第3話 過去の夢と会えない彼女


 7年前、ヒスイにも母が一人だけだったが家族があった。


 母親の名はラズリ。彼女は巫女であり、村の行く末を人々へ伝えていた。長身でスラッとしていて、その長い手足は祈祷の舞でとても映え、深く黒い長髪と整った容姿はどこか神秘的なオーラを放っていた彼女は村中で尊い存在であった。


 彼女はある日、ヒスイを身篭った。しかし父親は不明。その存在を誰に聞かれたとしても頑なに口を積むんだ。そんなラズリに対し、村人の中である噂が流れ始めたのだ。


 ”父親は外界の人間ではないか”と。


 村には遥か昔より外界の者は災いをもたらす存在であると言い伝えがある。

 その為、村は外界を一切遮断し存在を隠したので外の世界に知られる事はなく、完全な隔離を現在まで貫いていた。それでもラズリが外界の者と繋がりを持ったという噂は村中にたちまち広がり、周囲から白い視線を受けるようになった。

 

 それでもラズリはヒスイを産み、厳しい環境に置かれながらも愛し育てた。

 

 ラズリの家の隣にはドットとペリという夫婦が住んでおり、その二人の間にも子供が生まれコハクと名付けられた。ヒスイが誕生した二週間後であった。村人はラズリの事を避けていたがドット、ペリ夫婦は彼女に対して親身に接し、そんな二人にラズリは感謝していたが、一向に父親の存在を誰にも明かさないままであった。

 

 ヒスイもコハクもすくすくと育ち、両家庭とも幸せを築いていたが、ヒスイが10歳になった年、環境は大きく変わる。


 ラズリはヒスイを残し突然消えたのだ。


 理由は明らかでなかったが追放との風の噂が流れた。ラズリが居なくなってしまったのを機に、一人残されたヒスイは更に厳しい目が当てられ、外界と交わった”混血の子供”と呼ばれるようになった。ヒスイは何が起こっているのか理出来ず、村からの視線を恐れ人前に出る事はなくなってしまった。

 

 しかし、どんな時でも手を差し伸べたのはドット、ペリ夫妻であり、自分達の子供として育てようとしヒスイを招こうとした。

 だが、ヒスイはそれを拒み彼は一人で生きる事を選んだ。ヒスイの心の支えはラズリが残して行った沢山の書物であった。中でも医学、薬学に没頭した事が村ではまだ誰も居ない薬の調合師としてこの村で生きる事を決意させた。

 

 しかしヒスイは混血として疎まれる存在、そんな者が作った薬など誰が使うだろうか。毒でも盛られているのではと思われても不思議ではない。一向に薬は使われなかった。

 

 そんなある日、長老が風邪をこじらせ、なかなか治らず寝込んでいたが、ドット、ペリ夫妻の計らいでヒスイの薬を使用した所、物の見事に完治してしまったのだ。その評判は村中に知れ渡りヒスイの薬を求め多くの人々が尋ねるようになり、以前程の厳しい目はなくなっていった。それでもヒスイと村の距離は近くなる事はなく、今日までこの関係は続きながらもヒスイの薬は村から重宝されている。

 

 そうして7年間、ヒスイは調合師としての地位を築き一人で暮らしてきた。

 だが、その間ラズリの行方も分からず便りも来る事もなかった。


 ……


 ヒスイが目を覚ましたのは昼前だった。

 

 昨日、青の池から戻ると眠気に襲われ、そのままベットに吸い込まれていたようで彼にしては珍しく深い眠りだった。ぼうっとしする中、なんだか妙に外が騒がしい事に気が付く。家の外に出てみると、村人がそこら中で立ち話をしており聞く耳を立てる分には会話の内容は同じであった。


「言い伝え通りだ!」

「神の祝福だ! なんと素晴らしい!」

「祭りだ! こりゃー大変だ!」


 会話が飛び交うに、どうやらとてもめでたい事らしいがヒスイは多数できた話の輪に入れなかったし、入ろうとしなかった。その時、追いかけっこをしている男の子が二人、ヒスイの目の前を通り過ぎた。一人は先日ヒスイが手当てをした男の子でヒスイに気が付くと走ってヒスイの方へ戻ってきた。


「お兄ちゃん、あの時はありがとう!もう全然痛くないよ!」

「そうか、よかったな」

「お兄ちゃんも見に行くの?」

「何をだ?」

「石像病が出たんだって! 今、村長の家に居るから見に行くんだ!」

「おい! 何してんだよ! 早く行こうぜ!」

「待ってよ! じゃあね、お兄ちゃん!」


 先を走っていた年上らしき少年に呼ばれ行ってしまった。


 石像病


 村に古くから伝わる風習、戒め、伝説は多くある。石像病の伝説は最も古く、伝書によるとおよそ一千年前に確認されたのを最後とされているが果たして本当に事実なのかも定かではなかった。徐々に体が石になっていき、最後には死を迎え石像になってしまうと言われている。原因は一切不明で気が付かない内に身体を蝕んでいく後、石像となった身体は永い時間朽ちる事はなく存在し続けると言う。別名「神の一目惚れ」と言われていて、神が魅入れた存在を石像にしてしまう事からであった。石像病は神から寵愛を受けた存在であり、崇め奉る事で村に繁栄がもたらされると言い伝えられていた。


 村の中ですら、おとぎ話の一種だとされていただけに出来事はお祭りの如く賑わった。そんな村とは対照的にヒスイは少しも興味を持たなかった。村の高台にある村長の家の方に村人が押し寄せているのを少し眺めたのち、家の中へと戻った。昨日コハクに約束した虫よけの香水を作る為、作業台に向かい調合を始めた。


 虫が苦手とする花とかすかに甘く薫る花をそれぞれ水蒸気蒸留法を用いて抽出するが時間が掛かるのでつきっきりだ。

 その間、ヒスイは作業台の右側にある大きな布の覆われた棚に手を伸ばし布をめくると数百以上の本が並べられていた。医学、文学、地学など種類は豊富だ。外界の産物であるので村には隠してある。この本棚の書物はヒスイの父親が紛れもなく外界の人物だと物語っていた。ヒスイは本棚から一冊取って抽出が終わるまで読書を始めた。

 

 外では相変わらず石像病の話しで持ちきりでガヤガヤしているがヒスイは気にもかけずに抽出と読書に時間を費やした。


……


 数時間後、二つのグラスの中にはそれぞれ一定量の液体が溜まっていた。一つは鼻から頭に抜ける強い匂いを放ち、もう一つはほのかに甘い香りがする物だった。その二つの抽出液体を混ぜ合わせるとほのかに甘い香りがする虫よけの香水が完成し小瓶に注ぎ入れ蓋をする。

 

 外は例の如く夜であったが香水の瓶を持ち”青の池”へ向かう準備をし家の外へ出る。昼間程の賑わいは辺りにはなかったが、まだ高台の方では灯があり人の声がした。気にも掛けず、コハクとの約束の時間が迫っていたので池への道を急いだ。


 池に辿り着くと、まだ月が池の中心まで登っておらず約束の時刻までは少し時間がある。

 

 時間は過ぎて行き、既に月は池の中心を通り過ぎたがコハクはまだ現れない。それでもヒスイは待ち続けると月が池の水際まで差し掛かった。


 しかし、コハクは現れなかった。


 流石のヒスイも彼女に何かあったのかと思い村まで戻る事を決めると獣道を急いだ。村に戻ると民家にはまだ明かりが灯っていて、丘の上の村長宅、社では村人の声で賑わっていた。ヒスイはコハクの家に着くと扉の前で一呼吸した後、扉を叩いた。数秒後、ゆっくりと扉が開くと。そこにはコハクの母ペリの姿があった。


「あら、ヒスイじゃない。いらっしゃい」

「こんばんわ」


 コハク同様、ペリも根っから明るい人物だ。色はいつも通りではあるが、表情はどこか気力がないのにヒスイは気が付いた。


「上がって上がって、お茶入れるわね」


 ヒスイは居間まで通されると、腰を下ろし久しぶりの空間を見渡すと懐かしさとその居心地に慕った。


「あなたの薬には本当に助かっているわ。この前ドットったら腰痛めたじゃない?それで貰った塗り薬と飲み薬を使ったら、あの人すぐに治っちゃたのよ」


 お茶差し出すと、世間話を一方的にしてきた。だが表情はどこか暗い。時間が経つにつれてヒスイは確信は出来ないが分かってきた。それが事実なのか勘違いなのか確認したかったのだが踏み切る事が出来なかったし、ペリが話させようとしてくれない。

 

 それからも一方的にペリの話が続くと疲れたのか、ひと段落して少し間が空くとペリの表情が変わった。どこか上の空というか魂が抜けたというのか。


 そしてゆっくりと口を開いた。


「……なんで……あの子なのかしらね……」


 先程の明るさから一転、暗い口調だった。


「本当なんですか?」

「……そうよ」

「いつからだったんですか?」

「……今思えば、数週間前から前兆はあったけど……確信したのは昨日の深夜で……」

「コハクとおじさんは今も村長の所に?」

「……ええ」


 質問をするヒスイに対してペリは堰を切ったかのように答え始めた。


「……でもね、これは素晴らしい事なの! だって神に見初められたのよ! それがあの子だなんて、あの子にとっても私達にとっても光栄な事なのよ!」


 ペリは興奮気味で、自分自身を言い聞かせるように喋る。


「これでこの村の、私達の繁栄が約束されたのよ! だって作り話かと思っていたのだもの。私達の子が、コハクが石像病なのよ!」


 その言葉がついにペリの口より発せられたその瞬間、ペリは罪悪感を感じ落ち込んだ。


「……ごめんなさい、あの子もドットも今日は帰ってこないの……でもね、本当に光栄な事なのよ、あの子、村の守り神になれるのだから」


 表情は悲しげで声には先程の狂気じみた物はない。空気は重かったがヒスイは出来るだけ多くの情報をペリから聞き、時間は過ぎていった。


……


「突然押しかけてしまってすいませんでした」

「いいえ、気にしないで。それに一人だと気が滅入りそうだったから」

「それと……何と言っていいのか」

「いいのよ。それにコハクも胸を張っていたわ。”村の守り神になるんだー”なんて言ってね」

「……そうですか」

「あの子を訪ねて来てくれたのに御免なさい。けど明日には二人とも戻ってくるはずだから」


 そうしてヒスイはコハクの家を後にした。少し歩いて振り返るとペリが手を振っている姿は気丈に振る舞っているようだが先程の感情の終始を見る限りではとても不安定な状態である事が伺えた。

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