ウサギとカメ

竹神チエ

今日こそ勝つ!

 イソップ童話のウサギとカメ。

 あの有名なレースで勝ったのはカメだった。

 なんてことだ。ウサギがカメに負けるなんて! 


 だから、屈辱を晴らすため、ウサギは今日もカメに勝負を挑む。


「カメっ、丘村商店まで競争だ! 負けた方がジュースおごるんだぞ」


 部活おわり。校門の前でカメ――亀谷リョウを見つけたウサギ――卯月ユズは大声で彼を呼び止めた。校門から丘村商店までは約一キロメートル。何度も繰り返し勝負したふたりの定番コースだ。


「またかよ。どうせお前が負けるのによくやるな。そんなにジュース買うのが好きなのか、変わり者め」


 カメの辛辣な言葉に、ウサギはキーッと怒り沸騰。


「今日は勝つ、ぜったい勝つ!」


 二人は永遠のライバルだ。小さい頃からたくさんの勝負をくりかえしてきている。中学三年生なったいまも、それはかわらない。


 昔はウサギのほうが勝率が高かった。


 トランプ、オセロ、チェス、テレビゲーム。かけっこや木のぼり、取っ組みあいの相撲だって、ウサギのほうが強かった。身長もウサギのほうが高かったのに、いつの間にかカメが追いこし、追いつけなくなった。


 連敗連敗、ずっと連敗。それでもウサギは諦めない。


「今日は勝つ、ジュースをおごるのはお前だ!」


 よーい、どんっ。ウサギは口で号砲をあげると、スタートダッシュを決めた。


 ウサギは背中にリュックとテニスラケット(ウサギはテニス部だ)をしょっている。背中はぽこりと丸くなっていて、まるでカメのこうらのようだ。

 それでも、こちらがウサギである。こうらのような荷物をものともせず、どぴゅーとあっという間にかけぬけ、ぐんぐん小さくなっていく。


「……ったく」


 ヤレヤレ。カメもしぶしぶスタートだ。部活帰りの仲間たちが、がんばれー、ファイトーと、笑いながら声援をおくる。


 まったくいつになったら、ウサギは勝負をあきらめるのか。何度も何度も勝負を挑まれ、そのたびにウサギを負かしているカメは、もういいかげん止めにしたいと思っていた。


 でもウサギは負けず嫌い。自分が勝つまで何度でもやる。


 勝負内容によっては、ウサギにも勝ち目があるはずだ。でも、勝ち目のない勝負ばかり、ウサギはムキになって挑んでくる。

 わざと負けてやろうかとカメは思うのだが、力を抜いたのがバレると恨まれそうで、結局は勝負して勝つ。勝ってしまうから、またウサギが勝負を挑んでくる。


「あー、やだやだ」


 のろのろ、のろのろ。軽く走ってはのろのろと歩く。歩いては気まぐれのようにダッシュする。そうしてまた歩く。のろのろ、のろのろ。


 あー、やだやだ。カメは文句を言いつつウサギを追う。


 さて、ウサギは、ひとまずの目標にしていた電信柱まで到着すると、ブレーキをかけた。よーし、休憩だ。ラケットとリュックをおろし、どかりと上に腰かける。リュックが密着していた背中は汗ばみ、湿っていて不快だ。

 ウサギはシャツの背をつまみ、パタパタと風を含ませながら、カメの姿が見えてこないかと首を伸ばした。


 のろのろ。のろのろ。


 角を曲がったところで、カメは電信柱の下で休んでいるウサギに気づいた。疲れているのか、ウサギは足を投げ出して、ぼけー、としている。

 と、ウサギはカメの姿に気づいたらしく、慌ててレースに戻っていく。ぎくっと跳びあがって走り出すウサギに、カメは思わず笑ってしまった。


 次の角までには追いつくだろう、いや、追いこしてやろう。カメは足に力を入れて、スピードをあげる。ぐんぐんとウサギとの距離がちぢまっていく。


「おーい、ウサギ。へろへろじゃないか」


 余裕しゃくしゃくで、ウサギの横に並ぶカメ。ウサギの顔は真っ赤で、口からはハアハアと苦しそうな息がもれている。


「ぜ、ぜんぜん楽勝だし。ハンデあげるために、ちょっと寝てただけだし」


「へー、そうか」


 カメは、ウサギの背中にあるテニスラケットをつかむと、ぐいと手前に引いた。


「うっ、なにすんだ。転ぶだろ」


 バランスを崩しかけたウサギが抗議すると、カメはニヤニヤといじわるく笑う。


「持ってやろうか、荷物」

「いいっ!!」


 ラケットをつかむカメの手を、ぶんっと勢いよくふりはらうウサギ。

 カメは「あっそ」と肩をすくめ、じゃあ、お先にー、と涼しい顔で先を行く。

 ウサギはその憎たらしい背をにらみつけながら、必死であとを追う。


 ゼィゼィ、ハアハア。ゴホッと咳き込むウサギ。なんだか血の味がしたような気がする。心臓はつぶれそうで、足は沼にしずんだように重い。でも休憩してはいられない。カメの姿はもう見えなくなっていた。


 勝ちたい、勝ちたい、勝ちたい。敗北のくやしさがのどにせりあがってくる。ウサギはキュッと口もとをひきむすぶと、くやしさをエネルギーに速度をあげた。もっと速く、うんと速く。跳ねるように飛ぶように、ウサギは全力で走る。


 ゴールの丘村商店見えてきた。ウサギはヨロヨロだ。まっすぐゆくのもむずかしい。蛇行しながら倒れ込むようにゴールした。ごろんとあおむけに転がる。大の字でくたばる、ウサギ。夕日に染まりつつある空が、無性に切なく見える。


 ああ、負けた。また負けてしまった。

 カメはとっくにゴールしていた。


 と、熱くなった頬にひやりと冷たいものがあたる。


「むちゃしすぎ」


 カメが缶ボトルのジュースをウサギの頬にくっつけてくる。冷たくて気持ちいいが、情けは無用。ウサギはわずらわしそうに顔をそむけ、頬をゴシゴシとこすった。カメは苦笑する。


「勝負すんならべつのことにしようぜ。いいかげん、おれが極悪人みたいに思えてきて、気分わりーわ」


「ふんっ」


 不機嫌なウサギ。カメは「ん」と、ジュースを差し出すと、ウサギのよこに座った。ウサギは「ぐうう、金は払う」と無念そうにうめきながらも、ジュースを受けとる。


「つぎはテニスで勝負だ」ウサギが言う。

「それもおれが勝つ」即答のカメ。

「うっ。じゃ、テスト。来月の中間で良い点数を取ったほうが」

「悪いけど、それもおれが勝つ」

「わからんだろ、それは!」

「この間、お前クラスで一番点数悪かっただろ」

「どうしてそれをっ。きさま、勝手に見たな。最低だぞ」

「バカいうな、お前が勝手に見せてきたんだろ。あまりに点数低すぎるから採点ミスじゃないかって。忘れたのかよ」


 そうだった……、ウサギはずーんと肩を落とす。


 あのとき、点数の低さにショックを受けたウサギは、どこかに正解はないかと、カメのテストと見比べたのだった。くそっ、あいつ、百点なんか取りやがってえええ。ウサギは思い出したくもない記憶を刺激されて、腹が立った。ジュースを一気飲みしようとキャップをにぎるがうまくいかない。ムムム!


「かせ」

「あ?」


 カメはウサギの手にある缶ボトルをつかむと、あっさりキャップをひねる。へべれけのウサギは、握力が死んでいたのだ。


 ウサギは「ぐふっ、こいつは勝負に含まんからな」と憎々しげに顔をしかめたが、ごくごくジュースをのどに流し込むと、幸せそうに「ぷはー!」と大きく息を吐いた。


「うまいかね」

「まーな」

「ん」


 カメが手のひらを出す。


「なに?」

「金。払ってくれるんだろ。百円で手を打とう」

「ぐっ、そ、その」


 急に弱気になるウサギ。カメは缶ボトルを取り上げようとしたが、ウサギは「だ、だめ」とボトルを死守する。


「明日、明日払う」

「お前、このあいだも」

「まとめて払うっ。ツケにしてくれ。いつかバイト代で払うから」

「バイトぉ?」

「高校生になったら、バイトすんだ。みっちょんとな、オシャレカフェで」


 みっちょんとは、ウサギのお気に入りの女子だ。みっちょん、みっちょん、とつきまとっている。相手も、ウサぴょん、ウサぴょんとウサギを好いている。


「みっちょんと同じ高校に行くんだもんねー。制服がかわいいんだって」

「そんな理由かよ。というか、お前、高校行けるの?」

「ん、行くぞ?」

「いやー、あの成績で……」

「まーた、カメは!」


 バカにしやがって。ウサギはカメを殴ろうとこぶしをあげる。

 カメは笑いながらのけぞって、

「ウサぴょん、どうしてもっていうんなら、おれ、勉強教えてあげるよ?」

 またまたウサギをバカにした。

「けっこうだ! 自分でやってお前に勝つ。そうだ、お前も同じ高校受験しよーぜ。で、お前は落ちる、私が勝つ、ざまー」


 べーっ、と舌を出してくるウサギに、カメは「はーあ」と息を吐いた。


「お前さ、勝負好きだな。もうやめよーぜ」

「やだ。カメには負けたくないもん」

「どうして?」

「だって、カメに勝ちたいんだもん」


 理由になっているのか、いないのか。カメはため息まじりに言った。


「……もう、ずっとお前が勝ってるって」

「ん?」


 ウサギは、きょとん、と首をかしげた。


「私、今日も負けたじゃん、レース」


「ま、それはそうだけど、でも、ほら」

 カメは迷いをみせたが、

「ほら、言うじゃんか」

 と、彼は意を決した。ウサギから顔をそむけ、

「惚れたほうが負けだって」

 言った。たしかに言った、の、だけど……


「え、なんだって? ゴニョゴニョしゃべるなよ」


 ああああああ。カメは髪をかきむしった。


「言わねー。ぜってー、おれからは言わねーからな」


 突然立ち上がったカメに、ウサギは目をまんまるにする。きゅるんとした小動物のような顔に、カメは再び、あああああ、と髪をかきむしった。


 幼馴染の女の子、卯月ユズは無自覚にカメを精神的に追いつめる才能がある。


 カメはおませさんだったので、片想い歴は切ないほど長いが、相手は恋愛の「れ」の字も知らないようなニブ子ちゃんなので、切なさは年々悲壮感を漂わせる。周囲は、いつウサギがカメの気持ちに気づくのか、とても楽しみにしているが、中学生のうちにはどうにもなりそうにない。


「こーなったら、お前から言わす。ぜってー、そうする。勝負だ、ウサギ」

「なにを?」

「どっちが先に……先に……、とにかく勝負だ!」

「は?」


 ほら、帰るぞ、とカメはウサギの手を引き、立ち上がらせた。こうやって手をにぎろうが、なんなら抱きしめようが、「え、相撲すんのか?」とか言うのがウサギである。


 つかんだ手をしばらくにぎっていても、ドギマギしたところは一切なく、

「カメ、家まで競争する?」

 と、きた。けっ、とカメ。ウサギは「勝負、勝負!」とせがむ。

「じゃあ、ジャンケンで負けたほうが荷物ぜんぶ持つか?」

「オッケー」


 じゃーんけーんっ、ほいっ。


「勝った、勝った! カメに勝ったぞー」


 ぴょんぴょん跳ねて喜ぶウサギ。

 カメは「あー、だりー」と文句を言いながら、ウサギのリュックを前に持ち、テニスラケットを肩にかけた。


 ウサギはいつも最初にチョキを出す。でも本人に自覚はなく、たまにカメがわざと負けてやっても気づかない。


「あー、ぜったいおれの負けだわー」


 空をあおぐカメ。夕日の中、ふたりの影が長く長く伸びていく。

 ウサギとカメの勝負。実はずっと、ウサギが勝っている、のかも。

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ウサギとカメ 竹神チエ @chokorabonbon

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