第6話 最後の夜

 石像祭を三日後に控えた村は最後の準備に追われ装飾が施されていく景色にはいつもとは違う華やかさがあった。当日は多くの料理、余興の踊り、石像祭由来の演劇などが一日をかけ行われるので村人はそれを心待ちにしている。


 昨日、外の世界に行くと決め、石像祭の前々日の深夜、青の池で落ち合い村を出る約束をした。それからコハクは家へ帰るとドットとペリはまだ起きていた。


「おかえり! 随分遅かったな! この不良娘が! がはははは!」

「体冷えちゃったんじゃないの?今スープ温めるわ」

「……うん、ありがとう」


 二人のぎこちない振る舞いがコハクの胸を締め付ける中、いつ切り出そうかと悩んだ。

 

 色々な事を話した。昔の思い出。ドットとペリが少年少女だった時から二人がどうやって結ばれたかと、コハクが生まれた時や、山で大怪我した時とか、飲んで暴れたとか。

 

 時間が過ぎて行く度に色々な事を思い出してしまってコハクは更に苦しくなった。

 

 ふと会話が途切れ、外の鈴虫の鳴き声が響いた。するとコハクはペリの肩が震えているのに気が付く。ペリの顔は下を向いてテーブルに雫がポタポタと落ちたのを見た。


「ごめんなさい……コハク……」


 感情の堰が切られ崩れ落ちるペリにドットは優しく背中に手を置いた。二人の姿を耐えかねてコハクは切り出した。


「お父さん、お母さん、私……外の世界に行く」


 時間が止まったようだった。その言葉を聞いた二人は呆然とした。


「外に行ってこの病気を治したいの。だからお願い、私と一緒に来て」

「な、何言っているの? そんな事、急に言い出して?」

「私、やっぱり生きたいの!その可能性があるって…!…」

「……ヒスイだな、あいつの唆されたんだな……!」

「唆されてなんかいない!ヒスイは私を助けようと必死に……!」

「バカな事言ってんじゃねえ! 外なんか行ったらすぐ死んじまうんだ!」


 そう怒鳴りつけるとドットは扉が壊れるくらいの勢いで部屋を出て行ってしまった。ろくに話も出来ず、コハクはただ立ち尽くすしかない。ペリがゆっくり抱きしめた。


「…手コハク、外の世界には苦しみしかないの……だからせめて……」


 体に回された暖かい腕の中でコハクは神妙な面持ちになった。


……


 一夜明け、コハクは窓に保たれ黄昏ていた。ドットは朝早くからどこかに出かけてしまっているようでコハクは顔を合わせられていない。


 ”生きたい”と彼女の命は叫んでいる。


 その意志はもう押し殺すことは出来ない。今夜、ヒスイとここを出る事は変わらないと決意しているが、ふとペリの後ろ姿を見ると、とても悲しい気持ちになった。


 コハクは家の空気に堪らず、散歩に出る。外では相変わらず石像祭の準備に追われており、その中を歩くコハクは注目の的であった。声をかけてくる人が多かったがコハクは一人一人に対応した。ぎこちない笑顔で応えるが今夜、自分とヒスイの行動に対し罪悪感を感じた。

 

 村を回っていると後ろから甲高い声で名前を呼ばれた。


「コハクー!」

「ガーネ」

「どしたの? こんな所にいるなんて」

「う~ん、ちょっと最後に村を見ておこうかなって思ってね」

「やっぱりお社に入ったらここには戻ってこれないの?」

「そう、そこで石になるのを待つの」


 コハクは親友のガーネに対しても嘘を貫こうとする。真実を話してしまったら彼女の性格上、来てしまうかもしれないと思った。だからそれだけ察しられないように自分が普段通りに話す事に気を使った。コハクは左手で右人差し指をぎゅっと握るとガーネがじっと見つめながら言った。


「……コハク、私にさ、言ってない事とかない?」


 それを聞いてコハクはドキッとしたがやり過ごす。


「大丈夫だよ、ガーネには全部伝えてるよ」

「……そっか、そうだよね」


 そう言ったもののガーネの表情は固い。小一時間程、話をした。これが二人にとって最後の時間、話したい事はまだまだあるが、それでも別れの時間は来てしまった。


「コハク、私そろそろ戻らなきゃ」

「あ、ごめん、ガーネもお祭りの準備があったんだよね」

「当日も精一杯やるから」

「うん、ありがとう」

「私達、ずっと繋がっているから」

「うん、本当にありがとう」


 ガーネはうっすら涙を浮かべると自分の胸へコハクを抱き寄せた。


「ガーネが男の子だったらお嫁に行きたかったな」

「私も。絶対幸せにしたい」


 冗談交じりでも最後は笑顔だった。そうして二人は”じゃあね”と手を振りお互い背を向けて歩き出す。

 

 二人の距離がだいぶ遠くになった時、ガーネは叫んだ。


「コハク! 私、コハクがどんな決断をしても信じるから!」


 コハクの足が止まり、ゆっくり後ろを振り返ったが、もうそこにガーネの姿はない。見つめる茜色の空が美しくも切なかった。


 コハクは左手で右人差し指を握る癖がある。ガーネはその意味を知っていたし見逃さなかったのだ。自分を分かってくれている人がいる事がコハクの励みになり、必ず生きてガーネに会おうと強く誓うと再び歩き始めた。

 

 そして家路の途中、遠くに細く煙が空に立ち上って行くのを見た。


 日が沈む前に家に帰ったコハクはペリに気が付かれないよう旅の支度を始めた。とは言え、準備出来る物なんて両手の指の数くらいしかない。遠出用の靴、マント。カバンの中には裁縫道具、作物収穫用の小さなナイフ、ヒスイからもらった香水。必要なものはヒスイが全て用意しているとの事だった。

 

 夕食前には準備は整ってしまうとペリがコハクを夕食に呼ぶ声がする。居間の食卓に着いたがそこにドットの姿が未だなかった。


「お父さんは?」

「ちょっと遅くなるみたい」

「どこにいったの?」

「ちょっと……分からないわ」


 重々しい空気は変わらず二人は食卓を囲った。

 

 その後、湯船に浸かり寝床に着く時間になってもドットは帰ってはこない。これが村の最後の時間になってしまうのかと考えるとコハクは胸が苦しくなった。それでも二人が来てくれたのならとまだ思う。


 一方、ヒスイは旅立ちに向け着々と準備をしていた。


「……これは持って行く……あれも必要か……」


 ブツブツと独り言を唱えながら背負う大きな皮の袋に詰めて行く。保存食の干し肉、薬、ナイフ、火打ち石、マント、他に持ち出す物は多くある。それからラピスの手記といくつかの本を持っていく事にした。手記はこれからの道しるべになる最重要物だ。

 

 一通りの荷物がまとまり部屋を見渡すとラズリが出て行ってしまった以来、この場所で一人生活してきた部屋が急に広く感じると記憶を思い出し最後のひと時を過ごした。追跡する為の手掛かりなるやも知れないと思い念には念を入れ、外の世界に関する物は全て燃やすと細い一本の煙が空へと上っていった。

 机の上にはいつも調合の道具が散らかっていたが綺麗に整理され、隅には自ら書き留めた薬や医学の本が数冊積み重なっている。自分が居なくなった後も薬の調合が出来るようにと、村に対してヒスイのせめてもの心遣いだった。

 その上、収納棚の引き出しの中には様々な薬を充分なほど詰めた。当分の間は、村人が困る事はないだろう。

 

 約束までは時間がある。ヒスイはもう一度父の手記を読み返す。外の世界の情報も重要だが、今の時点ではいかにこの村を出るかということ。村人に気が付かれずに抜け出す事だけならさほど難しくはない。そうであれば以前より外の世界に興味を持った者がいて旅立っていったはずだ。問題は先にも話したように、外に出ようとした者が無残な姿で発見されたことに関係がある。その仕業をした張本人と対処法がこの手記の中には書かれている。ヒスイはその記述を繰り返し時間が来るまで念入りに読み返した。


……


 夜の闇が深くなった頃、コハクは目を覚ますと音を立てないように着替え荷物を背負った。玄関口まで行くと一足大きな靴がある。どうやらコハクが寝ている間にドットが帰って来ていたらしい。引き返しドットとペリの寝室まで音を立てないよう向かい、ゆっくりドアを開けると二人共、布団の中で眠っていた。コハクは更に近寄ると二人の顔を確認した。そこにはいつもと変わらず穏やかな寝顔があった。それを見たコハクは堪らず部屋を出る。


「……お父さん、お母さん、ごめんなさい……さようなら……」


 扉越しに自分でも聞き取れないくらいの小さな声でそう言うと、コハクは荷物を取り家を後にした。

 

 外に出るとまだ人影がちらほら見える。この時間、いつもは真っ暗な村だが所々灯がついていて祭典の準備をまだ行っている。人と鉢合わせなどしないよう慎重に道を選んだ。

 

 やっとの思いで村の端に出て獣道の入り口まで来ると、周りを見回して誰もいない事を確認し目の前の暗闇を見つめた。その暗闇に先を見る事は出来ない。


 暗闇がまるでこれからの自分の未来のように感じられた。そう思った途端、恐怖を覚えた足元に目を落とすと自分が立つのは整備された平たい道、暗闇の始まりからはひどく荒れた険しい道。ここを踏み越えたらもう二度と帰ってこれない事、これから自分が辿る道を考えてしまうと、この場所から動けなくなってしまった。

 

 暫くの間、立ち尽くし、どうしたらいいか考えてしまった時、緩やかな風が吹いてほんのりと甘い香りがした。ヒスイから貰った香水。家を出る前、首筋と手首に擦り付けていて風に吹かれて香った。その優しい香りに心が落ち着きを取り戻すと再び目先の暗闇と足元の境界線を見つめた。

 

 コハクは勇気を振り絞り一歩を踏み出した。


……


 一本の蝋燭に火を灯しゆらゆらと炎が搖れる。ヒスイは来るべく時間までじっと炎を見つめていた。そしてその頃合いになるとヒスイは手を伸ばし炎をつまみ消す。

 

 大きな籠を背負い外に出ると真っ暗であったが所々で石像祭の準備に追われている。道の端に松明立てを設置する者、祭壇の組む者、踊子の衣装を仕立てる物、いつもではない風景。ヒスイは作業する人々の事を何も気にする事なく堂々と横切った。そんなヒスイに対して白い目が向けられる。


「村の一大事だってんのに、我関せずってか」

「こんな遅い時間にどこ行くんだ?」

「止めなさいよ、関わったら関わったで面倒なんだから」


 通り過ぎた後ろではボソボソと飛び交っていた。そろそろ人も居なくなる所まで差し掛かろうとした時、30代くらいの男達が三人、ヒスイの道の前に立ちふさがった。


「こんな遅くにどこ行くんだ」


 腕組みをして眉間にシワを寄せた男が言った。


「薬の材料を取りに山へ行くだけだ」


 ヒスイよりも背が高く、大柄であったがヒスイは臆する事はなかった。


「本当か?」

「あんたが深い眠りについている中、俺はいつもこういう生活をしている」


 男は口ごもったが道を開けようとはしなかった。


「もう祭が近いのにお前だけだぞ、何もしていないのは」

「俺がする必要はない」

「コハクは幼馴染なんだろ? 最後ちゃんと送り出してやろうって気持ちがないのか?」

「あんたには関係ないだろ」


 ヒスイはそう言う放ち男達が塞ぐ道の横を通った。男達はそれ以上何も言えず、ただヒスイの後ろ姿を睨んだが、ヒスイの背中は遠くなり闇と同化していった。


 最後の最後まで村の連中とは相入れなかったが別にヒスイは気にもしなかった。ヒスイが名残惜しいのは、”生まれ育った家、ドット、ペリ”それだけだった。


 間も無く村の端まで着く。

 

 整備された平たい道、暗闇の始まりからはひどく荒れた険しい道の境界線。


 ヒスイは歩みを止めず一気に境界線を踏み越すと深い闇の中へ溶けていった。

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