第7話 ラピスの手記
通い慣れた獣道であるのに、今はまるで初めて歩くかのようにコハクは手間取い数回つまずき、ひどく長い時間が経っているように思えた。息は荒くなり、額から顎先に汗が流れて行く度、汗を拭った。それでも暗闇の中を無我夢中で進むと微かに先が明るく、そして見慣れた風景に辿り着いた。
池の中央にはまだ月がなく、周りを見渡すがまだヒスイの姿もなかった。背負っていた荷物を降ろし、汗ばむ体に風が触れると熱が引いて行く。寒気を感じ荷物の中からマントを取り出すとそれにくるまった。
じっと動かずに目の前の風景を目に焼き付けているとガサガサっと獣道の方から音がする。ハッとしたコハクは素早く後ろを振り返ると茂みの中から大きな籠を背負ったヒスイが現れた。コハクは立ち上がりヒスイの近くに寄る。
「すごい荷物だね、私の5倍はありそう」
「移動に支障ない最低限な物くらいだ」
それからヒスイは荷物を降ろし取り出したのはピスの手記だった。ペラペラとめくりあるページで止まり文章を指差した。
「ここにはソダライトへの行き方、帰り方が書かれている。聞いてほしい」
そしてヒスイはその文字を読み上げた。
”ソダライト” 私が考古学者として旅をする中、この未開の大山に興味がないと言う事はまずない。周辺の地域では踏入禁止の神の領域と崇められていた。この壮大かつ神々しい姿に多くの者が憧れてきた。私もそのうちの一人だ。数々の冒険者、学者がこの大山に挑んでいったが誰一人、その頂上まで行き着いた者はいなかった。
そして私にも遂に挑戦する時が来たのだ。いざ、麓まで来るとその計り知れない大きさに驚愕し、分厚い雲に覆われ天が見えず、悠然とそびえ立っている。時折上空にて鳴り響く謎の音がより不気味であった。この果ての見えない断崖絶壁を登り何人もの命が失われている。ただの自殺行為でしかない。
だが私は挑戦の事前に周辺を1年をかけ調査をした所、偶然にも発見してしまった。
大山に存在する無数の大小の滝において、茂みに隠れる一つの滝があった。かなり足取りが悪い所にあり今まで誰の目にも触れる事はなかっただろう。体の汗を流す為にその滝壺へ飛び込み滝をよく見ると裏手に人一人が入れる穴があったのだ。滝の水圧に耐えながら突き抜け、穴の中に入ると大きな空間が広がっていた。しかし不思議な事に光が差し込まないにも関わらず、ほんのり明るく辺りを認識出来た。
更に奥に進むと鍾乳洞があり、上へと空間が広がっていたが傾斜がきつく滑るため、これ以上進むことは諦めて引かそうとした時、傍に進める事に気が付いた。そちらの方へ進むとゴツゴツとした岩場であったが遥か頭上には大きな空間が口を開いた。
私は直感した。”ここ”だと。
この滝を記録し急いでフローラへ戻り準備を進める事にした。
洞窟発見から一週間後、装備を整え再び滝の元へ向かい滝壺へ飛び込み滝をくぐる。後からロープにつないである荷物を手繰り寄せ滝壺の底に沈まないように一気に引き上げた。前回同様、洞窟の中はほんのり明るく視界は良好だ。鍾乳洞の所まで来ると傍の方へとそれた。荷物を降ろし上を見上げると上空に大きな空間が広がっている。私はその景色に好奇心と恐怖で息を飲んだが、上へ登り始めた。
なんとか足場を見つけて行き上へ上がっていき足場がないときは硬い岩盤に杭を打ち込み足場を稼いだ。私以外の生き物は虫やコウモリしかいないので外敵からの危険はないようだ。
太陽も月もなく日数を確認する事が出来なかったが、体内時計と寝た回数を考え、おおよそ五日は経っているだろう時、頭上に針の穴程度に光を確認した。無我夢中で進むと光はどんどん大きくなって行き遂に地上へ降り立ったのだ。
降り立ったそこには見慣れない植物、昆虫が見られた。それらを書き留め記録を行っていると突然「コーコー!」と言う音が辺りに響いた。その音に私は本能的に身を隠した。辺りを確認し、未だ鳴り響く音の方へ足音を立てないように、ゆっくり近づいていくと前方には地面がなく断崖絶壁であった。
その端まで行くと目の前には白い雲の海に覆われた絶景が広がっていた。この大山を攻略した事に夢心地の私だったが、再び『コーコー!」の音が鳴り響き身が震えた。身を低くし恐る恐る崖の下を覗き目を凝らすと雲の中に蠢く影が見えた。
その正体は巨大な怪鳥であり、体長は翼を広げるとおよそ10mほどもあるであろう。一体が浮上を始めその全貌が目視出来ると体は紫色の羽毛で覆われ、嘴は長細く鋭く二本の足の爪は刃物のようだったギョロギョロと目を忙しなく動かしながら「コーコー!」と泣き続けている。麓から聞いた不気味な山鳴りような音はこれだったのだ。
私はこの怪鳥の事を知っている。ヒキズリと言う。今まで生存確認されたのはわずか2件、聞見でしか私も知らず、姿も挿し絵程度で見たくらいである。名前の由来は餌と認識されたが最後、どんな所に逃げようが、その細く長い嘴で身体中から内臓を引きずり出されてしまうと言われている。文字通りの由来である。確認出来る限り6羽、ぶ厚い雲の上を飛翔していた。光景は圧巻であったがそこでヒキズリを眺めるのはとても危険な事だ。腹ばいになっている体を持ち上げた時、左手の地面が崩れ私は「わっ!」と声を上げてしまった。崩れた小石が地上へ消えて行くのを見たその時嫌な予感がした。ヒキズリの一羽が小石を落としたのは私だと理解したのだ。捕食対象にされた私は立ち上がり崖の反対方向にある森へ身を隠そうと駆け出した!無我夢中で地面を蹴る最中、後方で強烈な風が吹く! 振り返ると両翼を広げ、首を目一杯こちらへ伸ばし、嘴を上下に大きく開らくヒキズリの姿があった。この世の生物とは思えなかった。「コーコー!」と鳴く声が耳に突き刺さり更に恐怖心を駆り立てた。両翼を広げた大きさは自分の十倍以上あるであろうか。そんな化け物から逃げるべく目の前の森を目指した!
鋭く長い嘴が私を貫こうとしたが横に飛びなんとか躱し、ヒキズリが体制を立て直しているのを機に森の中へ飛び込んだ!生い茂る草木の棘で身体中に触れ痛みが走る。流石のヒキズリも体格から森の中に入ってくる事は出来なかった。
暫くの間は地上でウロウロとしているのを私は身を低くし茂みの間から様子を伺った。大きな足、鋭い爪が目の前を何回も往復する事は恐怖でしかなかった。それでもしばらくすると大きな翼を広げ飛び立って行った。
難を逃れ安堵すると近くに水の流れる音に気が付き、それに反応したのか、ひどく喉が渇く。立ち上がり茂みの奥へ、音のする方角へ進んだ。
木々の葉が太陽の光を遮り、背の高い雑草が邪魔で周りの確認が難しい。それでも音を頼りに進んで行くと段々と辺りが柔らかな光に包まれ始めた。最後、目線と同じ高さの草を搔き分けると小川があった。背負っていた荷物を降ろし両手で川の水をすく上げ口へ運んだ。体に染み渡るその感覚は忘れる事は出来ない。
ついで身体中の砂を洗い流す為に川の中へ飛び込むと生傷に沁みるが冷んやりと心地いい。
全身についた砂が洗い流していると ”パキッ”っと下流方面から枝が割れる音がした。再びの緊張感が襲い無意識に頭を音のする方へ素早く向けると私は言葉を失った。
そこには若く長い黒髪の美しい女がいた。
白を基調とした見た事のない民族衣裳を纏い片手にはざるを持っている。数秒、お互いを見つめると次の瞬間、女が背を向け走り出した。異様なほど女は速く必死に追い掛けたが全く追いつけない。
その時、私は足を取られて挫いてしまった。痛みで立てず女の事は諦めようとしたが、苦しんでいる最中、頭上に影が落ちたのに気が付いた。顔を上げると先程の女がこちらを覗いていたのだ。見れば見る程、美しい女だった。
見とれていると女は跪挫いた足首に持っていた葉を巻きつけた。すうっとする感覚で徐々に痛みが引いていく。どうやら鎮痛効果があるのだろう。私は彼女に礼を言ったが、キョトンとした顔だった。
色々と言葉をかけたが表情は眉間にしわを寄せている。どうやら言語は通じないようだ。すると彼女は口を開け言葉を発した。だが今度は逆に私が眉間にしわを寄せる事になった。しばらく彼女の言葉を聞き取っているとある事に気が付いた。
以前、私が研究対象としていた失われた古代言語に非常に似ていたのだ。日常会話程度なら覚えがあり、ぎこちない発音でゆっくり話すと彼女はパッと明るい表情になった。
それから古い記憶を蘇させながら時間をかけ彼女と対話した。彼女の名は”ラズリ”この森の奥にある村で巫女をしているという。私は色々と聞きたい事が山ほどあったが、彼女の質問攻めがそうはさせてくれなかった。見た事ない服、聞いた事ない言葉、不思議な道具などが逆に気になってしょうがなかったらしい。
一通り話し終えたうちに太陽が沈みかけ夜に変わろうとしていた。彼女は”帰らならけばならない”と言った。当然、彼女の住む村に興味があり、その意思を伝えたがそれは”ダメだ”と即答された。話によると村の外の世界の者は悪だとされている為、命の保証は出来ないという。それを聞く限り慎重に行動するべきと感じた。
村に近づくのは今は止め、この自然環境の調査を優先する事にした。ラズリの後をついて行くと大きな樹木が見えて来た、麓まで来るとその大きさを確認した。高さはおおよそ30mほどあり、幹は手を広げた私が10人以上いて一周出来るくらい太いものであった。その大きさに呆気にとられているとラズリが幹の向こうから手招きしている。ラズリの近くまで行くと彼女は指差した。指差す方向を見ると樹木の反対側には人一人入れる穴が開いていた。その中に入ってみると空間が広がっていて仮住まいするには十分なくらいだった。この近辺は彼女しか出歩かないという。それを機にまた明日も私に会いに来てくれるらしい。
そうして彼女は足場の悪い道を軽やかな足取りで森の中へ消えていった。一人になり、抑えられていた身体中の疲れが溢れ出し気を失うように眠りについた。
翌日、目を覚ますとラズリは昨日言った通り私の元を訪れてくれた。
それから、彼女は私を連れ出し、植物、昆虫、小動物から大型動物を見せてくれた。今まで見た事もない物に私は興奮した。ラズリの説明を必死に理解しようとし、彼女を見ると嬉しそうに話す顔がそこにはあった。
それから私がこの地を離れるまでラズリは私と共に居てくれた。彼女と私は互いに知らない事を教え合い、日を重ねる毎に彼女に惹かれていった。
この未開の地を調査し始めてからおおよそ2ヶ月が経った頃、ここでの経験を執筆する為、私は一旦フローラへ戻る事にした。彼女にここを離れると告げると寂しそうな表情をした。またここに戻ると伝えると彼女の表情は再び明るく返り咲いた。
旅立ちの日、ラズリは中身は空だが人一人が容易に入る事が出来るくらい大きな籠を背負っていた。その時は深く気にも留めず、自分の荷物を背負い出てきた縦穴を目指した。ヒキズリに警戒しつつ進んだが何事もなく縦穴にたどり着けた。どうやらラズリが途中で摘んだ香草のお陰らしい。所々でツンと鼻についた匂いはこれだったのだろう。そして縦穴を覗き込むと底の見えない暗闇が広がっていた。再びこの闇に数日間身を投じるとなると流石に気が滅入っていたが、ラズリが私の肩を叩きある場所を指差した。その指差す場所まで行って見ると別の穴があった。耳を澄ますと下で水が流れている。ラズリによるとこの穴に流れる川は地上に繋がっているという。根拠は?と聞くと”多分”だと言った。
それでもこの山には無数の滝があったことから可能性は高いが登って来た高さから想像するに水流に飲まれ溺れ死ぬのが目に見えた。
するとラズリは背負っていた籠を”ドンっ”と降ろし、そして彼女は私に言ったのだ。”この籠の中に入れ”と。籠が衝撃を無くし、身を守ってくれるという。網目も細かいので尖ったものが刺さる心配も、耐久性も問題ないと言う。本当か?と聞くと”多分”と再び返って来た。
相当躊躇いがあったが彼女に賭けてみる事にした。私はラズリに引きつった表情でまた戻って来る事を告げると彼女は微笑んだ。縦穴の一歩手前で私は籠に入り蓋を閉じ、ラズリが籠を押す。ジリジリと地面と擦れる音が鳴り、籠の細かい網目から光が差し込んだ。心臓の鼓動が激しく鳴り、やはり後悔し始めたと同時に地面が消えた! 差し込んでいた光も消え、数秒後、激しく水に叩きつけられると水に浸かった。”籠が沈んでしまう!”と焦ったが驚くほどの浮遊力で全く沈み込む事はなかった。暗闇の激流の中で、岩にぶつかり籠の中で体を打ちつけながら恐怖心と闘った。
果てしない時間を感じていたある時、一瞬体が中に浮く感覚に襲わるも次の瞬間物凄い速さで落下しているのが分かった。流石にもうダメかと思い再び水に激しく籠が叩きつけられた! どうやら洞窟内の滝壺に着水したらしい。それからは一向に光はないが穏やかな流れが続いた。しばらくすると足元の籠目の方からかすかに光が指している事に気が付いた。光は段々と強さを増していき安堵したその時、再び体が宙を浮き、予想した通り落下し激しく水に叩きつけられた!
”光が満ちたらカゴから出て” ラズリの言葉通り網目から無数の光が満ちると蓋を開ける。外の眩しさに瞼が少しの間開けられないでいたが、目が慣れ辺りを確認すると、そこは最初の滝壺であった。どうやら登って来た穴とは別に、滝の上の方にまた別の穴があるようだ。籠から離れ岸まで泳ぎ久しぶりに土を踏みしめた。身体中は打ち身だらけで痛かったが大事でなかった。記憶が鮮明なうちに執筆したいが為、急いでフローラへ向かった。生還できた実感、数ヶ月間自分があの上にいた事の興奮が止まなかった。ラズリの事を思い出した時、一度だけ振り返り大山を見上げた。
そして私は必ずあそこに戻ることを誓ったのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます