第5話 決断

 ヒスイはコハクに出来る限り毎夜、同じ時間に”青の池”へ来るように言った。青の池にヒスイがいた時は石像病に関しての治療法、または何か進展があった時でコハクに伝える事とした。

 ヒスイが毎夜訪れないのは二人が会っている事で万が一、何かを疑われない為のようだ。次の日からコハクは”青の池”を訪れるように心がけた。


 石像祭までの時間はコハクには家族、友人と過ごす最後の時間が与えられた。彼女はいつも通り、朝は畑作業をし、仕事が終わった後は友人だったり、両親と過ごした。


「コハク、私やっぱり寂しいよ、もう会えないなんて」

「ガーネも皆も泣かないでよ、もっと悲しくなっちゃうから」


 ある日中、よく遊んでいる友達数人にコハクは囲まれていた。石像病と発覚してから久しぶりに姿を現したので彼女を心配し集まったのであった。その友人の中でもガーネはコハクの最も親しい仲だ。ガーネ自身も石像病が村にとって喜ばしい事と解っているのだが、どうしてもコハクが居なくなる事の方が耐え難く、コハクの顔を見た瞬間から感情を抑えられなかった。


 悲しむ友人達を宥めながらも、ヒスイと交わした約束に関しては決して話したりせず、あくまでも石像病を受け入れ、村の為に努めようとする素振りをした。そんな自分の気持ちを言えない事に罪悪感を感じた。

 

 そうこうしている内にコハクはある事に気が付く。ゾイが居なかったのだ。

 ゾイもこの集まりの中の一人で、居ない時はなかった程だ。


「ねえガーネ、ゾイは今日いないの?」

「誘ったんだけど行けないって言われて。なんか虫が悪そうな感じだったけど」

「そうなんだ……」


 コハクは数日前の出来事を思い出し、その原因で会いづらいのだろうと思い、後で謝りに会いに行こうと決めた。するとゾイの名前が挙がった為か、他の友人も彼の話題について触れた。


「しかし、何でゾイ今日って日に限っていないんだよ」

「誘い行ったけど忙しいって感じじゃなかったよね?」

「あいつコハクの事となるといっつも突っ走るんだけどな」

「バカ、そう言う事も言うなって言われてるでしょ」

「私の事で突っ走る?」


 コハクはキョトンとしてしまった。ガキ大将のゾイはよく皆にちょっかいを出してはケラケラと笑い、仲間内では和気藹々としていたが、今までゾイ個人と話が盛り上がっただとか、気が合うだとか、ゾイから気さくに接して来た事もなかったように思えた。


 思うと彼があの日にヒスイとの仲について言及して来た事も不思議だった。そのゾイが自分の事になると突っ走ると聞いたコハクはどう言う事か理解が出来なかった。


 そんなやり取りとコハクの様子をガーネは伺っていた。涙をぬぐい深呼吸をしてコハクの両肩に手を置き意を決してコハクに伝えた。


「コハク、あいつからは言うなって言われてるけど、ゾイはコハクが好きなんだよ」

「へ?」

「あいつ不器用だから色々と私達にコハクの好きな物とか、やりたい事聞いて来たりしてコハクと私達、皆が楽しめるようにしてくれてたんだ」

「う、うん」

「山奥に行ってあんたが怪我して気を失ってる時、背負って村まで運んだのもゾイなんだよ」

「え、あれってお父さんが来てくれたんじゃなかったの?」


 記憶を掘り出してみると、ゾイが提案してくる事がコハクのやりたい事であったり、ある時は好物の果物を持ってくれたりして皆を喜ばせていた。それがコハクの事も思ってでの言動だと気が付いた時、コハクは急に顔が熱くなった。


「この通り、あいつはコハクを本気で思っているの。だから……あいつから何か言って来た時は真剣に応えてあげて」


 ガーネはしっかりとコハクの目を見つめ伝えた。コハクは言葉が出なかったが顔を赤くしたまま首を縦にブンブンと何回も振り返事をした。


 時間は過ぎ、青かった空はすっかりオレンジに染まっていた。別れの時間が近づいて来たので再び感情が溢れたのか、ガーネ達は泣き始めると昼間と同じように宥め、それぞれ家路へと消えて行った。

 

 一人になった帰路の中、村人の目がコハクに向いていた。ある者は不思議な物を見るように、そしてある者は神を見るようであった。そんな目線にも気が付かず、コハクはガーネに言われた言葉が頭から離れず、ぼーっと歩いている。


 気持ちはここにあらずのようだ。

 

 村では17歳でつがいになるのは決して珍しい事ではなかったが、コハク自身が恋愛など考えた事がなく他人から向けられた好意に対して処理が追いつかった。

 

 家に着いてドット、ペリとの食事など団欒の最中もガーネの言葉が浮かぶ。その自身の得体の知らない感情に心あらずの状態であった。自分の部屋でもふわふわとしていたが、ふと窓に目を向けると空には月が輝いていた。

 それを見たコハクはハッとして部屋を飛び出すと慌ただしくドットとペリの前に姿を現す。


「お父さん! お母さん! ちょっとガーネの所に行ってくるね!」

「こんな遅くにどうし……行っちゃった」

「……まあ、好きにさせてやろう……」


 突風のように家を飛び出すとドットもペリも呆気に取られてしまったが、彼女の事を思い自由にさせようとした。

 

 コハクは勢いそのまま獣道へ突き進んだ。さっきまで地に足もつかないような気持ちが嘘のようだ。まるで道なんてなかったかのように目的地へ着いた。水面に月が映し出されている約束の時間だったが、そこに彼の姿はなかった。


……


 ”方法が見つかったら青の池へ向かう”


 コハクにそう約束した。しかし最後に別れた後、ヒスイは姿を見せる事はなかった。あれからヒスイは日中深夜問わず、ひたすら書物を読み解き、食事も睡眠もほぼ取らなかった事でひどく窶れ疲弊した。フラフラと次の本へ手を伸ばした時、大量の本が崩れ落ち散乱。立ち尽くし散らばる本を見つめた。


(この大量の本のどこか本当に治療法があるのか、いや、そもそも治療法なんてこの世界にあるのか?)


 いくつもの嫌な考えがグルグルと頭を巡り、急に力が抜けると床に尻餅をついた。右手の下に一冊の本があるのに気が付く。何気なく表紙を見ると見覚えがある物だった。それはヒスイが小さい頃、母親のラズリが読み聞かせてくれた絵本で、この村では使われていない文字が使われている。表紙を開き、ペラペラとページを開く。


……


”******、*********************”

”? お母さん、何を言っているか全然解らないよ”

”これはね、この村では使われていない言葉なのよ。見てヒスイ、見た事ない文字でしょ”

”すごい! 僕もわかるようになりたい!”

”それじゃ一緒にお勉強しましょうか”

”やった!”

”ヒスイ、この先望む事があれば、この言葉はきっとあなたを助けてくれるわ”


 

……


 ラズリが幼いヒスイに絵本の読み聞かせてくれた事を思い出す。疲れも忘れ絵本を読み返すと懐かしさ、またどこか切ないような余韻に浸り、ヒスイは記憶の中でのラズリの言葉を思い返した。


”この言葉はきっとあなたを助けてくれるわ”


 右手に母の記憶の絵本、左手に手記をギュッと力強く握りヒスイはある決断をした。


…… 


 石像祭まであと三日。


 村は祭の準備で慌ただしい。祭壇や、松明の台が男達によって設置され、女達は当日にもてなされる料理の下ごしらえをしている。村人は様々な気持ちで当日の準備に当たった。喜ぶ者、悲しむ者、面倒がる者、特別何も感じない者。親族は作業は免除されるのだが、ドットもペリも何かしていなければ気が滅入ってしまうからか同じく作業に努めたが二人とも心あらずであった。


 ガーネも下ごしらえ班として駆り出されていて、芋の皮むきをしていた。その最中、松明の台を運ぶゾイを見つけると手を止めゾイの所へ駆け寄った。


「ゾイ、久しぶりじゃん」

「おう、お前も駆り出されてんのか」

「まあね、てか村人何かしら駆り出されてるでしょ?」

「どうだか」

「ねえ、コハクには会ったの?」


 そっけない態度のゾイだがコハクの名前が出た瞬間、作業をする手が止まった。


「どうなのさ?」

「なんかお前に関係あるのかよ?」

「この前、久しぶりに皆集まれたのにあんただけ居なかったし」

「あんときゃ忙しかったんだよ」

「おばさんに聞いたけど家に居たらしいじゃん」

「ぐ……」

「あんた、隠しているつもりか分かんないけどバレバレだよ」

「ちげーよ、あの時はたまたま手が空いて」

「あんたがコハクを好きな事!」

ゾイは目を大きく見開くと声を大にした。

「なっ! んなことねーよ!」

「耳赤いよ」

「だ、だからそれで何なんだよ」

「今、コハクに会ってちゃんと伝えなくていいの?」

「別にお前には関係ねーだろ」

「おせっかいかもしんないけど、あんたが心配なのよ」

「だー! うるせーな! こっちだって色々あんだよ! ほっとけ!」


 そう言うとゾイは松明の台を担ぎ、走って行ってしまった。そんな姿を見てガーネは腕を組み深くため息を漏らす。


 コハクは村長宅を訪れていた。


「まあ綺麗。あとはちょっと繕えば大丈夫ね」

「ありがとうございます。夫人」


 石像祭当日に着る巫女衣装は村長夫人により仕立てられ、コハクは今日、その最終調整に訪れていた。細部まで装飾が施されているその衣装はとても美しい。

 だがそれを見つめるコハクはとても不安定な気持ちであった。石像病が治ってしまったら村人を失望させてしまうかもしれないと言う気持ちもあったが、あの日の約束以降、ヒスイが現れない事の不安が大きくなり、日を重ねる毎に自分の運命を受け入れるしかないと強く感じるようになった。


 夫人はそんなコハクの複雑な表情から察したのか話しかけた。


「……やっぱり気が進まないわねぇ」

「え?」

「生まれて初めての事だから、それはその時は喜んだものだけど、いざあなたのお世話をしているとどうしょうもない気持ちになるわね…」…

「な、何を言っているんですか、村長夫人ともあろう人が」

「ふふふ、コハクちゃんはいい子ね。笑顔だけれども無理をしている気がするわ」

「…」

「いいのよ、今は言いたい事を言って」

「……怖いです……これから死に向かうだなんて……私まだやりたい事いっぱいあります。死ぬ事なんて想像出来ないし……何よりお父さん、お母さん、村の皆とお別れしてしまうのが一番辛いです……」


 ヒスイ以外に初めて本心を打ち明ける事が出来き、どこか気持ちが軽くなった。


「そうよねて同じ立場なら私もそう思うわ」

「けど、私にしか出来ない事だから……全うします」

「本当に強い子。言い伝えのように村の繁栄の為に喜んでいる人もいるわ。だけどね、私と同じようにあなたの幸せのた為に、愛を込めて送り出してあげたいと思う人が必ずいる事を忘れないで」

「ありがとうございます」

「……それでも、あなたの瞳にはまだ希望を捨てていない輝きがあるような気がする。あなたが強く望むなら光の方へ進みなさい」


 見透かされたような言葉にコハクは驚いたが、夫人が自分の理解者である事に安堵し自分の運命がどちらに転ぼうとも受け入れる覚悟をした。

 

 柔らかな陽の光が差し込む部屋に二人の会話が続く。


 陽が沈み、再び漆黒が村を包む。家に戻ったコハクはドットとペリで食卓を囲み貴重な時間を過ごすのも束の間、再びガーネと会うと嘘をつきコハクは今夜も青の池へ向かった。覚悟は決めている。どちらの運命に進むのか今はわからない。希望と不安を抱いて獣道を進んだ。彼はいるのか、いないのか。


 茂みを掻き分けて目を見開く。水面の中央に映し出された月が輝き、夜光虫が飛ぶ交う変わらぬ風景の中にヒスイがいた。その姿を見たコハクは堪らず彼の元まで走りヒスイの両袖を掴んだ。乱れていた呼吸と感情を落ち着かせ、一呼吸を置いて顔を上げた。


「ヒスイ、見つけてくれたの?」


 ヒスイを複雑な表情で見つめるが何も話そうとはしない。コハクの心は掻き乱れる。


「……見つからなかったの?」


 コハクの声は震え、表情は硬くなり、まるで心臓に刃を突きつけられているように感じた。

 そしてヒスイは口を開いた。


「治療法は見つからなかった」


 向けられていた刃が心臓を突き刺した。覚悟はしていたのが、この衝撃は避けられはしなかった。


「そっか……そっかそっか、ありがとねヒスイ、私の為に色々と……」


 それでもコハクは気持ちを切り替え、気丈に振る舞うが不安が泥水のように溢れ出し止まらない。顔を下げ表情を見られまいとした。ヒスイは黙ったまま。


「なんか言ってよ……壊れそう」


 体に溜まっていく泥水に押し出されて来たかのようにコハクの本心が吐露すると、ヒスイの口から思いもしなかった一言が発せられた。


「村を出よう」

「え……何を言っているの?」

「村を出て世界中を渡って、治療法を探そう」


 コハクの頭が真っ白になった。村において外の世界に出る事は最大の禁忌、もしくは自殺行為だ。この村の住人のみが知性を持ち、外の世界は無秩序で野蛮な者達がひしめき合う世界だと信じられている。コハクはもちろん村のいる誰もがこの地を出る考えを持たなかった。


 昔、村の外に出ようとした男がいた。男は数日後、村から相当離れた場所で臓器が抜き出され全身穴だらけの見るも無残な姿で発見された。その一件もあり村人に大きな恐怖を与え、現在まで至った。周知の事実にも関わらずヒスイから出た提案にコハクは困惑した。


「ちょ、ちょっと待って、外って何にもない土地が広がっていたり、私達みたいな生き物なんていなくて、すぐに死んじゃうような世界なんだよ? そんな所に飛び出して当てもない治療方法を探すなんて無茶だよ」

「ここで時間を待つより、よっぽど可能性がある」

「だとしても……」


 コハクも全てを否定出来ずにいるが、外の世界へ不安は拭い去れない。


「それに誰も外の世界の真実なんて知ろうともしてない」


 ヒスイは一冊の本を差し出すとコハクはペラペラとページを捲る。


「何……これ?」


 それが絵本だということは理解できたが書かれている文字は何一つも分からなかった。


「外の世界の物だよ」

「本当なの?」


 もう一冊、別の本を手渡せられると見慣れた文字がそこにはある。だが奇妙奇天烈な内容が広がっておりこの村では経験し得ないものであった。


「なにこれ? なんでヒスイがこんなもの持っているの?」


 読み進めながら問いかけるコハクに対しヒスイは答えた。


「両方とも俺の父親が残していった物だ」


 それは自身が”混血”だと言うのに等しく、村において抱かれる疑惑の念は確信となった。コハクに多少の驚きはあったものの、ヒスイはヒスイなのだから気にはならなかったが、外の世界が信じられている物とは違い考えが変化する。


「……外に行ったとしたら、もう村の皆とは会えないよね?」

「そうだな」

「……お父さん、お母さんだけでも一緒に行けないかな」

「それを話すかどうかはコハクに託す。けど、同意されなかった時でも俺はコハクを絶対に連れていく」


 コハクの頭はグルグルと回り迷った。石像祭は明々後日、時間なんてもうないのをコハクも理解しているが、心にある棘のようなものが引っかかったままだった。


「……ちょっと考えさせてくれないかな」

「ダメだ。考えてる時間がない、今答えてほしい」


 ヒスイの返答の速さに押され戸惑った。そしてコハクは決断した。


「……わかった、私……行く、外の世界に……!」


 ヒスイはその答えに静かではあったが力強く頷いた。コハクもこの選択に後悔する事ないよう言い聞かせながらも、目の前に広がるこの風景に切なさを感じた。 

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