転結

「アートマンさん、そこどいてください!」

「あ?」

「掃除しちゃうんで」

 男は少女に言われてソファから重たい腰をあげた。

「ふんふーん♪」

 あれから一週間。見ず知らずの少女がいるこの生活にも慣れてきていた。それは少女のほうも同じで、まるで自宅のように振る舞い。いまは箒片手に鼻歌を歌いながら掃除している有様である。

「マスター、ご機嫌ですね」

「なぜそういう単語が出てくる。ご機嫌なのはあいつのほうだろう」

「いえカマをかけてみただけです」

「無意味にカマをぎらつかせるな。銃刀法違反だ」

「古の『法律』を出されても……」

「一応現行法だ……無名無実だけどな」

 政府にはもう人々に法を遵守させる力は残っていない。

「腹、減ったな」

「マスター、またですか」

「人間は定期的に腹が減るようにできてるんだよ。よし、アカネ、飯食いに行くぞ、夕飯」

 振り向いた少女は笑顔でうなづいた。

「はい!」




「マスター、いつもラーメンばかりだと栄養が偏りますよ」

「人が毎日ラーメン通いみたいに言うな。家ではしっかりシリアル食ってるだろ」

「それもそれでどうかと思いますが」

 プリマとは反対側、隣を歩く少女が苦笑しながら指摘した。

「今度果物でも買ってくるよ」

 天飯店に行くために汚れた繁華街を歩く。

 夜の通りはいつも通りの人混みで、いつスリにあってもおかしくない。

「マスター」

「わかってる」

「……?」

 そして言葉少なに意思疎通するのは常で、少女もこのふたりのやり取りには慣れ切っていた。

 それでも疑問に思ったことは口に出てしまう。

「どうしたんですか……」

「シッ。こちらも向くな」

 アートマンはこちらを見ずに静かに沈黙を求めてきた。

 ただごとではない雰囲気だ。ここは黙ったほうがいいだろう。

 少女はただ無言で、ふたりと並んで通りを歩く。

 いつの間にか通りから人混みが消えていた。潮が引くように気がつかぬ間に、あれだけいた人が消えていた。

「合図したら自分で三カウントしろ。そしたらあそこの左のつぶれた店に身を隠す」

 アートマンが小声で指示してくる。少女の心臓がばぐばぐと呼吸をはじめた。

「カウントしろ」

 鼓動がうるさい。うるさくてそれが心臓のカウントなのか、心の中のカウントなのか判別がつきにくい。

 三つカウントして、ちょうど左手に半開きになった廃墟の扉が見えた。少女はそこに飛び込んだ。ほぼ同時にアートマンとプリマも飛び込んでくる。

 それから間を置かずにビームの乱射が叩き込まれる。

 耳をつんざくキイィィィンという高音の発射音と周囲の廃材と鉄筋が蒸発していく音が少女の心をざわつかせる。

「敵は?」

「通りを挟んで正面に七。さらに周囲に熱源となる火砲が十三……」

「二十か……多いな。人間か?」

「はい」

「ちっ、厄介な。相手の使ってる武器は?」

「阪神製の新型ビームマシンガンかと」

「最近他の経済圏の干渉が激しいな……東北に何の用だってんだ!」

 言ってる間にアートマンは懐のリボルバーを取り出して、装弾を確認する。問題はない。

「マスターの武器ではおそらく距離が足りないかと」

「わかってる、けん制だ」

 ふたりが話している間もビームの掃射による攻撃は続いており、ぽろぽろと滑落した埃のような建材が頭の上から振ってきていた。それほど長くは持たずに、天井が崩落するだろう。

 アートマンは廃墟の転がっていたテーブルの陰から適当に銃を撃って、音を鳴り響かせる。

「俺はアカネを連れて逃げる……任せて大丈夫か?」

「それが、マスターの描いた素描デッサンですか?」

「ああ、俺の発想だ。間違いない」

「ならば従いましょう。私はマスターのペンなので」

「よし。行くぞ、アカネ!」

「きゃっ」

 アートマンはわきに控えていた少女を抱え上げた。

 彼らは行動を開始した。




「下……どうなったんでしょう」

「さあな」

「……。プリマさん、大丈夫かな」

「大丈夫だろう、あいつならな」

「…………」

 先ほどの廃ビルの屋上。夜空に叢雲が浮く下で、ふたりは階段室の壁に背を預けて休んでいた。

 下ではときどき粒子光が輝き、甲高い銃撃音が鳴り響いていた。戦闘はまだまだ続いているらしい。

「心配じゃないんですか?」

「心配しなきゃならないのは俺たちだろ」

 そう言ってアートマンは立ち上がった。

 それにつられてアカネも立ち上がる。

「どこに行くんですか?」

「どこにも行かねーよ。プリマが敵を片付けるまで、俺たちはここに釘づけだ」

「でもプリマさんはアンドロイドで、相手は人間なんですよね?」

「三原則か? そうだな……あいつならなんとかなる」

「信頼されてるんですね」

「違うさ」

「では……美しさゆえですか?」

「それも違う」

「では……」

 アカネが言葉を紡ぐ前に、アートマンは懐から取り出したリボルバーを少女に向ける。

「……っ!」

 それを彼女に押しつける。

「持ってろ」

「え……でもこれはアートマンさんの大事な……!」

「自分の身くらい自分で守れ……」

 そう言って彼は無理矢理少女に拳銃を渡した。

 それから屋上の縁まで近寄って、下を覗き見る。瓦礫やほかの廃ビルが邪魔で様子は見えないが相手の銃撃が四方八方に飛び交っている。どうやらプリマが逃げ回って敵を翻弄しているらしい。

「もうしばらくかかりそ……」

「…………」

 アートマンが振り返り少女に伝えようとして、言葉を切った。

「すみません」

 少女が受け取った拳銃を構え、アートマンに向けていたためだ。

「だろうな」

「わかっていたんですか?」

 驚いたように少女が問いかける。

「お前、自分で思っているよりも臭うぞ」

 少女が腕の裾をくんくんと臭う。

「臭うか?」

「はい……ここ一週間お風呂入ってなかったので」

「それで、これは誰の作戦で、どこの命令だ。どうせ下のやつらも作戦の一部なんだろ」

「四菱電産……」

「へえ」

 アートマンはサングラスの下から眉根を上げる。

「それ以上は言えませんし、言う必要もないかと思います……あなたはここで、私に殺されますから」

「四菱には長年尽したと思ってたんだけどなあ」

「あなたは四菱の役に立った。予想以上に、役に立ちすぎた」

「了解。わかったよ……だがアカネ、それで勝った気か?」

 言いながらアートマンは懐からさらに一丁の電子銃スマートガンを取り出した。

「用意周到なあなたなら……!」

「もちろん。でなきゃ芸術使いは名乗らない」

 ふたりは屋上の端と端でお互い拳銃を構えて対峙した。

「アカネ、そいつを捨てろ。いまならまだ間に合う」

「私の両親がどうして死んだか、わかりますか?」

「いいや?」

「人殺しに殺されたからですよ……もう手遅れなんですよ。最初から……あなたが賞金稼ぎであった時点で」

「そうか」

 アートマンはあきらめたようにつぶやき、構えた電子銃のトリガーに指をかける。

 間髪入れず引き金を引こうとした瞬間――すべては破綻した。

「な、なにを……」

 男の絞り出すような声。

 アカネは。

「すみません……」

 アカネが構えたリボルバーの前にゆっくりと手を持ってきた。まるで彼を制止するように。

 一瞬命乞いかと思ったのが間違いだった。そんなどうでもいいことを考えている間に撃てばよかった。

 だが撃てなかった。なぜなら――。

 バンという火薬の煌めく音が聞こえた。

 同時に、アカネの小さな手に大きく風穴が開いた。

「……ッ!」

 衝撃と痛み、そして撃発の反動でアカネは一歩、二歩と後ろに下がる。

 だがアカネは掲げた腕を下げなかった。風穴を開けた手を決して、下げなかった。

 アートマンからよく見える位置に掲げ続けた。

 風穴からつーっと一筋の赤い、真っ赤な血がしたたり落ちた。

「……!」

 男の心臓が高鳴る。見てはならない、感じてはならない。この世のありとあらゆるものに“それ”を感じてはならない。

 だから男はいままであらゆる“それ”に関する知識を、感性を、記憶を、すべて所有物である操り人形に預けておいたのに。

 この土壇場で、感じてしまったのだ。

 “それ”を。――美しさを。

 少女の手に空いた風穴から視線をそらせない。だからといって呼吸をすることすらできない。

 かくなる上は、死。すべてのお膳立てが、少女の生み出した芸術によって淀んだ夜の海に沈み、残す道筋――その先には死しか残っていなかった。

「ごめんなさい、死んでください……アートマン」

 銃口が男をとらえる。そしてトリガーが引かれる。

「…………」


――パン。


 やけに軽い音ともに人間の頭が破裂する。屋上に鮮血が広がり、バラの花を散らばめたかのように鮮やかに花開く。

「マスター、無事でしたか?」

 男は混乱した頭を振って、その声のしたほうを見る。

「マスター……?」

 プリマだ。プリマが頭部から肩を失って膝を折ったアカネのそばに立っていた。

 そこでやっとアートマンは少女の作りだした美しさの呪縛から解き放たれて、状況を飲み込んだ。

「はぁはぁ……ぷ、プリマ? 助かった……たす、かった?」

「ええ、マスターの体温、正常値に収まっています……脈拍はずいぶんと危険域ですが……それで死ぬあなたではないでしょう?」

「下の敵は?」

「片づけました」

「そうか……」

「どうしました? 脈拍が全然落ち着きませんが……」

「そうだな」

 アートマンは平静を装いながら、ゆらゆらとプリマに近づいた。

 そして首後ろのニューロジャックから端末を取り出し、プリマに接続した。

 そのまま彼女に抱きつき、胸に顔を押しつけながら深呼吸する。

「マスター、いつも通りに?」

「ああ……いや、記憶は取らないでくれ。感情だけを吸い上げてくれ」

「了解しました」

 そうして感情を自分のアンドロイドに吸われながら、男は彼女の胸の奥に眠る本物の心臓の音を聞いて深呼吸し続けた。

 まるで母親の胸で眠るように。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

アートマン 犬狂い @inugurui

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ