第2話 二人の場所

 家へ着いたヒスイは背負っていた籠を下ろした。”ドスン!”と鳴る音がいかに重たかったかを物語る。部屋着を持ち、家の裏方にある水浴び場に向かうと衣服を脱ぎ全身を洗い流しながら汗を吸った衣服も同時に洗濯した。昼過ぎの晴天の中、洗濯物をささっと天日干し、家へ戻る。

 貰った野菜は腐らないように日陰の涼しい床下へ、採って来た薬草、木ノ実は調合分だけ机の上へ、他は棚の中へ分けて入れた、それから呼吸を整え、袖をまくり、今さっきあった出来事など忘れたかのようにヒスイは調合に没頭した。


……


 時間が流れ目標数の薬が出来ると手を止める。外に目をやると、すっかりと暗くなっていた。

 

 外の空気を吸いに家から出ると、村の灯と空の月と星が照らす美しい景色が広がる。そのまま歩き出し村の外れまで向かった。

 道が途切れ、生い茂っている草木を掻き分けて行くと獣道に繋がり村人も知らないその道を歩み続けると目の前が開け池が現れた。交配の為に無数の夜光虫が宙を飛び回っていたり、草に留まり優しい独特の青い光を放つ。また水面には青い光と空の星の小さな光が写し出され輝く幻想的な空間が広がった。

 池の側の草っ原にゴロンと寝っ転がると、頭を真っ白にして風景に意識も体も溶け込ませ瞼を閉じる。

 

 カサカサと頭の方から音がしたがヒスイの意識は遠く気が付かない。そして我に帰って瞼を開いた時、右隣に気配を感じると”ばっ!”と気配の反対方向へ飛び起きた。


「あ、ごめんごめん、驚かせちゃったね」


 そこにはコハクが両膝を抱えながら座っていた。


「ふふふ、あんまりにも気持ち良さそうに寝ているから、起こすの悪いかな~と思って。けど、まるで人食い熊にでも出会ったかみたいな反応だったから、ちょっとヘコむかな」


 ヒスイは何も言わずに再び腰を下ろすが二人には、先ほど飛び起きた分だけ距離があった。


「……どうしたんだ?」

「ヒスイの家まで行ったけど居なかったから、ここだろうなって思って」

「危ないからあまり近寄らない方がいい」

「けど、ヒスイが行き方と水辺にヒルがいる事教えてくれたんだし、ヘビ避けの香水くれたんだよ。それに私もよく一人で来るし」


 ある時、コハクはヒスイに気が付かれないように後を追い、この場所を知ったのだった。その後コハクはこの場所をいたく気に入ってしまい頻繁に訪れるようになった。

 帰って来る度に獣道の枝で傷だらけになったり、ヒルにもよく血を吸われたが目を輝かせ行くものだからヒスイは堪らず獣道の歩き方と水辺に近づかない事を教え、ヘビ避けの香水をコハクに渡すと、今では二人の秘密の場所となっていた。


「何か俺に用事でもあったのか?」

「用事って程の事でもないんだけど」

「昼間の事か?」

「……うん、ゾイにはちゃんと謝るように言っておいたから」

「……」

「ごめんね。嫌な気分にさせちゃって」

「気にはしてないし、それにコハクが謝る事じゃない」

「それでもやっぱり気になっちゃうかな」

「……」

「ラズリ様からの連絡はやっぱり来てないの?」

「ない」

「そっか……私さ、ここが大好き。澄んだ水も星空もだけど、夜光虫の青い光がほんとに綺麗」

「この時期は夜光虫の交尾の時期だから。強く光れば光るほどメスを惹きつけるんだ」

「……ヒスイは何でも知ってるね」

「力強い光も、弱く優しい光も心を落ち着かせる」

「よかった。ちょっと安心した」

「……?」


 ヒスイはコハクが何に安心したのかは解らなかったが深く気にしなかった。


「私ね、何かに悩むとよくここに来るの。それでこの景色をずっと眺めていると何でか元気貰えるんだ」

「……」

「だからヒスイがこの場所を教えてくれて本当に嬉しかったよ……黙って着いて行っただけだけど」

「……」

「それで、ヒスイもなんか悩み事とか嫌な事あると、この場所に来るのかな~って」

「……」

「大きなお世話かもしれないけど、ヒスイが悩んでる事とか、何か言いたい事がある時は私に話してほしいなって」

「……」

「……」


 沈黙は続き二人は目の前の景色を見つめる。ゆっくりと流れる時間の中、ヒスイは口を開いた。


「そろそろ帰ろう」

「……うん」


 二人は立ち上がり服についた土をはたき落とす。


「最近ここに来ると虫刺されが多いんだ」

「そうなの?」

「今度、虫除けの香水を渡すよ」

「ホント? いつくれる?」

「……明日も来る予定だから同じ時間、月の位置が池の中心にくる時間に」

「嬉しい! わかった! 絶対行くね!」


 約束などする事は滅多にしないヒスイが明日もこの場所で会おうと言ってくれたのはコハクにとっては大きな感動であった。帰り道、上機嫌のコハクはヒスイを追い越しスキップを交え獣道を進んだ。


「危ないぞ、ただでさえ歩き難い道で、その上夜なんだから注意した方がいい」

「大丈夫だよ、私もっと暗かった時も駆け抜けて帰ってるんだから」


 軽やかに踊るように彼女は進む彼女を見守りながら後を付いて行く内に、獣道が終わり整備された村の道に出た。


「着いた~。本当いつ行っても青の池は綺麗だね」

「くれぐれも他言無用で」

「う……そうだね、人気の場所になっちゃったら行きづらくなりそうだし」


 村の夜道を一緒に歩く途中、この村で祀られている不気味な石像に出くわした。


「この神様ちょっと怖いよね、夜だと結構驚いちゃうな。ぎゃ!」


 突然、石像前の真っ平らな地面でコハクは転んだ。


「いった~、いやーははは」

「怪我は?」

「あ、ありがとう。大丈夫だよ、ごめんね。最近、たまに何もない所でも転んだりしちゃうんだよね~。年かな?」


 苦笑いをしてごまかしながらも差し伸べられた手を取りすぐに立ち上がった。


「それじゃ、明日また同じ時間でね!」


 そう言うとコハクは走って行ってしまい、ヒスイは彼女の背中が見えなくなるの確認すると自分も家の方向へと歩き出した。

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