚に近づき、一冊取りペラペラと本を捲り始めるのをコハクは横で伺った。


「ど、どう? 分かりそうかな?」


 ヒスイは”ふー”と一息吹き、パタンと本を閉じ答える。


「本の内容は理解出来そうだ。ただこの膨大な量から石像病に関しての文献を見つけ出すのは相当な時間を掛けないと難しいかもしれない」


 目の前に広がる光景には気が滅入ってくる程で、37周から始まる医学、薬学の区分は70周まで続く。ヒスイにもやっと読み進められるのに対してコハクに分かる事は一般的な挨拶の数種の単語ぐらいで、長い戦いが始まる事が想定された。


「早速調べ始めよう」

「私も出来る限り頑張ってみる」


 コハクは借りた辞書をギュッと抱きしめ彼女なりの意思表明をした。各々が持てるだけの本を抱え備え付けの机へと運び、机に正面に向かい合いながらの読み解いて行く。


 大中小、古い本から新しい本を読み進めていくと、知り得なかった知識が詰まっていて村では治療法も分からなかった症状とみられる治療法などもそこにはあった。それら一つ一つはヒスイにとってはとても興味深いもので、時間を掛けて理解を深めたい所ではあったが今は石像病に関係のない文献は省いていく。それでも1頁に掛かる時間を要した。

 

 一方のコハクはと言うと辞書片手に悪戦苦闘の状態で全文を解読する事は諦め”石像病” ”石” ”固まる” ”動けない” などの石造病に関わる単語を見つけていく事に徹したが、ヒスイの三分の一程も捗らない。

 

 紙が捲れる音、時折誰かが席を離れる際に出る音、人の呼吸、足音くらいしか物音はないが、それさえも気が付かない程にこの塔にいる人は本の世界に囚われている。


……

 

 何分、いや何時間経ったのか、窓が無いこの空間では時間の感覚が損なわれ、まるで時間が止まっているようでもあった。

 

 上層、螺旋道からちらほらと降りてくる人が増え、37周目にいた人も徐々に減っていくのも気が付かない程集中していて、ヒスイは30冊以上、コハクは10冊の本を読み終えていた。


”ゴーン、ゴーン”


 突然大きく鐘の音が鳴り響き図書塔にいる全て人間が本の世界から現実へ引き戻されると、本を棚に戻し荷物をまとめ下層へ降りて行く人が続いていった。


「鐘が終わりの合図なのかな?」

「恐らくそうだろう、今日はこれで終わりにして宿に戻ろう」

「そうだね、それにしてもヒスイ何冊読んだの?」

「30冊以上はあるが厳密には読んではないな」

「それでもすごいよ、私なんて10冊しか読めなかった」

「コハクはこの世界に来て初めてこっちの言語を知ったんだ。それで10冊は捗ったと思う」

「そうなのかな、……それで何か分かった?」

「石像病の記述は見つからなかった」

「そっか……私の方もダメだった」

「そんな簡単にはいかないのは想定内さ、また明日もある」

「そうだよね、うん!頑張ろう!」


 気合いを入れた声に再び多くの視線がコハクに注がれると、彼女も再び縮こみながら積み上がった本を本棚に戻し身支度を整え下層へ下る。


「それにしても疲れたな~、何時間読み続けたんだろ。朝登ってくる時はなんとでもなかったんだけど、今から帰るって考えるとしんどい」

「行くしかない」

「うう~頑張るしかないか」


 代わり映えのしない同じ光景を再び降りて行く。

 下りになると膝に少し痛みを感じたコハクの顔が少し歪む。


「体に異変は?」

「あ、うん、大丈夫だよ……やっぱりあれってさ……」

「何だ?」

「あ、ううん、何でもない。あ~~、それにしてもお腹空いたな~」

「昼も忘れているからな」

「今日はどんな物食べられるかな~」

「ちなみにポロはもうダメだ」

「え~今飲んだら最高だと思うんだけど」

「ダメだ」

「ちぇ~」


 そして1周目に到着すると受付嬢が朝と変わらない笑顔で定位置に座っていて話かけてきた。


「お疲れ様でした。勉学の方は進みましたでしょうか?」

「いや、まだまだ通う必要がありそうで」

「そうですか、それでは明日もお待ちしていますね」

「ありがとう、それじゃ」

「はい、さようなら」


 笑顔で手を振る受付嬢を背に二人はガーアイ図書塔の門を出るとすでに日は落ち、夜を迎えていた。


「うわ、真っ暗! すっごい時間経ってたんだね」

「そうみたいだ」

「ね、美味しかったからまたインカさんの店に行こうよ」

「そうだな」

「楽しみだな~……ちなみにポロは」

「だからダメだ」

「そんな~」


 こうしてガーアイ図書塔での闘い一日目が終了した。


 ……しかし、体は着実に蝕まわれ始めていく……

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